あかねさす
4月の終わり。新学期が始まってしばらく経ち、学校生活にも慣れてきた頃だった
けれど、女子高生の茜音にとって1つだけ憂鬱なものがある。それはーー古典の授業だ
「はぁ……」
放課後、返されたばかりの小テストを見て、茜音は深いため息をつく
赤ペンでつけられた点数は、決して良いとは言えないものだった
「意味わかんないし、覚えられないし……何が楽しいの、これ……」
隣の席の友達が「またやばかったの?」と覗き込んでくる
「やばいどころじゃないよ。もう古典だけ別の世界の言語って感じ」
そう言って机に突っ伏す茜音
“嫌い”というより“遠い”のだ。千年以上前の言葉も、人物も、自分とは何の関係もないもののように思えてしまう
「もっと面白く古典を学べないかなぁ……」
その何気ない一言が、少しだけ未来を変えることになる
ーーーーーーー
その日の夜。ベッドに寝転がりながらスマホをいじっていた茜音は、ふと目に留まったサイトを開いた
ーー金曜日に贈る和歌
リクエストに応じて和歌を送ってくれるサービスらしい。半信半疑でページを眺めていたが、どこか惹かれるものがあった
「……面白い和歌とか、あるのかな」
軽い気持ちで、フォームに打ち込む
“古典が苦手です。何か面白い和歌が読みたいです”
送信ボタンを押しても、正直あまり期待はしていなかった。ただの気まぐれだった
ーーーーーーー
そして金曜日
学校から帰ってポストを開けると、美しい紫色の封筒が入っていた。思わず「えっ」と声が出る。手に取ると、紙の質感がしっとりとしていて、どこか特別なもののように感じられた
「なにこれ、めっちゃ綺麗……!」
部屋に駆け込み、机の上でそっと封を開ける
中には薄紫色の便箋が一 1枚。そこに、漆黒の筆文字で2首の和歌が書かれていた
あかねさす紫野行き標野行き
野守は見ずや君が袖振る
紫草のにほへる妹を憎くあらば
人妻故に我れ恋ひめやも
「……ん?」
一読しただけでは意味が分からない。だが、なぜか気になって仕方がなかった。茜音はすぐにスマホで調べ始める
そして数分後ーー
「えっ……!?」
思わず大声が出た
「額田王と大海人皇子って元々夫婦なの!?で、この歌の時は額田王は中大兄皇子の妻!?しかもその2人、兄弟なの!?」
情報を追うごとに、頭の中がどんどん騒がしくなる
「ちょっと待って、これ完全に昼ドラじゃん!!」
さらに調べていくと、歴史はもっと激しく絡み合っていく
「え、この後に壬申の乱!?中大兄皇子の息子と大海人皇子で争うの!?いや怖くない!?どんだけドロドロしてるの!?」
さっきまで“遠い世界”だったはずの古典が、一気に生々しい人間ドラマとして立ち上がってきた。恋、嫉妬、権力、血縁ーー現代と何も変わらない感情が、そこには確かにあった。
「……何これ、めっちゃ面白いじゃん」
気づけば、茜音は夢中で和歌とその背景を読み漁っていた
ーーーーーーー
それからというもの、茜音は変わった
古典の授業中も、ただノートを写すだけではなく、「この歌の人ってどんな人だったんだろう」と考えるようになる
教科書に載っている1首1首の裏側に、人の感情や関係性を探すようになった
「ねえ、この歌ってさ、もしかして未練タラタラじゃない?」
「この人、絶対重いタイプでしょ」
そんなふうに、友達と笑いながら話すことも増えた
先生も、ある日の授業でふと気づく
「茜音さん、最近よく手が挙がるね」
「え、あ……なんか、ちょっと面白くなってきて」
照れながら答える茜音の目は、以前よりもずっと生き生きとしていた
ーーーーーーー
そして迎えた、5月の中間テスト
結果が返ってきた日、クラスはざわついた
「え、茜音、古典90点!? うそでしょ!?」
「自分でもびっくりしてる……」
テスト用紙を見つめながら、茜音は少しだけ誇らしそうに笑った
きっかけは、たった2首の和歌
けれどその出会いは、彼女にとって“遠い世界”だった古典を、ぐっと身近なものへと変えてくれた
机の引き出しには、あの紫色の封筒が大切にしまわれている
「……またお願いしてみようかな」
そう呟きながら、茜音は次のページをめくるのだった
・和歌
あかねさす紫野行き標野行き
野守は見ずや君が袖振る
(万葉集 額田王)
紫草のにほへる妹を憎くあらば
人妻故に我れ恋ひめやも
(万葉集 大海人皇子)




