1人の夜
4月。春の夜はどこかやわらかく、更けていく時間さえ心地よい。そんな木曜日の夜、桜は机に向かい、編み物に没頭していた
手元にあるのは、丸くて愛らしい猫の編みぐるみ。淡い色の毛糸を使い、ひと目ひと目、丁寧に編み進めていく。耳の形はこれでいいか、しっぽはもう少しふっくらさせようかーー考えながら手を動かす時間は、桜にとって何よりの癒しだった
気づけば部屋の中はしんと静まり返り、時計の針だけが規則正しく進んでいる。けれど桜の意識はすっかり編みぐるみに向いていて、時間の感覚はとうに薄れていた
「もうちょっとだけ……」
そう呟きながら、最後の仕上げに取りかかる。小さな目をつけ、形を整え、糸を始末する。ようやく完成した猫を手のひらに乗せた瞬間ーーふと違和感を覚えた
カーテンの隙間から、うっすらと光が差し込んでいる
「……え?」
顔を上げると、窓の外はすでに白み始めていた
「え、もうこんな時間……?」
思わず声に出してしまい、桜はぱちぱちと瞬きをする。どうやら夢中になるあまり、一晩中編み続けていたらしい。もう金曜日だ
そのとき、ふと昔の和歌が頭をよぎる
(あしびきの山鳥の尾のしだり尾の長ながし夜をひとりかも寝む……)
長い長い夜を、ひとり寂しく過ごすーーそんな意味の歌。けれど桜は、くすっと笑った
「全然、寂しくないけどね」
確かにひとりの夜だった。けれど、好きなことに夢中になっている時間は、不思議と孤独を感じさせない。むしろ、満ち足りた静けさがそこにはあった
出来上がった猫の編みぐるみを見つめ、桜は満足そうに頷く
「……よし、いい感じ」
達成感と心地よい疲れが、じんわりと体に広がる。窓の外では朝日が少しずつ強くなり、鳥の声がかすかに聞こえ始めていた
「今日はもう……寝よう」
ぽつりと呟き、桜は編みぐるみをそっと机に置く。そのまま布団に潜り込むと、体がふわりと沈み込むようだった
「たまには、こういうのもいいよね……」
夜をまるごと使って好きなことに没頭する贅沢。そんな小さな幸福を胸に抱きながら、桜はゆっくりと目を閉じた
……今日は少しだけ、惰眠を貪る日にしよう
・和歌
あしびきの山鳥の尾のしだり尾の
長ながし夜をひとりかも寝む
(拾遺和歌集 柿本人麻呂)




