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ランとの夜の引き換え 夜の償い、とは

夜が迫るアメニア宮殿の后妃の私室。白く磨かれた床に、夕陽の赤が淡く滲んでいた。


真珠は、その窓辺で何やら気配を研ぎ澄ませている。


(今日こそは!絶対に、ランと一緒に寝るのよ……!)


それは、産後四日目の夜。

真珠が「夜間は赤子を乳母に預ける」というアメニア式育児ルールに疑問を抱いてから、三日目。


もともと日本式の「母子同室」を信奉していた真珠にとって、「夜間に引き離される」ことは苦痛だった。


しかも、それが王太子の「俺が夜は抱く」などという独占欲由来の命令だと知って以来、もう悔しさと怒りが限界値に到達しつつあった。


(今日ならチャンス……!ウルは宰相との謁見が長引いてる。いける……!)


扉の向こうでは、赤子――ランが、ふやぁっと可愛らしい泣き声を上げていた。


真珠は女官にそっと合図し、決死の形相で言う。


「いい?今から、乳母に私が抱くって伝えて、静かに連れてきてもらって――すぐ部屋に入れるの!ベッドの真ん中にランを寝かせて、布団でバリケード作るから!!」


「は、はっ……!」


「今夜はバリアよ!ランこそが、私の夜の護り神……!!」


女官は困惑しつつも、日々夜の儀式の余波でフラついている妃に同情していたので、こっそり協力する。


まもなくして――


(……来た……!!)


真珠のもとに、くるまれた小さな命が運ばれてきた。小さく、温かく、ふにゃふにゃで、そしてどこかウルに似た濃い青の瞳――彼女のラン。


(ラン……今日こそ、ママと一緒に寝ようね……!)


感動しながらも、彼女は即座に布団を整え、赤子を慎重にど真ん中へ配置。それを囲むように、クッションと毛布で「天然物理バリア」を設置する。


「よし……完璧」


そう、これが今日の作戦だった。


《赤子と添い寝していれば、ウルもさすがに遠慮するだろう作戦》


そして――


ガチャ……


遅れて戻ってきた、王太子――ウルシュガ。ゆるく髪をほどいたまま、いつもよりリラックスした装いで入ってきた彼は、まず真珠を見て、すぐにベッドへ目をやる。


「…………」


一瞬の沈黙ののち――ウルは眉をひそめた。


「……なぜ、赤子がここにいる?」


「今夜はランと寝るの。ママと一緒に。ダメって言われる筋合いはないわよ!」


真珠は勝ち誇ったように胸を張り、ベッドの前に立ちふさがる。


ウルは彼女の天然物理バリアを見て、しばらく何かを吟味するように黙っていたが――


「……ふむ。なるほど。バリアか」


「そう。ランの周りにクッションと毛布でバリケードを張ったの。ランがいるから今日は無理よ。わかる?無理よ?」


「お前……」


ウルはゆっくりと歩み寄って、真珠の顔のすぐ近くで言った。


「俺の子を、俺から逃げる盾に使ったのか?」


「えっ、そ、そういうんじゃ……!」


「ほう……では、夜が明けたら償いをする準備をしておけ」


「なんで!?ちょっと待って、それってどういう意味――」


「黙れ。今は寝ろ。俺も今夜は赦すことにしよう……俺の息子が、護ってくれる」


そして、ベッドの隣に据えられた長椅子に腰掛けるウル。腕を組み、まるで聖域を守る騎士のような風情で真珠とランを見守る構えに。


真珠は思わず小声で呟いた。


「まさか……バリア効いた……?」


「聞こえている。寝ろ」


(……でも、今夜は勝った……!)


そのままランと寄り添いながら眠りに落ちていく真珠。


けれどその足元には、夜明けの償いと記された地獄がすでに待ち構えているなど、まだ知る由もなかった――。




夜明け。

東の空がゆっくりと白み始める頃、真珠はまだぐったりと寝台に沈んでいた。


柔らかく、深く、どこまでも快楽に溶かされ尽くした夜の名残を全身に残しながら。


「……まだ、朝じゃ、ないのに……」


かすれた声でつぶやいた唇が震える。だがそれを否定するように、額に落ちる冷たい指先。


「もう朝だ――だから、償え」


もう随分前に、ランは乳母に引き渡されていた。そこから今に至るまで、真珠はウルに蕩かされている。


低く、耳の奥を震わせるような声が、彼女のうなじへ注がれる。その一言だけで、真珠の背に緩やかな戦慄が走った。


「昨日……ランと寝たいと、言ったな?」


問いかけは穏やかだった。怒っているわけではない。責めているわけでもない。それでも、明らかにそれは警告であり、領域の侵犯を咎める証だった。


「ごめん、でも……結局、ちょっとだけ、だったし……」


「償え」


また、その一言。静かに、狂気を滲ませる甘い命令。ウルの身体が覆いかぶさってくる。乱暴ではない。痛みもない。ただ、あまりにもゆっくりと、深く、ねっとりと――


まるで「二度と子に目を向ける余裕を与えない」と言わんばかりに、彼の動きは執拗だった。


「あっ、ん……んんっ、そんな……、まだ、朝……じゃな……」


「黙れ――俺を、見ろ」


そう囁かれた瞬間、真珠は心臓を掴まれたように息を飲んだ。その瞳はどこまでも深く、どこまでも独占的で、誰のことも映していない。映すつもりもない。


真珠一人しかいらない――そして、真珠にとっても、ウル一人でいてほしい。


「ランに触れる時間があるなら、俺を思え」

「俺を見ずに眠るな。俺の名を呼ばずに朝を迎えるな」

「――お前の夜明けは、俺のものだ」


その言葉を証明するように、ウルは真珠の唇を塞ぐ。優しく、しかし絶対的な支配力をもって。朝の光が差し込む中、寝台はまたしても熱に染まっていった。


全てを奪い、全てを与えるように。これは償い――という名の、愛の証明だった。







朝陽が差し込む後宮の大窓。空気は清々しく、白いカーテンが風に揺れている――が、雰囲気とは裏腹に、その中心で食卓に臨む真珠の表情は、死人のようだった。


「……あいたたたたた……」


椅子に腰を下ろすだけで、腰骨がきしむ。足も震える。というか、足がまだちゃんと地についてない。


今朝は夜明けの償いと称して、しっかりたっぷり、真珠の身体を愛し直されたわけである。優しめに……とは言い難い。むしろ、たっぷりじっくり、もう一度孕ませる勢いで。


(いや、産後なんですけど!?しかも三日前に!)


――誰にともなく心の中でツッコミを繰り返しながら、真珠はおかゆのようなものを口に運ぶ。無理やり。


その向かいにいるウルは、というと。


「うむ。今日はお前の顔色が良い」


「いや、血色悪いし、体も痛いし……寝不足だし……」


「愛を注がれた証だ。もっと自覚しろ」


爽やかな笑み。機嫌は最高。普段なら冷ややかに返すところだが、真珠はもう反論する気力すらない。笑っている顔に隠された夜の狂気を知っている者にとって、今朝のウルはむしろ余韻に浸る猛獣そのもの。


食卓に侍る乳母や侍女たちが、そっと視線を交わしているのも見えた。


(気づかれてる。っていうか絶対バレてる)


一方で、今朝はラン――新生児にしてこの屋敷一の守護神――が隣室に預けられている。夜泣きがひどくなってきたという理由で、ウルが強硬に母子別寝を続行しているのだ。


「今日は、少しだけランと過ごしてもいい?」


恐る恐る聞くと、ウルはにこりと――え、微笑んだ、微笑んだけど――目がまったく笑っていなかった。


「数刻だけな。夜は、俺のものだ」


(泣きたい)


真珠の戦いはまだまだ続く。いや、戦いというより、もう完全に体力勝負の攻城戦である。


そしてその攻城主――王太子ウルシュガは、今朝も盤石だった。心も、身体も、欲も。


真珠は冷めきったおかゆをじっと見つめながら、改めて誓った。


(今日こそ、絶対、ランと一緒に寝るから!!)


それは、産後母の最後の砦。そして王太子の嫉妬心との、日々果てしない攻防の幕開けだった――。


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