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出産準備は、やっぱりアメニア

妊娠中期に入ってからというもの、真珠の体調は想像以上に安定していた。


激しいつわりはある程度で落ち着き、食欲も徐々に戻ってきて、胎児も健やかに育っているという医師の診断。日本では「妊娠中は何があるか分からないから、とにかく無理は禁物」と釘を刺されるが——


この国、アメニア王国においては。


むしろ王族の后が妊娠しているという事実そのものが神聖視され、神の加護がある前提で物事が進んでいく……そして、その前提が、ウルにとっては格好の言い訳になった。


「お前が順調なのは、俺の子だからだ」


真顔で言い放たれたとき、真珠は口を開けたまま固まった。


「は?」


「神が祝福している。だから俺が抱いても問題ない」


「……いや問題ないの使い方違うでしょ!?」


いまだ毎晩しれっと押し倒され、愛を注がれている。妊婦だからって遠慮?お腹に子がいるから慎重に?それは昼間限定の話だ。


夜になると、ウルは相変わらずのお前は俺のものモード全開で、真珠のうなじにキスを落とし、吐息混じりに囁くのだ。


「胎に宿った、俺とお前の証。毎夜確かめる必要がある」


「お願い……せめて週に2回とかに……分娩台で死ぬ……」


「それは許可できない」


「なんで!?」


ただ、正直なところ——


(……たしかに、あんまり問題、起きてないな)


真珠自身も、心の奥でそう思っている。むしろ、よく食べ、よく眠り(※一部夜間を除く)、体重も妥当に増えている。胎動も安定してきて、健診で心音を聞くたびに、不思議な安心感が胸に広がる。


それは、ウルの過保護(という名の監禁)によって、極度にストレスや外部刺激を遮断されているから……なのかもしれない。


(……さすが、アメニア王族の血……)


自分で思って、少しゾクッとした。こんな環境でも、すくすく育っているお腹の中の子ども。いったいどれだけ強いのだろう。父親があれなら、そりゃそうか。


ただし——


出産準備に関しては、真珠の精神は毎日削られていた。


アメニアでは、胎児の性別を神の領域として扱う。医療技術があっても、妊娠中の性別判断はあえて行わない。神が定めた通りに生まれてくるから、知る必要はない——という考え方が根強い。


その結果。


「こちらが女児用の御衣です」

「こっちは男児用です」

「これは女児の枕で、こちらは男児の枕」

「産着、哺乳壺、沐浴布、紐飾り、儀礼用品……すべて両方ご用意しております」


なんて非効率的な文化!!!


「え、いや、これ……赤ちゃん1人しかいないよね?」


「はい、しかし神は二択を委ねられたのです。両方祝福を」


「祝福をじゃないのよ!無限に倍になる!」


部屋の隅には、金糸銀糸の刺繍を施した産着が何十着と並び、男児仕様と女児仕様で棚が二つに分かれている。更にベッド周り、乳母グッズ、育児道具まで全て男女別。


恐るべきは——


「こちらの揺り籠は男児用です。そしてこちらは女児用のものを王太子妃さまの肌で馴染ませておくために、お部屋に一時設置しますね」


「なんで!?」


「香り移しです」


「香り移す前に私のストレス移るよ!?!?」


アメニアでは、母体の香りや気配を事前に赤子の用品に染み込ませることで、神の子が安心してこの世に降りてこられる——という謎の信仰風習が存在する。


そう、準備が異様に……濃いのだ。


真珠は、今や巨大ベッドの左右に男女別ベビー用品を挟まれ、毎日神々しすぎる物品に囲まれて眠る羽目になっている。


(アメニア……お前ってやつは……)


今日も真珠は遠い目をした。


なお、ウルはというと——


「神の贈り物に備えるのは当然だ。お前の香り、もっと移せ。俺が手伝う。ではまずは、俺と寝て体温上げろ」


(あ な た が 一 番 お か し い )


真珠のツッコミが止まらない毎日である。


——その日、真珠は悟りを得た。いや、むしろ閃いたと言った方が正しい。


理由は単純だった。朝起きると、部屋の西側に新しい男児用のゆりかごが追加されていた。既に南側には男児用があったはずなのに。


「増えてる……!」


思わず呟いた声が、妙に乾いて響いた。


もう意味が分からない。


ベビー用品はすでに部屋の半分を侵食しており、元・読書スペースも謎の金刺繍つきガーゼ布で埋め尽くされている。西の床に敷かれた“男児神迎えのカーペット”と、東の“女児の守護模様タイル”が静かに火花を散らしている。


それを見たとき、真珠の中に一つの確信が走った。


(これ、両方準備し続けたら、部屋埋まる。下手したら私の居場所なくなる)


そして。ひらめいたのだ。


「——中性グッズで統一すれば、いいんじゃない!?」


この時の真珠の表情は、まるで人類の新たな道を切り開いたかのような晴れやかさだった。


「そうよ、そうだわ……! 赤ちゃんなんて生まれてすぐはみんなおんなじ!オムツも哺乳瓶も、性別なんて関係ないんだから!!」


この発見は大きかった。何より、中性なら一種で済む。ベビー服もパステルカラーで統一すれば、どっちでも可愛い。スタイだって、柄をアニマル系にすれば、性別関係ない。ベビーバスも、白!ナチュラル!ジェンダーフリー!


「産んでから本格的に揃えたらいいじゃない……!」


思わず声が震えた。まるで、新世界の扉が開いたような感覚だった。そして、早速女官たちを集めて宣言した。


「中性グッズで統一しましょう!性別は産まれてからで!」


が——女官たちの反応は、期待とは程遠いものだった。


「……お、おそれながら后さま、それは……」


「神託を受ける前の中立物品使用は、神に対して“判断の責任を放棄した”と捉えられ……」


「神のご機嫌を損ねるのでは、と……」


全員、ものすごく言葉を選んでいるが、要するに——「神の顔色を伺って中性とか言い出すとめっちゃ怒られる文化」らしい。


「なんで!?神ってそんな神経質だったの!?」


真珠が両手を広げて叫んだ瞬間、背後の扉が静かに開いた。入ってきたのは、例によって例のごとく、我が物顔で歩く男。


漆黒の髪に、紺碧の瞳。そして容赦ない、支配者の声。


「中性など曖昧だ。俺は気に入らん」


「なんだってぇ!?」


真珠が目を剥いたまま振り返ると、ウルはすでに目の前にいた。何この移動速度。怖。


「神は決めた。男か女かは、俺たちが決めることではない。だが……」


ウルは淡々と続ける。


「いずれ神の命が降るその時に、すべてが揃っていなければ、それは不敬だ」


「不敬とかじゃなくて!実用的にね!?産まれてからでいいじゃない!?」


「神が待たない。俺も待たん」


「あなたも!?」


すでに、ウルは女官に指示を出し始めていた。


「今後、中性物品は補助に留めろ。主流は男女両方。迷うな。重ねろ」


「重ねるの!?」


「倍にしておけ。念のため三倍でもいい」


「さっさんばい……!?」


真珠は遠い目をした。


まただ。今まさに、理性的な提案が、王族の信仰と謎理論で粉砕されていく瞬間を見てしまった。


「……私の勝ち筋、どこにあるの……」


無限に積み上がる、まだ見ぬベビー用品たち。神は、神が、神に……すべては神。


「……あなた、神なんて信じてないじゃない!」


真珠は、思わず声を張っていた。


繰り返される神の名。神の祝福、神の意志、神の贈り物——それらを理由にされて、彼女の意見はことごとく却下されてきた。でも、どうしても腑に落ちなかった。


目の前に立つこの男。ウルという、絶世の王子であり、狂気の支配者であり、傲慢な伴侶。彼の瞳には、信仰者に特有の“神への畏れ”が一度も見えたことがなかった。


だから、言ったのだ。


「神なんて……信じてないでしょう?」


——しんと、空気が静まった。


正面のウルは、表情ひとつ変えずに、ただ真珠を見つめ返していた。いつも通りの、冷たく整った瞳。


だが、次に放たれた言葉は——


「俺は、神の言葉を使う。だが信じてはいない」


真珠は一瞬、言葉を失った。ウルは続ける。


「神が男か女かを選ぶと言うなら、それでいい。だが俺は、その神が何者であろうと——お前と俺の子を、俺の手で育てるだけだ」


ゆっくりと、けれど絶対的な口調で。


「神が与えたと言うなら、それは手段。生かすのは俺の意思」


信仰を否定したのではなかった。だがその内側で、ウルは神をすでに“利用する対象”として捉えていた。


「アメニアでは神が絶対なんでしょう?じゃあ、あなたは——」


「神よりも、お前を選ぶ」


遮るように、ウルの声が重なった。


「お前と俺の子に害があるなら、神でも敵だ」


静かな、でも、背筋が凍るような断言だった。


真珠の背後、どこかの壁に祀られた小さな神像が、冷たい月明かりに照らされていた。その顔の前で、ウルは何の迷いもなく言い放ったのだ。


「神は、俺を恐れるべきだ」


あまりに整った顔で、静かに、そう言った。


——真珠は、それ以上、何も言えなかった。

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