在宅ワーク アメニア王室版
『政務?暫く休む。后のそばにいることになった』
誰に許可を取るでもなく、当然のごとくそう宣言したウル。だが―― その瞬間、政務室にいた側近たちが凍りついたのは言うまでもない。
『殿下ァ!!国庫が閉まります!!』
『王印を!王印いただけないと命令が出せませんん!!』
『産休と政務停止は別カテゴリです!政!務!は!』
詰め寄る側近たちの土下座ラッシュ。阿鼻叫喚。涙と書類の雨。
その中、王太子は数秒黙し――ひとこと。
『では、后の部屋にすべて運び込め』
『……えっ?』
『在宅勤務で、手を打ってやる』
……という、誰が得したのかよく分からない折衷案が成立してしまったのだった。
その日のうちに、全てが変わった。
まず搬入されたのは――
・重厚な王室制式の金細工入り執務机(全長2m)
・革張りの超特大王室玉座(=ウルの椅子)
・王家印章一式と、金銀細工の文書保管棚
・后の寝台に隣接した臨時書類裁決棚
・「后の健康確認端末」×3(謎のモニター増設)
そして、がちゃ、と音を立ててまたひとつ——今度は巨大な書類棚が、真珠の私室に運び込まれた。
「ちょ、ちょっと!?なにあれ!?でっか……っ!!」
部屋の隅にあった観葉植物が追いやられ、女官の一人が何やら悲しげに根本を撫でながら下げていく。真珠はうっすら口を開けたまま、呆然とその光景を見守っていた。
部屋の中央には、すでにどっしりと構えた漆黒の執務机。無駄に重厚で、王族の威厳を象徴するような彫刻入りの椅子。そして謎の金属製の天球儀まで——誰が使うのそれ。観賞用か?それとも、暇さえあれば触って回す趣味でもあるのか。
「……なんで?」
思わず呟いた。
「なんで私の休暇初日から、こんな……職場化してんの……?」
──まさかの、執務室ごと引っ越し完了。
(わたしの部屋が、消えた)
「え、何この執務机……通路を占拠してる……そもそも、その椅子、私の鏡台を潰して置いたよね!?ていうかなんでベッドの横に緊急文書棚あるの!?」
妊娠が発覚してから、しばらくは体調が不安定で、胃のムカつきやだるさと闘いながら、王宮の中でも目立たないように過ごしていた。ようやく産休申請が通ったのだ。堂々とゴロゴロ寝て、アイスを食べて、ひたすらだらける時間——そのはずだった。
(ツッコミが追いつかない……)
もちろん、真珠に他にもツッコミを入れる者たちがいる。ウルの側近たちである。
(これぞ強硬型在宅勤務)
『……で、結局あれが在宅ワーク……ですか』
『ええ。后宅政務制だそうです』
『言い方だけ妙に整ってるな……』
何度目かわからないため息が落ちる。だが、仕事さえしてくれたら、この際場所なんてどこでもいいのでは?と極論に至り、粛々と現実を受け入れる側近たちだった。
そして、王太子の名の下に勅令がまた一つ追加された。
「王太子在宅政務期間中、正妃の間への入室は医師・アサナ・緊急通達係のみ許可」
結果、真珠の部屋の前には王宮最大級の結界レベルの護衛網が敷かれ、女官たちは謎の妄想で震えた。
「……これ……私の産休……じゃなかったっけ……?」
誰も答えてくれなかった。
真珠が睨む視線の先、無造作に扉を開けて入ってきたのは、この事態の張本人。紺碧の瞳と黒髪の美貌、堂々たる気配を纏ったアメニア王国の王太子、本人。
彼は当然のように椅子へ腰を下ろし、机の天板に指をトントンと打ち鳴らす。ふと視線を上げて、愛しげに真珠を見た。
「今日からここで仕事をする。お前のそばで」
「…………」
無言のまま、真珠は布団の中で天を仰いだ。
(いや、何それ怖い)
「というか、ここ、私の部屋なんですけど?」
「俺の后の部屋は俺のものでもある」
「は?」
「異論は認めない……ふふ、最高だな」
キーボードを叩く手を止めて、うっとりと微笑む王太子。あのね、あなたの中では微笑む=愛情表現なんだろうけど、こっちからしたら、狂気にしか見えないのよ。
真珠はそっと、壁際に追いやられた小さな読書椅子を見た。かつてはあそこで紅茶を飲みながら読書していた。今は——天球儀と謎の文献に占拠されている。
「……帰りたい……」
「無理だ」
即答だった。
ただ、予想外だったのは、昼間のウルは、比較的静かだった。
執務机に座り、端正な横顔のまま、黙々と書類を捌いている。時折、対面の文官や補佐官らが呼ばれては、真珠の私室——今やウルの在宅政務室と化したこの部屋に、畏まった空気を運んできていた。
真珠はといえば、部屋の隅でひっそり湯を飲んだり、ふかふかのソファに沈んで本を読んだり……まるで皇居内でお昼寝してる一般妊婦みたいな状況だった。
昼間は、平和だったのだ。昼間は。
だが、日が暮れると。途端に、世界の温度が変わる。
ベッドの中。灯りが落ちた部屋。外は静まり返っているのに——隣に座る男の気配だけが、異様なほど熱を持っていた。
「……寝ろと言ったはずだ」
低く、整った声。優しさは欠片もない。代わりにあるのは、命令と支配。
真珠は反射的に身を引いた。
「ね、寝ようとしたのよ。でもまだちょっと胃が……重くて……」
「言い訳だ。顔に出ている。触れられるのを待っている顔だ」
「してない!してないしてない!!」
思わず声を上げると、ウルの目が細められた。
「黙れ。声が無駄だ」
「……っ」
強制終了。何もかも理不尽すぎて泣きたい。休暇初日だというのに、すでに何度目かの夜のお世話が始まろうとしている。
やめて。せめて一日くらい、安静に寝かせて。お医者さんも言ってた、「心身ともに休ませてください」って。なのに、この男は。
「産休の意味、わかってる?!」
「妊婦を護り、育む期間だ。だから傍にいる。甘えろ」
「いや甘えたくないんだけど!?」
すでに肩口を剥がされ、寝巻きがずり落ちていく。うなじのあたり、蒼い印の部分に、熱い息がかかると——ビク、と背筋が跳ねた。
「お前の印、今日も美しい。俺がつけた痕だ」
「ウル、ほんとに今日は……やめ、よ?」
「拒否は無意味だ。俺が許可した。だからいい」
「いや、あのね!?そういうことじゃないのよ!?!」
懇願も虚しく、熱を持った手が腹部を撫で、腰を押さえつける。妊娠初期の身体なのに、そんなのわかってるはずなのに——ウルの中には、「だからこそ甘やかす」「だからこそ確かめる」「だからこそ自分が欲しいものを与える」そんな理屈しか存在していなかった。
「……あっ……やぁ……ウル……」
「可愛いな。俺に孕まされて、満足そうだ」
「そ、そういうのは今はいいからあ……」
「お前が俺のものである証を、毎晩刻み直す。そう決めた」
「なんで決定事項!?」
深く貫かれ、熱を注がれながら、真珠の中ではもはや怒りでも悲しみでもなく、「産休って何だっけ……」という虚無が生まれていた。
体は蕩けていく。ウルの声、指、熱が、甘く脳を侵す。なのに心は、一歩引いていた。
(これは……休みじゃない)
明日も在宅政務。日中は比較的静かで優しいウル。でも夜は、妊婦を「神聖な容器」として崇めながら、狂ったように愛を注いでくる。
静かなる狂気。
「……ん……ウル……ぅ……」
「声を出せ。俺に伝わるように」
「ん、ぁ……ぃ……」
「いい子だ。もっと啼け。俺のために」
嗚呼。やっぱり今夜も、休ませてもらえなかった。
——どうしてこうなった!!!???




