呆気なく終わる妊活
最近、妙に眠い。ずっと、ずっと、眠たい。
……いや、前から寝不足だったのはわかってる。夜はあれだけ、抱かれて。何度も、何度も、朝になるまで。だから疲れてるのは当然なのに、それでも、何かが違う気がした。
椅子に腰掛けた瞬間。瞼がふっと重たくなる。気づけば、次の瞬間には寝ていて、女官の声で目が覚める始末。
(……え、うそ。今、寝てた?)
そんな瞬間的な眠りが、数日続いた。それに、微熱。体温を計ったわけじゃない。でも、肌の奥に熱がある。下着がうっすらと汗ばむ。脇の下にうっすら湿る温もり。
胸の奥で、言いようのないざわつきが広がっていく。
──これは、おかしい。
真珠は、思い切ってアサナに相談した。
「……ねえ、ちょっと変なの。最近ずっと眠いし……熱っぽくて。なんか、体が、変……」
その瞬間、アサナの目が見開かれた。静かな部屋に、一瞬だけ音が消える。そして──次の瞬間、アサナは即座に命じた。
「急いで、ベッドに横になってください。すぐに医師を呼びます」
「へ? ちょっと待って、アサn──」
「動かないで。これは……手遅れにできません」
アサナの指示は、まるで軍令のように鋭く、速かった。光速だった。気づけば真珠は寝室に運ばれ、薄布の下に横たえられていた。
王宮付きの女医がすぐに呼ばれ、清潔な手袋を装着しながら淡々と準備を整えていく。腹部に手を当て、細かな診察。尿検査。血液採取。さすがに真珠も緊張していた。
同時刻。
『……おめでとうございます。王太子妃殿下は、ご懐妊されました』
その報告が耳に届いた瞬間、ウルは書類を持っていた手を、ゆっくりと止めた。乾いた音を立てて、ペン先が卓上に転がる。
次の瞬間。ぎり、と机の木材が軋んだ。
椅子の肘掛けを強く握りしめた指が、白く変色するほど力を込める。だが、表情は一切動かない。ただ──その瞳だけが、静かに、燃えていた。
『……そうか』
言葉はたった一言だった。
けれどその声には、震えるような甘さと、底知れぬ興奮が滲んでいた。彼は静かに立ち上がる。ゆっくりと、足音を響かせて窓辺へと歩む。指先が窓の縁に触れると、そのままじっと遠くを見つめた。
蒼い空の下。アメニア王宮は、いつもと変わらぬ優雅な静けさに包まれているはずだった。だが、ウルの胸の内は……地鳴りにも似た歓喜が暴れていた。
(……ようやくだ)
あの夜の無数の営み。喉が枯れるまで名を呼ばせ、
腰が抜けても抱きしめ、逃げ場のないベッドで、繰り返し、繰り返し──「孕め」と命じ続けた。
その結果が、今──確かに、この手に届いたのだ。
『俺の……子か』
低く、喉の奥で笑うように呟いた声は、狂気すれすれの甘美さを孕んでいた。喜びではない。歓喜でも、満足でもない。
それは――征服だった。
かつて、彼女は言った。
「私はあなたの相手にはなれない」
「自由がほしい」……と。
だが今、彼女の身体の奥で、確かに宿っている。彼の血を受け継ぐ“命”が。逃げられない。もう、絶対に。
『……はは』
口元が、ぐにゃりと歪んだ。美しい顔に、えも言われぬ色が差す。案外早かった。
『よく……やった』
彼女に語りかけているのか、自分自身に言い聞かせているのか。それとも、神に対する呪詛混じりの感謝か。ウルは、ふっと目を細めて呟いた。
『……まだ、言ってないんだな?本人には』
その場にいた側近が静かに頷く。
『はっ。ただちにお伝えする手はずを──』
『不要だ』
その言葉に、空気が止まった。
『……え?』
『その瞬間を、この手で見届ける。誰の口からも聞かせるな……いいな?』
側近の背筋に冷たい汗が流れる。王太子殿下の瞳は、獣のように光を放っていた。
『命ずる。あの女が命を宿したことを知る瞬間を、俺にだけ見せろ』
それは、宣告だった。生涯、誰にも奪わせぬ。誰よりも、深く、彼女を知り、掌の中に収めるという、恐るべき誓いだった。
ウルは静かに身を翻す。祝福される者ではなく、祝福を喰らう王として。
『……今宵は祝福だ。俺が、自ら授ける』
その唇には、祝詞よりも遥かに淫靡な微笑が浮かんでいた。
部屋の扉が、ゆっくりと、音もなく開いた。
静かな足音。ゆるやかな衣擦れ。けれど、確かに迫ってくる気配に、真珠の身体は無意識に反応した。
「……ウル?」
いつもよりも、ずっと静かな彼が、いつの間にか傍らにいた。夜用の黒い衣を纏い、長い髪を後ろに流したその姿は、まるで闇夜そのものだった。
真珠が問いかけるより早く、ウルの手が彼女の顎をそっと掴む。まっすぐに視線を合わせてきた。
「言いたいことがある」
「……なに?」
「俺から聞け。誰からでもなく、俺の声で」
その瞳が、熱を帯びている。深く、濃く、飲み込まれそうなほどの…狂おしいほどの色で、見つめてくる。
「お前の身体に──俺の命が宿った」
言葉の意味が、脳の奥で弾けた。
「え……?」
「妊娠している」
ぴたりと時が止まる。真珠は、瞬きもできずに、ただ彼を見上げていた。頭の中で、何かが崩れるような音がした。
「う、そ……」
「嘘じゃない。医師の診断も、検査結果も、すでに俺の手の中にある」
彼はそう言いながら、懐から何かの紙束を取り出した。医師の署名と検査結果が記されたもの――だが、真珠の目にはほとんど映っていなかった。
身体の奥で何かがざわめいた。
「うそ、……私……」
「できてる」
ウルは、まるで命を言い渡すかのように断言した。
揺らぎも迷いもない。ただ、絶対的な確信と支配。
その時だった。彼の手が、真珠の下腹にふれた。
「……ここに、いる。お前と俺の子が」
その声は低く甘く、けれど、ぞっとするほど確信的だった。
「ずっと、望んでいた。毎晩、何度も、お前の中で名を呼ばせた。何度泣き喚いても、止めなかった……すべては、このためだった」
「ちょ、ちょっと、まって……私……!」
「望んでいただろう?祈っていただろう?」
「……っ、祈ったけど、まさか、ほんとうに……」
「祝詞の効果はすごいらしいぞ?」
その言葉に、真珠の顔が引き攣った。
「え……」
「そうだ。お前が、神殿で願った日。俺は、その祈りを受け取った。そして祝福を与えた……自らの手で」
ウルの笑みは、静かに、深く、狂っていた。
「この命は、お前の神頼みの結晶であり祝福だ……お前が選んだ。だから、俺が与えた」
そう言って、彼は真珠の肩をゆっくりと押し倒す。
「……ま、待って。あの、今日は……その、まだ混乱してて……っ」
「ならば、身体で受け入れろ。俺の祝福を」
黒髪が揺れ、口づけが落ちる。それは慈愛でも喜びでもなく、征服と悦楽の祝詞だった。
「よく聞け、俺の最愛。今日からお前の身体は──祝福の器だ」
夜が、再び始まる。命を宿した女に、祝福という名の狂愛が、なおも降り注ぐ。
「……よくやった、真珠」
男の声は静かに響いた。




