妊活ムーブと周りの人
アメニア王宮、昼下がり。
玉座の間の隅では、ひとりの女性が机に肘をつきながら、どうにかこうにか書類に目を通していた。
「……っ、いったぁ……ッ!」
思わず椅子の肘掛けをバンと叩いて真珠は眉をひそめた。足を組み替えようとして、股関節あたりにピキッと走る鈍痛。
(ああああ……わたし、また骨の位置ズレてる気がする……)
気づかぬフリで寄ってきたアサナが、心配そうな顔でそっと冷茶を置いた。
「……お身体、きつくはありませんか」
「だいじょぶ!だいじょぶ!!仕事できる!」
「はぁ……」
明らかにできていない顔のまま元気だけはある風を装う真珠に、アサナは深くは聞かず、ため息だけを残して去っていった。……聞かれなくても、なんとなく伝わってるのは分かってる。最近、周囲の目が優しすぎて逆に怖い。
(でも……言えないでしょ、まさか毎晩孕めって言いながら押し倒されてるなんて……)
どこぞの勇者パーティじゃないんだから、と内心でツッコミを入れつつも、脚を閉じるだけで震える太ももが恨めしい。
その夜。
寝所の扉を開けた瞬間、ふわりと立ち上るのは例の香。ふつうの寝室のはずなのに、ベッドがやたら柔らかく沈むし、寝返り打つたびに角度が変わる“謎の傾斜”が増えている。
「っっ、うあっ……また変えたでしょこれ……どこ押すとこうなるのぉ……っ」
「おまえの中が……一番反応する角度だ。記録して調整した」
「記録!? は!? え、わたしの体内の傾斜角って、記録対象なの!?」
「当然だ。孕ませるために必要なことは、すべて記録している」
真珠の叫びに対し、ウルは相変わらず妖艶な微笑のまま、事も無げにそう言った。
「今日も励め」
「ヒィッ……!」
「孕めよ、真珠……」
腕の中に引きずり込まれる真珠。もはや逃れられない“夜の政務”に、彼女は泣き笑いのような表情で思う。
(いやでも……あんな顔で言われたら、ちょっと笑っちゃうし……なんかもう……)
そのまま、ふたたびベッドの角度に翻弄されながら、真珠の夜は更けていく。明日もまた、引き攣った笑顔で政務をこなす覚悟を決めながら──。
アメニア王宮、女官たちの控えの間。
真珠が政務に出ている間、女官たちは静かに給仕や報告の準備をしていた――はずだった。
『……最近、后様……ちょっと、歩き方変ですよね』
『うん……なんか、こう……ひきずってる……っていうか、ぷるぷるしてるっていうか……』
『しかもさ、朝、すごい顔で「ふぅ……生きてる……」って呟いてたの聞いたのよ……』
『私は「腰が……いや、骨が……ずれてる……」って言ってたのを聞いたわ……」
なぜか、ささやき声がやたら真剣な会話。
『でも、お身体が弱いっていう感じではないし……お食事も普通に召し上がってるし、むしろ、妙に肌ツヤが……』
『そ、そうそう……で、王太子様のほうも最近、朝ご機嫌な日が増えててさ……あの、あの“あの”王太子様が、廊下で鼻歌……!』
一瞬、全員が無言になった。
「……ベッドの寝具が週に三回替わってるのって……普通じゃなくない?」
無音。空気の流れすら止まったかのような無音が、場を支配する。そして、全員が生温い目をしながら、腰を摩りヒーヒー言いつつ真面目に政務をこなす真珠を思う。
(妃殿下……ファイトです)
──一方、アサナはその日の昼、真珠の政務室に呼ばれていた。
「アサナ……なんか、みんなの目線、優しくない……?」
「……さあ、気のせいでは?」
「えっ、でも、わたしそんなに不調な顔してる?がんばってるよね? え、どこかおかしい?」
「いえ、あの……そうではなくて……」
「じゃあなに!? なんでアサナまで、“ああ……この人はもう…”みたいな顔するの!?」
「……それは……」
「それは……?」
「言えません(この期に及んで自覚がないのが一番恐ろしいから)」
「えっ、なに!? なんで口ごもるの!? 怖い怖い!! わたし、なんかされた!? また!?」
アサナは、静かに目を閉じた。そして思った。
(……この方の脳内は、“見ないふり”という意味で最高にアメニア人化している……)
王宮謁見室──
午前。神殿からやってきた中年の司祭が、荘厳なローブ姿のまま、うやうやしく頭を下げた。
『ご多忙のなか、御前にて失礼いたします。我が神殿より、妃殿下の祝詞祈願におけるその後の効果について、ご報告をと……』
王太子は椅子にもたれ、指を組んだまま『……話せ』と一言。
司祭は厳粛に口を開いた──が、次の瞬間。
『いやはや……祝詞の効果、凄まじいですね!!』
その言葉に、部屋の空気が真空になった。侍従長は、ペンを取り落とし、書記官は顔面蒼白で固まり、隅で控えていた女官の一人は無音の悲鳴を上げた。
『……妃殿下、すぐに変化が出たとお聞きしました!御寝所の使用頻度が……ほぼ毎夜、数時間に及ぶとか。今朝も、お召し物が……その、かなり……ええ、ありがたいことに』
この司祭、止まらない。
『これはもう神威にございますな!神々の加護の下、王家の繁栄も間違いなし!』
──その横で、ウルは
『フッ……』
と、明らかに喜悦を含んだ鼻笑いを漏らした。目元にはあの例の、「すべてを手中に収めた男の微笑み」が浮かんでいる。
侍従長は冷や汗を垂れ流す。
(まずい。まずい。この司祭、完全に勘違いしている。妃殿下が神殿で祝詞を賜った後、夜の激化があったのは事実だ……だがその因果関係は99%王太子殿下の仕業なんだが!!!)
──しかも司祭は続けた。
『来月の祭礼には、妃殿下を祝詞成功者の代表例として神殿へ……』
(ちょ、待て待て待て!)
焦りをひた隠し、側近が背後から無言でウルにメモを差し出す。
《※神殿側が勝手に成功例として奉る動きアリ。止めるか、利用するかご判断を》
ウルはそれをちらと見たのち──
『……良きように取り計らえ』
とだけ返し、喉を鳴らすように低く笑った。
司祭は「ははっ!」と元気に退出。その直後。部屋中から、控えの者たちが一斉に頭を抱えた。誰かが呟いた。
『……あれ、止めなくて良かったんですか』
『止めたら事実を知られる。止めなければ誤解のまま突っ走る』
『つまり……どっちに転んでも地獄ってことですね?』
おめでとう、アメニア王家。これはもう、止まらない。




