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軽い祈祷

白く荘厳な神殿の門が、静かに開いた。


まばゆい陽光に包まれたアーチの奥には、深い青と金を基調にした神聖な空間が広がっていた。精緻な彫刻が施された柱、香の匂いがほのかに漂う広間。ここは、アメニア王家と神への祈りが交錯する、もっとも古く、もっとも崇高な祈願の場所だった。


真珠は白衣に身を包み、薄布のヴェールを顔にかけたまま、祭司たちに案内されて神殿の中央へと進んでいった。


「これは軽き祈りです。正式な儀式ではありません。ただ、神の前で、静かに願いを捧げるだけでございます」


そうアサナに事前に説明されていたが、空気は異様なほど張りつめていた。


「これで……軽いんだ……?」


真珠は笑いそうになる心を必死で押し殺した。全然軽くない。


目の前には数人の神官と、堂々とした司祭と巫女が並び立っている。床には螺旋の文様が彫られ、天井からは無数の銀の鈴がぶら下がっていた。わずかな風に触れるたび、かすかに音を立てて神殿内に響く。


真珠は中央の円形石座の上に導かれ、そこで静かに跪いた。


『妊娠を願う者──その魂、神の御前に清められしものか?』


『……はい』


真珠の声は少しだけ震えていた。


司祭は祝詞を開き、静かに口を開いた。


『──その身を神に開き、その血を神に誓い、その命を預けること。己の身体に他者の種を宿すことを、悦びと認める者に、繁栄の祝福を授けん……』


(……へ、ぇ?)


文言が、思っていたより生々しい。


『その膣、潤いありて、神の血脈を受け入れし器たらんことを』


(う、うそでしょ!?)


背筋が凍る。顔には笑みを浮かべ続けていたが、思わず目だけが泳いだ。生々しいなんてもんじゃない。モロじゃないか。


こんな言い回し……祝詞とは、こんなにストレートだっただろうか?ヴェールの奥でごくりと喉が鳴る。


(ううん、たぶんこれ、直訳すると違う意味なんだ……日本語に訳すとこうなっちゃうだけで……)


無理やり脳内で翻訳を美化する真珠。


司祭の声が、どこまでも澄んで響く。


『……子を欲する女の体、神の意志に沿い、快楽の先に実を結ぶよう──清められた部屋にて、夫の愛をそのまま受け止めることを願うものよ』


(ちょっ……清められた部屋って、もしかして最近ベッドの角度変わってたあれ……?)


もう目の焦点が合わなくなってきた。


巫女は最後に、真珠の両手を包み、ゆっくりと「神の印」を額に押し当てた。そこには、ほんのり温かい香油が塗られていた。


『この香は、受胎を促す神の香り。夜ごと、この香を胸に塗り、夫を受け入れること』


(いや、そんなナチュラルに義務化しないで……!?)


『……感謝を』


真珠は乾いた声で返事をし、立ち上がる。足元がふわふわしていた。


外に出ると、アサナが控えていた。


「どうでした?」


「う、うん……すごかった……いろいろと……」


(神様って……えぐい……)


「帰ったら、さっそく香を塗って……がんばります」


それだけ言って、真珠はぎこちない笑顔で歩き出した。だがその背中を見送るアサナの瞳は、またも“かわいそうな人”を見るような、どこか遠い視線を浮かべていた──。







アメニア王宮・王太子執務室──


高窓から午後の光が差し込む室内で、ウルは政務机に広げられた書簡の山に一瞥すらくれていなかった。琥珀色のインクに金の刻印が光る書状は、いずれも国政に関わる重要なものだったが──いまの彼には、どうでもよかった。


「……来たか」


扉をノックした音にわずかに目を細め、声をかけるより早く扉が静かに開かれる。


入ってきたのは、神殿との連絡を担う司祭付きの従者だった。彼はいつもより幾分青ざめて見えたが、それでも任務を果たすべく震える声を整えようとしている。


「……祝詞の儀は、無事、終わりました。ご命令の通り、“最も古く格式高き妊願の言葉”を選定し、司祭と巫女が心を込めて詠唱いたしました。王妃殿下も──非常に神妙に、真剣に拝受されておりました」


その報告を聞いた瞬間だった。


「……そうか」


ウルは、ゆっくりと椅子から立ち上がった。ゆるく揺れる長衣が床を滑り、彼の気まぐれな足取りに従って絹の波が波紋を描く。


──それは歓喜ではなかった。

──だが、明確な熱が、彼の全身に沸き立っていた。


「神に祈るとは……俺の子が欲しいと、そう……自分の意思で、神前に立ったわけだ」


彼の声は低く、笑みは静かだった。しかしその奥にあるものは、ただの喜びではない。


それは所有欲の確信。

それは支配の証明。

それは、完全なる誤解を、愛という名で甘やかし、欺く悦び。


「かわいい女だ……本当に、どうしようもなく」


ウルは指先を唇に寄せると、舌を這わせるように静かに舐めた。潤んだ唇の端からこぼれるのは、薄笑いというより予告だった。


「俺が手を回して、俺が書かせた祝詞で……自分の意思だと信じ込んで、悦んで祈った……?」


笑い出しそうになるのをこらえる。いや、次の瞬間、笑いは止められなくなった。


「……アメニアの神も、存外便利だな」


背後で従者が恐れを隠せず震えていた。けれどウルの視線は、すでに遠く、神殿の方角を見据えている。


そこに立ち、両手を合わせて、祈りを捧げた彼女を想う。


「今夜は……礼をしてやらないとな?」


その言葉が、祝詞への返礼なのか。それとも、その祈りを叶える行為そのものなのか。


答えは言わない。ただ、次の夜にすべてを託して──


ウルは政務机に戻ることもなく、窓の外に沈む光を見つめながら、すでに想像の中で彼女を幾度も抱いていた。


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