お見送りセレモニー
煌びやかな白亜の回廊に、絹の衣擦れが静かに重なっていく。王宮前の中庭、格式ある賓客お見送りセレモニー。式典用に整えられた噴水には水蓮が浮かび、各国の旗が並ぶ光景はまるで絵画のように優美だった。
──の、はずなのに。
真珠の手のひらには、汗が滲んでいた。
(ここまで来れば、あと少し……あと数分で終わる……!)
今日で、レオン王子は帰国する。滞在期間はわずか四日。でも真珠にとっては、体感百年だった。
毎日、会えば「お加減はいかがですか」「顔色が……」と言われ、笑えば「それは本心ですか?」と首を傾げられ、黙れば「本当は何かを訴えているんですね」と目を覗かれる。
一言も、そんなこと言っていないのに。
(ウルとの生活で体調を崩してるだけなのに……!いや、たしかに崩してるけども!)
そんな心の叫びも虚しく、真珠は今──全力の鉄壁笑顔で各国の使節を送り出していた。
「ご滞在、誠にありがとうございました。どうか良き帰路となりますように」
軽くお辞儀。完璧な声色。横ではウルが堂々と立ち、私の手をやんわりと取ってエスコートしている。
(ふふ……完璧……完全無欠の王太子妃ムーブ……!)
だが、知っている。この完璧な仮面の下で、真珠は額からうっすら冷や汗を流している。
なぜなら──
「……真珠様」
そう呼ぶ声が聞こえたからだ。
視線を上げなくても分かる。レオン王子。今日、この場を去るはずの男が、最後に真珠の前に立っていた。胃が、キリキリしてきた。なぜかこの男の前では、毎回深すぎる墓穴を掘り続け、もう訂正できないくらい誤解を与えてしまっている。
真珠は、目を合わせたら負けだと心で唱え、笑顔に気合いを入れ直す。
「本日は、ご丁重なお見送り、感謝いたします……アメニアでの日々は、決して忘れません」
そう言う彼の声は、落ち着いていた。けれど、その目には何か言いたげな色が滲んでいた。
頼む、もう何も言わないでくれ。黙って帰ってくれるだけでいい。笑顔の裏で必死に、これ以上火種を撒かないでと念じる真珠。
「どうか、お身体に気をつけて。そして──いつか、またお会いできますように」
それは、巷で言うフラグではないのか。一刻も早く会話を終わらせたい。
「……はい、王子殿下もどうか、道中お気をつけて」
真珠は完璧な笑顔で返す。けれど、レオンの視線が首筋──チョーカーで隠された印のあたりに一瞬だけ流れたのを、見逃さなかった。
(し、しまった。表情がこわばったかも!?)
真珠は慌てて作り笑いを強化しながら、彼の目を正面から見ないように、あえて他の使節たちへ視線を送った。
「ヒースグランの皆様には、我がアメニアとの友好を今後とも──」
そう、饒舌に振る舞いながら、全力で真珠の仮面を演じ続けた。
でもその視線は、消えなかった。
真珠の瞳が揺れているのか、それとも訴えているのか、あるいは──助けを求めているのか。
レオン王子は、何も言わなかった。けれど彼の目は、全てを「見抜いた」つもりだった。
そして私は、ただ祈るように思った。
(お願いだから、もう来ないで。もう終わって……)
けれどその祈りは、すぐに裏切られる。彼は背を向ける直前、ふと一言だけ、口元でこう囁いた。
「……お救いします」
聞こえたかどうかも分からないほど小さな声。けれどその瞬間、私は確信した。
──あの人、帰る気ない。
──いや、帰るけど、また来る。
──今度は絶対やばいやつ……!!
鉄壁の笑顔を浮かべながら、私はもう一度、心の中で叫んだ。
(やだあああああああ!!!!!)
「……帰った、よね?」
誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟いたその言葉は、やがてじわじわと、魂の奥底から湧き上がるある感情へと変化していった。
「……帰ったよね?ね!」
そして真珠はついに、豪奢な絨毯の上に正座して両手を天に突き上げ──
「やったーーーー!!帰ったあああ!!!」
叫んだ。盛大に、全力で、涙目で。
「ありがとう神様!よくわからないけど外交的な都合で帰ってくれてありがとう!!もう二度と来るなああ!!」
泣いた。泣いたよ。嬉し涙ってこういう時に流れるのね。もうあの気まずい空気に耐えなくていいし、
無理矢理真顔でにっこりする顔面筋トレもしなくていいし、「貴女の笑顔の奥に悲しみを感じます」みたいな誤解上等爆弾セリフにも晒されない!!
はあああああ、やっと静かになる……もう何もしなくていい。声も張らなくていい。気を遣わなくていい。ウルの相手だけしてればいいなんて、楽勝オブ楽勝!!!あ、それは言いすぎた!
「今日は祝日だ……!」
誰もいない応接室で、真珠は勝手に祝日を宣言した。全身の力が抜けていく。肩こりが一気に消えた。なんならウルに齧られた痕すら癒えてきた。
「……ほんと、レオン王子ってばなんか優しそうだったけど……いやでも、ずっと目が怖かったし、ちょっとでも笑うと無理してるんですか?って言ってくるし、あと口調が優しいだけで内容は割とズカズカだし!!」
思い返してまた疲れてきたので、真珠はテーブルに突っ伏して、ひとりでごろごろ転がる。
「……ふへへ……自由……自由ってこんな味……ふふ……」
お茶菓子をつまみながら、すんすん鼻をすすった。この鼻水と涙の味が、久しぶりの安らぎ。
だが、真珠は知らなかった。その頃、すぐ背後のモニター越しでこちらを見ている男がいたことを。
⸻
「……喜んだな。帰ったことを」
ウルは静かに、薄く笑っていた。
その笑顔は、美しく、穏やかで──底が一切見えない、絶望的なまでの深さを湛えていた。
「……俺が与えた安心で、そんなに笑うとは」
指先で、紅茶のカップをくるりと回す。
レオンが帰国し、真珠は心底喜んでいる。もう会いたくないのだろう。それは“わかる”。だが、
(俺以外の男が理由で笑うなど、許せるものではない)
その理由がどんなものでもだ。例外など存在しない。真珠を、安心させるのも、笑わせるのも、泣かせるのも、懇願させるのも、嬌声を搾り上げるのも、全てウルが真珠に与えるものである。
「──もう二度と、俺以外では笑えないようにするか。笑ったら、抱いてやればいい」
その目は、獲物をとらえた猛獣のように鋭く光る。
「……もう帰ってくるなよ、か。面白い。なら……誰も来られない場所に、お前を閉じ込める」
唇に笑みを刻んだその支配者は、画面の中でごろごろ転がる后を愛しげに見つめながら、静かに命じた。
「真珠の部屋に手を加える。食事も元に戻せ」
何も知らない真珠は、頬を僅かに紅潮させ、束の間の自由を満喫していた。




