Dive2:彼女の過去
「ユージ!」
都内のとある駅。ひっきりなしに人が吸い込まれ、電車の到着とともにまた吐き出されてくる改札の前で、原色系のワンピースを着込んだメルが手を振っていた。黒い肌に派手な色彩がよく似合う。
小さく手をあげて答えたのは、ぬぼっとした感じの……でも、人のよさそうな男だ。
「四ヶ月も会えなかったんだもんね、ユージ。今日はいっぱい遊ぼうよ!」
「ああ、そうだな……」
水族館で水生生物を見ながらはしゃぐメルを、ユージは冷ややかな目で見ていた。
「ねえねえ、チョウチンアンコウ、チョウチンアンコウ!」
「あ……ああ」
「かわいいよねー」
「そうだな……」
返事に心が篭ってない。けれど、メルは水槽に夢中でユージのそんな反応に気づいていなかった。
「え!?」
午後も遅く。オープンカフェで、生姜くさいジンジャーエールのストローをくわえながら、メルは呆然としていた。
「だから、終わりにしよう」
ユージは少しイラついてるような表情でぼそぼそ話す。
「こんな何ヶ月も会えない恋愛、疲れたよ、もう……」
「私は耐えてるよ!? 来週には二級潜水作業免許だって……」
「そうしたらメルは、ずっと海の中だろ? さらに逢えなくなるじゃないか」
「そ、それは……」
潜水作業免許を取れば、太平洋のどこかの海中基地への配属となる。たしかに、土日だからといって気軽に都内に戻れるような距離ではない。
返事も出来ず、メルは体を硬直させていた。
ユージはため息をついて、伝票を手に立ちあがった。
「さよなら。海で幸せにな」
ユージが知らない女と一緒に去っていくイメージが脳裏に浮かんだ。黄色い肌の女だ。
「待って、ユージ! 行かないでぇぇぇ!!」
自分の声で目がさめてみると……そこは暗い船室の簡易寝台の上だった。夢……もう何度も見た夢。何度見ても慣れない夢。それは、心に深く刻まれた記憶。
メルは顔を両手で覆って、流れ放題になっていた涙を拭った。
船室には窓も無く、時間帯はわからない。時計は6時を指しているが、午前か午後か、すぐにはわからない。
「おはようございます……」
メルの目が脹れている。
そこは、8人分しか席のない、狭い食堂だった。
壁に自販機のようなサーバーが並び、食べ物も飲み物もすべてセルフサービスになっている。食品は冷凍状態で保存されており、食べたいもののボタンを押すと、内蔵されてる電子レンジで解凍・加熱されて出てくるというわけ。
サーバーのひとつから♪ピロポロリンと音がした。メルは取り出し口に手を突っ込み、電子調理されたランチボックスを取り出して、トレーに置く。次は飲み物だ。
テーブルではすでに二人の男が食事中だった。ヒゲ面の白人ボックと、ゲルマン系の技師キースだ。もうひとり、中国系女性のアーウィもいた。メルはアーウィの隣に座る。
「メル、よく眠れなかったの?」
アーウィの心配そうな声に、メルは紙パックのヨーグルトドリンクをすすりながら、作り笑いを浮かべて答える。
「うん、ちょっとね……」
すると、ホットドッグをかじっていたキースが
「どうせ遅くまでゲームかなんかやってたんだろ。潜水作業員としての自覚がないんだよ」
「!」
「それとも……BFの写真でも見て一人で喜んでたか?」
メルは目に怒りを浮かべ、ガタッ、と音を立てて立ち上る。
「キース……いつも思ってるんだけど。私に言いたいことでもあるわけ?」
「Get。あるといえばある」
キースはメルに目もくれず、パンをかじり続けた。その姿に、メルの苛立ちが倍加する。
「文句があるならハッキリいいなさいよ! 男らしくない、ウジウジと!」
「メル……!」
心配そうなアーウィの声を無視して、キースは冷静に答える。
「言ってもいいが……仕事に支障を生じさせたくないからな」
「なんですって、出向社員のくせに!?」
「とりあえず、その感情的なとこと差別発言をなんとかしろ。話はそれからだ、黒ンぼ」
食べ終わったキースは、食堂の隅の洗浄機にトレーを放り込む。
「お先」
そのまま、振り返りもせずに出て行ってしまった。
メルは拳を震わせている。
「あんの、白ブタぁ!」
そして、ランチボックスのふたを開けると、ピラフをガツガツと口にほうり込みだした。
「楽しく食べないと胃に悪いよ、メル?」
「うるさいっ!」
アーウィはそんなメルを見て、ため息をつくしかなかった。
通信室の入り口の頭上に、モニター状の掲示板がある。そこにはクルーの現在の様子が表示されている。
ボック=イワノビッチ :通信室
ツゥ=ウィ :倉庫チェック
サィード=マハナコーン :データの再確認
カイバラ=メル :(非番)
キース=クラインベルク :格納庫
・・・・・・。
海中基地Dの全クルーは10人に満たない。通信士がボックたち二人、連絡用潜水艇の整備士が一人、研究作業員がアーウィことツゥ=ウィたち三人、ボートロイドの整備士で出向技師のキース、そして潜水作業員はメル一人。一級免許の所持者はいないから、ボートロイドの試験運用もメルが担当している。
他の基地と比べても手薄な陣容だが、会社も経営が苦しく人手が足りてないのでしかたない。
通信室では、スラブ人のボックとマレー人のサィードがモニターを見ていた。
基地D責任者のボックは通信当直なので、時間つぶしにモニターを眺めているだけだ。が、サィードは忙しくキーボードを叩いている。モニターに次々と表やグラフが表示され、彼はぶつぶつとつぶやきながらそれをいちいち確かめていた。
やがてサィードは手を止め、横に置いた紙コップに手を伸ばす。口に流れ込んできた中国茶は、完全に冷めていた。
そこへメルが入って来る。
「閑だから、ちょっとお邪魔♪」
「かまわないよ、ひと区切りついたところだ」
答えたサィードの後ろから、メルはモニターをのぞき込んだ。
「昨日のデータですか、サィードさん?」
「ああ。見てみるか?」
メルは、横から手を出し、サィードの前のキーボードを叩く。モニターに次々とデータが表示された。
「……やっぱり、発熱機構が沈下速度に追いついてないんですね?」
メルの質問に、サィードは紙コップの中身を最後まで煽ってしまってから答える。
「沈下や浮上にはもっと時間をかけたほうがいいかもしれないね」
「これ以上遅くするんですか!!」
現在でも、秒速10cm……6mの沈下に1分かかっている。メルはそれより若干早く潜ってしまうときもあるが、厳密にやれば1時間で360mしか潜れない。メルの叫びも感情から言えばしかたないことだろう。
「急ぐと潜水病になっちまう」
キーを打ちながらのサィードの声に、メルは笑い声で答えた。
「アハハッ、ボートロイドも潜水病になるんですか? 血液も無いのに?」
「なるさ」
冗談ぽく切り込んだのに、サィードはモニターを見たまま真面目な顔で答えた。
「血液がなくても、水圧の急激な変化は外装や機器に負担をかける。もちろん、君の健康にも影響があるだろう」
ボックが自分のモニターを見ながら口を挟んだ。
「メル、この基地で、二級とはいえ潜水作業免許を持ってるのは君だけなんだ。ボートロイドはもちろんだが、君の健康も壊さないでくれよ?」
愛想笑いで答えたメルだが、次の一言で笑顔が凍りついた。
「一級免許の所持者が来るまでは」
二年前……メルは大学の学生だった。コート=デ=ボアール(西部アフリカ)の外交官を父親に持つ彼女だが、国籍は母方の国を選び、日本の学校で理系に進学していた。学部は海洋学部技術課。海……とくに深海が好きで、理屈を学ぶだけでなく自分でも海底を見に行かれるよう、深海潜水艇の研究を志した。
その日、教室では、教官が数式や図形のたくさん書かれたホワイトボードを示しながら講義していた。
「従来の深海潜水艇は、船室を球に近い形にすることで水圧に対応していた。だが……」
水性ペンで化学式が書きなぐられる。
「マクハリウム合金に適度な熱を通すことで、曲面でなくとも水圧と低温に同時に対応できるようになった」
ノートパソコンを開いて講義を聞いている生徒たちの中に、メルもいる。
「これを利用して開発中のボートロイドは、人間の手の動きをほぼ正確にトレースしての作業を、深海中でもできる。来年には実用化できる見込みで、操縦資格は潜水作業の二級免許からとなる」
ノートパソコンのモニターに、「ボートロイド」の想像図が表示された。それはアニメにで出てきそうな巨大ロボットを連想させるデザインだった。
「……君たちの中の何人かは潜水作業免許を取ることだろう。ボートロイドの操縦士も出るかもしれないな」
教授の言葉に起こった低いざわめきや失笑を聞きながら、メルは目を輝かせてモニターに見入っていた。
あれから二年。海洋資源開発の会社に職を得て、二級潜水作業免許も取得したメルは、最前線……海洋行きの希望がかなって、しかも、油田監視を兼ねて新技術の研究を行う海中基地へと配属になった。
そこへ……間髪をいれずマクリールが届いた。何社かで開発されているボートロイドの中でも、カダログデータは平均クラスながら実用性はもっとも高い……かもしれない、という前評判のある試作機だ。
試作マクリールの専属操縦士となったメルは、志望が叶ったといっていい。残る夢は、海中での機材テストやシミュレーションではなく、本当の深海底に行くことだけ……そのはずだった。
マクリールに自分以外の人が乗るかもしれないなんて、今日まで考えたことも無かった。
節電時間には照明が暗くなり、狭い食堂がいっそう狭く感じる。
浮かない顔でイスに座り、メルはパックの果汁ドリンクをすすっていた。そこへやってきたのは……技師のキースだ。
「暇そうだな、黒ンぼ」
「あ、うん……」
「?」
いつもと違う反応に、キースは疑問を感じつつもサーバーを操作する。
「なんだ? 今日は突っかかってこないのか?」
挑発的に笑うキースを、メルはため息ついて見上げる。
「あのさ、キース。私って……もしかしてマクリールに嫌われてる?」
「? ……乱暴に扱われりゃ、機械だって嫌がるだろうさ」
キースは答えながら、サーバーからホットドッグを取り出した。この男の好物なのかもしれない。
「そっか……」
力なく答えるメル。キースはホットドッグの包みを破り、「口に突っ込む」という以外に表現の仕様のない無造作な食べ方をしながら、つぶやくように言う。
「でも、この基地に免許持ちはお前しかいない」
「他の免許持ち作業員が来たら、私はお払い箱なのかな?」
「……?」
キースはメルに視線を注いだ。元気が無いことはみればわかる。金髪を手で軽く透き、キースは息をついてから冷静な口調で答える。
「あのな……お前の悪いとこは、その、すぐ感情に左右されるところだ」
メルは驚いてキースを見上げた。キースはホットドッグをぱくつきながら、
「深海で予想外のことが起きたとき、コクピットにはお前一人しかいない。冷静な判断ができないと……還って来れないぞ?」
メルは口を開くことが出来なかった。
「当然、そんなことは知っている」、そういう反論はできる。でも今は反論したくなかった……知ってはいるけれどわかっていない、というような気分になってきたからだ。
「俺は試作機を3人乗りにするように提案した。深海底での実用が始まれば、二十時間ちかく乗りっぱなしになるからな。が、お前の会社は、そんなに人件費をかけられないとかで、1人乗りにするように条件をつけてきた。俺はムチャだと返答したのに、ウチの営業はそれで受注しちまった。こうなると、安全は操縦者の資質でカバーするしかない。……なのにお前は、肝心のそこが危ないんだ」
答えないメルに、キースはいつになく穏やかな口調になってから言う。
「陸上にはお前も家族とかカレシとかがいるんじゃねえのか? 悲しませるなよ」
「う、うん」
いきなり過去の古傷をえぐられて、メルの顔が青ざめる。が、アフリカ系の女性を見慣れていないキースにはそんな微妙な変化なんかわからない。
「さて…」
食べ終わった空袋をダストシュートにほうり込んで、キースは立ち去りかけた。
「え、もう休憩おしまいなの?」
「あっちこっち傷んでるから整備に手間がかるんだよ、誰かさんのせいで」
皮肉っぽいのはいつもどおりだ。そのまま彼は去っていった。
何か起きたとき、コクピットには、自分一人……。その言葉がメルの心の中にリフレインする。頼れるのは自分だけ。自分だけなんだ。
海中基地には、狭いながらもトレーニングルームがある。狭い基地内で何週間も生活していると運動不足になってしまう。それを解消するための施設だ。
ルーム内は酸素濃度を調整してトレーニングすることができる。潜水作業で事故に備えるには、薄い酸素濃度でのトレーニングが有効だという説に従っている。
いま、酸素メーターは「最多-多-中-少-最少」の「少」になっている。
室内ではメルが、時計を前に置き、手は握りこぶしを作って、壁に足をもたせかけた四点倒立をしている。目は血走り、汗をかいて、頬を膨らませ、腕はぶるぶると震え、かなり呼吸が荒い。
「27分……」
倒立は体力と精神力を同時に強化するトレーニング法だ。
クッションに頭をおき、手と頭の三点で逆立ちして、足を壁につける。手は開いて床につけるが、武術のトレーニングを兼ねる場合は拳立ての状態にする。
初心者は1~2分からはじめ、1日ごとに少しずつ時間を長くしていく。「特定の音楽を聞く間」などと目標を決めて挑戦すると、たちまち5分や10分は耐えられるようになってしまう。
慣れると、漫画を読んだりしながらでもできるようになる。器具などは使わずとも短期間で身体・精神の耐久力を成長させることのできるトレーニング法だ。
さすがに30分もがんばるにはそれなりの努力が必要だが……それも毎日続ければ到達できないことはない。メルも、1分半で目を回していたころから半年かけて30分を達成した。最高記録は43分だ。10代後半から20代前半ならトレーニング効果が大きく、目に見えて成長するから、やってても面白い。
いまは仕事に差し支えないよう、週に1度か2度しかやってないなのであまり進歩がなくなっているが、30分前後まで耐えられる程度の体力は維持を心がけている。
だけど今日は……25分を過ぎたあたりから目がくらんできた。全身が汗ばみ、目が血走って、息も荒い。
「なんとか……30分までは……」
そう思うものの、次第に体からの危険信号を感じはじめていた。息ができなくなってきたのだ。
この種の危険信号は、初心者には単なる甘えとの区別がつきにくい。が、慣れてくると本物と偽物の区別がなんとなくできるようになる。今日の信号は本物っぽい。
下手に粘って体を壊しても損だ。トレーニングは体調に合わせて行うべきで、今日出来なかった分は次回に増やして「一定期間の合計」で達成すればいい。逆に、調子のいいときには多めにすることもできる。メニューは単なるめやすに過ぎない。それが無理の少ない続け方だ。トレーニングは続けなければ、やった期間と同じ日数で効果が消えてしまう。
メルは足を床に落とし、四つん這いになった。息があがり、汗まみれで、目も廻っている。しばらくはそのままで、立ちがることも出来ない。
シャワーで汗を流し落としたメルは、船室に戻り、簡易寝台に腰掛けて頭をタオルで乱暴に拭いていた。
上の段にはアーウィが転がっていた。二人とも、スナック菓子をつまんでる。
「非番なのにおつかれ、メル。よく30分も逆立ちできるわね」
上の段からの声に、メルは寝台から顔を出して答える。
「まだまだ。50分オーバーの先輩もいたもん。……1日に10秒か20秒ずつ増やしていけば、アーウィも無理なくできるようになるよ?」
「そのうちやりまス」
苦笑している。研究員であるアーウィには、「いざというときに耐久力が必要」という切実な感覚が無い。だから体を鍛えたいという欲求も少ないのだろう。メルから見れば、できることをやらずに「よくできるわね」なんて感心してるのは、勿体ないように感じるが。しかしアーウィから見れば、実技ばかりで物理理論を真剣に学ばないメルのことがもったいなく見えているだろうから、どっちもどっちだ。
「そういえばキースもかなりの体力みたいね」
アーウィの一言に、いままで思索に入っていたメルの機嫌が、たちまちナナメになった。
「あいつの話はやめて! せっかくの休息タイムに」
「あらん、可哀相な人なのよ? 噂だと、親友を潜水事故で亡くしたんだって。それで、潜水機器の整備には必要以上に真剣になるみたい」
「え……でも、そんな話、一度も聞いたことないよ?」
「まあ、自分からはあんまり話さない人だからからねぇ……」
「……あいつの不愉快な話はそれくらいにして」
メルは寝台から身を乗り出して立ち上った。
「どこへ?」
「寝る前に、マクリールに会って、気分治し♪」
機嫌を直して船室を出て行くメルを見送りながら、アーウィは微笑した。
「ホントに、好きなのねぇ」
(つづく)




