Dive1:ボートロイド
地表の大部分は水に覆われている。つまり海……この惑星は本当は「地」球でなく「海」球と呼ぶほうがふさわしい外観をしている。
とはいえ、惑星全体からみれば、海もわずかに薄皮一枚の衣服に過ぎない。海の上の空気の層もそれは同じだ。
その一枚の薄皮が、人間にとっては到達できるかできないかの巨大な層となって立ちふさがっている。
空は、高く上がれば上がるほど空気が薄くなる。風の力を翼に受けて空を飛ぶ飛行機は、高く上がるほど風を受けにくく、動きが鈍くなってしまう。
海は逆だ。深く潜るほど水が濃くなり、水圧が高くなる。深海に潜れば、その水圧で鉄球でさえ潰される。だが人間は、空高く飛ぼうとし、海深くに潜りたがるものだ。
水深600m。このあたりの水圧は、水面近くの60倍……60気圧だ。すなわち、1平方センチに60kgの重さで圧力がかかる。
魚の群れもやってこない大洋の中のこの深海に、下へ向かって一本のパイプラインが伸びていた。この下、3000mの深さの海底油田に繋がるパイプだ。
パイプラインから少しはなれたところで、沈んできた物体があった。潜水艇ではない。手足が付いている……人型のロボットだ。泳ぐようなしぐさをしつつ沈んでいく。
その身長は15mを超え、背中から長いケーブルを引っ張っている。水中には電波も届かず有線電話が必要となるためだ。
これが深海作業用の有人ロボット、通称「ボートロイド」だった。
密閉された胸部のコクピットに、小柄な若い女性が乗っていた。保温スーツで体を包み、その上からライフジャケットを付けている。露出している手の甲や顔の皮膚の色は濃い。日焼けではなく天然の色だ。髪も縮れている。彼女はアフリカ系なのだ。
大学は卒業済みだが、見た目は、「女性」というより「少女」と言ったほうが近い。
「うん、いい感じだよ、マクリール」
笑顔とともに口に出したひとり言は、日本語だった。彼女は音波探信儀のモニターを見つめながら数値を読み上げる。
「595…………596…………597…………」
沈降速度は秒速0.1m。急激な水圧の変化を避けるため、水中への沈下は慎重に行う。ましてや、このボートロイド「マクリール」はまだ試験運用中、無理をさせてはいけない。安全を保つため、1m沈むごとに10秒を消費している。
「基地D、基地D。こちらマクリール・ゼロ。六百、突破」
今度は、日本訛りの英語でマイクに呼びかける。が、ひとり言はまた日本語に戻っていた。
「1時間20分か……ぴったり予定通りね。……スピード、あげちゃおうかな?」
と、つぶやいたところで、耳のレシーバーから返答が届く。
「Get。基地D、確認した。モニターに異常なし。メル、そちらは?」
メルと呼ばれたその少女は、横のサブモニターを確認しながら、固定されているキーボードを片手で打った。モニターに次々と略号と数字が並ぶが、気になるようなデータは表示されてない。
「今のところないわ」
それからさらに1時間半近くが経過した。コクピットのライトの下、携帯ゲーム機に保存してあった日本語の漫画を読んでいたメルは、時計を確認するとゲーム機をポケットに突っ込み、またモニターと計器をひとつひとつ確認しだした。
「こちらマクリール・ゼロ。一千二百、クリア」
水深1200m……もはや太陽光も届かない。ヘッドライトをつけても、上下左右、あらゆる方向に漆黒の闇が広がるだけで、光を反射してくるものなんか何もない。
「Get。データを確認した。室内温度が下がりすぎてるな。酸素の消費も予定より多い。なお1~2分前の海底地震を検知した。1200から、基地Dへ帰還せよ」
「Get。最近、多いわね地震。津波情報は?」
「Get。出てない」
レシーバーの声に、メルは反応する。
「Get! 津波の心配が無いんなら、1500まで潜ってみる。油田は3000にあるんだし、早くそこまで潜れるようにしないとね」
「おい、今日は1200までの予定だろ。機械をチェックする必要もある。帰還しろ、メル」
力強い命令調のドイツ訛りを聞くと、メルの表情にムッとしたものが浮かんだ。
「……その声はキースね? まだ行けるわよ、このアホ!」
「うるさい馬鹿メス! マクリールを壊すなと、何度言わせるんだ!」
「やめろ、お前ら」
キースと呼ばれた男とは別の、落ち着いた声が割って入った。基地責任者のボックだ。
「メル、基地Dへ帰還せよ。業務命令だ。」
メルは肩を竦め、モニターを覗き込んだ。
「Get。浮上にうつります」
そこまで英語で会話してから、日本語でボソッと
「都合が悪くなるとなんでも『業務命令』なんだから、もう」
業務命令に反すれば、減給などの処罰がある。メルはため息をつくと、キーをたたき始めた。
「ぷはっ!」
ヘルメットを取ってメルは息をつく。縮れ髪も黒い顔もびしょぬれだ。
そこは海中基地の格納庫だった。金属の壁に囲まれた中で暗いライトの光に浮かぶ、メルが乗っていたボートロイド「マクリール」と、潜水艇が一台。それだけでももういっぱいで、狭く感じる。
格納庫の梯子を、1人の女性が降りてきた。顔つきからすると中国人らしい。彼女の投げた乾いたタオルをキャッチし、メルは顔を拭いた。
「おかえり、メル。調子は?」
「まあ好々的(いい感じ)……でも」
広東語まじりで答え、ライフジャケットや防寒着を脱ぎながら、メルがマリリールを見上げた。外装が少しいたんできているのがわかる。
「居住性は最悪よ、アーウィ。息苦しいし、そのうえ寒くなったり暑くなったり。気密性だってあやしいもんだわ」
そう言って、防寒着の下に着ていたびしょ濡れのシャツを引っ張って示した。すると……梯子の上から、ドイツ訛りの男の声が響いた。
「イイカゲンなこというな、それはムレてかいた汗だ」
「キース」
今度は白人の男だった。身長が高くて、肩や胸などはがっしりしている。絵に描いたような金髪でゲルマン人らしい風貌だが、目つきなどを見ると、スラブ系の血も混ざっているのかもしれない。
キースは不機嫌そうな目でメルを見おろし、ゆっくりと話した。
「第二次世界大戦の伏龍じゃないんだぞ? 深度1000で気密性があやしかったら、1平方センチあたり100kgの水圧で、ペシャンコだ」
メルも不愉快そうにアカンベする。
「うるさい! 開発技師なら、もっと乗り心地よくしなさいよ!」
「マクリールは現時点で最高のボートロイドだ。使いこなせないのはパイロットが悪いんだよ、黒ンぼ」
「何ィ? この人種差別の白ブタ、やる気?」
「ほら、そうやってすぐ感情的になる。俺は事実を言っただけだ」
どんどん険悪になる雰囲気を、中国人のアーウィが止めた。
「やめなよ、キース。メルも。疲れてるんでしょ? 早く休んだほうがいいわ」
「そうとも。いくら人を罵るのに最適な言葉が英語だといっても、ほどがあるぞ。疲労が原因でマクリールを壊されたら、俺の仕事が増えるんだからな」
「まだ言うか、この……」
「やめなってば、二人とも!!」
海中基地Dの居住区では、狭い廊下を挟んでいくつかの船室が並んでいる。そのひとつ、ドアに「Lady's」と書かれた札の掛った狭い船室の中に、メルは戻った。
中は女性用の四人部屋で、二段の簡易寝台が両面の壁にある。が、使っているのはアーウィとメルの二人だけだった。
内部は衣服が脱ぎ散らかされ、寝台の上にまでお菓子の空き箱がとび散ってる
その下の段にゴロッと横になり、メルは携帯ゲームのスイッチを入れた。
地上における化石燃料の採掘は限界を迎え……今の時代、油田やガス田は主に深海にある。金属資源の鉱山も。それらの保守・警備を行う目的で、現在、開発が進められているのがボートロイドだ。
主人公・カイバラ=メルはその新型試作機「マクリール」のパイロットとして、この海中基地Dで勤務している。
仕事は、深海に潜ること。もっとも、マクリールがまだ海底油田の深度まで到達できてない現段階では他に作業も無く、ただ指定の深さまで潜って戻るだけだ。それだけなんだが……とにかく時間がかかる。今日も水深1200mまで行ってきたわけだが、往復で6時間もかかってしまった。その間、狭いコクピットでずっと一人きりだ。
もちろん、孤独に耐える訓練はしている。だから、一人でも寂しいなんて思わない……。
「あっ、また死んだ!」
ちゅどーん、と小さな電子音が聞こえた。ゲーム画面では、メルの操っていた主人公の墓石のグラフィックが表示されている。ムーッ、としてメルはスイッチを切る。
「やめやめ。 今日は、もう寝よっ!」
ぐるりと体を下に向け、うつぶせに鳴ると、枕に顔を押し付けた。
「…………。」
メルの目が遠くを見る。が、ハッと気がついて自分に言い聞かせた。
「違う! 考え事じゃなくて、寝るのっ、寝るのっ!!」
(つづく)




