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13 誓いの、言葉

 控え室の姿見の前で、私は自分の姿が信じられずにいた。


 純白の花嫁衣装。詰まった襟から胸元へ、レースが雪のように流れ落ちる。結い上げた淡い銀の髪に、薄いヴェール。鏡の中には、目を不安げに揺らした小柄な娘が立っていた。自分で言うのもなんだけれど、三家を滅ぼした毒婦にはとても見えない。母が「妖精のよう」と言ってくれた頃の私が、ひさしぶりにそこにいた。


 仕上げに、マルタが髪へ小さな花冠をのせる。霜の夜に旦那様が藁をかけて守ってくれた、あの庭の青い花。摘んでいいかと尋ねたとき、あの人は何も言わずに頷いて、それからしばらく庭の方角を見て立っていた。


「お嬢様。世界一の花嫁でございます。やっと、お嬢様の花嫁姿を見ることができてマルタは……」

「……ありがとう、マルタ。お喋りはもうおしまい。行きましょう!」


 扉が開く。春の光と、オルガンの音があふれた。白い絨毯の先、祭壇の前に、あの人が立っている。


 息を、呑んだ。


 漆黒の正装が、長身に一分の隙もなく沿っている。夜を溶かしたような黒髪は今日は丁寧に整えられ、その下の冬の湖の瞳が、まっすぐ私を捉えていた。左の眉尻の古傷さえ、今日はただ凛々しい。社交界が「残虐公爵」と恐れ、それでいて貴婦人たちが扇の陰でこっそり見惚れる、その人。


 その人が、私と目が合った瞬間、見たこともない笑顔になった。ああ、あなた、そんなふうにも笑えたのですね。隣のギルベルトが「閣下、呼吸がとまっています」と囁いたのが、静まり返った聖堂にうっすら届く。会衆がざわめいた。「公爵が無音で笑っている」「毒婦に魅入られたんだ」と。


 いえ、今日ぐらいは自惚れさせてほしい。あの猛禽のような人が、小鳥みたいな私の花嫁姿を喜んでくれているのよ。祭壇までの数十歩、頬の熱が引いてくれなかった。


 式は厳かに進み、誓いの言葉の時間が来た。


「新郎、ヴァイス・グランハルト。誓いの言葉を」


 彼が一歩前に出る。私は知っている。昨夜遅くまで執務室から途切れ途切れの音読が聞こえていたことを。長い誓文を、この口下手な人が、私のために覚えようとしていたことを。


「ち……誓いの言葉を、述べるに……あたり………………あたり……」


 止まった。聖堂がしんとなり、どこかで嘲笑の準備をする扇の音がする。


 次の瞬間、彼は誓文をぱたりと閉じて、私の両手を取った。小さな手が、大きな手にすっぽり包まれて消える。瞳が、まっすぐに私を見た。


「……俺の命は、君のものだ」


 長い誓いの言葉の代わりに彼が口にしたのは、それだけだった。


 一拍おいて、聖堂が揺れた。歓声と、笑いと、少しのすすり泣き。国王陛下の「うむっ!」という謎の雄叫び。司祭が感極まって祝祷を一節飛ばした。


 私は、何も考えられなかった。毒を警戒していたはずの人が、人前で、命を差し出してしまった。三家を滅ぼしたと噂された毒婦に、世界で一番無防備な言葉を。


 ずるい。そんなの、ずるい!


 司祭が、誓いの口づけを促した。大きな手が、震えながらヴェールを持ち上げる。頭ふたつ分の高低差を、あの人が深く屈んで埋めてくれた。触れるだけの羽のように軽い口づけだった。それなのに離れる一瞬、瞳がこの世で私だけを映しているのが分かって、心臓が跳ねた。


 私、この人の妻になったんだ。誓われて、口づけられて、ようやく本当に。


 最前列で、陛下が金髭を揺らして笑っていた。決して祝いではない。すべてを知って面白がっているような、底の知れない目で。


 何よりも幸せな時間だったはずなのに、心の隅でいつもの暗い声がする。


<命を懸けることと、愛されることは、同じではない>


 ……今日くらいは、その声を聞かずにいたかったのに。


*  *  *


 その夜のことは、多くを書かない。


 いつも言葉に詰まるあの人が、寝台の中で何度も、「レオノーレ、レオノーレ」と、私の名を呼んでくれたことを、覚えている。


 春の夜の灯りが、そっと落とされた。

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