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第三章 後添え

「!!!」 

顔から火が出た。

 レイトリンに冷やされた身体は一気に燃えるように熱くなっていた。

 そして一平はサルビアの前で片膝を折り、騎士の礼をとっている。

「な……!?…」

「無礼を、お許し願いたい。あなたをお救いするにはこうするしかなかった。誓って、邪なことは働いておらぬ。だが、了承を得てしたことでもない。謗りはいかようにもお受けする。が、このことでアスランの世話係を辞するようなことだけはご勘弁願いたい。あいつはあなたを本当の母親のように慕っているのだ」

 サルビアのいでたちへの配慮からか、目を地に伏せたまま謝罪の言葉を述べる一平を、サルビアほ呆然と見つめる。

 

 自分の主とも言うべき人が目の前で膝を折り、(こうべ)を垂れている。

 不思議な光景だった。まだ着服していないので肩や背の筋肉が波打っているのが妙に印象的に映る。

「どうぞ顔を上げて…と言いたいところですが、少々お待ちいただけますか?」

 赤い顔をしたままサルビアは言った。

 回れ右をし。何やらゴソゴソしてからマントを持って一平に近づいた。背中にふわりと掛け戻し、そのままその背に寄り添った。


 一平がつと頭を戻す。

 その(かんばせ)を両手で包み、一平の左頬に口付けた。

「命を…救っていただきましたわ。もうどうなっても、と思っていた命ですけれど、アスランさまのおかげで生き甲斐を見つけることができました。今は…失いたくない命ですわ。この世に呼び戻していただいて、感謝しています。この(のち)は…アスランさまと共に、一平さまにもこのしがない命を捧げようと思います」

「いや、そのような…」

 大袈裟な気遣いは無用、と応えようと身を起こして一平は目を剥いた。


 先程、身繕いをしたとばかり思っていたサルビアが、一糸纏わずそこにいた。

 その見事な裸身を隠そうともせず、熱っぽい目で一平を見つめている。

 愕然とする一平の首にサルビアは両手を絡ませる。

 今度は冷たさで誤魔化しようなどない。生身の、温かい、量感たっぷりの乳房が一平の心を鷲掴みにしようとのしかかってきた。サルビアはそのまま身体を一平の身体の下に滑り込ませた。女性を組み敷いたような体勢になり、一平は慌てた。


 予想したのと正反対の行動に出られて心構えが全くできていない。既に心臓は早鐘を打ち、股間は屹立し始めている。まだ下履きは身に付けていたが、それもいつ毟り取りたくなるかわからない。不意打ちを食らっては、先程のように心を鎮めるのは至難の業だ。

 その一平にサルビアは囁く。

「せめてもの、感謝のしるしに私を…。私を捧げます…。どうぞ私を使って、あなたの因子をもっとこの世に…」

 手っ取り早く言うならば、抱いて孕ませろ、ということだった。



 海人は海の生き物だ。

 大自然の中で常に死の危険に晒されている。

 それを少しでも防ぐため、彼らは海人の園を作り上げ、自己防衛を図っている。それでも食物連鎖の中に組み込まれることは決して少なくはなく、『産めよ、増やせよ、世に満ちよ』は全ての海人たちのモットーだ。本能に従い、子孫を増やすことを第一と考える。

 貞操観念がないわけではないが、再婚は珍しくない。成人であれば、正式に結婚という形でなくても非難はされない。シングルマザーは沢山いる。自分の遺伝子を残すことが、また相手の遺伝子を繋いでいくことが最高の喜びであり、贈り物なのだ。


 そのような考え方に則れば、サルビアの申し出は何らはしたなくも押し付けがましくもない。海人として当然の行為であり、礼儀に適っている。

 だが、地上育ちの一平には当てはまらない。本能はあるが、理性がそれを阻む。

 女性を床に送られたこと―或いは自らから忍んで来られたこと―は何度もあるが、子を作るまでには至らなかった。成し得たのは妻のパールひとり。

 妻の死後、それこそ何度も後添えを、という話は来ている。

 が、一平は悉くそれらを蹴った。

 まだ幼いアスランには母親が必要だと口説かれても、なんとかなると話を追い払い続けた。


 トリトニアにとっては一平の血筋がアスランひとりにしか受け継がれないのは損失なのだ。出来得るのであれば、もっとアスランの兄弟を増やしてトリトニアの発展に貢献してほしい。娘を一平に嫁がせたオスカー王ですら、一年後にはそういう話を持ち出してきたくらいだ。



 以前にサルビアはそういう話を持ちかけられていた。守人の一子であるアスランの世話係に選ばれたくらいだから、それだけの身分と器量があり、性格も申し分ない女性だった。周りから一平の後添えにどうかという話が持ち上がるのも当然と言えば当然だった。


 だが、生来出しゃばりでないサルビアにはあまりにも畏れ多いことで、しかも、もしこの話がまとまれば、自分は年上女房ということになる。体格的にはどう頑張ってみても一平を上回ることはないので蚤の夫婦となることからは免れるだろうが、やはり年上ということには引け目がある。一平の方が歳より上に見られるので周りの者には丁度よいではないかと勧められたが、夫子を相次いで亡くした哀しみを抜きにしても、身に余る話で現実的ではなかったのだ。


 だが、相手が相手だけに無碍に断ることもできず、その時は何度か会って話もし、同じ時を過ごしもした。決して嫌いではない。むしろ爽やかで好ましい印象を持った。守人としての貫禄はあるが、よく接してみると笑う目元は優しいし、こちらの冗談を真に受けて狼狽するなど子どもじみたところもある。男性としては頼もしいことこの上ない。息子のアスランもやんちゃだが人懐っこく素直で可愛らしい。逆に自分では役不足で釣り合わないと思えた。


 しかも、周りの熱心さとは裏腹に、一平の方にその気がないことも会ってみて肌で感じた。失礼のないよう一応心を込めて応対してはくれるが、一平はパール以外の妻を娶る気は爪の先ほどもなかったのだ。一平とのひとときは楽しい時間ではあったが、大人の男女の間における妖しげな雰囲気は微塵も醸し出されなかった。


 悩んだ末にサルビアは丁寧にこの縁談を断った。

 一平からは却って気苦労をかけてしまい申し訳なかったとお詫びの言伝をもらった。

 この後すぐサルビアはアスランの世話係に就任した。 

 一番の推薦者は誰あろう一平であった。何度か共に過ごしてみて、この人ならお願いできると、その人柄に太鼓判を押したのである。サルビアも、お世話係ならと謹んで拝命した。



 それより一年。

 一日中と言っていいほどアスランのそばにいることになったサルビアだが、父親の方とはそれほど顔を合わせる機会はない。

 守人稼業で忙しい一平は多くの父親の例に漏れず、日中子どもと過ごす時間はまず取れなかった。部屋も今では別々なので一緒に寝るということも無くなっていた。 

 アスランが父親と顔を合わせるのは朝夕の食事前後と月に四度の休務日ぐらいだ。従って、サルビアともその程度の関わりになる。しかも休務日には世話係も休務日なのでその日は右宮の奥にサルビアはやってこない。


 休務日には父子水入らずの一日を過ごすことが多い。普段あまりかまってやれない分、一平はアスランのために心を砕き、自分の持てる全てを遊びのうちに息子に教えるよう努めていた。

 いずれアスランの成長と共にそれも厳しさを増すだろうが、今はまだまどろみの域を出ない年齢だ。母親のいない分寂しい思いをさせないようにと、一平は配慮をし、祖父母である国王夫妻や叔父のキンタ夫婦と共に人一倍可愛がっていたつもりだった。

 しかし、どんなに頑張ってみても母親の代わりにはなれないのかもしれないと、今回のアスランの行状を知った時に一平は思った。代わり、というのは代役であり、所詮本物とは違うのだ。


 サルビアも同じことを考えていた。

 まだ一年も経たないが、アスランの世話をすることは本当に楽しく日々充実していた。

 亡くしたわが子に対してしてやりたかったことらあれこれ試すのも、一平は許可をしてくれた。

 最初は少し身構えていたアスランも、一ヶ月もしないうちにサルビアに懐き、父親の次に頼りにするようになった。自分を慕ってくれる幼い存在がどれほど人の心に喜びをもたらすか、サルビアは思い知ったのだ。自分の経験として知っている人も少なくないだろう。


 そのアスランの母親になりたいと、今サルビアは思ったのだ。

 一平に恋焦がれていのことではない。純粋に、もっと踏み込んだ関係になってアスランと心の結びつきを深めたい、というのがサルビアの一番の気持ちだった。

 ガザの森でこのような経緯になって、一平を男性として意識したことは単なるきっかけだ。けれど、この人ならば一緒になってもいいと思えたのも確かだ。この深く、礼儀正しく思いやり深いは人柄は飾られたものではない。懐深い包容力がその芯に根差しているのがわかる。


 高い地位にありながら決して偉ぶらない。プライドのために己の非を正当化するようなことは決してしない。見ようによっては卑屈とも思えるその態度の潔さに敬服するものは後を絶たなかった。

 その正直さが信頼を得させるのだ。この人は絶対に自分のことを裏切らないと確信させる力を、一平は無意識のうちに備えていた。


 信ずればこそ愛も生まれる。一度ならず二度、三度と一平に頭を下げられたサルビアの心に、一平に対する恋慕の情が生まれるのは不自然なことではなかった。いくら命を助けてもらったとは言え、己の身を差し出す決心はそう簡単につくものではない。知らず知らずのうちにサルビアは一平に惹かれるようになっていたのだ。

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