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第二章 ガザの森

 二人の眺めていたのはトリトニアの首都トリリトンに近いガザの森であった。洞窟の一つに二人の男女が迷い込んでいた。

 小さな洞窟の入り組むこの森は迷いやすい。幼子のみならず不慣れな大人が幾人となく迷い込み、捜索隊が何度も派遣されている。一平も兵卒時代に捜索隊に加わったことがあるので大体の地理感は頭にある。だから迷ったのは一平ではなかった。一緒にいる女性の方だ。


 女性の名はサルビア。一平の一子アスランの世話係である。早くして母親を亡くしたアスランに、少しでも母親らしき味を味わわせてやりたいとの意向によって、数ある候補者の中から選ばれ、雇われた聡明な女性だ。

 年は一平よりも上である。三年前に夫を亡くし、相次いで子どもも亡くしている。亡くした子どもにかけるはずだった愛情をアスランに惜しみなく注いでくれている。

 来年からは修錬所に入れるが、まだまだ母親の恋しい年齢にあるアスランにとって、今やなくてはならないほどの存在であり、家族の一人と言っていいほど懐いている。


 そもそもはアスランが原因だった。

 買い物の勉強のため、共に遊泳に出た先でいたずら心を起こしたアスランが身を隠したのだ。アスランの母親であったパールティア王女が似たような状況で行方不明になり、三年も戻らなかったことを聞いていたサルビアは、それこそ半狂乱になってアスランを探しまくった。

 ガザの森の近くだったこともあり、もしや迷い込んだのではと、一人森に足を踏み入れた結果、ミイラ取りがミイラになってしまったのだった。


 アスランの方は、隠れて困らせるつもりが逆にはぐれて自分が困る羽目になり、散々泣き喚いた末に父親に助けられた。当然厳しく叱られた。

 事情を聞いた一平は同行の侍従長ブルッフにアスランを任せ、自分はガザの森へとサルビアを探しに分け入ったのである。

 そして見つけたサルビアは、これまた大変なことになっていた。

 元々身体の方もあまり丈夫ではないらしい。アスランを連れ出した時も体調はあまりよくなかった。そこへ持ってきて自責の念故の心労と、必死に探し回った挙句の疲労と寒さとで意識不明の状態であった。


 日もすでに暮れていた。

 大体の地理はわかっているといっても、暗くなってから森の中をうろつき回るのは得策ではない。

 一平はエルシーでブルッフに連絡を入れ、事情を説明してからサルビアを手頃な洞窟に運び入れた。もちろん、中に妖物が住棲まっていないことを確認してからだ。



 サルビアの身体は冷たかった。寒さで歯の根が合っていない。

 ガザの森はトリトニアにしては水温が低い。氷のような息を発する妖物が棲んでいるせいだが、サルビアはどうやらこれにやられたと思われる。

 妖物レイトリンは、そうして獲物に息を吹きかけ凍らせて己の食糧として巣に保存するのだ。凍る寸前で逃げ果せたのはかなりの僥倖だったのだと言わねばなるまい。


 とにかく、このままでは命も危うくなる。

 採るべき手段は一つしか思いつかなかった。

 己の体温で温めてやることだ。

 一平は上衣を脱ぎ、横たえてあったサルビアの衣服に手をかける。

 流石にちょっと躊躇った。相手は年上の未亡人だ。しかもとびきりの美人である。裸に剥いて己の裸身と肌を合わせようというのに冷静でいられる男はまずいまい。

 だが、すぐに思い直した。サルビアの美しい顔が翳りを帯びて切なく、苦しそうだったからだ。目を閉じ、深呼吸をひとつして、一平はサルビアの前をはだけた。

 

 トリトニア風のドレスは脱ぎ着がしやすい。何枚も重ね着をすることもないので、すぐに本体は露になる。一平はなるべくサルビアの身体を見ないようにして、はだけた胸を己の胸に押し付けた。更に脱ぎ捨てたマントで背中から共にくるんでやる。

 女性の身体の柔らかさ、その盛り上がりと弾力は感じるけれども、それよりもひんやりとした思った以上に冷たい氷のような感触の方が気になった。

 一平は精神を集中しようと試みた。この状況では気が緩んだ途端に邪な行為に走ってしまう可能性が大きい。トレーニングのように結跏趺坐の形はとれないが、無心の瞑想に入ることはできるはずだ。

 果たしてそれは可能だった。意志の強い一平だからこそできたことだったかもしれないが、とにかく、そのま数時間を身動きせず、まんじりともせず、一平は過ごした。



 夜更けを回った頃、サルビアが初めて身動いだ。様子を覗き込む一平の顔を焦点の合わない目でうすぼんやりと見つめている。

 黒髪が見えて、サルビアは思う。

(…アスラン…さま!?…)

 トリトニアに黒髪は少ない。特に一平のような烏の濡れ羽色は。サルビアが知っているだけでも、そのような髪を持つものはアスラン親子ぐらいしかいない。

 

 だが、次第にはっきりする。目が青くない。アスランの目はとても印象的な青い目なのだ。それになりも大きい。面立ちは似ているが幼さがない。大人の顔だ。それもかなりハンサムな、それでいて落ち着きと貫禄のある…。

「…一平…さま?…」

 思い当たった名は畏れ多いものだった。面識がないわけではないが、その人はトリトニアの三大柱のひとりなのだ。それがなぜ、こんな、自分の目の前に!?…。はっきりしない頭で、サルビアは状況を理解しようと精一杯努めた。


「気がつかれたか。…よかった…。体温もだいぶ戻ったようだな。もう温めてやる必要もなさそうだ」

「気が!?…体温って…」

 朦朧としてきちんと話せないサルビアに一平は補足する。

「レイトリンに、やられたのだろう?オレが見つけた時、あなたは氷のようだった」

「…レイトリン…」

 ああ。そうだった。あの恐ろしい化け物に出くわした時はもうダメだと思った。息を吹きかけられて、身体が思うように動かなくて…。たまたま近くを通りかかったイルカがよく太っていたせいか、レイトリンはそちらの方に標的を変えてくれて…。逃げなくては、と思ったのまでは覚えているが…,。


 そこまで思い出してサルビアははっとする。

「アスランさま!!アスランさまは?…」

 サルビアは喚いた。

 自分が探していた大切なお子は一体どうしたのか?他でもない、目の前にいるこの男性の唯一の肉親であり生き甲斐の…。

「安心しろ。アスランは無事だ。ブルッフに右宮へ連れ帰るよう申し付けた。今頃はアコヤガイのベッドで夢の中だろう」

 ほっとする答えを聞いて力が抜けた。依然として支えられていた一平の腕に身体を預けた。

「あなたには謝らなければならない。息子のしでかしたこと、躾が行き届かず、本当に申し訳なかった」

「え!?」



 一平の言うことが理解できない。アスランが何をしたと?

「あなたを、ちょっと慌てさせてやろうと思ったらしい。要するに一方的なかくれんぼを企てたのだ、あいつは」

「かくれんぼ…」

「多分、心配をして欲しかったのだと思う。自分のことを。いつだったか、ウートどのの孫が迷子になった時、発見されて帰ってきた現場に居合わせたことがあった。何も言えずに涙を流して抱き締める母御の様子を羨ましげに眺めていた。あなたに母親の愛情を求めたのだ、アスランは」

「母親の…」

「いや、試したのかもしれんな。この人はどこまで自分を大切に思ってくれているのだろうかと」

「……」


「いずれにしろ、してはならないことだ。試したのならなおのこと、人の気持ちを弄ぶような真似は断じて許さんときつく申し渡しておいた。どうか、オレに免じて許してやってほしい」

「許すだなんて…」

 自分のような者に、躊躇わず頭を下げる守人を前に、サルビアはおろおろと言葉を探す。だが、そうさせまいとするかのように、一平は言葉を継いだ。

「もう一つ、許してもらわらなければならないことがある」

「?」

 バサリと、目の前で何かが舞ってサルビアの視界を奪った。

 それが一平が青の剣の守人であるしの青いマントであり、ぐるりと自分の身体に巻かれたのだということがわかると、はじめてサルビアは今まで自分が半裸で一平に抱かれていたことに気がついた。

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