春秋の牡丹18話
一八章 己を知る者のために
一
張孟談の策略で韓虎と魏駒が寝返り、趙氏は大逆転とも言える勝利を挙げた。智軍の死者は数千人に及び、郄疵・智伯国・士茁と言った名だたる指揮官も討ち果たされた。
だが、肝心の智瑶の姿が見当たらなかったので、趙氏と韓、魏両氏、そして代国軍は血眼になって晋陽近辺を探し回った。その実、智瑶は鉄砲水と大乱戦の隙をついて戦場を脱出し、智の城へ向かっていたのだ。
「大事ありませぬか、大殿様。このような装備と兵糧しか用意できず、お許し下さいませ」
攻め入った当初は韓と魏も合わせれば数万の大軍だったのが、今や智瑶を守るのは甲人隊―太陽光を防具で反射させ、馬の目を眩ます精兵が数百人だった。詫びる兵士に、智瑶は珍しく柔和に答えた。
「気にするでない。私と諸君ならば、倍の敵でも倒せる。まずは、智に戻って体制を立て直そうぞ」
兵士用の粗末な戦車に乗った智瑶は、甲人隊を率いて智の城を目指した。だが、城には“趙”の旗が翻っていた。
「智卿閣下、ここは趙無恤が長男・趙嘉が抑えました。潔く、投降なさっては如何ですか?」
城壁の上で勝利宣言しているのが、胡服姿の趙嘉であるのを見た智瑶は、慌てるどころか高笑いした。
「ほう、女々しくて醜い父親よりかは勇ましいな。だが、北狄の装束を纏って、南蛮の女を妻にするとは、華夏の誇りは無いと見た。斯様な軟弱者の守る城など、すぐに奪い返してやるわ!」
智瑶が甲人隊に城門を破らせようとすると、背後から聞き覚えのあるどら声が響き渡った。
「智卿閣下、この老いぼれがお相手仕る。李観殿ばかりに、良い格好はさせられんからな!」
見ると、趙軍を退いたはずの陽虎がいた。その隣には智氏を不倶戴天の敵と見做していた、先代家宰・高共もいた。
「ふん、亡者が出おったか。隠居しておれば良いものを、死に急ぐとは愚かなり。本当の亡者にして欲しいようだな!」
智瑶は、両手に一振りずつ剣を持ち、二刀流の構えで陽虎と高共を迎え撃った。その剣さばきは神技の域に達しており、高共の戈と陽虎の刀を同時にあしらうほどであった。
高齢の高共がたじたじとなったのを見た智瑶が、とどめを刺そうと大上段に剣を振りあげると、陽虎が得意の手戟を放った。
「私は李観とは違うぞ。こんな子供だましが効くと思うな!」
智瑶は、余裕を見せながら手戟を払うが、退却してきた疲れが少し出始めた。その隙を、高共が逃がさなかった。彼は、隠し持っていた分銅付きの鎖を何本も智瑶に投げ付け、動きを封じたのだ。
「今だ!」
陽虎は、刀を杖に持ち替えると、気合もろともに剣をはね飛ばした。そして、高共と二人掛かりで智瑶を戦車から引き落とし、ついに捕らえたのだった。
それを見た甲人隊が助けに入ろうとすると、
「ははは、流石は人材の趙氏。見事な戦いだったよ……ちと、疲れた。城の中に連れて行って貰い、休もうと思うぞ」
己の負けを悟った智瑶は、自嘲気味に笑うと城から出て来た趙嘉と天狙が率いる趙の兵に身を任せた。だが、その顔には死への恐怖も、敗戦から来る屈辱感もなかった。全身全霊で戦って負けたならば、全く悔いはないことを示しているかのような、心地良ささえ漂わせる笑顔であった。
二
智瑶が捕縛されたのを知らされた無恤が、韓虎と魏駒に伴われて智に入城したのは、翌日のことだった。智瑶は私邸に幽閉されていると趙嘉に教えられた無恤は、智の治安回復と戦後処理を兼ねて、智の城に駐屯した。
「高じいと陽虎殿、歳なのに良くやってくれたわい。時に阿嘉や、城の外が騒がしいが、どうしたのじゃろうな?」
無恤と趙嘉が宮殿から出て外を見ると、晋公・姫驕の馬車が来ていたのだった。
「これは、晋公殿下! お出迎えも致しませず、無礼を致しました」
「趙卿、顔を上げられい。余は、智卿に会おうと思うて参ったのじゃ」
晋公の言葉を承った無恤は、韓虎・魏駒と共に智瑶邸へと向かった。この屋敷は厳重な警備がなされており、脱走の心配はなさそうだ。一行が案内された先には、急ごしらえで作られた格子のついた部屋があり、智瑶が端座していた。
「智卿、趙に捕らわれたと聞き及んで見舞いに来たぞ」
傀儡にしたとは言え、晋公直々のお出ましには智瑶も拝礼して出迎えた。
「殿下、お気遣い痛み入ります。時に韓卿に魏卿、君達は裏切りなど働いて、恥ずかしいとは思わないようだな」
「お黙りなさい! 貴公の強欲と横暴が、己自身を滅ぼしたのじゃ。裏切りなどとは片腹痛いわ」
かつては弱者だったが、今や勝者の側に立った韓虎の強気を見た智瑶は苦笑いし、無恤の方を見た。
「趙卿、貴公は良い部下を持たれたな。我が必勝の策を覆すとはな。面白い戦だったぞ」
「智卿、謹むが良い。輔過殿ばかりか、伯国殿と郄・士両将も失い、兵士も多く死なせて、何が面白い。婿君も行方不明になっているのに、笑うとは何事じゃ!」
負けても余裕があるどころか、憫笑さえ浮かべた智瑶の態度に、無恤も激怒した。だが、しばらくしてから訪ねた。
「智卿にちと聞きたい。他国からいくらでも領土を切り取れるはずのお主が、何故に四卿を押さえ付けるような真似をした? 私は、お主が晋を拠点として商王朝の復興を目論んでいたのではないかと思うておるのだ」
智の城に来て以来、無恤には気になることが多かった。街中で流れる音楽は商王朝で愛された卑猥さと俗気を帯びた物が多く、宮殿には商で用いられた饕餮の飾りが多かった。
そして、紂王の臣だった崇侯虎の子孫である崇王彦を焚き付けたり、朝歌に近い領土を下賜するように晋公を威圧した行為は、商王朝を復活させるための下準備だと、無恤は薄々勘付いていたのだ。
「ふふ、愚鈍な貴公でもようやくお分かりになったようだな。そう、周宗室が天命を失った今、天下を束ねて華夏に平和と繁栄をもたらすには、商王朝の復活しかないと思ったのですよ。気付かれるとは。私も修行不足でしたな」
智瑶は、商に仕えていた大臣の子孫である趙氏と崇王家を先鋒、韓と魏は晋を任せ、天下を平定するために晋を一つにしようとしていた事を語った。天下統一の暁には、姫驕を周王に封じて恩に報いるとともに、商と周が共に華夏を護ると言う構想があった。それには、魏駒が青くなった。
「殿下、このような事などあっていいはずがありません! 臣はもちろん、晋公殿下もただでは済まないのですよ」
「魏卿の言う通りじゃ。余に、そのような器は無い! 成王陛下の弟を開祖とする晋の君主が、斯様な畏れ多きことなぞ出来ぬわい」
商王朝を復活させるだけでなく、周宗室に逆らうと聞かされた姫驕も、震え上がった。勝者でありながら震える姫驕と魏駒、敗者の身で微笑む智瑶と言う異様な光景が、屋敷の一角に広がっていた。
3
智瑶の野望を聞いた一同は沈黙したが、ゆっくりと無恤が話し掛けた。
「そうか。斯様に逆賊まがいの行為をしたお主であっても、その器を買っておられた殿下は、命だけは許してやれと私に仰ったのじゃ。さあ、降伏して助かるか、否かは智卿次第だぞ」
怖気付く姫驕の意見を代弁した無恤の言葉を聞いた智瑶は、寂しげに笑った。
「それはもちろん、助かりとうございます。ですが、三卿の心は私から離れている上に、崇王彦陛下も部下共も死に絶えて婿も行方不明……我が夢は破れたのですから、今は死を望むのみです」
それを聞いた姫驕は嘆息し、韓虎と魏駒を連れて退出した。智瑶を恐れていたが、その強さと賢さに尊敬の念さえあったため、生きていて欲しかったのだ。晋公の打ちひしがれた様子を見た無恤は、声を荒げた。
「貴様、いい加減にせんか! 殿下がわざわざ庇って下されたのを、全て無にしおって……そんなに死にたいならば、殺してやろう。首を刎ねた上で、その頭蓋骨を酒杯にしてくれるわ!」
敵将の頭蓋骨を盃にすると言う風習は、北狄が由来と言われる。それは復讐と処刑だけではなく、強敵の体から力を得る意味では、敬意を表する方法とも言える。異民族に触れて育ち、自身も翟の末裔である無恤らしい方法だった。
「そうでなくてはつまらぬ。ただ、死ぬ前に頼みがある。貴公で無くては、頼めないことなのですよ」
それから間もなくして、智の城に張孟談が駆け付けた。智瑶が最後に望んだこととは、孟談が開く宴に招待されることだったのだ。
処刑当日、智瑶邸の中庭には孟談が企画した、智瑶最後の宴が用意された。料理や酒を入れる器はもちろん、花瓶に至るまで饕餮があしらわれ、商王朝の音楽が演奏された。
「閣下……ご注文の“大商成湯之宴”で……ございます!」
今や捕らわれの死刑囚とは言え、かつては晋国随一の権力者であり、自分を高く評価してくれた人物だ。その恩人を計略で打ち負かし、捕虜にした揚げ句に処刑の憂き目を見せたことに、孟談は良心の呵責を感じていた。
「私は、何と果報者なのだ。死ぬ前に、君の宴を楽しめるのだからな」
並べられた料理は、全て商王朝ゆかりの故事を盛り込んだものだ。酒を入れた鼎の傍には炙られた肉が置かれ、“酒池肉林”を演出していた。また、“武王東征炙”とは逆―すなわち周王朝を意味する鳥の焼き肉が、商王朝であるハクレンに入っている料理は、智瑶をいたく喜ばせた。
「やはり、君は“宰”の大器だな。私の策略を逆手にとって打ち負かしたのだから、家宰どころか、天下の宰だ。君と、天下を目指したかったよ」
自分に死をもたらした者に対して、その才を称える智瑶。孟談は、平伏したまま泣いた。恩を仇で返したような自分が、たまらなく情けなかったのだ。その心を汲み取った智瑶は、孟談の肩を叩いた。
「これで思い残すことは無い……婿殿と姫には、恨みなど捨てて楽しく暮らせと伝えて欲しい。君は、その良き友でいてくれよ。頼んだぞ」
豫譲と荀玲姫を託された孟談は、
「はっ、私も……許されるならば閣下と、天下の夢を見とうございました。どうぞ、行ってらっしゃい……ませ」
泣きじゃくる孟談を智瑶が宥めていると、趙氏の役人が来た。どうやら、執行の時間が来たようだ。
「さらばだ、張殿。楽しかったぞ」
それから間もなく、刑場に連行された智瑶は斬首された。商王朝の末裔として、その高い能力を誇る余りに最期を誤った奸雄―乱世に咲き誇った仇花・智瑶はここに命を終えた。大輪の牡丹が、ひとつ散り果てたのである。
4
智瑶が処刑されてから一ヶ月後。復興が進みつつある晋陽の宮殿で、戦勝の宴が開かれた。智氏の領土を三卿で分割した際、趙が最も多く手に入れたことを祝う意味も兼ねており、宮殿の庭は来賓で賑わっていた。
論功行賞が行われた時、一番目に名を上げられたのは高共だった。孟談は、彼は引退している上に戦績が目立たなかった高共が賞されると、不満が起こるのではないかと危惧していた。しかし無恤は、敢えて高共に褒賞を与えた。
「それは私も分かっておる。じゃが、高じいは老骨に鞭打って来てくれたのだぞ。臣下としての礼を失わないから、褒めるのだ」
今も高共を慕う無恤を見ると、孟談は何も言えなかった。楚隆や原過とその妻達も招かれ、華やかな宴だったが、何より目を引いたのは附馬(皇女の夫)になった新稚穆子と、趙嘉を支えた功績で正室に立てられ、出身地に因んだ越夫人の称号を賜った天狙だった。
背の高い崇公主は、恰幅と背丈を兼ね備えた新稚穆子と並べば女丈夫と偉丈夫であり、小柄な趙嘉と越夫人が仲睦まじく酒を酌み交わす姿は、可愛らしい人形のようだった。そこに、
「さあ、これが智瑶の頭蓋骨で作った酒杯じゃ。これで酒を飲み、その強さと賢さにあやかるが良い!」
無恤が、智瑶の髑髏盃を持って皆にお披露目を始めた。漆塗りの頭蓋骨で作られた酒杯で皆が酒を飲んでいるのを見た孟談は、智瑶を思い出して居たたまれなくなった。
(閣下……阿譲が見たら、どれだけ嘆くだろうか)
孟談が立ち上がって庭へ出ると、無恤が追いかけて来た。
「これ、孟談よ。気持ちは分かるが、堪えい。智氏を倒したと言うけじめをつけるためじゃ」
無恤に宥められ、孟談は宴席に戻ることを決めた。無恤は、催してきたので厠に歩いて行った。それから間もなくして、厠の方角から無恤の声がした。
「刺客じゃ! 皆の者、出会えい!」
楚隆、新稚穆子、越夫人と言った腕自慢の者達が得物を手にして駆け付け、孟談も兵を連れて急行した。厠の前では、一人の労働者が衛兵達に取り押さえられていた。
「おう、御苦労。私が用足しをしていたら、胸騒ぎがしてな。見ると、この男が懐剣を持って隠れていたのじゃ」
この労働者は作業用の古着姿で顔に入れ墨をしているため、ならず者か罪人にも見えたが、どこか品があった。彼は悔しげに顔を歪めると、
「我こそは、亡き智卿の娘婿・豫譲。義父にして主君たる智卿の無念を晴らしに、参上つかまつった!」
何と、行方不明になっていた豫譲が、宮殿に出入りする労働者に成りすまして潜入していたのだ。目的は、言うまでもなく無恤の暗殺だろう。集まった者達は総立ちになり、豫譲を殺せと叫んだ。しかし、
「いや、ここは放してやるが良い。主家が滅びても、仇討ちに執念を燃やすとは感心な奴じゃ。豫殿、お行きなされ」
「忝いことでございます……張君、君にこんな姿は見せたくなかったよ」
豫譲は、跪いて礼を述べると退出していった。孟談は、親友の哀れな姿をただ見送るしかなかった。
それから一年が過ぎた頃、高共が亡くなったと知らせが来た。智氏征伐と趙氏隆興の夢を果たしたことで精根尽き果て、恍惚の人となった高共は隠遁していた先の村で、眠るように息を引き取ったとのことだった。
半年前には糟糠の妻郭氏が病死し、先月には戦友の陽虎が立て続けに死んでおり、長きにわたって信愛した人々を亡くしたのも、残り少なくなっていた彼の生命を減らしたのだろう。
高蓮英と共に葬儀に参列した孟談は、高共の弔問に来た無恤が人目も憚らず、滂沱と涙を流しているのを見て、彼が無恤にとって父親同然の存在だったのを改めて感じた。そして、自分も高共のように主家の親愛を得られる家宰にならねばと誓ったのだった。
そんな矢先、驚くべき来客があった。智瑶の養女にして、豫譲の妻である荀瑶姫が張家を訪れたのだ。実父の智過改め輔過が自害し、智瑶が処刑されて以来、荀瑶は豫譲との間に産んだ我が子らを連れて各地を放浪していた。張家の門を叩いたのは、豫譲の噂を聞いたからだ。
「消息を暗ましていた夫が、趙のお殿様を狙ったと聞いて参りました。夫は、こんな書き置きを置いて、逐電していたのです」
孟談が荀玲の差し出した竹簡を見ると、紛れもなく豫譲の字で、“士は己を知る者のために死す。女は己を説ぶ者のために容る”と書かれていた。
志ある男子は自分を理解してくれる者のために命を捧げ、女人もまた自分を愛する者に殉ずべく美しい装いをする―実に単純明快な短文であったが、一命を賭して亡君を慕う豫譲の心境が盛り込まれていた。
「姫様、ご安心を。何としてでも、阿譲は探し出します」
次の日から、荀玲は張家の酒場で音楽を奏でる役目についた。家宰に仕えると言う体裁ならば三卿の残党狩りにも合わないし、何よりも豫譲を探すのに有利だと思った孟談の計らいだった。
5
数日後、延陵生が孟談の私邸を訪れた。孟談の姿を捨て置けなかった陵生は、無恤の許可を得て小役人を動員し、豫譲捜索の任に自ら取り組んでいたのだ。
「豫殿と思しき労働者ですが、晋陽からは姿が見えません。邯鄲や代、中牟などでも探索を致します」
豫譲の姿が消えたと聞かされ、孟談夫妻と荀玲は落胆したが、諦めるわけにはいかない。三人は豫譲を死なせまいと、忙しい合間を縫って探し回ったが見つからなかった。
孟談は参拝客とそれを目当てにした商人や物乞いでごった返す原過の神殿の前を探していると、神官達が供物のお下がりを調理して貧しい人々に施していた。善行が天帝に嘉されるように、物乞いに身を落とした失業者や傷病兵などに供物を与えることを原過が義務付けたのだ。
「……忝い。私のような浪人はなかなか仕事にありつけぬもので、この炊き出しは有り難い施しでございます」
力無く供物を受け取った物乞いの声は、どこかで聞いた覚えがあった。礼儀正しく知的だが、朗らかさを忘れない豫譲の声は忘れるはずがないのだ。
「阿譲、どこにいるんだ。孟談だよ、返事をしてくれ!」
孟談は無我夢中で豫譲を呼んだ。しかし、その物乞いは人込みの中に消えていった後だった。本人だったのか、それとも声がそっくりな赤の他人だったのであろうか。呼んでも返事が無いのを見てとった孟談は、重い足取りで神殿を後にしたのだった。
翌日、豫譲を探し出せぬ孟談が悶々とした心持ちで晋陽の宮殿へ行くと、大広間では趙無恤と空氏が子供達を集め、地図を広げて演説をしていた。無恤は孟談に気付くと、傍に招いた。
「おお、孟談ではないか。聞いて欲しいことがあるのじゃ」
先年、趙氏が智氏を倒して多くの領土を手にしたことから、韓と魏はしきりに趙を称え、媚びるようになっていた。しかし、趙氏の歓心を得た裏で周辺諸国と結託し、再び趙を攻めぬとも限らない。
老獪な韓虎と意気盛んなる魏駒が組めば強大な力になるのは、晋陽の戦いで無恤は痛感していた。故に周辺の情勢に警戒し、たゆみなく趙を守らねばならないと注意を促していたのだ。
「我が君の御賢察、畏れ入りましてございます。その計略は、このようになさるのは如何でございましょう?」
孟談の献じた策はこうだった。無恤には趙嘉を始めとした五人の男子がおり、母空氏が生まれた空同氏が後ろ盾であるばかりか、文武を磨いている立派な若君なので、使者には最適である。
そんな彼らを同時期に各国への使節に立てれば、同盟国が趙と結んだと疑心暗鬼に駆られた敵国は相互を疑い、包囲網は自壊すると孟談は見込んだのだった。空氏も翟の姫、趙の妃として名高く、彼女の存在は他国にとっても無視できないだろう。孟談が語り終えると、無恤は満足そうに頷いた。
「どうじゃ、張家宰の策は見事であろう。お前達は主筋とは言え、それにあやかるべく精進し、いざとなったら家宰殿の指示を仰げ。良いな」
無恤の言葉を拝聴した趙嘉は頓首し、妻の越夫人と共に頭を下げた。すると、彼の弟達が笑いながら、
「父上、承知しました。でも、私達は代で鍛えた騎射を活かせる戦の方が楽しみです。また、腕を振るいたく思います」
無恤の次男から末子に至るまでの息子らはいずれも健康で、病弱な長兄を助けるのを自分達の使命と思う一方で、彼らは元気な若者であった。代国で学んだ騎射が智氏の精鋭を倒した実績もあったから、戦いたくてたまらなかったのだ。
「これっ! 我儘ばかり申すでない。戦になれば好きなだけ戦わせてやるが、お前達が為すのは使者の務め。それが務まるよう、乗馬だけでなく礼儀作法と上奏文の読み方も学ばねばならぬぞ」
乱暴者と言われていた時の自分を、血気盛んな息子らに重ね合わせているのだろうか。彼らを叱る無恤の表情は冷静かつ穏やかで、峻厳ながらも公正な指導者と、子を愛する父親のそれを兼ねた顔であった。
(殿も、御子達を案じる時は父親でいらっしゃる……そう言えば荀玲姫も、阿譲の子を抱えて大変な思いをしておられたな)
我が子を想う無恤の姿を見て孟談が思い出したのは、荀玲が張家の酒場に連れて来た子供達のことだった。智瑶の養女であった荀玲が豫譲との間に産んだ子らは、義理とは言え智瑶の孫と見做されかねないのだ。
大の智氏嫌いだった高共は亡くなったし、智瑶に敵意を持っていた新稚穆子や越夫人も今や趙氏の重鎮、かつての蛮性を発揮して子供を殺す非道まではすまい。しかし、幾度も智瑶に苦汁をなめさせられた無恤が、たやすく智瑶一族を許すとは流石にお人好しの孟談でも思えなかった。
(何とかして、姫と御子達には罪が無いことを殿に言上し、お慈悲を乞うしかないな。阿譲のためにも、やらねばならない)
孟談は、荀玲と豫譲の子供達に思いを馳せつつ、趙氏一族の会議で献策を続けた。政務の手伝いをすることが、彼にとっては豫譲が見つからない不安感を拭う、数少ない手段なのだ。
それから半月後、孟談は公務と店の仕事を休んで、今度は晋陽で豫譲を探した。子供達は知人の子と偽って自分の屋敷に匿い、荀玲と共に住まわせているため、当分の間は発覚しないだろう。だが、悠長に構えてはいられない。孟談の悩みはますます深く、欝々としたものになっていった。
6
孟談がお忍びで街を歩いていると、一人の流れ者がいた。彼は傷痍軍人らしく、足に怪我をしていたが、剣を使った芸をして生計を立てているようだ。
「さあ、次は剣で小枝を縦に切り裂いてご覧に入れましょう」
病人らしく、しゃがれ声の流れ者は、素早く剣を動かして芸をやった。皆が施しをするのを後ろで眺めていた孟談は、豫譲も見事な剣術の使い手だったのを思い出した。
「お見事。さあ、銭を受け取りなされ……阿譲」
孟談に話し掛けられた流れ者は、がっくりと膝をついた。そう、彼は炭を飲んで声を変え、顔を漆でかぶれさせた豫譲だったのだ。
孟談は、豫譲を張家の酒場に連れて行き、蓮英と荀玲を呼んで会わせた。泣き崩れる荀玲の様子が痛々しくてたまらなくなった孟談も、泣きながら豫譲を問い詰めた。
「どうして、仇討ちなど企むのだ? 智卿閣下は、恨みを捨てろと仰ったんだぞ。諦めるのも忠義の内だよ」
親友の叱責に、豫譲は黙り込むだけだった。更に、孟談は続けた。
「どうしても趙卿閣下を刺したいのならば、仕えてみれば良い。仕えるに値すれば良し、そうでなければ易々と襲えば目的は果たせるだろう。もっとも、その時には私も容赦しないけれどな」
長々と語る孟談の言葉には、友を思う気持ちが込められているのを、豫譲も分かっていた。彼も涙を浮かべ、しゃがれた声で答えた。
「張君と姫には、何と詫びれば良いのだろう。諦めるのも容易なら、仕えて近付くのも容易……だが、それでは意味が無い。私がしていることは、二心を以て君主に仕えることが恥ずべきと言う手本を示すこと。それが、私と知己である智卿が生きた証なのです」
その壮絶な覚悟に、三人は沈黙した。豫譲は深々と一礼すると、張家の酒場を後にしたのだった。
豫譲がいなくなってから数日が過ぎた。無恤は、邯鄲の趙嘉を訪ねるべく城を出た。目的は視察だが、趙嘉と越夫人の間に生まれた息子に会うと言う私的な理由もあったのだ。
「早く孫の顔が見たいのう。楚隆、戦車を出してくれい」
楚隆が操縦する戦車で晋陽を出ようとしたが、城門にかけられた橋の前で馬が立ち止まってしまった。楚隆が叱咤しても、全く駄目だった。
「何かに怯えておるのでしょうかな? 馬に限らず、動物は殺気を感じることが得意でございますから」
困り顔の楚隆が、何気なく発した言葉が無恤を蒼白にさせた。もしや、どこかに豫譲がいるのではなかろうか。無恤は、小声で指示を出した。
「のう楚隆、衛兵らを繰り出して橋を囲ませい。原過、お前は孟談と荀玲姫を呼んでくるのだ」
程なくして、孟談と荀玲が連れて来られると、橋の上に一人の浮浪者が縛られていた。紛れもなく、豫譲だった。
(阿譲、まだ諦めていなかったのか……もう、私でも君を救えない)
孟談と荀玲が立ち尽くしていると、無恤による詰問が始まった。
「豫殿……否、謀反人たる豫譲よ。貴様はかつて中行寅と范吉射に仕えていたが、智瑶は両氏を倒した。中行と范の仇討ちもしないばかりか、彼奴等を討った功績を手土産にしてまで智氏に仕え、智瑶が死んでも忠義を尽くすのは何故じゃ?」
一度は許したのに、またも襲おうとした豫譲には無恤も立腹しており、語気は全く容赦ない。しかし、豫譲は悪びれずに答えた。
「中行と范の両閣下は、私を凡人扱いした挙句、裏切りを疑って牢につなぎました。されど、智卿は私を国士として重用してくれたのです。だからこそ、命をかけて報いようと決めたのです」
「そうか。その忠義は素晴らしいが、私は貴様を一度は見逃しておるのじゃ。もはや赦免することは叶わぬ……覚悟せい!」
無恤の号令で、兵士と楚隆が豫譲を囲んだ。すると、豫譲は涙を流しながら拝礼した。
「閣下が私を許したことで、その明君ぶりは天下に知れております。明君は忠臣の美徳を覆い隠さず、忠臣はそれに報いるのが道……その明君たる閣下にお情けがあるならば、最後の願いを聞いて頂けますか?」
「ふむ。最後の望みならば聞いても良いが、それは何かね?」
孟談は、飛び出していきたかったが、主君や仲間の前でもあるため、それも出来ずに、ただ下を向くだけだった。
7
いたたまれずに立ち尽くす孟談の悲しみもよそに、豫譲は無恤に最後の願いを言上していた。
「閣下の衣を一着賜り、それを斬り付けることで仇討ちに替えたいのです。決して、妙な真似は致しませぬゆえ」
無恤は頷くと、着ていた色とりどりの花鳥、霊獣の刺繍がなされた礼服を豫譲に与えた。豫譲は抜刀してそれに三回ほど斬り付け、華やかな礼服の布地は花びらを散らすがごとく舞い散った。そして親友と妻の方を見つめる豫譲は泣き濡れた顔に笑みを浮かべ、
「張君、荀玲姫……お別れです。義父上、あの世では勤めもないでしょうから、心置きなく酒を酌み交わしましょう。これで、恩に報いることが出来ます!」
そう言うなり、豫譲は己が身を剣の上に伏し、その忠義に燃えた血液は淋漓と流れ、あたかも真っ赤な牡丹が咲いたようであった。
「見よ、これこそ忠臣の鑑。豫殿、お主の忠義は永遠に語り継がれるであろう。私は、倅と嫁と孫に……良い土産話が出来た」
無恤は落涙し、荀玲姫を始めとして、その場に居合わせた多くの人が泣き叫ぶ声は、辺りにこだました。
「あ……阿譲! 阿譲、阿譲ッ!」
孟談は駆け寄り、冷たくなっていく親友の体を抱き締め、その名を呼んで声の限り泣き叫んだ。孟談が何度呼び掛けても、腕の中の豫譲は二度と答えることは無かった。
その数日後、荀玲が喪主となって豫譲の葬儀が行われた。彼の棺は、原過の神殿に隣接する墓地に、手厚く埋葬されたのだった。豫譲は趙氏の当主を狙った暗殺者ではなく、士大夫の格式で葬られたのである。
この計らいは、孟談と荀玲の思いを汲み取った無恤によるものであり、葬儀には趙の領地ばかりか晋国中の志ある武人達が参列しており、三卿やその一族を弔うのよりも盛大だと噂された。
(安らかに眠ってくれよ、阿譲。智卿と共に、あの世で幸せにな……)
孟談は、無恤から与えられた智瑶の髑髏杯を小ぶりの棺に納めると、豫譲が葬られた墓の隣に埋葬した。その墓碑には“商朝の末孫一門ならびに、その忠臣の御霊、ここに眠る”と彫られた。これで豫譲と智瑶は離れることもなく、いつまでもいられると考えたからだった。
程なくして、孟談は家宰職を辞したい旨を趙無恤に申し出た。理由は、敵将の親族である荀玲を無断で召し抱えたうえ、豫譲の友人でありながら彼の暴挙を思いとどまらせることができなかった責任を取らねば、家宰として趙氏一門に対して示しが付かぬとのことだった。
しかし、それは明らかに建前でしかないのは誰の目に見ても明らかであった。幼き日よりの友である豫譲を失って心を引き裂かれ、精根尽き果てた故に勤めを退きたがっているのが本当の理由であった。孟談の上奏文を読み終えた無恤は軽く頷きながら、
「そうか。だが、私が聞くところによると、主君を助ける者には名声があり、手柄を立てた者は貴い身分でなくてはならぬとか。そして、そのような者に誠意があれば民は心服するそうじゃ。だのに、お前は晋陽戦の功労者でありながら斯様なことを申すのか?」
「仰せの通りでございます。されど、臣下でありながら権勢が君主に追いつく者に栄光が続いたためしはないそうです。まして、此度のような事件に対して責任を負わねば、殿への信が失われましょう」
孟談の意志が固いのを見た無恤は、強く引き留めることはしなかったが、彼が翻意してくれることに期待しつつ、穏やかに宥めた。
「お前の思いは分かった。じゃが、今は晋陽戦の処理もまだ続いておるし、豫譲が起こした一件のように情勢も不安じゃ。三日間の暇をやるゆえ、ゆるりと体を休めるのも悪くはないぞ」
孟談は、無恤が自分を手放す気が無いのを見て取り、厚恩を謝して晋陽の宮殿を退出した。
8
辞意を伝えに来た孟談を宥めてから三日後。謁見の間に無恤が出御すると、神官の原過が跪いていた。
「原過や、苦しゅうないぞ。家宰の様子はどうであったかな?」
主君の言葉を受けた原過は、重苦しく頭を上げた。その表情は眉間に皺を寄せ、真一文字に結んでいた口を弱々しく開いた。
「殿、ご期待に沿えず申し訳ございません。張家宰のご意思は固いようで、私の説得も功を奏しませんでした」
無恤の命を受けた原過は孟談に対し、八方手を尽くして再度仕官することを勧めた。先の晋陽防衛戦、そしてこれからの体制を決めるに際し、出仕しない者は如何様に処分すべきかと尋ね、彼の忠誠心を揺り起こそうとした。が、
「原神官、そのような者は死罪がお似合いでございます。それならば、懐かしい人々にも会えるでしょうからね」
「張家宰、むしろ趙氏を救った貴男には、恩賞が相応しいのです。死罪など、軽々しく口になさいますな」
死んでも辞意を翻さない孟談だったが、彼は言葉を継いで原過に無恤への伝言を言付けた。
「恩賞か……この孟談にくれてやる恩賞がありますならば、お暇を頂くことを許して頂きとうございます」
「うむ、然様であるか。高じいの推挙で仕官したあやつと出会ってから、長い付き合いになるから共にいたかったのじゃが、ここまで決意しているならば致し方ないわい。原過、済まぬが孟談を呼び戻す使いを引き受けてくれい」
こうして無恤は孟談の上奏を受け入れ、間もなくして原過に連れられて孟談が無恤の前に参上した。
「殿、臣の我儘をお許し下さいませ。処罰も当然な身に、斯様なお慈悲を賜りましたこと、深謝致します」
「良い良い、私こそお前の心を無視して無理強いをして済まなんだ。孟談よ、田舎で元の仕事に戻りたいとの事じゃが、たまには連絡ぐらいよこせよ。これは、主の命令だぞ」
非情と言う意味の名を持ちながらも人情味を忘れることがないこの趙氏当主は、悪戯っぽく笑った。
その十日後、晋陽城で孟談の退官を労う宴が開かれた。邯鄲からは城主である趙嘉と越夫人、代国からは趙浣が崇公主と新稚穆子に伴われて来訪し、孟談への感謝を込めた言葉と贈り物を進呈した。
「代公子、恐悦至極に存じます。一介の臣下にすぎぬ孟談めに、斯様な贈り物を賜りましたこと、恐れ多い限りです」
「張家宰、我々こそ貴公に救われたのですぞ。本来ならば出席すべき父も、家宰へに宜しくと申しておりました」
趙浣曰く、代君の趙周はここ数年で病気がちになっており、晋陽の宴に出席することもままならず、趙浣に任せたのだと言う。趙家の長男は病弱―亡き趙鞅と趙伯魯をはじめ、趙嘉に趙周、そしてこの趙浣―みな長男で病弱であることを寂しげに呟いていた無恤の言葉が孟談の脳裏に甦る。
「御自分の療養を優先して頂かねばならない御身で、私ごときをお気遣い頂くとは痛み入ります。代君の快癒を祈念致しましょうぞ」
孟談が深く一礼すると、そこに新稚穆子が酒の瓶を片手に持ち、巨体を揺すりながらやって来た。
「新稚附馬、お世話になりました。貴男の献策で街道ごとに駅舎を設けたのは、素晴らしゅうございましたよ」
「おや、それは嬉しい。俺達にもお役に立てることがあるのでしたら、どんどん使ってやって欲しいですね」
上機嫌で孟談に献杯する新稚穆子が、かつて代君親子や無恤の子供達に伝授した胡服騎射の戦術で智氏を撃滅して以来、晋国内では騎馬民族の文化や技能が注目され、導入されていた。駅舎を配備したのはそのひとつだ。
9
道路に沿って駅舎の配備、後世で言うところの駅伝制の始祖と言うべきこの制度は、この時代に萌芽したと言われる。駅は馬そのもの、ないしはそれを乗り継ぐ場所を指しており、国の中心と辺境を繋いで情報ないしは使者の円滑な通り道となっていた。
その駅のあり方に一石を投じたのが、北方遊牧民の影響が強い晋だった。彼らは一ヵ所に大都市を作らず、馬を用いた交易を重要な産業とし、やはり俊敏な騎兵による伝令を重要視していたのだ。
その遊牧民が多い代を趙氏が支配し、趙家臣の新稚穆子が旧勢力を支配していた一族の婿になったことで、その意見が反映されやすくなったのは言うまでもない。斯くして華夏と遊牧民の合作と言うべき政策による強国が、この趙に生まれたのである。
「戦の技法のみならず、駅舎の制度、異国との交易……いずれも我が国を富ませ、民を安んじてくれています。そして、お酌し頂いたこの美味な馬乳酒、附馬の大手柄でございますよ」
かつては野蛮人たる北狄として排斥され、敵視すらされていた遊牧民だったが、彼らの貢献を趙氏が認めたことで、その文化も市民権を得ていた。胡服だけでなく、家畜の肉や乳製品を食する習慣が生まれた。
それは異国趣味を愛する上流階層だけでなく、穀類を消費せずに草を餌にすることで飲食物を得られるとして庶民にも受け入れられるようになっていった。孟談も新稚穆子の影響で馬乳酒が好物になっていたのだ。
「大手柄などと、褒めても何も出ませんぞ。離れ離れになろうとも、共に趙氏のお殿様を助けて戦の荒野を駆け巡った思い出、俺は忘れませぬ」
「新稚附馬。私も楽しかったあの時のこと、忘れませんよ。折り合いを見て、代にも伺いたいと思っております」
切々として別れを惜しむ新稚穆子の様子に、思わず孟談は彼の手を取って泣きじゃくった。それを見ていた無恤が、苦笑いして声をかけた。
「お前達は変わらんなあ。同じ晋国内にいるのだから、また会えるであろう。孟談の新しい門出に涙は似合わぬ。次は新家宰が酌をして、陽気に孟談を送りだしてやれい」
無恤の指示で孟談の前に姿を現したのは、何と楚隆だった。孟談が家宰職を退くことになり、次期家宰を誰にするかと皆に無恤が諮ったところ、戦では身を粉にして戦車隊を率い、越王・勾践への使者など文武を問わぬ忠勤に、相方の原過を始めとして楚隆を推す声が多くあったのだった。
「楚隆殿、おめでとうございます。いまさら言うのもおかしいことですが、民間人で優柔不断な私よりも、家柄に相応しく英邁な貴男の方が家宰らしくて御立派です。先代の殿、そして高共様がご覧になれば、きっとお喜びでしょう」
「何を言われるのです。私などは役人の子とは言え、主君の命で戦をする一介の武官に過ぎない身でした。何事にも慎重で柔軟な張家宰の人柄があってこそ、趙氏の繁栄と勝利はあったのでございます」
かつて、孟談が着目されることに良い感情を抱かず、それを見抜いた無恤に宥められたことがあった楚隆だったが、数々の試練を乗り越えて揺るがぬ自信を身に付けた今の彼にはそのような思いは微塵もなかった。
実績も充分なうえに、原過や延陵生と言う補佐役にも恵まれた楚隆に後を任せることが出来るならば、もう不安はない。宴の翌朝、孟談は蓮英と共に生まれ育った田舎町へと帰った。時に紀元前四五二年のことだった。




