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春秋の牡丹12話

一二章 荀玲


   1


 張孟談と高蓮英の婚礼から半月が経った。普通の夫婦であれば新婚生活を堪能している時なのだが、孟談と蓮英は多忙な毎日を送っていた。孟談は文官以外にも酒場の運営と言う大事な役職があるので邯鄲と晋陽を往復し、家宰の孫娘である蓮英もまた、役人の妻として夫に代わって家政を行った。

「蓮英、また邯鄲で泊まり込みの政務をすることになったんだ。貴女に迷惑をかけてしまうね……お祖母様や高家の皆さんが手伝って下さっているのが、本当に有り難いよ」

久々に晋陽の私邸に帰って来た孟談は、妻と夕餉の食卓を囲みつつ、面目なさそうに頭をかいた。しかし、蓮英は笑いながら夫を慰めた。

「いいえ。あなたにはお仕事があるのだから、それを優先して貰わないと。祖母達だって、頑固な祖父の代理で来ているのだから、あなたにはかえって悪いことをしてしまっているわ」

 郭氏を始めとした蓮英の実家の人々が、孟談の私邸に手伝いに来るのは、高共の方針があった。士大夫の家柄とは言え、当時はしがない下級文官だったのを董安于に引きたてられた高共は、身内でもない自分を登用してくれた彼の計らいに恩義を感じていた。

 高い地位を手にすれば、縁故や血縁者を中心に登用して築き上げた地位、人脈などを引き継がせたいと言うのが、人として当然の感情だ。しかし、高共はそれを全く許さず、身内から役人に取り立てたのも安于の親族に当たり、困窮していた延陵生くらいなものだった。

 それは私生活においても変わらず、高共は嫁いだ女子や婿養子に行った男子の家とは、距離を置いて付き合う潔癖さを持った。蓮英の嫁ぎ先である孟談宅に家族を送りだす際にも、こう申しつけるほどだった。

「拙者は、我が孫である蓮英とその婿殿を嫌うて行かんのではない。妙な疑いをかけられたら、あの二人に申し訳が立たぬからじゃ。ただし、余人は各々の裁量に任せる」

 このような頑なさを高共が貫くのは、董安于への恩義だけではなく、安于と周舎が死んだ後に家宰として取り立てられたために、あらぬ疑いを智氏に流された苦い経験があるからだった。


 それでも、知己と肉親の情は断ち切り難いものがあり、厳格に見えて情の濃さは人一倍である高共も例外では無かった。そのため、孟談と蓮英のもとに自らが赴くことはせず、郭氏らに任せたのだった。

「英蓮。高家宰は頑固などではなく、私や貴女を考えて下さっているから、お祖母様に一任しておられるんだ。そう卑下しないでも良いと思うよ」

 孟談は、羹を匙で口に運びながら彼女を宥めた。如何に義理の祖父とは言え、頑固者扱いなど畏れ多くて出来なかったのだ。そんな夫を見た英蓮もばつが悪そうに笑い、夫婦は世間話に花を咲かせた。

「食事時に話すならば、楽しくないとせっかくのご飯も美味しくないよ。そう言えば、阿譲と荀玲姫様の婚礼を行う日取りが決まっても良い頃だから、晴れ着の用意もしないとね」

「そうね。仕立て屋さんを呼んであなたと私の寸法を取って貰おうかしら……今から楽しみだわ」

 孟談と蓮英が豫譲・荀玲の婚礼に行く相談をしていると、急に表が慌ただしくなった。使用人達の騒ぐ声と、大きな足音が聞こえてきた。

「これ、君達。喧嘩などしないで、静かになさい……おお、新稚狗親分ではないですか!」

 何と、大きな音を立てて邸内に駆け込んできたのは新稚狗だった。彼は肩で息をしながら、書簡を孟談に渡した。

「張の旦那、奥様! 若さんからの伝達でさあ。読んでおくんなさい」

 趙無恤が新稚狗を早馬で送りこんで来るほどの事態とは、一体どのようなことが起きたのだろうか。孟談が書簡を開いてみると、晋公・姫午が薨去したと言う知らせが記されていたのだった。


   2


 姫午の死は、晋国中に悲しみをもたらした。高齢をおして政務に当たり、内戦の鎮圧や民生向上に務めた老公の慈悲深い政治は、如何に臣下の傀儡と言えども民には愛されていたのだ。

 趙鞅は無恤や趙周らを連れて首府・絳へと弔問に参上していき、宮殿を守るのは高共ら家臣団となった。高共は、陽虎と李観を従えて会議場に皆を集め、四卿とその家臣達は喪に服することを義務付けると発表した。

 人が亡くなった時の服喪期間は時代や民族によって様々だが、春秋時代の華夏では二十五ヶ月に渡って喪に服し、その間は音楽を謹んで食事を粗末なものにすることで、死者を悼んだ。

高共が趙鞅に替わって発表した“四卿配下の服喪期間”は、戦争がいつ起こるかも分からず、政務に支障をきたさないことを晋公家が考慮して、二十五ヶ月のところを一年間にするとのことだった。

孟談は姫午の尊顔を拝したのは出陣の折りの一度きりだったが、慈愛深き好々爺と言った風体だった君主の死が悼まれてならなかった。それと同時にもう一つ、辛さを感じざるを得なかったのが、豫譲と荀玲姫の婚礼が自粛させられる可能性が高まったことであった。

(晋公殿下の薨去は悲しいが、豫譲と姫君の御成婚が祝えないのは無念だ。あれほどにお祝いしてくれたと言うのに……)

 

 豫譲のことを思い出した孟談が沈痛な面持ちで立ち尽くしていると、書簡を運んできた新稚狗が重々しく口を開いた。

「ねえ、張の旦那。今なさっている仕事が終わったら、奥様と共に宮殿にお出まし願えませんかね? 殿さんと若さんが呼んでなさるんでさあ」

 趙鞅と無恤が呼んでいる。それも、妻と自分を共に――姫午の薨去、それに伴う豫譲と荀瑶の婚礼延期が複雑に絡んでいることは確かだ。それらの出来事が孟談の脳内で交錯し、彼は黙り込んでしまった。

「親分さん、主人のためにわざわざ申し訳ありません。若様と大殿様に宜しくお伝え下さいませ」

 蓮英は、茫然自失としている夫を庇うかのように立ち上がり、新稚狗に礼を述べた。新稚狗も孟談を心配そうに見やりながら、

「へい、承知しやした。旦那、気落ちしねえで下さいよ……」

 馬に飛び乗って城へと戻っていった新稚狗を見送った孟談は、夕食を中断すると早めの休息をとった。豫譲と荀玲の婚礼が気掛かりだったところに、蓮英と自分に対する急な呼び出しが来て、一気に疲れが出てしまったのだ。


 二日後、晋陽での政務を終わらせた孟談は私邸に戻り、蓮英を馬車に載せて宮殿に向かった。宮殿前には新稚狗、天狙、李観の三人が集まって談笑していた。

「よう、旦那に奥様。お待ちしてましたぜ。さあ、行きましょうや」

 頷いて案内されていく孟談は、妙なことに気付いていた。前科者の新稚狗、女奴隷の天狙、兵士上がりの李観、商家の孫娘でもある蓮英、そして庶民出身の自分を合わせれば、五人とも士大夫の出自ではないのだ。

 新稚狗の先導で宮殿に入っていった孟談、蓮英を出迎えたのは、白い喪服を着用した趙鞅と無恤、高共だった。現代では喪服と言えば黒だが、古代の中国では白い服を纏って弔意を現したのだ。

 跪く一同を前にした趙鞅は、いつもの慈悲深い顔に悲しみと悩みをにじませて話し始めた。

「五人とも、気楽に致せ。用と言うのは、智氏で開催される予定だった婚儀のことなのじゃよ。孟談と蓮英の婚礼に豫殿と荀玲姫が来て下さった以上は返礼をせねばなるまいが、今は喪中じゃからな……」

 孟談は、己の予感が悪い意味で的中してしまったのを内心で悔いた。晋公家の喪中であれば、盛大な婚礼など出来るはずがない。兄弟同然の豫譲は勿論、あの優しく聡明な荀玲が腫れ舞台に立てないと思うと、孟談の心は痛むのだった。

 孟談が顔を下に向けて考え込んでいると、今度は無恤が話を切り出した。

「喪中とは言え、返礼の使者を出すと言った手前、派遣せねば趙氏の面子にかかわる。誰かを送りたいところだが、我が一族はもちろん、家臣団の大半は士大夫だから喪に服さねばならん。そこで、貴族ではないお前達を呼んだのだよ」

 その言葉を聞いた孟談は、思わず顔を上げていた。無恤の強い口調に反応しただけではなく、揃いも揃って非貴族で士大夫出身でもない面々が呼ばれたことの謎が解け、得心したからでもあった。 


   3


 孟談の動向などどこ吹く風とばかりに、無恤の言葉は続いた。

「平民の服喪は短く、異民族の風習も華夏のしきたりとは違う。お前達は名代として智氏の城に赴き、豫殿と荀玲姫の婚儀を言祝ぐ役目を果たして貰いたい」

 無恤の口調は相変わらず強気だが、どことなく申し訳なさが漂っていた。共に励んでいる臣下が、民衆や蛮族の奴隷出身なのを利用して体裁を繕おうとしているのだから、当然ともいえた。

「でもよ、李観さんや張の旦那と奥様はともかく、俺や天狙は婚礼の作法なんざ知らないんですぜ。お言葉は有り難ぇが、ちょいと自信がねえな」

 怪訝そうな顔で立ち上がったのは新稚狗だった。自分の乱暴さを自覚しているらしく、彼は智氏の婚礼で粗相をしないかと心配していた。しかし、趙鞅は全く気にも留めず、

「ははは、拝礼をするのは孟談と李観殿の仕事。お主らには別の仕事があるのじゃ。李観殿は兵士時代の経験を生かして使節団の長を、孟談は副官として補佐の任を申しつける」

「私のような者に、畏れ多きことです」

 孟談は、久々の大仕事を任せられた感激で、思わず平伏してしまった。一方の李観は長年兵士長を務めただけあり、静かに頭を下げていた。しかし、無恤の顔は晴れなかった。

「おう、引き受けてくれるとは心強い。だが、婚礼の使者として着飾って赴くのは難しい……何ぞ知恵はないか?」

 そう、喪中である以上は華やかな祝いは出来ない。無恤はそれに気付いたため、暗い表情を崩さなかったのだった。


「御曹司、お伺いしても宜しいでしょうか?」

 孟談は、おずおずと進み出た。その様子を見た無恤は苦笑いしながら、

「孟談、またも弱気の虫が出たか。咎めぬから、遠慮せずに聞いてみよ」

「はっ、それでは……智卿閣下が、ご先祖様をお祀りになる日はいつになりますでしょうか?」

 孟談が思い出したのは、田舎の祭りだった。貴族や神官のように複雑なしきたりを持たぬ庶民は、冠婚葬祭を行うにあたっても大雑把だった。祖先の霊を祭る日に合わせて儀式を行うこともあったのだ。

「うむ、確か十日後に荀一族と商王朝の方々を祀ると言うておったな。それがどうかしたのか?」

「私達を、祖霊を祭る一団としてお遣わし下さいませ。豫譲殿の父上も我が趙氏に仕えておりましたし、豫家の祖霊も祀ると言う名分も立ちます」

 孟談の言葉を聞いた趙鞅と無恤はしばし考え込んでいたが、やがて穏やかに口を開いた。

「なるほど、趙にも縁がある御仁の御魂を祭る席に同伴するのならば、殿下への非礼にもなるまい。この案を容れようぞ」

 趙鞅から許しを受けた孟談が平伏すると、無恤が悪戯っぽく口元を歪めながら微笑を浮かべた。

「孟談、庶民出身のお前と商家の血を引く奥方を呼んだのは正解だった。服を新調したのだから、無駄にはしたくなかろう」

 その言葉を聞いて反応したのは、何と蓮英だった。

「若様の御賢察、恐れ入ります。どんな服を着て参れば良いかと悩んでおりましたので、本当に助かりました」

「これっ、大殿様と御曹司の御前だぞ! 控えなさいッ!」

 商人の娘である祖母・郭氏から受け継いだ蓮英の無頓着さを見せられた高共は気が気でなく、とうとう声を荒げてしまった。

「怒るな、高じい。腹に一物含んだり、嘘をついているのではないのだから。むしろ、これくらい正直な方がやりやすいではないか」

 無恤の寛大な言葉を聞いた高共はようやく落ち着いて跪き、頭を下げた。それを見届けた趙鞅は、

「では、これで会議は仕舞いじゃ。各々、支度を万全にして智氏への使者に立つのだぞ。良いな」

 会議はこれで解散となり、五人はそれぞれの私宅へと引き上げていった。その中でも、孟談の顔は確かな希望に満ちていた。自分を祝ってくれた友人が、哀しい思いをせずに済むだろうと言う、穏やかな安心感から来たものだった。


   4

 

 会議から十日後、李観に率いられた使節団は智氏の城にいた。最近増築されたと言う智の城は、絳を守るかのようにそびえ立つ城郭は堅牢そうだ。如何にも、軍略に秀でた智瑶の居城らしい。

「すげえなあ。晋公様の城よりもでかくなったみたいですぜ。益々威張り散らしやがるんじゃねえかい?」

 どら声を張りあげているのは、馬に跨って護衛をして来た新稚狗だ。孟談が正門と思しき城門を見つけ、

「李観殿、あちらが正門らしいです。門衛の方達に取り次ぎを頼みましょう」

 すると、正門が開かれて馬車に乗った貴族の男性が姿を現した。その姿を見つけた天狙は嬉しそうに、

「宵さあん! 迎えに来てくれただか?」

 そう、城門前まで来てくれたのは鄭の戦いで活躍した智瑶の弟・智宵だった。喪中だったので華美な服装こそしていなかったが、毛織物と麻の簡素な衣を巨体に纏った智宵は下車し、趙の使者に拝礼した。

「皆様方、ようこそお越し下さいました。兄からすべて聞いております……天狙さんも来てくれたのですね。ありがとう」

 智宵の先導で、趙の使節団は智の城に入城した。巨大かつ頑丈な扉に守られた城門には、商王朝でも好まれた饕餮(伝説上の魔物)の意匠が施されており、見る者全てを威圧していた。


 城に入った一行は、信じられない光景を目の当たりにした。智氏と言えば厳格にして残虐と畏怖されている一門だが、市街地には清潔感のある住宅が広がっていた。趙や韓、魏の城郭都市では数日に一度でも開催されれば御の字である市場も、常に開放されていて、自由に商いする人々の陽気な声が響き渡っていた。

「賑やかな市場だべ。踊り出しちまいそうだよ」

 智氏嫌いの天狙も、楽しそうに行き交う民衆の姿にご満悦だ。智宵も穏やかに微笑んで、

「兄は、賑やかで派手なのが好きなのです。そうした方が税収も見込めるので、市場は年中開いています。料理や酒を出せる酒場も含めた、繁華街も作りたいとのことでした」

 智宵の説明を機いていた孟談は、智瑶の意外な一面に驚かされた。意外にも派手好みで、民衆に優しい政治を心がけ、繁華街にも理解的と言う彼の考えには、酒場を営む者としても、頼もしいと感じた。

「若様、私も酒場の運営をしております。趙に戻りましたら、主君の許しを得て酒場を築けるように致したいものです」

 孟談の言葉には智宵も大喜びで、車を並べて酒場の設営について大いに論じ合った。人を動かすには、厳格で残酷な仕置きだけではなく、甘過ぎると思われるくらいの理解も必要なのだ。

 そうした“飴と鞭”を巧みに使いこなす智瑶の大きさに孟談が感じ入っていると、政務を行う宮殿の脇に、樹木で囲まれた建造物が見えてきた。それが、智氏の墓所か神殿なのだろう。

「到着致しました。ささ、我が兄が待っております」

 智宵に導かれた趙氏の一行が通されたのは、竹林の中にある祭祀の会場だった。そこには智過と智伯国に率いられた智氏一族が着席していた。上座には智瑶と、養女の荀玲姫、そして豫譲が腰かけていた。

「智卿閣下、先日の盟約に則りまして趙氏より参上仕りました。本日の祖霊祭り、謹んで御記念奉ります」

 李観と孟談は智瑶の御前に進み出ると、跪いて拝礼した。蓮英、新稚狗、天狙と随行した使用人や兵士も平伏した。彼らが跪いたのは使者としての義務だけではなく、自然とひれ伏してしまう気迫が智瑶の全身から発されていたからだ。

 彼は誰もが認める晋国随一の実力者だったが、鄭との戦いで戦果をあげ、智の城を増築したことで、その風格はいやが上にも増していた。


   5

 

 しかし、その緊張感は智瑶が口を開いたことで緩和された。

「おう、ようこそお越し下された。張殿、奥方と共に近くに来られよ。李観殿に新稚狗親分、天狙嬢もごゆるりと休んで下され」

 智瑶の表情はにこやかであったが、その本心は孟談を得たいと言う強い思いに満ちていた。使節団長である李観より孟談の名前を先に出した上、上座近くの席に招いた待遇からも、それは明らかであった。

「兄者、趙の皆様を滞りなくお連れしました。それでは、神官殿から御祈祷をして頂きましょうか」

 智宵が促すと、智瑶も頷き返した。智氏の下にいる神官は、趙氏に使える原過らと変わりなかったが、祭具は城門と同じ饕餮を彫り込んだものが使われていた。商王朝の血を引くだけあり、伝統文化を守る気概も強そうだ。

 神官が祈りの言葉を読み上げ、料理人達が山海の幸と米飯、焼き菓子などを祭壇に捧げ、祖霊への祭りは済んだ。それを見届けると、智瑶が豫譲と荀玲を祭壇前に呼び寄せた。

「婿殿、そして姫よ。本来ならば婚礼をしたいところであったが、今は晋公家の御喪中だ。祭祀と兼ねた婚姻報告で済まぬが、趙氏の方達も返礼の使者として来て下さった……喪が明けたらば、四卿を交えて盛大な宴を行おうではないか」

 孟談の目に映っていたのは、逆らう者を断じて許さぬことで悪魔のように忌み嫌われた智瑶ではなく、幼子に語り掛けるように娘夫婦を思いやる慈父としての智瑶だった。それには豫譲と荀玲も、喜びに満ちた表情で答えた。

「閣下、喪中だと言うのに姫と私の婚姻をこのような形で祝って下さいまして、感謝の言葉もございません。趙氏の皆様に対しても、厚く御礼を申し上げねばなりませんね」

「父上、私達のために申し訳ありません。豫譲殿のお父様を始めとした御家族の御魂も、きっとお喜び下さいますわ」

 新郎新婦の言葉を満足そうに聞いていた智瑶は、参列者に祭壇への拝礼を指示した。その上には智氏代々の位牌はもちろん、豫家の位牌、そして商王朝歴代の君主の名が刻まれたものもあった。


「張君、君も拝んでくれるね。父はもちろん、母や兄弟達も君が来たのを嬉しがっているよ」

 豫譲は微笑んでこそいるが、目元は寂し気だ。孟談の田舎から出て行った後、家族は度重なる戦乱や疫病で死んでしまい、豫譲一人が生き残っていた。智瑶はそれを憐れみ、彼を婿にした際に豫太公の分も含めて位牌を作ったのだと言う。

「当たり前だろう。私がお城で働けるのも、君のお母様が読み書きを教えてくれたからさ。本当に、優しい御両親だったね……」

 そう言うと孟談は拱手し、叩頭して祈りを捧げた。実家の酒屋で談笑していた豫太公、字を教えてくれた豫譲の母、一緒に食事をした兄弟達は、今も魂となって豫譲を護っているだろう。

 孟談が昔を思い出していると、隣で祈っていた英蓮が耳打ちした。

「あなた、そろそろ良い頃よ。李観様と親分さん、天狙ちゃんの所へ行ってあげてちょうだいな」

 妻に促された孟談は裏手に行くと、李観に会った。彼は白い衣と冠、そして白髪白髯のかつらと付け髭を装着していた。

「張殿、舞いの準備は万端です。生きている方にはもちろん、亡くなった方達の魂も桃源郷に導く意味では、今回に打って付けですからな」

 李観と孟談は、喪中でも大丈夫なようにと、魂の安寧と清浄を重んじた舞いを共同で考案していた。不老長寿と不死身を象徴する仙人ならば、死者の冥福と生者の幸福を共に祈ることが出来るからだ。

「奥様あ、おらの着付けを見てくだっせ。この衣装、貰えるなんてついてるべ」

「旦那、俺様の格好はこれで良いんですかい? 笑われそうでやだなあ」

 仙人に仕える童子姿の新稚狗はどこか気恥ずかしそうだが、童女に扮した天狙は嬉しそうだ。

「天狙さん、良くお似合いです。親分さんも似合っていますから、恥ずかしがらずに李観仙人のお供をして下さいよ」

 二人を励ましながら孟談が会場をちらりと見ると、祈りの儀式は終わっていた。後は祖先の霊に捧げる舞いが披露されるだけだ。


   6


 孟談は、頃合いを見計らうと仙人の姿になった李観に、新稚狗と天狙をお供に付けて祭りの場に送った。晋公家の喪中なので歌舞音曲は謹まねばならないが、この度は祖霊を慰め、生者の幸福を祈るための舞いだ。英蓮が静かに琴を鳴らし、それに合わせて李観が舞うと、皆は嘆息して感じ入った。

「孔丘様の生まれた魯国の方だけあって、舞いも作法も見事じゃ。それにしても、あの童女は可愛いな」

「そうね。でも、あの大きな童子も純朴そうで私は好きよ。李観殿の舞いと、高家宰のお孫さんのお琴で、清められる思いだわ」

 李観の舞い、新稚狗と天狙のお供、英蓮の琴、それが一体となった静謐さは、祖霊への祈りを捧げる場にふさわしく、舞いが終わった時には感激の余り涙を流す者さえもいた。

「流石は、張殿。この場に相応な催しをして下さり、智氏並びに豫家の霊も慰められたことでしょう」

 智瑶も静かな笑みを浮かべ、親し気に孟談の肩を叩いて趙の使節団を称えた。孟談は深々と頭を垂れ、その恩を謝した。

「勿体無いお言葉でございます。遅ればせながら、趙氏よりの贈り物です。先だっても、私共夫婦に宝物を下賜して頂き、かたじけのうございました」

 孟談が差し出した漆塗りの衣装箱には、毛皮や毛織物、玉石が大量に納められていた。いずれも親交のある騎馬民族を通して手に入れたものであり、異民族との交易が盛んな趙氏ならではの贈り物であった。

「これは貴重な品々ばかり……趙卿閣下、御曹司に宜しくお伝えのほどを。これよりも、永らくお付き合い頂きたいものですな」

 智瑶の機嫌も上々で、晋公家の喪中において密に行われた婚姻の祝いは、無事に達成された。無論、豫譲と荀玲の喜びも大きなものであったのは言うまでもなかった。


 翌朝、智氏に歓待されて城内に一泊した趙氏の使節団は智瑶じきじきの見送りを受けて晋陽に向かった。

「しかしまあ、驚いちまったねえ。城の中じゃ謙遜な張旦那が、昔はガキ大将たあ傑作じゃねえか」

 馬上の新稚狗は、孟談を振り向きながら大笑いだ。子供時代は豫譲が引っ込み思案で、孟談ががさつだったのが、成人してからは正反対になってしまったと昨夜の思い出話を聞いて以来、笑いが止まらないのだった。

「親分さんも、晋陽に来られた時は育ちが良さげと言うか、もの静かな感じでしたよ。あなただって、随分豪快になられたと思いますね」

 苦笑いする孟談が冗談を言うと、新稚狗も笑うのをやめて静かになった。

「もの静かねえ……旦那はお察しが良いや。俺は、あの時に趙と戦った部族長と親戚だったんですよ。華夏の人からすれば野蛮かも知れねえが、北狄の中じゃ上品なお坊っちゃんだったんでさあ」

 新稚狗の親族に当たる族長は、豫太公が戦死したあの戦いで敗死したが、生き残った新稚狗は捕まり、奴隷として晋陽に連行されたのは先述した通りである。過去の傷をうっかりえぐることになってしまった孟談が黙り込むと、

「良いってことよ。しかし、俺様達の情報が筒抜けになっていたのはどうしてなんでしょうね。豫旦那のお父っつあんも狙撃されて死んじまうし、北狄と華夏をぶつけ合わそうとしてる野郎がいたんじゃねえかと、今更だけど思うんでさ」


 確かにその通りだ。無恤は賄賂や偽情報で各部族を離間させたが、豫太公が狙撃されて死んだのは不可解だった。趙軍の情報を流した者がいたからこそ、太公は狙われて命を失くしたのではないか?

 孟談は、ぞっとするような悪寒を感じて身震いしたが、すぐに笑顔を取り戻して新稚狗を宥めた。

「親分さんの考え過ぎですよ。勝敗は兵家の常なのですから、豫太公殿が負けてしまうのも、あなたが捕まったのも、運命のなせる業ではないでしょうか……誰かを疑っていては、キリがありませんからね」

 新稚狗も、その言葉を聞いてホッとしたのだろう。朗らかに笑いながら、愛馬を駆って晋陽への道をひた走った。だが、運命と言う巨大な渦は再び晋国、そして趙氏を覆わんと、うごめいていたのであった。



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