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春秋の牡丹10話

一〇章 勅使


   1


 中行寅と范吉射が死んだ――これは晋軍には福音であったが、豫譲にとっては呪詛以外の何物でもなかった。増してや豫太公譲りの人情を持ち、忠義に仕える事を旨として来た彼が受けた衝撃は計り知れず、倒れるのも無理はなかった。

「阿譲、死ぬんじゃないぞ。君がここで死んだら、遊侠の人達はどうなる?」

 孟談の鋭き一喝で豫譲は目を醒まし、原過が差し出した気付け薬を服して漸う気を取り戻したのだった。晋に名を轟かせた名将・中行寅の首級を目の当たりにした三人が階下を見て嘆息していると、大きな声で喋っている巨漢の姿があった。

「思い知ったか、悪党共め。晋に趙若殿の御威光がある限り、てめえらに勝ち目はねえ。ま、俺様にすら勝てんのだから無理もないがな」

 せせら笑う新稚狗は主君を奉祝すると同時に、己の武勇を喧伝して憚らない。傍には天狙や智宵達が並んで兵士達の快哉を受けていた。武勲を誇る事に民族の違いはないが、新稚狗と天祖は殊に蛮勇を好んで自慢する傾向があった。

 南蛮部族や北狄兵が、常に自分達を蔑む華夏人に対して武勇と権勢を誇示する気持ちはどこと無く理解できたが、彼らの殺した相手は豫譲の恩人だった。仲間が親友の主を殺害した惨状を、孟談は胸痛む思いで見ていた。

 ため息をついた孟談がちらと見ると、豫譲は失意の表情で寝台に横たわった。命を懸けて仕えた主君が斬死した挙句、晒し首になったのだから無理も無かった。孟談はほろ苦い思いを抱きつつ、その夜は豫譲の傍に居続けた。天涯孤独の身となった親友の苦楽が分かるのは、自分しかいなかったからだ。


 翌朝、孟談と豫譲が滞在している客間を思いがけない客人が訪れた。一人は孟談の主君趙無恤、もう一人は鄭征伐軍の大将・智瑶であった。

「御曹司、智卿閣下! 阿譲……いえ、豫譲は一連の事件で心身を病んでおります。礼を失すること、御容赦下さいませ」

 折悪しくも豫譲の介抱をしていた孟談は平伏して両名に謝罪した。しかし、無恤は穏やかに首を振った。

「いや、お前が友人を介抱致したいと思うているのは存じておるぞ。気にせず続けるが良い。我々も豫隊長の見舞いに参ったのじゃよ」

 無恤の言葉が終ると同時に智瑶が進み出て豫譲を見舞った。目を醒ました豫譲は智氏と趙氏の指導者が現れたのに気付き、よろめきながら寝台の上にひれ伏した。彼が恐縮しているのを見て取った智瑶は、孟談に言い付けて椅子を用意させた。そうする事で彼と同じ目線に立ち、緊張を和らげたのである。

「単刀直入に申させて頂く。貴公は我らと同じ晋の人でありながら中行と范と言う逆臣に踊らされていたのは哀れであった。そこで、私は策を用いて趙氏と共に貴公を斉軍から引き離したのだ」

 智瑶の言葉を引き継いで、更に無恤が続けた。

「御主君を殺してしもうたのは気の毒ではあったが、それはお主が斉や鄭に帰れないようにし、晋で生きて貰うためじゃ。苦心して身に付けた文武の才、晋で活かす気にはならぬか?」

 智瑶と無恤の弁を傍で聞いていた孟談は我が耳を疑った。智瑶と無恤の態度は余りにも露骨であり、とても敗軍の将を自軍へ引き入れんと欲する者が発すべき言動では無かったからだ。


 驚愕した孟談が豫譲の方を見ると彼は口を真一文字に結び、下を向いていた。怒りを抑えきれないのは当然の事であろう。ややもすれば抜刀して無恤達に斬りかかるかも知れない。

「なあ、阿譲……」

 心配した孟談が声をかけようとするのをよそに、豫譲は目を見開いて長剣を取ると寝台から滑り降りた。如何に彼が親友と言えども、暴漢と化した以上は刺し違えてでも止めねばならない。決意を固めた孟談の手は、自ずから腰に佩いた呉鉤の刀へと伸びていた。

 だが、豫譲は得物の長剣を鞘に入れたまま智瑶の前に置いて、自らは恭しく床に跪いた。そして、袖を重ね合わせると幾度も頭を下げて無恤と智瑶に対して拝礼を繰り返したのであった。

「両閣下の志、この豫譲めの心にしかと響き渡りました。僅かに剣を嗜み、文章をしたためる事より才も無い私を用いようとして下さる御心遣い、天よりも高き御恩情。何卒、お仕え致したく存じます」

 豫譲は遂に帰順したのだった。親友が晋に帰って来る事を確信した孟談が歓喜の余り、居ても立ってもいられないのとは対照的に、落ち着き払った態度で智瑶が豫譲に問いかけた。

「良かろう。貴殿の文才と剣術も然ることながら、負けじ魂と情け深さは私も惚れておった。主従の契りを交わすに当たって、何ぞ望む物はないか?」

「お許しを賜り、召し抱えて頂けた私には褒美など要求する権利はございません。むしろ、引き出物を持参して忠誠を誓う所存であります。されども、一つだけお許しを頂きたい事がございます」

 豫譲の願いとは、関所に晒された中行寅と范吉射の首級を郷里の晋へと持ち帰り、手厚く葬りたいとの旨であった。例え帰順しようとも、旧主である二将から受けた昔日の恩顧を忘れない彼の真心が受け入れられたのは言うまでも無かった。


   2


 主従となった智瑶と豫譲は、無恤・孟談に伴われて公館の外に出て披露目を行う事となった。中行寅と范吉射の首級は孟談の伝言を受けた陽虎の指示で取り片づけられ、血染めの旗も撤去された広場は静けさを取り戻していた。

「兄者。もしや、豫譲殿は……」

 兄の姿を見た智宵が問いかけると、智瑶は頷いた。

「うむ。今日から豫隊長は我らの同志となった。時に、陽虎殿も皆に伝えたい事があると言っておられたな」

 智瑶に促された陽虎は、背後に一人の男性を従えて進み出た。年の頃は陽虎と大差が無いが、雰囲気は正反対でおっとりとした好人物と言うべき風格である。彼は魯国訛りが強い口調で話し始めた。

「自分は李観(りかん)と申す者です。魯の産でございましたが、此の度は陽虎殿のお引立てにより、趙の御家に仕官することと相成りました」

 彼が世に出たのは、陽虎は魯で謀反を起こした時に遡る。陽虎は反乱の計画を領主に気付かれて、城門を閉ざされてしまった事があった。その時に門衛隊長を務めていたのが李観だったのだが、彼は動作が緩慢な朴念仁だったので、同僚ばかりか下っ端の兵士にも笑われていた。

 そんな彼にも、朴訥さを愛でて何かにつけ面倒を見る友人がおり、その親友こそが陽虎だった。その恩を強く感じていた李観は、普段から恩返しをしたいと思っていたが、自分の勤務地に陽虎を乗せた馬車隊が姿を現した時を千載一遇の機会と思って、とうとう彼を見逃したのだった。


「陽虎様、私ばかりか家族にもお情けを頂戴した恩義をお返し致します。さあ、どうぞお逃げ下さいませ!」

 だが、陽虎はにやりと笑うと袖から手戟(しゅげき)を取り出して投げ付けたのだ。この武器は戟の先端を小さくした投擲兵器で、暗殺や奇襲に用いられる。その一撃を脇に受けた李観を見た陽虎は彼を足で踏みつけ、蹴り飛ばすと嘲りながら馬車に飛び乗って逃げてしまった。

 そう。これこそが、陽虎が知人を傷付けて逃げた忘恩不義の悪人として、他国でも忌み嫌われるようになった理由となった事件であった。

「何と惨たらしい仕打ちをするのだ。友人を殺そうとするなんて、あれが真っ当な人間のする事かッ!」

 血だらけで叫ぶ李観は、助けに来た配下の兵士らによって救護所に運ばれたが、数日間に渡って悔しさと激痛に悶え苦しんでいた。また、彼を嫌う連中の陰口と嘲笑は止まないばかりか、ここぞとばかりに悪化したのだった。

 しかし、その一件は思いもよらぬ事態を呼んだ。魯の指導者達は陽虎征伐で出動した将兵のうち、李観だけが敵と交戦して負傷させられたのを知って、彼を称賛したのだった。

「狡猾な猛将・陽虎を相手に一人で立ち向かった李隊長は天晴れである。それに引き換え、彼を侮辱しながら有事に際して傍観を決め込んだ者達の不届き、きつく叱り置く。今後は李観を武人の鑑と致すべし」

 こうして、魯国では李観の誠意と勇気を称えるようになり、彼を笑い者にしていた将兵らも敬意を持って接するようになったのだった。これこそ、李観を無二の親友と見做していた陽虎が彼のために施した計略だったのである。


 こうして魯で名声を得ていた李観だったが、心の中では陽虎に会いたくて堪らなかった。陽虎が趙氏に仕官して安住の地を得たのに喜ぶ一方、彼の敵である中行寅らが晋を狙っていると聞き、不安に駆られて晋軍に使者を送って情報を提供し、陰ながら親友の勝利に貢献していた。

 そして、敗走した中行寅が東へ逃げたと情報を掴んだ李観は官位を捨てて魯を出立し、智宵や天狙が率いる晋の追撃部隊と挟撃する形で中行寅を討ち果たし、鄭へとやって来たのだった。

「陽虎殿が晋で御活躍なさり、御家のために鄭攻めをしておられると聞いては惰眠を貪ってはおれません。一臂の力をと思い、参上した次第です」

「何を言われる。貴殿のお陰で中行寅を倒せたばかりか、また一緒に働けるとは心が弾む思いでござる」

 どこまでも謙遜な李観を、陽虎は満面の笑みで褒め称えた。その様子を見ていた孟談と豫譲は、魯国の謀反人にして中行・范氏を討った陽虎と李観を不思議と憎めなかった。それは、同じ仲間であると言う事と同時に、離れていた友と再会した喜びは自分達とも変わりないと感じていたからだ。

「孟談、豫隊長といつまでも良き友でおれよ。これは、お前達が享受して然るべき幸せじゃ。一国の主ともなれば、友誼にかまけてなどおれぬからのう……」

 趙無恤は孟談と豫譲にさりげなく語りかけてから、智瑶や崇王彦らとの会議に向かった。無恤の言葉には部下への労りと同時に、彼のような権力者には友と言うべき者はおらず、主従関係しか存在しない悲しみがにじみ出ていた。

 幼馴染の豫譲と隣り合わせで立ち尽くす孟談は、趙無恤の懐の深さを再認識すると同時に、彼の孤独をも感じた。その心に出来た隙間を埋めるような臣下にならねばと言う思いが、孟談の体内を血潮と共に駆け抜けていたのだった。


   3


 新鄭を目前にした関所では、地を揺るがさんばかりの怒号が上がっていた。中行寅・范吉射率いる斉の軍勢を粉砕し、豫譲と李観と言う新たな仲間を迎えた晋軍の士気が高まるのも無理は無かった。

「聞かれよ! 我が軍が、何故ここまで勝利を収める事が出来たのか? それは、諸君が勇敢な強兵にして、勤勉なる良民だからだ。晋軍の忠勇こそ、天下無双である事を世に知らしめるのだ!」

 全将兵を前にした智瑶の演説は、彼が生来持っている朗々とした声と相まって鮮烈な感動をもたらしていた。

自分達を華北の辺鄙な地に生きている民と言う自虐的な劣等感を抱いていた晋の将兵らは、中原の豊かな都市を陥落寸前にまで追い込んだ自国に光明と誇りを見出した。我々こそが天の加護を受けた英雄に率いられし、精強なる軍隊であると天にも昇るような心地で気勢を高めていたのだ。

「智卿閣下が仰せになった通りじゃ。天下を狙う条件は、産まれた土地に関係ない事を悟り、励むが良いぞ!」

「心得申した。お任せ下さいっ!」

 智瑶の言葉を引き継いだ趙無恤が鼓舞すると、兵士らは歓声とともに天を衝かんばかりに拳を高々と振り上げたのだった。


 一方、新鄭は世界滅亡の日を迎えたかのような大混乱が都市を包み込んでいた。智氏の甲人隊を先頭に、弩兵や騎兵と言った晋軍の切り札を従えた軍勢が城門にめがけて行軍しているのだから、恐怖は筆舌に尽くしがたかった。

 鄭の宮殿では、鄭公以下の面々が御前会議を開催していたが、一向にまとまる気配が無かった。ある者は玉砕して鄭の武勇を青史に刻むべしと主張したかと思えば、貢納を携えた和睦の使者を送るか、はたまた君主を他国に亡命させて再起を図るべきなど、喧々諤々たる様相を呈していた。

 危急存亡の危機に瀕した国ほど哀れで苦しきものは無い。されども、無条件降伏を申し出る者がいなかったのは、周宗室の末裔たる文化大国が持つ矜持と言うべきであった。

文武百官が論じていると、一人の男性が駆けこんで来た。

「おのおの方、玉砕は尚早にして貢納など下策―増してや亡命など以ての外です。それがしに救国の計がございます」

 声のする方を一同が見ると、駟弘がいた。彼は配下の精鋭を率いて離散した下級兵や民兵を再集結させ、新鄭に戻って来たのだ。鄭公は将兵を率いて馳せ参じた駟弘の姿を見るといたく喜んだ。

「おお、駟将軍がおれば何とかなるやも知れん。して、貴公が立てられた妙計とはどのようなものじゃ」

 駟弘は何かが書かれた木簡を君主に献じた。鄭公は胸を撫で下ろしたが、楽観はしていないようだった。

「殿下、これは飽くまでも応急処置と前段階に過ぎませぬ。この急場を凌いで国を再建することこそ、真の救国となるのでございます」

 一礼して退出した駟弘は、前衛として戦車を整列させ、後方部隊には弩を城壁に設置するよう指示した。晋の増長と鄭の弱体化、この二つによる重圧は彼の双肩に重くのしかかっていたのだった。


 それから程無くして、智瑶が率いる晋軍は新鄭の城門まで迫った。斉の援軍は中行寅と范吉射もろともに潰した以上、猛者と言うべき武将は駟弘しかいない。つまり、駟弘を倒してしまえば新鄭城は勿論、豊かな穀倉地帯と多くの人的資源は晋の物になるのだ。

「ふん、枯れ木にしがみ付く豚や山羊の中に虎がいるようだな。気の毒ではあるが、致し方無い事よ。光っ!」

 頃合いやよしと見た智瑶は、甲人隊に例の目潰し作戦を指示し、然る後に戦車と騎兵を突入させる算段であった。 だが、駟弘が率いる戦車隊は後退し、同時に城壁から梯子が下され始めた。一同は敵が虚仮脅しをして退却するのかと思い、城門まで軍を進めた。すると、趙軍の戦車に乗って辺りを見渡していた天狙が大声を出した。

「皆、近づくでねえ。何か、きな臭ぇ匂いがすっだ!」

 狩猟民として生まれ育った彼女は嗅覚に優れており、異変をいち早く察したのだった。それにやや遅れ、勘の鋭い智瑶と無恤も感付いたのだったが、鄭軍の方が一枚上手であった。

「薪の山は大きければ大きいほど燃える。軍も然り――晋の者共に、火球の計をお見舞いせよ!」

 駟弘が一喝すると、梯子を伝って鞠のような物体が転がって来た。それは追い風を受けて転がり、煙と炎を出しながら殺到した。火の玉に驚いた軍馬が暴走したために負傷者が続出し、晋軍は一時後退を余儀無くされたのだった。


「火球の計とは、敵もさる者です。これでは、雨が降るのを待って攻めるべきでしょうかな」

 敵の本拠地を前にして苦戦を強いられた智瑶は、流石に苦い顔だ。だが、無恤は険しい表情で智瑶の慎重策を諌めた。

「あのようにして敵を寄せ付けぬようにする兵法は、まるで何かを待っているようです。他国からの援軍か、それとも何らかの切り札を繰り出す機会を伺っているのは敵も焦っている証拠。ここは攻めましょう」

 その実、無恤が考えていたように鄭は時間を稼いでいたのだった。晋を退けた駟弘が本陣に戻ると、配下の文官達が徴発してきた兵糧や武器と共に書簡を彼に手渡していた。

「おお、御苦労でした。して、洛陽からの御使者はいつ頃になるかな?」

「はい。我が国で最も早い戦車でお迎え申し上げる事になりましたので、あと丸三日はかかりましょう」

 それを聞いた駟弘は、笑みを口元に浮かべると文官達を下がらせた。そして書簡を広げながら、眼下に広がる晋軍を睨み付けた。

「晋よ。そなたらの自慢は周宗室の金枝玉葉たる晋公殿下であろうが、この鄭とて同じ周の宗族なのだ。その誇りこそが己の首を絞めること、とくと思い知らせてくれるわ!」

 自信ありげに笑う駟弘の手に収められている書簡には、優雅な書体で“勅”と記されていた。それはすなわち、都で朝廷を束ねる存在――天子からの書状に他ならなかったのである。


   4


 最後の難関を前にした晋軍は、駟弘の策略を如何にして破るかと討論が交わされていた。智瑶が提案した長期戦か、はたまた趙無恤の短期決戦か。一同がまとまらぬ議論を展開していると、臣下の席に控えていた豫譲が進み出た。

「もしや、駟弘将軍は都からの勅使を待っているのかも知れません。実は、中行・范の両卿に仕えていた時、上奏文の起草を命じられたのでございます」

 豫譲は、中行寅と范吉射の供をして斉から来た時に文官として働いており、商人に紛れ込ませた間者に朝廷への上奏文を持たせた事があったのは前述した通りである。

その内容が晋と鄭の戦を調停して欲しいと言う嘆願であること、その上で疲弊した晋を中行・范氏が滅ぼす算段であった旨を豫譲は訴え、己の取った行動が巡り巡って戦の妨害をしてしまった罪を陳謝した。

すると智瑶はつかつかと歩み寄り、孟談の隣で平伏している豫譲の肩をむんずと掴んで引き起こした。もしや、豫譲が殺されるのではないかと孟談が恐怖していると、智瑶の顔に満足そうな笑みが浮かんだ。

「そうか、そうか。流石は豫隊長、文武両道の英傑のする事は違うな。これで戦は終わったようなものではないか!」

 拍子抜けして唖然とする孟談など歯牙にもかけず、智瑶は将兵らに事態を説明し始めた。先程までは鄭を滅ぼすと意気込んでいたのに、和平を結ぶ事に賛成し始めたのは、どうしたことだろうか。

 孟談は友人が助かった事に安堵する一方で、智瑶の変わり身が余りにも早い事に呆然としていた。


 智瑶に対して疑問を隠し切れないのは、孟談ばかりではなかった。彼の主である趙無恤もまた、訝しげにしていたのだった。

「智卿、勅使が来られるからには戦を止めるのは当然の事でしょう。だが、時間もある故、敵に打撃を加えても宜しいのではないか?」

 無恤は、和平するからには少しでも有利にした方が良いと考え、先走る若き総大将を諌めたのだった。それに対し、智瑶は機嫌良く答えた。

「趙閣下の御言葉は御尤も……されど、朝廷は痩せたる果樹にして、鄭は小さいとはいえ乳牛。ここは飴を舐めさせた方が実りも大きいですから」

 痩せた果樹でも切れば果物は採れず、小さな乳牛でも殺せば乳搾りが出来なくなる――朝廷の顔を立てれば威光を借り、鄭を許せば条件として領地割譲や貢納を要求して晋は潤う。これぞ、頭脳の回転と用兵の迅速さで名を馳せた智瑤の織りなす変幻自在の策である。

 朝廷による横槍すらも自軍に有利な策となし、転んでもただでは起きない。智瑤の執念と怜悧をまざまざと見せつけられた趙一門と代王家は、表向きでは感服したが内心では油断出来ぬ相手と恐れた。

 それから少し距離を置いて話を聞いていた韓虎と魏駒は、晋きっての強豪である趙氏でさえ智氏に手を焼くのだから、自分達では束になっても勝てないと嘆息したのであった。


 それから二日後、果たして新鄭城外には周宗室の紋章と軍旗を掲げた勅使が到来した。彼らは新鄭城に入ると鄭公や駟弘達の出迎えを受け、心尽くしの宴と儀式の後、一晩の休息をとった。

 次の日、勅使は晋軍が駐屯している旧・斉公館を訪れる事になったのだが、主だった者達の顔は不満げで、“田舎者”に付き合わされる事への嫌悪感が明らかだった。

「鄭もだらしないが、晋も野蛮よな。あの国の者共は呉越と交際し、北方の夷狄と暮らす国でござるからのう」

「昨日の鄭公からのもてなしは及第じゃが、晋はどうでしょうか。あの田舎国家に住まう荒くれ達は何をするか分りませんぞ」

 流石は天子の使者と言うだけあって勅使達の物腰は優雅で、極めて威厳に満ち溢れた様子ではあった。だが、やはり中華思想に染まった都びとの常として地方政権や異民族を見下す者が多かったのは否めなかった。

「全くじゃ。あの蛮人共が栄えられるのも、我ら朝廷があってと言う事をとっくりと言い聞かせてやりましょう。おやっ……」

彼らの視線の先にあったのは、真紅の旗であった。赤は周王朝の色であり、その一段下には、縮こまるかのように小さな白旗が立っていた。これは周に敗れた商王朝の色である。

「ようこそお越し下さいました。天子様や皆様の御手を煩わせる不敬、不忠は万死に値致します」

 跪いて出迎えたのは、智氏や趙氏、崇王家と言った商王朝やその臣下の末裔を名乗る面々だ。つまり、商の王家と臣下は代々に渡って周宗室に忠誠を誓う事を意味していた。


 この様子には、勅使一同が仰天した。南蛮・北狄の野蛮人と暮らす荒々しい国と聞かされていた晋の者達が礼儀正しく、しかも自らを卑下するような出迎え方であったのだから、驚くのは当然であった。

「これは、御鄭重なるお出迎えを頂戴して恐縮でございます。四卿並びに代王陛下の御降臨、深謝の極みです」

 四卿と言えども彼らは都の貴族を上回る面々であり、崇王彦に至っては異民族の王なのだから、勅使達は心なしか落ち着いていた。こうして、晋に対しても滞りなく勅旨を読み上げる儀式が執り行われ、退出する一同の前に張孟談が姿を現した。

「殿。儀式を終えられましたので、宴を始めさせて頂きます。会場へとお進み下さいませ」

 孟談に導かれて宴会場に入った一同は、四卿や崇王彦並びに重臣達と共に着席した。まずは出し物として豫譲が剣の舞を披露し、彼が軽やかに舞うと新稚狗が殳を繰り出し、郄疵の斧、楚隆の戟が三方から受け止めて勇壮な演武を見せた。

「豫譲殿と仰るのは、英雄・畢陽のお孫様とか。智氏随一の猛将、趙氏期待の青年軍人、いずれも見事でございます」

「あの眼帯を付けた巨漢は北狄の牧民でござるな。少し下品じゃが、勇猛で正直な気質は見事。礼智を学べば、きっと頼もしい戦力になるじゃろう」

 文化的に遅れた国と晋を見下していた勅使達は、豫譲が英雄の孫であるのを知って驚くのと同時に、都に劣らぬ礼儀正しさと知性を持つ晋の軍人達に惜しみ無く称賛を送った。

 また、新稚狗の荒々しさには苦笑しても勇敢さについて評価したのは、栄えある王朝に仕える役人ならではの高い学識ゆえであった。傲岸不遜とは言え、気位の高さに見合った見識を彼らが持っている証である。

 その後、一同は天狙の曲芸に抱腹絶倒し、陽虎と李観が魯国の民謡を唄うのを聞いて心から異国情緒を楽しんだ。その陽気さは、侮蔑と猜疑で塗り固められた勅使の心を、蝋燭のようにゆっくりと溶かしていったのだった。


   5


 勅使を迎えた晋軍の面々が出し物を楽しんでいると、料理が運ばれて来た。人間は緊張した気分がほぐれると空腹を感じてしまうものだ。一同が歓談しながら点心や煮物、膾と言った軽い料理を楽しんでいると、赤茶色に焼けた家鴨の丸焼きが載った台車を目にした。

(演芸は素晴らしかったが、あれでは品が無さ過ぎますなあ)

(北狄が、狩りで仕留めた獲物を丸かじりするようなものですな。所詮は夷狄の国じゃ)

出された主菜が余りにも田舎臭いのを見た勅使達は互いに顔を見合わせ、袖で口元を隠して笑いを堪えた。韓虎と魏駒は恥ずかしさで汗だくになり、崇王彦と智瑶は訝しげに考えていた。唯一、落ち着いていたのが趙無恤だった。

晋軍が動揺し、勅使が傲慢な態度を見せ始めたのを見て取った無恤は、給仕人に命じて丸焼きを切り分けさせた。

「これでは、皆様も興醒めでしょう。だが、料理と申すものは味わって見ねば分からぬものですぞ」

無恤の命で家鴨が切られた瞬間、溢れ出す湯気と芳香が広がるにつれて嘲りは驚嘆に変わった。焼き上げられた家鴨のお腹には、白く大きな魚が蒸し焼きになって盛り込まれていたのだ。

「これは“武王東征炙(ぶおうとうせいしゃ)”です。当家の家臣である張孟談が企画した、縁起物の御料理にございます」


 驚く一同を前にし、料理の講釈をする無恤の表情は晴れ晴れとしていた。

周王朝の開祖である武王が周の勃興を意味する赤い鳥に導かれ、商王朝の命運とも言える白い魚が自ら王の軍船に飛び込むと言う瑞兆が起きた。それを目にした武王はついに商を倒し、周を建国したのである。

 その縁起を担いで周朝の弥栄を祈念するため、王朝の色に焼き上げた家鴨に大魚・ハクレンの蒸し焼きを詰めたのが武王東征炙であった。

「風味もさることながら、趣向は至高にして至尊なるもの。武王陛下の縁起に基づいた御料理を頂けたこと、誠に嬉しゅうござる」

 白い魚を赤い家鴨の丸焼きに詰め込んだと言う事は、商王朝の末裔が多く住む晋が周宗室に帰服すると言う意味が込められている。すなわち晋の忠誠心を強く感じた勅使達は大いに喜び、武王東征炙を肴にして酒を痛飲した。

 こうして夜も更けていき、勅使達が公館の休息所に引き取って行ったのを見届けた無恤は、一門を呼んで杯と宝物を与えた。

「楚隆、新稚狗よ。郄疵殿や豫隊長と共に見事な演武であった。陽軍師と李観殿、天狙も大儀であった」

 手柄を高く評価された楚隆は厚恩を謝すると引き下がった。だが、無恤が期待と喜びに満ちた視線を向けていたのは孟談だった。

「孟談よ。お前が立てた宴会の計画と、勅使接待の料理は天晴れであった。酒場を営んだ経験を活かし、またしても大手柄じゃな」

 楚隆は表向きでは祝福していたが、内心では無恤のつれない仕打ちを悲しむと同時に、孟談への嫉妬が渦巻いていた。


 悔しさを胸に秘めて楚隆が立ち尽くしていると、突如として智瑶が宴会場にやって来た。驚いた一同が平伏するのを手で制し、智瑶は無恤と孟談の前に進んで祝宴の成功を喜んだ。

「夜宴の名将よ、今宵も大勝を収めましたな。これほどの御仁をして“宰”の器に非ずとは、趙卿も御謙遜が過ぎます」

 智瑶は相変わらず孟談に執心だが、彼を手放そうとしない無恤への言葉も皮肉めいていた。相手の貪欲さをあしらい難いと見た無恤は、愛想笑いを浮かべて再度の要求を受け流した。

「常日頃から孟談をお褒め頂き、忝い事です。ですが、貴殿にも良き部下がおられるではありませんか。畢陽殿の孫にして豫太公が世に送り出した剣豪・豫隊長が忠義を誓う智卿も幸福ですぞ」

 その言葉を耳にした智瑶は、得たりとばかりに笑った。褒められてものぼせ上がる事無く、反対に相手の部下を褒める事で矛先をかわした無恤の知恵と豪胆こそ好敵手だと言う思いがこもっていた。

「確かにそうですな。しかし……今宵の料理にはもう一味欲しかった。例えば、ハクレンを銀色の鯉に変えても面白かったでしょう。龍と鳳凰の取り合わせこそ、天下一の祝宴にお似合いですからな!」

 そう言うと、智瑶は機嫌良く笑いながら宴会場を後にしたのだった。その無邪気ささえ感じてしまう笑顔は、どこと無く憎めない。無恤に仕えている以上は彼に鞍替えなど出来ないが、その多大なる期待に応えられない事に、孟談は良心の呵責を感じたのだった。


「龍と鳳凰などと気の利いた事を言いおって……赤い家鴨の腹中に白銀の龍がおれば、はらわたを食い破って飛び出す事なぞ朝飯前じゃからのう」

 苦々しげに呟く無恤の言葉に、孟談は底知れない恐怖を感じた。鯉は登竜門の譬えのように龍を象徴する魚で、凡庸なハクレンならば周王朝である赤い鳥に食べられてしまうが、龍になれる鯉ならばそうはいかない。

 智瑶の言う白銀の鯉――それは商王朝の末裔が再び勢いを取り戻し、赤い鳥である周を喰らおうとしている事への比喩ではないだろうか。商王家の血を引いているとされ、しかも当代きっての英傑と噂されている智瑶ならばやりかねない事だ。

 もしや、自分は晋の忠義を示すつもりが、あべこべに反逆の意を込めた祝宴を開いてしまったのではないだろうか。 孟談は己の顔から血の気が引いて行くのを感じていたが、無恤は怒りもしなければ、狼狽することもせずに彼の肩を叩いた。

「何を気にしておるか。智卿は派手好き故に、あのような事を言われたのじゃ。機会があれば、鯉と鵞鳥で大きな武王東征炙でも拵えて差し上げい!」

 孟談を励ます無恤は顔でこそ笑っているが、彼もまた智瑶の野望を見抜いていたのだろう。他の者達も、宴会と料理に仮託して乱世に躍り出ようとする怪物・智氏の恐ろしさを薄々感じているようであった。

 だが、今を生き抜かねば未来は無い。戦が終わる安堵感が、内なる敵の恐怖と絡み合い、不穏な闇夜と共に辺りを覆っていたのだった。


   6 


 宴の翌朝、勅使達の機嫌は上々だった。その理由は異国風の出し物や、周宗室を讃えた武王東征炙による宴ばかりではなかった。

「昨日の夜ほど嬉しき事はありませんでしたね。ここまで我ら……もとい、周宗室を思う人々がいたでしょうか?」

「はは、然様でござるな。その証拠にお主らの腹具合は悪しからず、たんと肥えておるようだの。ま、儂も同類じゃがな」

 若い新米の役人が嬉しさに興奮すると、それを窘めるかのように勅使の長は口元を歪めて笑った。長の手には、貴重な錦で造られた巾着がずっしりと重そうにぶら下がっていたのだった。

「北国の田舎に閉じこもる商王朝の子孫達も、なかなかに従順で結構ではありませんか。“食べられない米と果物”が頂けるとは、殊勝なものです」

 昨夜、智瑤と無恤は勅使らの部屋に配下の者を送りこんで彼らに“鼻薬”を嗅がせたのだった。それは言うまでも無く賄賂であったが、米と果物と称して銀の粒や数々の宝石を詰めた巾着を一人ずつに配ったのだ。

 それに加えて周宗室への献上品を目録以上に多く差し出し、勅使らが残りを好きにとって良いようにと計らった。それには、衰退しつつあった都で貧乏暮しを余儀なくされていた彼らにとっては天から降ったかのような幸運であった。

「これは、お返しを考えねばならないでしょう。長殿、如何なさいますか?」

 若くして役得の味を覚えた役人らが提案すると、長は笑いつつも落ち着き払って皆に諭した。

「金品では味気ないし、折角の頂き物を無駄遣いは出来んからのう。まあ、儂に良い考えがあるから任せなさい」

 勅使の長は含み笑いをしつつ、書簡に目を通していた。その瞳に浮かんでいたのは、倒れかけた大樹と化した周王朝の自尊心だったのかも知れない。


 それから程無くして、鄭と晋の和議が勅使立ち会いのもとで行われることとなった。生き残った臣下を従えて現れた鄭公一門のやつれ切った姿は、晋公の名代である智瑶が趙無恤と外交官の延陵生に伴われ、威風凛々として現れたのとは対照的であった。

「御一同が揃われた故、ただ今より和平締結の儀式を執り行い申す。心して御清聴下され」

 勅使の長が朗々と詔勅を読み上げ、鄭と晋の両国が和解する事こそ天子の御意であると述べ伝えた。鄭は晋に和平の金品を貢納し、晋は奪った関所や捕虜の身柄、運河の支配権を鄭に返すべしとの詔勅は、一見すれば公平なものだった。

 領土を守り抜いたと鄭の面々が胸を撫で下ろしていると、勅使の長から声が掛かった。

「しかし、両国の国境線は極めて不明瞭。それについては、朝廷で合議した上で決めさせて頂きたい。宜しいですかな?」

 ここで“食べられない米と果物”の効き目が表れ始めた。何かに付けて便宜と実利を与えてくれる智瑶や無恤の計らいに心を動かされていた勅使らは、晋に有利な条件を与えようと決めた。そこで、朝議にかけると言う詭弁を用いてお茶を濁したのだった。

「してやられたか……狡猾で名高き智氏のやりかねん事よ」

 領土問題を有耶無耶にされ、動揺を隠しきれない鄭軍の中でただ一人、智瑶と勅使の癒着を見抜いていた者がいた。何を隠そう、それこそが兵や民の慰撫を終わらせて帰って来た鄭の国士・駟弘の哀れな姿であった。


 斯くして晋と鄭の騒乱は、勅使による仲裁によって一先ずの終着を見た。が、その一方で国境に新たな火種をくすぶらせると言う事態をも招き寄せてしまったのだった。

「朝廷からのお沙汰があるまで、国境に最低限の兵員を駐屯させよ! 我らは帰還し、晋公殿下に報告を致す。急ぐのだ!」

 晋軍の本陣では、無恤が引き揚げの作業や指示に余念が無かった。彼は智瑶を補佐しつつ、自軍の将達にも的確な命令を下さねばならないため、小柄な体に鞭打って動き回っていた。

「御曹司。お顔の色が、聊か悪うございます」

 原過と延陵生が声をかけたが、無恤は構わずに続けていた。この修羅場こそ、普段から痩せて背の低い小男と蔑まれて来た彼にとって、自分の力を示す晴れ舞台なのだ。

「おう、気に致すな。お前達も知っての通り、色黒だから顔色が悪く見えるのであろう。私はこの通り、平気で動いておるではないか」

 だが、戦いから来る極度の緊張が解けた上に多忙から来る疲労は、無恤の頑健な肉体をも蝕んでいた。無恤は苦しそうに息をつくと、椅子にもたれかかった。そこに新稚狗が駆け寄り、主人を背負って幕舎へと運んで行った。

「若さん……あんたさんが苦しむまで働く必要はねえよ。何のために俺ら家来がいるとお思いですかい?」

「うむ、ちと休ませて貰おうかのう。新稚狗よ、馬匹の事は全てお前に任せる。皆にも伝えてくれい」

 無恤が新稚狗に負ぶわれて行ったのを見た孟談は、書類や武具をまとめるのも覚束なかった。いつもは豪快に笑っている御曹司が、裏では疲労困憊し切っていた事と、それを助けられずにいた己の不甲斐無さで胸は締め付けられていた。


「張殿、お大変なご様子ですな。宜しかったら、我々がお手伝い致しますぞ」

 孟談が声のした方を振り向くと、智瑶が立っていた。勅使の見送りと鄭側との交渉が終わって本陣に帰還したところ、無恤が搬送されて行くのを目撃し、協力を申し出たのである。

 孟談は驚愕した。智瑶が協力すると言い出したのも然ることながら、まるで自分を趙氏の家臣団代表であるかのように扱っていたからだ。やはり智瑶は、孟談を未来の宰”として見ているのだろう。

「智卿閣下の御志、畏れ多き事でございます。されど、私めが独断で決めさせて頂く訳には参りません。何卒、御容赦下さいませ」

「人の好意は素直に受けるべきですぞ。御身が決めかねるならば、陽軍師に取り次いで頂きたい。それならば宜しかろう?」

 畏れ多さに何度も拝礼する孟談を見て苦笑した智瑶は、軍師の陽虎を呼び出させた。彼ならば高共の名代でもあるため、趙氏を代表して対談出来る人物と考えて提案したのだ。得心した孟談の取り次ぎを受けた陽虎は、無恤の許しも取り付けた上で智氏の協力を受諾したのだった。主君の供を終えて暇を持て余していた智氏の軍人達の中で、趙氏と合同で職務を行える事に喜んでいたのは、親趙氏派とも言える智宵と豫譲の二人だった。

「張君、閣下も粋な申し出をなさるものだね。早く終わらせて、晋陽の皆を安心させてあげると良いよ」

 智宵相手にはしゃぐ天狙を尻目に、豫譲は孟談が取りかかっている撤収作業の現場にやって来た。

「そうだな、阿譲。君のお父様が通っていた居酒屋も、御愛用の薬草園も残っているから、帰ったら見に行こう。」

 諸国が相争う乱世は不毛だ。だが、戦の時代であるからこそ仲間の大事さが身に沁みるものである。そんな孟談の思いを代弁するかのように、赤い夕陽は晋軍の白い軍旗をも、同じ真紅へと染めて行ったのであった。



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