39話 コートが落ちる夜
いつもの夜道。
いつもの街灯。
でも、空気が少し違う。
ざわ…ざわ…。
「なんでギャラリー増えてるんですか!!」
ことみは、頭を抱えた。
町内会、またいる。
いや、前回より増えている。
会長、折りたたみ椅子持参。
主婦たち、お茶持参。
サラリーマンたち、缶ビール持参。
「今日は歴史的瞬間と聞いてな!!」
会長が、メガホンで叫んだ。
「誰が流した!!」
「回覧板」
「早い!!」
「昨日の夜から準備した」
「準備する暇あったの!?」
その中心に
黒川誠。
コート姿。
いつもの穏やかな顔。
そして、その隣に
桐谷課長。
なぜか、同じくコート。
いつから持ってたの。
「課長まで?」
「覚悟だ」
「またボタン閉まってない!!」
桐谷課長のコート、前が開いている。
中のYシャツのボタンも、限界。
胸筋が、今にも飛び出しそうだ。
街灯が、ふわりと灯った。
風が、吹いた。
静かな夜。
でも、ギャラリーの期待で空気が熱い。
「杉野さん」
黒川が、言った。
「はい」
「今日は、少し違います」
「もう十分違う!!」
ことみは、ギャラリーを指差した。
「人数がおかしい!!」
「すみません」
「謝るな!!」
桐谷課長が、前に出た。
「黒川」
「はい」
「一人で背負うな」
「……」
「筋トモは?」
「三人です」
「そうだ」
ことみの胸が、少し熱くなった。
(そうだ)
(三人だ)
(筋トモ)
黒川は、ゆっくりとコートのボタンに触れた。
その瞬間
ことみは、思わず叫んだ。
「待って!!」
町内会が、ざわめいた。
「ついに告白か!?」
「違います!!」
ことみは、黒川を見た。
「今日は」
「はい」
「楽しくいきましょう」
「楽しく?」
「炎上とか誤解とか」
「はい」
「もういいです」
ことみは、にっと笑った。
「筋肉見せて、元気出しましょう」
町内会「おおー!!」
会長、スタンディングオベーション。
一人で。
「立つの早い!!」
桐谷課長が、頷いた。
「では」
「はい」
「いくか」
「はい」
黒川が、静かに言った。
「いきます」
ゆっくり。
本当に、ゆっくり。
コートのボタンを外す。
一つ。
二つ。
三つ。
そして
コートが、肩から滑り落ちた。
バサァ……。
月光に照らされる、胸筋。
大胸筋が、街灯の光を受けて輝く。
腹筋が、8パックに割れている。
歓声。
「きたーーー!!」
町内会、総立ち。
続けて
桐谷課長。
コートのボタンが、弾け飛んだ。
物理的に。
ボタンが、地面に落ちた。
「待て課長強い!!」
バサァ!!
Yシャツも脱いだ。
いつの間に。
二体。
並んだ。
左:黒川(45歳・経理)
右:桐谷課長(40代後半・営業)
圧。
壁。
もはや公共事業。
「トリプルでいくぞ」
桐谷課長が、言った。
「私入るの!?」
「実況だ」
「ですよね!!」
ことみは、二人の間に立った。
左右に、筋肉。
挟まれている。
圧が、すごい。
(これ、地震来たら守られそう)
(でも普段は邪魔)
黒川が、構えた。
桐谷課長も、構えた。
「フロント!!」
バン!!
二人同時に、フロントダブルバイセップス。
町内会、拍手喝采。
「すごい!!」
「二人同時!!」
「息ぴったり!!」
犬も、吠えた。
ワンワン!!
筋肉猫も、登場した。
どこからともなく。
にゃあ(低音)。
「筋肉猫!!」
「仕上がってる判定!!」
「翻訳やめろ!!」
「サイド!!」
桐谷課長が、叫んだ。
二人が、同時に横を向いた。
サイドチェスト。
胸筋が、押し合っている。
距離が、近い。
近すぎる。
「密です!!」
「信頼だ!!」
桐谷課長が、言った。
「物理的距離!!」
ことみが、ツッコんだ。
ことみは、笑いながら叫んだ。
「背中!! 背中いけぇぇぇ!!」
二人が、同時に振り向いた。
バックダブルバイセップス。
背中が、開いた。
広背筋が、翼のように広がった。
二つの翼。
まるで、天使。
いや、筋肉天使。
町内会長、号泣。
「わしも明日から腕立てする……!!」
「三日でやめるやつ!!」
主婦たちも、涙ぐんでいる。
「なんか、感動する……」
「筋肉で……?」
「筋肉で感動してる!!」
ことみは、ふと気づいた。
(ああ)
(これだ)
炎上も、誤解も。
不安もあったけど。
今、ここにあるのは
笑い声。
拍手。
ちょっと変な光景。
誰も傷ついていない。
むしろ、元気。
みんな、笑っている。
「黒川さん!!」
「はい!!」
黒川が、振り返った。
ことみが、叫んだ。
「好きです!!」
黒川、ドキッ。
桐谷課長も、止まった。
町内会が、息を呑んだ。
「その背中が!!」
「やっぱり部位!!」
「筋肉最高ぉぉぉ!!」
町内会
拍手。
歓声。
プロテインシェイカーを振る音。
黒川は
笑った。
大きく。
晴れやかに。
いつもの穏やかな笑顔じゃない。
心から楽しそうな、笑顔。
「筋肉は」
「はい」
「裏切りません」
「でも空気は読んで!!」
「読みません」
「即答!!」
桐谷課長が、言った。
「杉野」
「はい」
「お前のおかげだ」
「え?」
「黒川が戻ってこれたのも」
「……」
「町内会が受け入れたのも」
「……」
「お前が、筋肉を愛したからだ」
ことみの目が、少し潤んだ。
「……課長」
「泣くな」
「泣いてない!!」
「最後だ」
桐谷課長と黒川が、構えた。
二人で。
「ダブルバイセップス!!」
バン!!
夜空に浮かぶ、二つのシルエット。
街灯の光が、筋肉を照らす。
コートは、地面に落ちたまま。
何かが、ちゃんと前を向いていた。
町内会が、総立ちで拍手した。
犬が、吠えた。
筋肉猫が、にゃあ(低音)と鳴いた。
明るさ、完全回復。
笑い、満タン。
ことみは、思った。
(この人たちと出会えて、よかった)
(変態だけど)
(筋肉ばっかりだけど)
(でも、優しい)
(そして、楽しい)
黒川が、ポーズを解いた。
桐谷課長も、解いた。
二人で、コートを拾った。
「杉野さん」
「はい」
「ありがとうございました」
「……はい」
「これからも、よろしくお願いします」
「……はい」
町内会が、また拍手した。
夜道に、笑い声が響いた。
次は、少し静かな夜が来る。
でも、それはまた別の話。
今夜は、笑って終わろう。
筋肉と、笑顔と、少しの涙で。
次回予告:
「筋肉のいない夜道――最終話。いつもの夜道に、筋肉がいない。ことみは、一人で歩く。そして、気づく。筋肉は万能じゃない。でも、無駄じゃなかった……。」
40話「筋肉のいない夜道」(最終話)に続く
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