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40話 筋肉のいない夜道(最終話)

 

 夜。


 いつもの道。

 いつもの街灯。


 誰もいない。

 脱衣音、ゼロ。


「フロント!!」の掛け声もない。

 胸筋の反射もない。

 ビキニパンツもない。


 ただの、住宅街。

 ことみは、一人で歩いていた。


「……静か」


 静かすぎる。

 平和。

 健全。

 通報の心配、ゼロ。


「これが普通かぁ」


 黒川は、転勤になった。

 地方支社へ。

 栄転。


 大会での評価もあり、社内のイメージも回復。

 炎上は、むしろプラスに働いた。

「努力する人」というイメージが定着した。

 あの炎上は、もはや昔話。


 桐谷課長は、相変わらず会社で肩幅を主張している。

 今日もスーツのボタンが限界。

 町内会は、腕立てを三日でやめた。

 会長だけが、まだ細々と続けている。

 筋肉猫は、今日もむちっとしている。

 誰が鍛えているのか、未だに謎。


 この街灯の下には、もう


「いないんだよなぁ」


 ことみは、街灯の下に立った。

 ちょっとだけ、胸がきゅっとする。


 でも、泣かない。

 だって、あの人は元気だし。

 転勤先でも、ジムを荒らしてるらしいし。

 夜道でも、地元の人を驚かせてるらしいし。


 たまに、写真が送られてくる。

 《地方支社・バックポーズ》とか。


「なにそのカテゴリ!!」


 ことみは、思わず小声でツッコんだ。

 スマホの画面を見る。

 最新の写真。

 黒川が、地方の街灯の下で脱いでいる。

 相変わらず、仕上がっている。


 地元の人たちが、拍手している。

 すでに、受け入れられている。


(この人、どこ行っても変態だ……)


 ことみは、笑った。

 そして、街灯を見上げた。


 光。

 いつもの光。

 あのとき

 炎上して。

 消えて。

 戻ってきて。

 笑って。

 脱いで。

 町内会巻き込んで。


「濃いな」


 数ヶ月とは思えない。

 密度が、異常。

 ことみは、腕を組んだ。


「……筋肉は万能じゃない」


 確かに。

 炎上は、防げなかった。

 誤解も、生まれた。

 空気も、読めなかった。

 脱ぐ場所も、選びきれなかった。


「空気はほんと読まない」


 筋肉は、嘘をつかなかった。

 積み重ねた時間は、本物だった。

 逃げても、戻ってきた。

 堂々と、立っていた。


「無駄じゃ、なかったな」


 ぽつりと、つぶやいた。

 その瞬間

 ガサッ。


「!?」


 物陰。

 影。

 人がいる。


「まさか……」


 ことみの目が、見開いた。


(黒川さん!?)

(戻ってきた!?)


 ゆっくり、影が出てくる。

 町内会長。


「なんで!?」

「いや、最近静かでな」

「まだ見に来てるの!?」

「習慣になった」

「変な習慣!!」

「今日は自主練だ」

「なにを!?」


 会長、その場で腕立て伏せを始めた。

 一回。

 プルプル。


「……限界」

「一回!!」

「昔はもっとできた……」

「もう七十歳でしょ!!」


 さらに影。

 大きな影。

 肩幅が、異常。

 桐谷課長。

 コート姿。


「課長!?」

「様子を見に来た」

「なにを!?」


 桐谷課長は、街灯を見上げた。


「静かだな」

「はい」

「悪くない」

「ですね」


 少しの沈黙。

 風が吹いた。


 桐谷課長が、コートに手をかけた。


「やめろ」

「なぜだ」

「最終回だぞ!!」

「記念だ」

「いらん!!」


 バサッ。


「脱いだーー!!」


 コートが、落ちた。

 街灯の下に、桐谷課長の上半身が現れた。

 相変わらず、仕上がっている。

 会長、なぜか拍手。


「素晴らしい!!」


 ことみ、爆笑。


「もういいよ!! 十分!!」


 桐谷課長が、真顔でポーズを決めた。

 フロントダブルバイセップス。

 ことみの口が、勝手に開いた。


「上腕二頭筋、今日も完璧ーー!! ピークの高さ、変わらず!! 血管の走行、地図みたい!! これは努力の結晶!!」

「止まらないな」

「止まらない!!」


 桐谷課長が、少し笑った。


「黒川がいなくても」

「はい」

「筋肉はある」

「物理的に!!」

「だが」


 桐谷課長が、ポーズを解いた。


「中心はいない」


 そう。

 あの背中は、いない。

 あの穏やかな笑顔も、いない。

 あの変態も、いない。


 残っている。

 笑いも。

 勇気も。

 ちょっとおかしな価値観も。 


 ことみは、深呼吸した。


「……よし」

「どうした」

「私も」


 ことみが、腕を曲げた。

 ぎこちない、ダブルバイセップス。


「え?」

「杉野さん!?」


 会長と桐谷課長が、驚いた。


「自主練です」


 プルプル。


「きつい!!」

「無理するな!!」

「でも!!」


 ことみは、笑いながら続けた。


「筋肉、ちょっとだけ好きになったので!!」


 会長が、立ち上がった。 


「いいぞ!!」

「どこが!?」

「その気持ちが大事だ!!」

「何の気持ち!?」


 桐谷課長が、隣に並んだ。 


「では、三人で」

「え?」

「トリプル・ダブルバイセップス」

「まだやるの!?」

「最後だ」

「……わかりました」


 三人で、並んだ。

 左:桐谷課長(筋肉MAX)

 中央:ことみ(筋肉ほぼゼロ)

 右:会長(筋肉昔話)


「せーの」 


 バン!!

 三人で、ポーズ。

 ことみの腕が、プルプル震えている。


「きつい!! なんでこんなきついの!?」

「それが筋肉だ」

「理不尽!!」


 桐谷課長が、静かに言った。


「杉野」

「はい!?」

「お前は、よくやった」

「え?」

「黒川を支えた」

「……」

「俺も、支えられた」

「……課長」

「だから――」


 桐谷課長が、少しだけ笑った。 


「ありがとう」


 ことみの目が、潤んだ。


「……課長、それズルい」

「ズルくない」

「泣きそうになる」

「泣け」

「泣かない!!」


 ことみは、ポーズを解いた。

 腕が、パンパンだ。


(これが、パンプ……?)

(ちょっとだけ、分かった気がする)


 ことみは、笑いながら思った。

 筋肉は、万能じゃない。

 問題を全部解決してくれるわけじゃない。


 誤解もある。

 炎上もある。

 転勤もある。

 別れもある。 


 でも

 無駄じゃなかった。

 あの時間。

 あの街灯。

 あの笑い声。

 ちゃんと、自分の中に残っている。


「黒川さん」 


 ことみは、夜空に向かって言った。


「元気に脱いでますか」 


 風が、吹いた。

 どこか遠くで、犬が吠えた。


 スマホが、震えた。

 通知。

 黒川からだった。


 《はい。元気に脱いでいます。地方支社も、受け入れてくれました。杉野さんのおかげです》


 ことみは、笑った。

 涙が、少しだけ出た。


 《こちらも元気です。たまに実況したくなります》


 送信。

 すぐに、返信が来た。


 《録音、まだ聞いています》


「やっぱり変態だ!!」


 ことみは、大声で叫んだ。

 桐谷課長が、コートを拾った。


「帰るか」

「はい」


 会長も、立ち上がった。


「わしも帰る」

「明日も来るんですか?」

「たまにな」

「やめてください」


 三人で、歩き始めた。

 街灯の光が、後ろから照らしている。

 ことみは、くるっと振り返った。

 街灯を、もう一度見た。


(ありがとう)

(変態)

(筋肉)

(そして――)

(楽しかった)


 ことみは、前を向いた。

 ちゃんと、自分の足で歩く。

 街灯の光は、今日も変わらない。


 そこに筋肉は、いない。

 笑いは、ある。

 勇気も、ある。

 思い出も、ある。


 筋肉は万能じゃない。

 でも、無駄じゃなかった。



 エピローグ

 一年後。

 ことみは、ジムにいた。

 軽いダンベルを持って、腕を鍛えている。

 3キロから、5キロに増えた。

 成長。


「杉野さん、フォームいいですね」


 春日井トレーナー(妖精)が、声をかけてきた。


「ありがとうございます」

「続けてますね」

「はい」

「筋肉、好きになりました?」


 ことみは、少し考えた。


 笑った。


「……はい。ちょっとだけ」

「ちょっとでいいんです」


 春日井トレーナーが、にやりと笑った。


「筋肉は、嘘をつきませんから」


 ことみは、ダンベルを下ろした。

 鏡を見る。

 腕に、少しだけ筋肉がついている。

 ほんの少しだけ。

 でも、確かにある。


(黒川さん、見てくれるかな)

(この筋肉)


 スマホを取り出した。

 写真を撮った。

 腕の写真。

 黒川に、送った。


 《筋肉、ちょっとつきました》


 すぐに、返信が来た。


 《素晴らしい! 実況してください》


 ことみは、笑った。

 タイプした。

 《上腕二頭筋、ほんのり盛り上がり! まだまだこれからですが、確実に成長中! 仕上がるまで、あと何年かかるかな!》


 送信。

 返信。


 《応援しています。いつか、一緒にポーズを》


 ことみは、ジムを出た。

 夜道を歩く。

 街灯が、照らしている。

 いつもの街灯。

 誰もいない。


 ことみは、一人じゃない。

 筋肉が、少しだけある。

 笑いも、ある。

 思い出も、ある。


 これから、も、ある。




 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

 変態と筋肉の物語、いかがでしたでしょうか。

 この物語は、「変態は怖い。でも、理解すると優しい」「筋肉は裏切らない。でも空気は読まない」という二つのテーマを軸に書きました。

 疲れた社会人の皆様に、少しでも笑いと元気を届けられていれば幸いです。

 そして

 筋肉は万能じゃない。

 でも、無駄じゃなかった。

 それでは、また。


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