表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

38/41

37話 桐谷の決断

 

 黒川誠、休暇四日目。

 会社は、平常運転。


 いつも通りの朝。

 いつも通りの昼。

 いつも通りの夕方。


 でも、どこか物足りない。


 夜道も、静か。

 変態、不在。

 脱衣、ゼロ。

 筋肉音、ゼロ。


「……平和ってこんなに退屈?」


 ことみは、屋上で空を見上げた。

 雲が、流れている。

 風が、冷たい。


「杉野さん」


 低い声。

 振り向くと、桐谷課長。

 今日はなぜか、ジャケットのボタンが閉まらない。

 胸筋が、完全にボタンを押し広げている。


「課長、その胸板どうしたんですか」

「決意だ」

「服で表現するな!!」


 桐谷課長は、真顔で言った。


「迎えに行く」

「え?」

「黒川を」

「家まで!?」

「当然だ」

「突撃! マッチョ訪問!」

「ヒャッハーはしない」

「今ちょっとしました!!」


 ことみは、一瞬ためらった。


(行って、いいのかな)

(重くないかな)

(でも――)


「……私も行きます」

「来るか」

「実況いないと話進まないでしょ」

「自覚あるな」

「あります!!」



 ---



 黒川家前。

 一軒家。

 普通の住宅街。

 庭に、プロテインシェイカーが干してある。


(生活感……)


 ピンポーン。

 ドアが開いた。

 黒川の妻が、にこやかに現れた。


「あら、桐谷課長さん」

「ご無沙汰しています」

「いつもお世話になっております」


 その後ろから


「パパー! 脱ぐ人来たー!!」

「呼び方!!」


 子供たちが、元気に走ってきた。

 息子と娘。

 二人とも、笑顔。


「お姉さんも来た!!」

「実況の人!!」

「実況の人って呼ばれてる!!」


 ことみは、頭を抱えた。



 ---



 リビング。

 黒川誠、いた。

 ジャージ姿。

 ソファに座っている。

 若干、しょんぼりしている。


(あ……)


 ことみは、胸がきゅっとなった。


(元気ない……)


「なにしてるんですか」

「……スクワットです」

「座ってるだけ!!」

「心の」

「抽象的!!」


 桐谷課長が、ずかずか入ってきた。

 肩幅が、リビングを圧迫している。


「黒川」

「はい」

「戻れ」

「直球!!」

「職場も夜道も、静かすぎる」

「課長が寂しいだけでは……」

「違う」


 桐谷課長が、ことみを見た。


「杉野さん」

「はい」

「言え」

「え?」

「来た理由を」

「課長、丸投げ!!」


 ことみは、黒川を見た。

 少し痩せた?

 いや、たぶん気のせい。

 筋肉は、そう簡単には減らない。

 顔が、少し疲れている。


「……黒川さん」

「はい」

「いないと」

「はい」

「なんか調子狂います」

「……」

「夜道、普通すぎてつまらないです」

「……」

「あと」


 言葉が、詰まった。

 早苗の顔が浮かぶ。


 "重いわよもう"。


 深呼吸。

 言おう。

 ちゃんと、言おう。


「あなたの背中」

「はい」

「また見たいです」


 黒川の目が、少し揺れた。


「大会は終わりました」

「関係ない!!」

「……」

「私は」


 ことみは、笑った。


「あなたの筋肉、好きなんで」


 沈黙。

 子供たちが、「おおー」とか言うな。


「お姉さん、パパのこと好きなの?」

「筋肉が!! 筋肉が好き!!」

「同じじゃん」

「違う!!」


 黒川の妻が、キッチンから優しく笑った。


「まあまあ。ありがとうございます、杉野さん」

「あ、いえ……」

「この人の筋肉を好きって言ってくれる人、珍しいので」

「えっ」

「普通は引きますから」

「そうなんですか!?」

「ええ。私も最初は引きました」

「奥さん!!」


 黒川が、少しだけ顔を赤くした。

 妻が、続けた。


「でも、この人は筋肉と一緒に、ちゃんと家族も大事にしてくれるので」

「……」

「だから、許してます」

「許してる扱い!!」


 桐谷課長が、咳払いした。

 その時


 にゃあ。

 足元に、猫。

 むちっとしている。

 妙に、肩が盛り上がっている。


「なにこの猫!?」

「近所の野良さんです」


 黒川の娘が、得意げに言った。


「筋肉すごいでしょ」

「ほんとだ!!」


 猫が、ゆっくりと伸びをした。

 前脚が伸びる。

 背中が伸びる。

 背中が、割れた。

 僧帽筋が、くっきりと浮き出ている。


「筋肉猫ぉぉ!!」

「にゃ」


 低音。

 ことみは、ハッとした。


「あ、この猫……ジムで見た!!」

「そうです」


 黒川が、頷いた。


「この近くに住んでいるらしく、時々ジムに遊びに来ます」

「プロテイン飲んでた猫!!」

「はい」

「なんで筋肉ついてるの!?」

「謎です」


 桐谷課長が、しゃがんだ。


「いい背中だ」

「課長やめて!! 猫相手に何言ってるの!!」


 猫が、黒川の足にすり寄った。

 黒川は、自然に抱き上げた。

 腕の中で、猫がゴロゴロと喉を鳴らした。

 筋肉と筋肉。

 マッチョと筋肉猫。


「似合いすぎる!!」


 ことみは、思わず叫んだ。

 黒川が、ぽつりと言った。


「……戻っても、いいですか」

「誰に聞いてるんですか」

「世間に」

「知らん!!」


 ことみは、一歩近づいた。


「私は」

「はい」

「味方って言いましたよね」

「はい」

「撤回してません」


 黒川は、ゆっくりと立ち上がった。

 猫が、ぴょんと降りた。


「では」


 黒川が、ジャージの裾を掴んだ。


「待て」


 ことみと桐谷課長が、同時に言った。


「ここで脱ぐな!!」

「自宅です」

「窓開いてる!!」

「子供もいる!!」

「いつも見てます」

「価値観!!」


 黒川の妻が、さっとカーテンを閉めた。

 数秒後――


「……いきます」


 バサッ。

 ジャージが、脱げた。

 リビングに、黒川誠の上半身が現れた。

 フロントダブルバイセップス。


「自宅フロントダブルぅぅぅ!! 四日ぶりの筋肉!! 少し休んだ分、パンプが新鮮!! 上腕二頭筋、健在!!」


 桐谷課長まで脱いだ。


「課長まで!?」


 子供たち、拍手。

 妻、ため息。

 筋肉猫、にゃあ(低音)。

 ことみは、笑いながら思った。


(ああ)

(私)


 この人の筋肉が好きなんだ。


 でも、それだけじゃない。

 逃げても戻るところも。

 ちょっと不器用なところも。

 家族を大事にするところも。

 全部込みで


(好き、なのかもしれない)


「黒川さん」

「はい」


 黒川が、ポーズを解いた。


「夜道、復活ですよ」

「はい」

「でも」

「はい」

「脱ぎすぎ禁止」

「努力します」

「努力でどうにかなるの!?」

「なりません」

「即答!!」


 ピンポーン。

 玄関のチャイムが鳴った。

 黒川の妻が、ドアを開けた。


「あら、会長さん」

「こんにちは」


 低く、渋い声。

 リビングに現れたのは

 佐々木町内会長。

 七十歳とは思えない、張りのある胸筋。

 Tシャツ姿。


「黒川くん、元気か」

「会長……」

「町内会で、話が出てる」

「……はい」

「お前の夜道ポージング、復活させろ」

「え!?」


 ことみが、驚いた。


「町内の人たち、寂しがってる」

「寂しがってる!?」

「夜の見回り、誰がするんだって」

「それ黒川さんの役目だったの!?」


 会長が、腕を組んだ。


「夜道で脱ぐのは、町内公認だ」

「公認!?」

「むしろ、脱がないと困る」

「困るの!?」


 会長が、黒川に手を差し出した。


「戻ってこい」


 黒川は、少しだけ涙ぐんだ。


「……はい」


 握手。

 筋肉と筋肉の握手。

 ことみは、笑った。

 桐谷課長も、笑った。

 子供たちも、笑った。

 筋肉猫も、にゃあ(低音)。

 黒川が、立ち上がった。


「では、今夜から復活します」

「待ってました!!」


 ことみが、叫んだ。


「実況、準備してます!!」

「頼みます」


 桐谷課長が、頷いた。


「俺も、たまに参加する」

「課長まで脱ぐ気!?」

「当然だ」

「脱ぎ仲間増えた!!」


 三人と一匹(筋肉猫)は、笑った。

 嵐は、去りきってない。

 まだ、ネットには炎上の跡が残っている。

 戻ると決めた。

 前に進むと決めた。


 ことみも

 自分の気持ちに、ちゃんと気づいた。

 好き。

 筋肉も。

 その人も。

 全部。


 帰り道。

 ことみは、桐谷課長と並んで歩いた。


「課長」

「なんだ」

「今日、ありがとうございました」

「礼はいらん」

「でも」

「筋トモだろう」


 ことみは、笑った。


「……はい」

「なら、当然だ」


 桐谷課長が、空を見上げた。


「黒川は、戻ってくる」

「……はい」

「お前も、ちゃんと迎えろ」

「……はい」

「実況、準備しとけ」

「はい!!」

 



次回予告:

「再会の街灯――ついに、黒川が夜道に戻ってくる! そして、ことみは――自分の気持ちを、伝えられるのか……!?」

 38話「再会の街灯」に続く


 よろしければ、続きの目印にブックマーク、応援に☆を押していただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ