35話 ことみ、選ぶ
炎上から三日。
ネットは、まだザワついている。
ことみは、通勤電車の中でスマホを見た。
トレンドは、まだ残っている。
《路上マッチョ反省しろ》
《いや普通に大会すごかった》
《背中は正義》
「背中は正義って何!!」
思わず、小声で叫んだ。
隣の人が、ビクッとした。
「すみません……」
ことみは、スマホを閉じた。
会社でも、視線はまだ少しある。
ヒソヒソ。
チラチラ。
「杉野さん、あの人と距離置いたほうがよくない?」
「イメージ的にさ」
「将来的にさ」
将来的にさ、って何。
私の将来、上腕二頭筋基準なの?
(うるさいな……)
ことみは、デスクで深呼吸した。
---
昼休み。
屋上。
桐谷課長が、腕を組んで立っていた。
「迷っているな」
「顔に出てます?」
「僧帽筋くらいはっきり出ている」
「分かりづらい例え!!」
ことみは、フェンスにもたれた。
空が、青い。
雲が、流れている。
「世間の目って、めんどくさいですね」
「うむ」
「正しいとか正しくないとかより」
「うむ」
「"なんとなくやばい"って空気が一番やばい」
「空気は鍛えられんからな」
「また筋肉理論!!」
桐谷課長が、フェンスに手をかけた。
「杉野」
「はい」
「お前は、どうしたい」
「……」
「世間に合わせるか」
「……」
「自分を信じるか」
ことみは、黙った。
風が、髪を揺らす。
(どうしたい、か)
その時
ガチャ。
屋上のドアが開いた。
「……こんにちは」
黒川誠。
なぜか、プロテインを飲みながら。
「なにしに来たんですか」
「背中が落ち着かなくて」
「情緒が広背筋にある人!!」
黒川は、真顔だった。
いつもの穏やかな顔じゃない。
少しだけ、疲れている顔。
「杉野さん」
「はい」
「無理はしないでください」
「え」
「距離を置くなら、それも尊重します」
「……」
「私の炎は、私が受けます」
「言い方!!」
「炎上なので」
「うまいこと言うな!!」
ことみは、じっと黒川を見た。
逃げない。
言い訳しない。
脱ぐけど。
(ずるいなあ)
(こんなに真っ直ぐだと)
(誤解されても、堂々としてると)
(こっちが試されるじゃん)
「……黒川さん」
「はい」
「私、選びます」
桐谷課長が、静かに一歩引いた。
風が、強くなった。
ことみの髪が、大きく揺れた。
「世間の目」
「はい」
「正直、ちょっと怖いです」
「当然です」
「でも」
ことみは、笑った。
「筋肉より怖くない」
「基準おかしい!!」
「夜道で急に脱ぐほうが怖い!!」
「それは謝ります」
「よろしい」
深呼吸。
ことみは、胸に手を当てた。
心臓が、速く打っている。
「私、自分の目を信じます」
黒川の目が、わずかに揺れた。
「ステージで見た背中」
「……はい」
「逃げなかった背中」
「……はい」
「家族の前で笑ってた顔」
「……はい」
「変態だけど」
「はい」
「嘘はない」
ことみは、肩をすくめた。
「だから」
「はい」
「私は、あなたの味方でいます」
沈黙。
風が、止んだ。
雲が、動かなくなった気がした。
桐谷課長が、ボソッと言った。
「言ったな」
「課長うるさい!!」
黒川は、ゆっくりと頭を下げた。
深く。
丁寧に。
「ありがとうございます」
「でも条件あります」
「なんでしょう」
「脱ぐ場所、選んでください」
「善処します」
「確約しろ!!」
三人、笑った。
そのとき
ことみのスマホが鳴った。
通知。
会社公式アカウント。
《黒川誠、部署代表として大会出場。努力の姿勢を評価》
「……え?」
桐谷課長が、にやりとした。
「根回しは済んでいる」
「仕事早っ!!」
「誤解は、放っておくと筋肉痛になる」
「また筋肉!!」
さらに通知が来た。
《#背中は正義》
が再浮上している。
コメントが、流れる。
《努力ってかっこいい》
《路上はダメだけど大会は応援する》
《娘さんの声で泣いた》
《パパって言われて頑張る姿、好き》
ことみは、小さく笑った。
「世間、ちょろいですね」
「単純だ」
「単純でよかった」
黒川が、静かに言った。
「杉野さん」
「はい」
「大会の結果は、まだです」
「はい」
「もし負けても」
「はい」
「味方でいてくれますか」
ことみは、即答した。
「当たり前です」
「優勝しなくても?」
「優勝したらもっと騒ぎます」
「騒ぐ前提!!」
「でも」
ことみは、にっと笑った。
「筋肉は万能じゃないですけど」
「はい」
「無駄じゃないって、知ってるので」
黒川の口元が、やわらかくなった。
いつもの、穏やかな笑顔。
桐谷課長が、頷いた。
「選んだな」
「はい」
「覚悟はあるか」
「あります」
「では」
黒川が、コートに手をかけた。
「覚悟の――」
「脱ぐなぁぁぁ!!」
「屋上はセーフでは?」
「グレー!!」
「では、腕まくりに変更します」
「それならセーフ!!」
黒川が、袖をまくった。
前腕が、露出した。
血管が、浮き出ている。
「前腕屈筋群、今日も元気ーー!!」
「出た、条件反射!!」
桐谷課長も、笑った。
「杉野、お前らしいな」
「何がですか!?」
「筋肉で選んでる」
「選んでない!! 人で選んでる!!」
「筋肉も人の一部だ」
「屁理屈!!」
笑い声が、風に溶けた。
世間の目も。
不安も。
ゼロじゃない。
まだ、ちょっと怖い。
でも
ことみは選んだ。
自分の目で見て。
自分の足で立つことを。
黒川が、ことみに聞いた。
「杉野さん」
「はい」
「これからも、実況をお願いします」
「……はい」
「夜道でも」
「場所選んでください」
「大会でも」
「それは全力で」
「ジムでも」
「通います」
「本当ですか」
「筋肉、ちょっと興味出てきました」
桐谷課長が、ニヤリとした。
「汚染が進んでいる」
「進んでない!!」
ことみは笑った。
悪くない、と思った。
筋肉で繋がった縁。
変態だけど、優しい人たち。
未来は、たぶん明るい。
ちょっと筋肉質だけど。
ことみは、帰り道で思った。
(選んだ)
(自分で、選んだ)
(世間の目じゃなくて、自分の目で)
次回予告:
「マッチョ、姿を消す――突然、黒川が消えた!? 夜道にも現れない。会社にも来ない。一体何が……!?」
36話「マッチョ、姿を消す」に続く
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