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34話 世間の誤解

 

 大会翌日。

 会社の空気が、妙にざわついていた。

 朝から、ヒソヒソ声が止まらない。


「見た?」

「例のマッチョの件」

「夜道で脱いでたらしいよ」

「やばくない?」

「筋肉健康セミナーとかやってたよね」

「この会社大人気かな」

「どこの人?」

「隣のビルらしい」


 ヒソヒソ。

 ヒソヒソ。

 ことみは、デスクで固まった。


(拡散、はや……)

(まだ一日しか経ってないのに)


 スマホを見る。

 トレンド入りしている。


 《#路上マッチョ》

 《#筋肉イベント炎上》

 《#脱ぎすぎ注意》


「タグの語彙どうなってるの!?」


 思わず、小声で叫んだ。

 隣の席の同僚が、ことみに話しかけてきた。


「杉野さん、あの人と部署同じだよね?」

「え、いや、違う部署です。隣のビルの……」

「大丈夫なの?」

「なにが!?」

「襲われたりしない?」

「襲う側前提!?」


 ことみは、机を叩きそうになるのを我慢した。


(違う)

(違うのに)

(黒川さんは、襲ったりしない)

(夜道で会っても、距離を保つ人なのに)

(誰よりも、礼儀正しいのに)


 スマホの画面を見る。

 コメント欄が、荒れている。


 《変態じゃん》

 《通報した方がいい》

 《子供に見せられない》


 でも、中には


 《大会見たけど普通にすごかった》

 《筋肉すごい》

 《努力してるのは分かる》


 そういうコメントもある。

 でも、少ない。

 圧倒的に、少ない。


 そこへ

 桐谷課長が現れた。

 いつも通り、落ち着いている。

 ただし、肩幅がいつもより怒っている。

 スーツの肩線が、完全に戦闘モード。


「騒ぐな」


 一言で、オフィスが静まった。


「彼は問題を起こしていない」

「でも課長、路上で――」

「ポージングだ」

「言い切った!!」


 社員たちが、ざわつく。


「迷惑行為ではない」

「そこ強調すると余計怪しいです!!」


 桐谷課長は、ことみを見た。


「杉野」

「はい」

「昼、時間をくれ」

「……はい」



 ---



 昼休み。

 屋上。

 風が強い。

 空が、青い。

 ことみは、フェンスに手をかけた。


「……黒川さん、出社してないですね」

「ああ」

「逃げました?」

「違う」


 桐谷課長が、短く言った。


「休暇だ」

「このタイミングで!?」

「嵐の中でトレーニングはしない」

「比喩が筋肉!!」


 ことみは、フェンス越しに空を見た。

 雲が、流れている。


「誤解、ですよね」

「そうだ」

「でも」


 胸が、ざわつく。


「世間って、ちゃんと見ないじゃないですか」

「見ない」

「一部分だけ切り取って」

「うむ」

「変態って言って」

「うむ」

「……まあ変態は変態なんですけど」

「そこは揺るがない」


 二人、同時にため息をついた。


(でも、違うんだよな)

(変態は変態だけど)

(それだけじゃない)


「杉野」

「はい」

「お前はどう思う」

「なにをですか」

「黒川を」


 ことみは、少し黙った。

 夜道。

 街灯の下。

 ビキニパンツで立つ黒川。

 家族と笑う黒川。

 ステージで輝く黒川。

 全部が、浮かぶ。


「……誤解されやすい人です」

「そうだな」

「でも」


 口元が、少しだけ笑った。


「誤解されても、やめない人です」

「やめない」

「逃げても、戻る人です」


 桐谷課長が、頷いた。


「それが筋肉だ」

「概念にするな!!」


 ことみは、笑った。

 涙が、少しだけ出そうになった。


(黒川さん、大丈夫かな)

(傷ついてないかな)

(家族は、大丈夫かな)


 その時

 スマホが震えた。

 通知。

 動画。

 新しい投稿。


 タイトル。

 《大会での黒川誠、圧巻の背中》

「……え?」


 ことみは、動画を再生した。

 ステージ上の黒川。

 完璧なバックダブルバイセップス。

 広背筋が、翼のように広がる。


 客席の「パパー!!」の声。

 拍手。

 歓声。

 コメントが、流れる。


 《普通にすごい》

 《努力の塊》

 《炎上とかどうでもよくね》

 《かっこいい》

 《これは認めざるを得ない》


 ことみの目が、少し潤んだ。


「世間は」


 桐谷課長が、言った。


「雑だが、単純でもある」

「単純?」

「強いものには、ちゃんと拍手する」


 ことみは、笑った。


「筋肉、強いですもんね」

「物理的にな」

「見た目で分かりますもんね」

「分かりやすい」

「黒川さんの筋肉、嘘つかないですもんね」

「……そうだ」


 桐谷課長も、少しだけ笑った。


 その時

 屋上のドアが、ガチャと開いた。

 振り向くと――

 黒川。


 普通にいる。

 ポロシャツ姿。

 穏やかな顔。


「休暇では!?」

「ジム帰りです」

「なにしてんの!?」

「背中が炎上対策でパンプアップしました」

「意味がわからない!!」


 ことみは、頭を抱えた。

 黒川が、静かに言った。


「杉野さん」

「はい」

「誤解されています」

「はい」

「ですが」

「はい」

「本質は変わりません」

「変態は?」

「そこも含めて」

「堂々!!」


 ことみは、思わず笑ってしまった。

 涙が出るくらい、笑った。


「……ほんと、ややこしい人」

「筋肉はシンプルです」

「あなたが複雑なの!!」


 桐谷課長が、腕を組んだ。


「黒川」

「はい」

「炎上、気にしてないのか」

「気にしています」

「……そうか」

「でも」


 黒川が、胸に手を当てた。

 大胸筋が、ぴくんと動いた。 


「筋肉は、気にしていません」

「筋肉に意識があるみたいに言うな!!」


 ことみが、ツッコんだ。


「筋肉は、嘘をつきません」

「それは分かる!!」

「だから、私も嘘をつきません」

「……」

「夜道で脱いでいたのは、事実です」

「……」

「変態だと言われるのも、仕方ありません」

「……」

「でも」


 黒川が、まっすぐ言った。


「誰も傷つけていません」


 風が、吹いた。

 ことみの髪が、揺れた。


「……そうですね」

「はい」

「黒川さんは、誰も傷つけてない」

「はい」

「距離も守ってた」

「はい」

「家族も大事にしてた」

「はい」

「筋肉も大事にしてた」

「はい」


 ことみは、笑った。


「だから、大丈夫です」

「……ありがとうございます」


 桐谷課長が、頷いた。


「杉野の言う通りだ」

「はい」

「世間は雑だが、真実は残る」

「……はい」

「お前の筋肉は、本物だ」

「ありがとうございます」


 三人で、並んで空を見た。

 雲が、流れている。

 誤解は、まだ完全には消えていない。

 炎上も、まだくすぶっている。

 ちゃんと見てくれる人も、いる。


 家族。

 桐谷課長。

 私。


「黒川さん」

「はい」

「逃げないでくださいね」

「逃げません」

「脱ぎ逃げもダメです」

「それは状況次第で」

「ダメ!!」


 三人、笑った。

 誤解はある。

 炎もくすぶる。 


 でも、筋肉は今日も変わらずそこにある。

 無駄にでかく。

 無駄にまっすぐ。

 少しだけ誇らしく。

 ことみは、帰り道で思った。


(私、黒川さんを信じてる)

(変態だけど)

(誤解されやすいけど)

(でも、ちゃんとした人だって知ってる)

(だから――)





次回予告:

「ことみ、選ぶ――世間の目と、自分の気持ち。ことみが、ついに決断する……!」

 35話「ことみ、選ぶ」に続く


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