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33話 筋肉イベント炎上

 

 大会当日。

 朝。


 会場前には、すでに行列ができていた。


「第12回 関東クラシックボディビル選手権」。


 のぼりが、風に揺れている。

 赤と白の幕。


 プロテインの試供品を配るブース。

 鶏むね肉の販売ブース。

 完全に筋肉の祭典。


 ことみは、深呼吸した。


(ついに)

(ついに、この日が来た)


 隣に、桐谷課長。

 今日はスーツだが、明らかに中身が張っている。

 肩のラインが、スーツの限界を試している。


「落ち着け、杉野」

「落ち着いてます」

「声が実況モードだ」

「まだ本番じゃない!!」

「もう出てる」

「うるさい!!」


 会場に入る。

 すでに熱気がすごい。

 筋肉を愛する人たちが、集まっている。

 タンクトップ率、80パーセント。

 プロテインシェイカー率、90パーセント。


(濃い……)

(空気が濃い……)



 ---



 舞台裏。

 黒川誠は、静かに座っていた。

 全身にオイル。

 光を吸い、反射する筋肉。

 無駄が削ぎ落とされている。

 夜道の変態は、そこにいなかった。


 代わりにいるのは

 アスリート。

 真剣な顔。

 研ぎ澄まされた体。


「黒川さん」


 ことみが、声をかけた。


「はい」

「……緊張してます?」

「少しだけ」

「少しなんだ」

「ですが」


 黒川が、立ち上がった。

 筋肉が、光を反射する。

 オイルが、波のように流れる。


「楽しみです」


 その顔は、まっすぐだった。

 嘘がない。

 誤魔化しがない。


「今日は」


 ことみが、聞いた。


「はい」

「誰のために、脱ぐんですか」


 黒川は、一瞬考えた。


「家族」

「はい」

「自分」

「はい」

「……そして」


 ことみを見た。


「応援してくれる人のために」


 ことみの胸が、静かに熱くなった。


(私も、入ってる)

(応援してくれる人、に)


「じゃあ」

「はい」

「全力で脱いでください」

「もちろんです」


 黒川が、笑った。

 いつもの、穏やかな笑顔。



 ---



 開演。

 観客席が、ざわめいた。

 ライトが、点灯した。

 ステージが、明るくなった。

 司会者が、マイクを持って叫んだ。


「皆さん、お待たせしました!! 第12回、関東クラシックボディビル選手権、開幕です!!」


 ドォォォン!!

 拍手。

 歓声。

 プロテインシェイカーを振る音。


(プロテインシェイカー振るな!!)


 次々と、選手がステージに上がる。


 エントリーナンバー1。

 2。

 3。


 みんな、仕上がっている。

 体脂肪率、一桁。

 筋肉、パンパン。


「エントリーナンバー17! 黒川誠!!」


 拍手。

 足音。

 黒川が、ステージ中央へ歩く。

 スポットライトが、当たった。


(……あ)


 ことみは、息を呑んだ。

 夜道で見てきた筋肉。

 笑いながら実況してきた背中。


 それが今


 完璧な光の中に立っている。


「規定ポーズ! フロントポーズ!!」


 審査員の声。

 黒川が、構えた。


 バン。

 フロントダブルバイセップス。

 会場が、どよめいた。


「おおおお!!」

「仕上がってる!!」

「腹筋、8パック!!」


 腹筋が、彫刻のように割れている。

 胸筋が、呼吸で波打っている。

 血管が、地図のように浮き出ている。


(仕上がってる……)


 ことみの口が、勝手に開いた。


「完成度、高い……!!」

「実況してるぞ」


 桐谷課長が、小声で言った。


「抑えきれない!!」

「周りが見てる」

「見せつけたい!!」

「意味が違う」


 次々と、ポーズが変わる。

 サイドチェスト。

 バックダブルバイセップス。

 フロントラットスプレッド。

 会場の熱が、上がる。

 拍手が、大きくなる。


 そのとき

 客席の後方が、ざわついた。


「え?」


 ざわざわ。

 スマホの光。

 ヒソヒソ声。


「なに?」


 桐谷課長が、眉をひそめた。

 ことみも、振り返った。

 客席の一部が、スマホを見ている。

 画面を見せ合っている。


 大型スクリーンに、一瞬だけ映った画像。

 夜道で脱ぐ黒川の姿。

 街灯の下。

 ビキニパンツ一丁。

 ダブルバイセップス。


 誰かが、SNSに上げていた。


 タイトル。

 《大会出場者、夜に路上で脱いでいた件》


「……は?」


 ことみの血が、引いた。

 観客が、ざわめく。


「やばくない?」

「炎上?」

「変態?」

「これ本人?」

「マジで?」


 ざわざわざわ。

 ステージ上の黒川は

 一瞬だけ、視線を上げた。

 気づいた。

 客席のざわめきに。

 スマホの光に。


 逃げない。


「規定ポーズ! バックダブルバイセップス!!」


 審査員の声。

 黒川は、ゆっくりと構えた。

 背中を、客席に向けた。


(……逃げない)


 ことみは、拳を握った。


(この人は)


 炎上。

 笑い者。

 変態。

 全部、知ってる。


(戻ってくる人だ)


 黒川は、堂々と胸を張った。


 バン。

 バックダブルバイセップス。

 背中が、開いた。

 広背筋が、翼のように広がった。

 僧帽筋が、山のように盛り上がった。

 脊柱起立筋が、縦のラインを作った。


 会場が

 静まった。


 ざわめきが、少しずつ消えた。

 スマホを下げる人が、増えた。

 見入る人が、増えた。


 筋肉は、言い訳しない。

 ただ、積み重ねだけを語る。

 二十年分の積み重ね。

 朝五時からのトレーニング。

 週六のジム通い。

 家族との約束。

 全部が、そこにある。

 ことみの目に、涙がにじんだ。


「……黒川さん」


 桐谷課長が、低く言った。


「見ろ」


 ことみが、前を見た。

 客席の最前列。

 子供たちが、立ち上がっている。

 黒川の息子と娘。


「パパー!!」


 大きな声。

 澄んだ声。


「かっこいいー!!」


 その一言。

 黒川の口元が、わずかに緩んだ。

 いつもの、穏やかな笑顔。


 最後のポーズ。


「フリーポージング!!」


 審査員の声。

 黒川は、ゆっくりと両腕を上げた。

 覚悟のダブルバイセップス。


 夜道とは違う。

 でも、同じ。

 全部背負って。

 堂々と。

 家族も。

 過去も。

 炎上も。

 全部。


 観客席から、拍手が広がった。

 ざわめきが、歓声に変わった。

 スマホを下げる人。

 立ち上がる人。

 子供の笑顔。

 奥さんの涙。


「すごい……!!」

「あの背中……!!」

「仕上がってる!!」


 ことみは、涙を拭った。


「……燃えてますね」

「炎上ではないな」


 桐谷課長が、言った。 


「燃焼だ」

「うまいこと言うな!!」


 ステージの上。

 黒川は、光の中で立っている。

 筋肉は、誰のために輝くのか。

 答えは、きっとひとつじゃない。 


 家族のため。

 自分のため。

 応援してくれる人のため。


 あの背中は。

 誇らしく、まぶしかった。

 黒川が、ステージを降りた。

 拍手が、鳴り止まない。


 ことみは、涙を拭いながら、

 小さく呟いた。


「……かっこよかった」


 桐谷課長が、頷いた。


「ああ」

「変態だけど」

「ああ」

「かっこよかった」

「……ああ」


 炎上は、まだ終わっていない。

 結果発表も、まだだ。


 でも、

 物語は、確実に次の段階へ進んでいた。




次回予告:

「世間の誤解――SNSは炎上し、ニュースになり、世間は黒川を"変態"と呼ぶ。でも、ことみは知っている。この人の全部を……!」

 34話「世間の誤解」に続く


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