二つ、私は春風に追われるⅣ
「お前は要らないだろ……。何に使うんだよ」
「さっちゃんコレクション!」
さっちゃん、と呼ばれた彼は大仰にため息をついた。
「えーと、あの……」
私が声を出そうとすると、
「人間は黙ってて!」
と強く言われてしまった。むう、と私が黙ると、彼がまた息を吐いた。
「こいつは精霊界の奴だ。この時期になると何時も来る」
「違いますー、私が来るから春が来るんだもんね。私が来ないと桜だって咲かないんだもーん」
彼女は嬉しそうに彼へと飛びつく。それを受け止め、彼はなあなあに対応する。まるで犬と飼い主のようだ。
「確かにお前はその一派だが、仕事をしてるのは別の奴らだろ」
「だってー、さっちゃんに早く会いたかったんだもん」
桜より先に、好き好きオーラ満開である。
「えーと、さっちゃん、っていうのは?」
私が尋ねると、彼女は目つきを尖らせて私に応じる。
何かしたのかは知らないが、私がこのお守りを持つことをいたく気に入らないようである。
「桜の神様だから『さっちゃん』。人間は呼んじゃダメよ。畏れ多い」
どうやら本名ではなく渾名らしい。
「お前は年々人嫌いが顕著になっていくな」
「だって臭いんだもん!もーなんで人間って群れるの?臭くて堪らないよ!」
そうだろうか。私は自分の匂いを嗅ぐ。無臭とは言わないが、臭くはないだろう。
そうこうしている内に、彼が私に向かって手を払う。
「面倒な奴が来たからもう帰れ。それに関しての説明はしたしな」
もう用はない、ということだろう。それに、夜も更け始めている。
「そーだそーだ!帰れ帰れ!」
彼女は風のようにふわりと浮き、マフラーのように彼の首元に抱きつく。
「ん?でもなんであいつさっちゃんと私のこと見えんの?」
「だから、色々あると言ったろう」
「えっと、本当にありがとうございました!」
私はもう一度お辞儀をする。
「リスクもあるから気にするな。それと、ここへはもう来るなよ。お前の才能はどこまで伸びるかわからん。他の世界の存在に関われば関わるだけ、見え易くなるかもしれないからな」
「はい。あの一つだけ聞いてもいいですか?」
「早く帰れったらー!」
彼が彼女の口を塞ぐ。彼女はそれさえどこか嬉しそうだ。
「いいぞ」
「なんで人を助けたりするんですか?」
私の知る限り、彼は結構人に関わっている。それも自発的に。
私の問いに、彼は神らしく笑った。
「俺の土地で何をしようが俺の勝手だろ?」
なんとも神らしい、傲慢で横柄な考えであった。
「ほんと、人間に関わったって録なことないのに。そういえば爺様が言ってたけど、さっちゃんも元は人間だったんだって?」
「え!?」
人間が神になれるのだろうか。
「おお、そうだぞ。ただの現人神というだけじゃない。神界探したって人間から直接神に昇華したやつなんて三人くらいしかいない」
だから、私にも見えるのだろうか。
「じゃあ、さっちゃんが人間を構うのもわかるけどさー。っていうか、あんた未だ居たの」
彼女が私を見つめる。彼女の瞳は冷たかったが、人懐っこい丸い瞳の中には暖かさが宿っているようだった。
「え!?あ、ああ、帰りますけど……」
何か物足りないような、そんな感覚を覚えていた。
「あの、元人間なら名前とか――」
その言葉は彼女によって遮られた。
「神様の名前は大切なの!簡単に教えられないの!」
どこかムキになっているその様子からすると、彼女も知らないらしい。
「ま、そういうことだ。代わりにコイツの名前を教えてやろう」
えー、なんでよー、と彼女はベタベタとして抗議する。しているつもりなのだろう。
「こいつは精霊界のハル。人間界に芽吹きの風を送る春風の精だ。人間の形を保っているのは俺の真似だ。意味はないし、普通の精霊は固有の形を持たないからお前にも見えないだろう」
春風のハル。
「さっちゃんに付けてもらったんだぞ!神様からもらった名前なの!」
ハルは嬉しそうに言葉を紡ぐ。なんというか、人間のように難しい表現はしないようだ。嫌いなものを嫌いといい、好きなものを好きという。単純で、純粋だ。
大層な力はないけどな。彼はそう言った。
「俺は別段、人間から信仰されたいとも思わんし、呼び名も通称もいらん。さっきも言ったが、後は普通に人間らしく暮らすことだ。今のお前にはそれが出来るわけだからな」
「そだそだ!人間はさっさとカエレ!」
風が吹いた。言葉とは裏腹に、どこか優しく吹き抜ける風だ。
翻るスカートを抑える。
「あの、本当に、有難う!」
その言葉は聞こえていたかどうか。私は風に押されるようにその場所を離れた。
月明かりのあぜ道を下る。足元が多少不安だったが、学校設備の灯りが灯っているので、さほど危ぶむ必要性はなかった。
離れてから、あの場所の空気が他とは違うことに気づく。言葉にするのは難しいが、あの場所は澄んでいた、というのが正しいような気がした。話に聞いた作業員は、よくもまああの場所で煙草など吸えたものだ。
もう一度、あの桜の場所を見上げる。すぐそこにあるのに、どこか遠い場所のようだった。
私はお守りをしっかりと握り締め、その場所をあとにした。
当然ながら正門は閉まっていたが、内側から抜け出すことは容易かった。正門から離れた敷地内には女子寮もあり、人の気配が全くないということはなく、オートロックの非常用の扉もある。
その扉から学院の外に出て、駅を目指す。
夜の山道は少し恐ろしいが、ここはまだ、彼の領域の中だ。なんとなく、そう思えた。
最終列車は九時過ぎだ。それ以降は通過するだけで、この駅に電車は止まらない。時刻は七時を過ぎていた。
それを感じたのは、電車に乗って二、三駅たったころ。
電車内は閑散とは言わないけれど人は多くなく、制服よりスーツの男女が目立っていた。
「……ん?」
何か、臭い。いや、臭い、というわけではなく、臭う、というのが正しいような気がした。
電車のエアコンのような気もしたが、目当ての駅で降りるとその匂いは更に強くなった。
悪臭ではない、ような気がする。しかし、心地いい匂いではない。
「……これが人間臭い、ってことなのかな……」
鼻の頭に触れる。精霊や神からしてみれば、私もこんな匂いのする生物でしかないのだろうか。
「それはちょっと嫌かも」
そんなことを思っていた。
私の自宅は、電車を更に乗り換えて暫くしたところにある。通学時間は四十分といったところだ。決して短くはないが、それを払うだけの価値がある。
「――!!」
私の瞳に、見慣れたものが映る。
心なしか、以前よりはっきりと映るようになったそれは、幽界の存在。
乗り換える駅で、立ち尽くし電車を待っている。隣には疲れた顔のサラリーマンが並んでいるが、気づくはずもない。
幽霊というのは、電車の中には余り出没しない。出るならば駅のホームか、線路の上だ。
夜は幽霊が出やすい、ということはない。ただ、やはり夜は危険だ。
視界が悪くなるからこそ、急に出てきた時にやはり驚いてしまう。驚くということはつまり、見えている、ということになるからだ。
昼にも夜にも、いるところにはいる。しかし、人間側が夜に大袈裟に反応してしまうのだ。
お守りを、胸の内ポケットから出して握り締める。
効果はあるのか。ないはずがない。そう信じた。
その気配に、幽霊がこちらを見た。
顔は輪郭だけしか分からず、顔のパーツはバラバラ、眼窩は何もない穴で、口は言葉にならないうめき声のような声を吐くのだろう。想像でしかない。彼らが何を言っているのか、私には聞こえない。何を求めているのかもわからない。
視線が交差した、ような気がした。
その幽霊は、一度二度、大きく揺れながらも、私に近づこうとはしなかった。
逆に私が一歩を踏み出し、その距離を縮めると、その幽霊は一歩下がる。その距離、およそ十数メートル。
「――凄い――!」
そのまま歩き出すと、その幽霊は逃げるように後退し、やがて霧になって何処かへと消えてしまった。
疲れたサラリーマンの隣に並ぶ。私の勝ち誇った顔を不思議に思ったのか、サラリーマンはちらりと私の顔を一瞥し、深い溜息を吐いた。
若者はいいな、こんな時間まで夜遊びかよ。
その愚痴に付き合うように、私の顔は輝いていた。
それから家に帰るまでに、私は数体の幽霊に遭遇したが、どれも私の歩みを遅らせることも、進路を変えることもできなかった。
確かに気づかれてはいるが、一定の距離以上に近づかれない。それも結構な広範囲だ。
そしてそのまま、自宅に難なくたどり着く。
「ただいまっ!」
数年ぶりに、元気よく扉を開ける。
遅かったわね。学校どうだった?
そんなたわいもない会話が輝いて見える。どう話そう。何を話そう。
母には私の霊能力をだいぶ控えめに話してある。信じているかどうかはわからない。適当に笑顔であしらい、自室へ行く。
私の自室には、清めてもらった塩が盛ってある。
「これももう要らないかな?」
今までお世話になった清めの塩を片付けるか否か。このお守りを何処に仕舞うか。私の悩みは増える一方だった




