神から見た世界線
「咲いたな」
さっちゃん、と呼ばれる神が満足そうにキセルを咥えた。
「咲いたねぇ」
精霊界の存在、春風のハルも満足そうだ。
ハル、という名前は言霊も宿っていない渾名のようなものだが、彼女は神様につけてもらったということでいたくこの渾名を気に入っている。
人間界のとある場所、満開の桜の花は確かに美しい。穏やかな風に、その美しさを誇るように花びらが舞っている。
「毎年だけど、ここの桜は本当に綺麗!匂いもいい匂いー」
ハルがふわりと宙に舞い、桜の花の匂いを胸一杯に吸い込む。いや、正式には彼女は肉体を持っていないし、空気を吸っているわけではないのだけれど、仕草としてはそう言霊にするのが正しいというだけだ。
「そりゃあ霊樹だからな。普通の桜と比べられたら困る」
彼がまた、桜の花びらを種火にしてキセルの先に入れる。
これは去年の桜の花びらだ。霊的な成分を『燃やす』という表現で体内に取り入れているのだ。非常に人間的な行動で、神という立場からしたら無意味な行動であるし、別に他から霊力などを取り入れなくても十分なほど力はある神なのだけれど。
つまり、これは意味がある行為などではなく、彼の嗜好ということになる。元人間ならではの、無駄な行為を彼は好む。
「そーいや言ってたけどさ。この世界には、人間界と精霊界と幽界の他に、あと四つあるって。で、さっちゃんは神様だから神界の存在なわけでしょ?それが人間界にいていいの?」
そうだな、と彼は言った。
「いていいかどうか、という問題に対しては、問題はない。今は力を抑えてるからな」
ハルは首をかしげる。彼から親しみやすさを感じこそすれ、威張っていても威厳を感じたことはハルは少なかった。
「あの人間の前ではちょっと威張ってたじゃん」
威張られるのは気に食わないかもしれないが、自分以外に彼が威張っていたというのもハルは気に食わない。
「一応な。あいつは特別な資質を持ってるから、釘はさしておかないといかん」
ふう、と一息。威張る姿が似つかわしくないのは、彼の童のような格好がいけないのかもしれない。それほど、彼の外見は幼いのだ。
「そんなにやばいの?魔界って」
「ハルが見ても多分発狂ものだぞ?あそこは人間臭いなんてもんじゃないからな」
「そうなの?行ったことないしなー」
行かんでいいさ、と彼は笑った。
「幽界と霊界は、人間界で霊的要素のある生物が生きる世界の名称だ。だから精霊には人間も霊界の生き物も見える」
「ま、基本的に見ないようにしてるけどね」
ハルにも幽霊は見える。幽霊と精霊とは、対のような存在なのだ。
「ハルは精霊と幽霊がどんなものか知っているか?」
彼の言葉に、ハルは少しだけ悩んだあと首を振る。
「精霊は、自然の何かが長年霊力を溜め込んで意識を構成した存在、とか爺は言ってたかも」
精霊に歳はない。爺というそれもまた、精霊としての自意識の芽生えに過ぎない。
その通りだ、と彼は言う。
「幽霊は生き物の思念が霊体を成したものだ。人間は幽界を死後の世界と思っているらしいが、それとは全く関係がない」
幽霊、というのは、幽界という世界の生き物であり、人間界で死んだ人間の霊魂の名称ではない。人間界の全ての霊魂は人間界に輪廻し、別の世界軸に移動することはまずない。幽霊が見える、というのは、別世界を覗いているということなのだ。
ただ、幽霊が人間の思念に影響され、人間に害を及ぼすこともある。それは精霊が風を司るなどの、ある意味では自然な行為ですらある。
「つまり、幽界と霊界は、人間界が作り出した世界なわけだ」
長年滅びと繁殖を繰り返し生きた、植物と生物が生み出した新たなステージである。
へぇ、とハルはさほど興味もなさそうに枝の上に乗る。重さなどない彼女は枝を傷つけることもない。
「じゃあ、魔界は?」
ハルが真面目に聞く気があるのかないのか、よくわからない体制を取る。
「人間の本質がどうか、という話をするつもりはないが、生き物というのは自然と違い連鎖的な生物だ。弱きは死に、強きは生き残る。それは人間が知能と文化を経てからもかわらん。そして幽界もそれに習う。強者が力を得て、弱者は消え失せる」
「そーゆーの、私本当にわからない。どうしてそんなことするのかな?」
ハルはプンスカと怒っている。精霊は何も犠牲にせずとも、自然にそこにあるだけで霊力を確保できるのだ
「まあ、こればかりはな。何かを殺して何かを得る。そういう特性なんだよ」
彼は続ける。
「生物から派生した幽界も、この影響を受ける。すると、幽界でより強い思念が生まれる。弱者の畏れや、強者の傲慢さ。幽界でもそんなものが渦巻いてより強い存在がある世界を創り出す。それが魔界だ。後は同じことの繰り返しで――」
「ちょ、ちょっと待って!」
彼の話を、ハルが遮った
「じゃあ、幽界の生き物が自分より強い生き物を創造している、っていうこと!?」
驚きに満ちた顔で、ハルは彼の目の前に顔を突き出す。ただ接近したいだけかもしれない。
確かにそれは、生物としての倫理観から外れる現象かもしれなかった。
「そういうことだ。連鎖の世界で一番下にあるのは大概自然で。彼らが恐るのはいつだって自分より強い相手だ。誰もが持つその不安が力を持つようになるのさ」
魔界の生物は謂わば、人間が恐ろしいと思う、幽界の生物が考えた、恐ろしいもの、ということになる。
「……じゃあ、異界は魔界の存在が怖い、って思うものの世界なの?」
そうだな。彼は頷く。
「でも、それじゃあどんどん違う世界が増えるってことになるんじゃないの?」
「そうかもしれない。が、異界に居る奴らは恐怖など感じぬような奴らばかりだ。恐怖を極限まで極めると、超自然的なモノになるのかもしれないな」
人間の恐怖をとことんまで煮詰めると、それは連鎖で最下層にある自然と同義の存在になる。皮肉な話かもしれない。
彼は座って桜を見上げる。やがて光は失せ、月明かりに夜桜が揺れた。彼らの時間軸は人間では測れない。
「そーゆーわけで、人間にとっては幽界はまだしも、魔界も異界も精神が耐えれたものじゃないわけだ」
ハルも彼の横に座る。
「じゃあ、さっちゃんはどうなの?」
「神界か?これも発端は精霊界だぞ」
霊界の上には天界がある。ここには天使という存在がいる。
「人間が文明を発達させ、自然を破壊するようになった。自然は何も抵抗できないが、精霊たちはたまったもんじゃない」
「そうね。人間たちが変なものを作り出すのは本当に困る。あの時は霊力が弱まって死にかけたわ」
「しかし、精霊も人を傷つける力はない。だからこそ、『人が自然を破壊するのを抑止する存在』を願った。それが天界の天使。だが、自然も生物の殲滅など求めてはいないし、天使も抑止力としての武力をどう振るうか悩んでいた。その天使が公正な判断を望んだ結果、神界ができ、神が生まれた、というわけだ」
特例、というわけではないが。天界と神界は、その成り立ち故に人間界への接触を許されている。彼がここに居るのもその必要最小限の繋がりだ。
「じゃあ、さっちゃんは人を滅ぼすの?」
彼は大きく口を開けて笑った。ハルのどこか心配そうな顔も、彼を笑いに誘った。
「滅しはしないさ。俺の役目はこの土地を守ることだからな。この桜の木を穢すような奴にちょっと灸を吸える位だ」
彼は土地神。一定の土地に関する全ての裁量を与えられた神。彼が望むなら、この地は決して人が近寄れぬ忌み地にすることもできる。が、彼はこの場所に教育施設などを立てることを許可し、人を育てている。
「なーんだ、よかった!」
ハルは屈託のない笑みを浮かべ、それに彼は嘆息する。
「良かったって、お前、人間嫌いじゃなかったっけ?」
「人間は嫌いだけど、酷いことも嫌いだから」
精霊は皆、自然から生まれ純粋である。不当な殺生、自然に原理に基づかないものをひどく嫌う。
神の天罰というのも、元は彼らの望みではあるのだが、それは決して本意ではないのだ。
これも自然とは裏腹に、天使や神は動物や人間を模している存在が多い。
異界、魔界が生物の恐怖や憎悪、醜悪や本能を凝縮しているというのなら。天界、神界は自然界の調和、平穏などを司っている。そのどれもが、結局は対になるというのはなんとも皮肉な話だ。
「でもさ、ちょっと変じゃない?」
「何がだ?」
彼は問う。
「さっちゃんって元は人間なんでしょ?」
「そうだな」
この件に関して、彼は否定しない。天界、神界では周知の事実である。
「人間が神になるなんてことあるの?」
神というのは、普通であれば天使が創り出すものである。それはつまり、既存の存在が、天使や神になるということが不可能であるということを意味する。
人間だけでなく、精霊も天使も、神になることもない。それぞれの生物は、その世界の境界を超えることは出来ない。
憎悪や不安、絶望などの、強く、白くも黒くも純粋な思いがそれを『力ある者』として生み出してしまうのだ。神は神として生まれ、それ以外にはなれない。
「普通はなれない」
そう、普通は。
「じゃあ、さっちゃんは特別なの?」
「そうだな。かなり特別だ」
彼は特別だ。人間でありながら神界の存在となった彼は、天使には疎まれ、神界では一目置かれている。
完全な世界などあるはずがないゆえに、この世界線を超える存在もまた決していないとは言えない。
「ふーん」
しかしハルは嬉しそうに彼にまた抱きついた。
「何だよ」
彼はハルの、精霊達のこういう所が嫌いではない。純粋で、疑わず。どんな神に対しても平等だ。
「きっとさっちゃんはいい神様だよ。特別なんだもん」
「そうだといいな」
天使や神は、他の存在とは異なり、『何かを望まれた』存在である。だが、その最上位である神は、誰かから認められるということはない。
舞い散る桜の花びらを眺めながら、彼はキセルを口に含んだ。
その桜を見つめながら、少しだけ。ほんの少しだけ寂しげな表情をしたことを、ハルは気づいていたが黙ったまま彼に寄り添っていた




