二つ、私は春風に追われるⅢ
「それにまあ、俺が人間に近いということもある」
彼はどことなく、その話題には触れて欲しくなさそうだった。神にもプライバシーはあるのだろう。
「幽界に住む幽霊などはまだ良い方だ。魔界や異界の住人の姿など見たら」
「……見たら?」
恐る恐る尋ねると、神は断定的に言い放つ。
「脳が受けきることができず、精神的に深い傷を負うだろうな。まあ、ないだろうが、異界の神どもの姿なんぞ見たら普通の人間は発狂で済めばマシな方だな」
言葉に力があるようで、背筋がぞわりとした。
私に瞳には、それらが映る可能性があるのだ。見えるだけでも、彼らは私を殺せる。それは幽霊も同じこと。幽霊に出来るのなら、彼らにもできるのだろう。
人間を精神的に追い込むのは、きっと容易い。
「……それで、何とかしてくれるんですよね?」
私は縋るように彼を見る。
「どうしてそう思う」
しかし彼の表情は、どこか嬉しそうに微笑んだような気がした。
「来ないと祟るって言われました」
あの一言で私は意識を手放した。祟るという彼の言葉に、言いようのない力を感じたからだ。
きっと先生との会話で思い出さなくとも、彼の言葉が私をここに導いただろう。
今更ながら、どうして過ごせばいいかわからず、手と足をもじもじと動かすしかない。相手は一応『神』だ。礼儀正しくしたほうがいいのだろうか。
彼はキセルを一つ吸い、朗らかに笑った。子供の姿にはあまり似つかわしくない、大人の笑い方だった。
「ま、そうだな。助ける気がなければわざわざ声などかけん」
来い、と彼は歩き出す。その少し後ろを歩く。山桜が歓迎しているのか敵意を持っているのか、私が通るたびにざわりと揺れた。
彼は一本の桜の木の前で立ち止まった。
他の桜の木よりもやや大きく、立派な印象を受ける。が、冷静に他の木と比べてみたら大きさはそう変わらなかったかもしれない。
「桜が咲いたら綺麗でしょうね」
「当然だ」
彼はそう言って、キセルを軽く木の幹にぶつけた。乾いた音がして、木の皮が少しだけ剥がれ、キセルの上を踊るように揺れていた。
そしてその皮を、彼は袖の下から小さな袋を取り出し、それに入れて紐をきつく締めた。そして最後にキセルでそれを撫でると、見たことのない文字がその袋に浮き出た。
「これはまあ、わかりやすく言うとお守りだ。お前の視界から異形を取り除くことは無理だ。それはお前の才能だからな。だが、お前を干渉から守ることはできる」
「……つまり、幽霊は見えるままだけど、これを持ってれば近づかれない、とかですか?」
ま、そんなところだな。彼はそう言い切った。
「魔界とか、異界とかは?」
「そっちはまあ、可能性の話だ。魔界の景色など想像もつかんだろう。たとえ見てしまっても、認識できなければそれは見ていないのと同じだからな。それに、万が一見ても効果がないわけではないから心配はするな」
私は、ほう、と息を吐く。
「それ、私に?」
当然だろう。それ以外にない。
「……一つだけ、気をつけろ」
そこで、彼の全身に威厳が迸る。それは正に神の姿だった。
「これを一度でも身につけたら、二度と手放すな。どんな時も自分の意識内に置いておけ」
それを誓わなければ、これを渡すつもりはない。毅然とした態度だった。
「……もし、怠ったら?」
彼はぷらりとそのお守りを結んだ紐を、人差し指で持ち上げた。
「これは神界にあり、人間界にあり、精霊界にも存在する木の一片だ。それ以外の世界の存在を避ける。しかし、逆に言えばこのお守りは、幽界の奴らには非常に目立つものだ」
簡単な話である。
何かに守られた扉が、たまたま守られていなかったら。
「……襲ってくる?」
神は頷きもせずに肯定した。
「今までのように別世界の存在だと素知らぬ顔をすることはできなくなる。これを持てば別の世界線と触れることになる。お前が今まで恐れてきたものと向かい合い続けることになる。無論、一生だ。これを受け取るということは、そういうことだ」
一生。
重い言葉だと思った。
「……そのお守りの効果は、一生続くの?」
私が少しだけ手を伸ばすと、神は微笑んだ。
「少なくとも、お前の血筋が滅びるまでは。まあ、子孫に渡す渡さないは自由だが、オススメはしない」
スケールのでかい話で、私は呆気にとられた。子孫とは。まだ予定も何もない。
「有り難く、頂戴します、でいいの?」
「畏まる必要はない。俺が勝手にやるだけだ」
そっと、紐に手をかける。現実味のない重さが、指にのしかかる。何かが変わった気は全くしない。
「気をつけろよ。都合のいい加護などこの世界にはないぞ」
「はい。有難うございます!」
私は頭を下げた。
「というか、これだけで本当に幽霊がよって来ないんですか?」
目の前に神がいるというのに、やはり現実味はなかった。
「俺の領域内は何も出んぞ。帰る途中で実践してみるといい」
その軽口がどこか心強い。
また感謝の言葉を述べようとしたとき、空を裂くような叫び声がした。いや、絶叫というべきか。
「ああああーーーーーーーー!!!」
何事かと思い、辺りを見渡すが何もない。誰も居ない。気づけば辺りはもう既に暗く、明かりのないこの場所からはやや星が近いように思えた。
「な、何?」
彼を見ると、面倒な奴が来た、という風に耳の穴を手で押さえていた。
「それ!御神木の木片じゃない!人間風情になんで!?さっちゃん!」
さっちゃん――。
その愛嬌ある名前に答えたのは、なんと彼だった。
「必要だからやったまでだ」
声の主は相変わらず見えない。そんな私に彼は、顎で方向を指す。後ろを振り向くと。
「ひゃあ!!」
そこには、逆さまの女の子がいた。
一番先に目に付くのは、ふさふさと揺れる鮮やかなピンク色の髪の毛だった。さらにそれは、逆さまになっているのに関わらず無重力状態のように正常に上に垂れている。
べえ、と私に舌を出し、くるりと体を上下反転させる。ふわ、と柔らかく暖かい風が舞った。
「御守りー!わたしもほーしーい!」
私を完全に無視して、彼女は彼に詰め寄る。
彼女の格好は彼と同じように古めかしく、それでいて華美である。大昔の巫女装束のように、何かしら意味がありそうな紋様があり、十二単ほどではないが着るのに苦労しそうな服装をしている。重力を無視して服の紐が揺れているのは、きっと彼女が別の世界の存在だからだろう。
背丈は彼と同じで、そこまで高くはない。髪の毛のボリュームの比較と動きの大きさで、彼女の方が少し大柄に見えてしまう。




