二つ、私は春風に追われる
目を覚まして視界に入ってくるのは、見たことのない風景だった。
「……おお?」
一瞬、自分が何処にいるのか理解できなかった。周囲を見回し、白いカーテンに囲まれたベッドの上にいるということがわかった。
病院かもしれないと思ったが、身近な消毒液や何かの匂いが、中学時代の保健室と似ていたので、保健室なのだろうと思った。
上半身を起こす。制服のままだった。頭が少し重いが、身体の異常は無さそうだ。
「うわ、皺になるかな……」
母さんは変なところに五月蝿い。新しい制服には少しばかりの皺が出来ていた。
内履きと鞄がベッドの下に置いてあった。靴を履き、カーテンを開けると、やはり保健室のようだ。隣には空いたベッドが二つあり、シーツが綺麗に畳んである。
「よ、っしょ、と」
私もできるだけシーツを綺麗に畳む。
窓からは夕日のような明かりが差し込み、時計は四時半を少し過ぎたところだった。
「……気絶したにしても、寝すぎ?」
意識を失う直前まで、意識というのはあるものだ、と私は無駄な知識を得た。あの時私は確かに、『あ、これ落ちるな』と最後に考えて意識を手放したのだ。
「えーっと……」
そして、それ以外のことをすっぱり忘れていた。
思い出そうと数瞬悩む。
「そう!あれだよ!神様!」
しかし、思い出せたのは最後の『祟るぞ』の部分だけで。
「あー!何だっけ!?朦朧としてたから分かんない!」
それ以外のことは、よく覚えていない。
私は保健室で頭を抱えた。
「これヤバくない?祟るとか言われたんだけど。いや、っていうか、あれは本当に存在してたの?なんかもうそれさえも曖昧なんだけど!?」
神、と呼ばれる彼が、本当に存在するものなのかどうか、それさえも怪しくなって、私の頭は更に混乱する。
幻覚と言われればそうなのかもしれない。事実、私が気絶したというのなら、私の体調も良くなかったのだろう。しかし、あれが本物の神か何かで、その緊張に耐えられず気絶したと言っても、少なくとも私にはおかしくない出来事であった。
そして問題としては、この誰もいない保健室から勝手に帰っていいのか、という問題もあった。
文字を残して帰ってもいいような気もしたが、なんとなく保健室の先生を待つことにした。
保健室には電気ポットと色々な飲み物が完備されていた。悪いとは思いながらも、喉が渇いていたので、置いてあるマグカップを使うことにする。
中には緑茶が僅かに残っていたので、備え付けの水道で軽く洗い、お茶の準備をする。
「うわ、凄い。急須がある」
紅茶などのティーパックもあったが、何故か緑茶だけは質のいい茶葉と急須が置いてあった。流石にそれを使うのは躊躇われたので、レモンティーのパックを手に取る。
味がしみ出るあいだに、保健室を見渡す。
やはり大凡は中学校の時とかわりない。だからなのか、妙に落ち着く感じがする。広くもなく、狭くもない。本棚には保健体育の参考書や、怪我をしたときの処置の参考書が置かれている。そのほかには身長を図る器具や、乗りたくもない体重計など、見慣れたものが殆どだ。保健室が憩いの場と呼ばれるのは、小中高と、その存在意義が変わらないからなのかもしれない。
人が廊下を歩く気配がして、扉が開け放たれる。
「お、起きたか」
養護教諭の先生だろう。白衣を着て、長い髪をそのままぶらりとぶら下げている。
手入れをしているのかどうなのか。寝起きの髪型によく似ていた。
「はい、厄介になりました」
先生は面倒そうに頭を掻き、どかり、と椅子に座った。
髪型もそうだが、女性らしさをあまり感じない人である。愛想もよろしくなく、どちらかというと大人になった不良少女、という印象か。
先生は何かしら書類に文字を書きなぐりながら、私に向かって話す。
「あんたあれだろ?入学式にいきなり立った。やっぱりどこか具合悪かったんだろ。無理はすんなよ」
思いのほか優しい口調だった。
「ちょっと、緊張しちゃって」
しかし、この理由は渡りに船。そういうことにしておけば変な噂も立つまい。
「校長のあの話はまあ、話半分に聞いときな。幽霊とか苦手な奴は最初ビビるんだよ」
話していてなんだが、彼女があの彼の存在を信じているような気がした。
「……先生は、信じているんですか?その……」
「神様、って奴?」
そこで先生は私に向き直った。綺麗な瞳だった。私は頷く。
「まあ、そこそこ信じてるよ。あとそれ、中身入ってた?」
私の持つマグカップを見つめる。
「あ、すいません勝手に」
「いや、いいよ。それより、お茶かなんか入ってたろ」
「いえ、入ってませんでしたよ?」
そう言うと、そうか、と彼女は笑った。
「それはな、まあ、お供え物みたいなもんだ」
え、と私の腕が動きを止める。
「今の二年にな、校長の話を聞いて、色々信じてる保健委員がいんだ。そいつが、『お供え物したら会えるかもしれませんよ!』って言うんでな」
お茶一杯だけどな。先生は自嘲のように、恥ずかしそうな笑みを浮かべた。
「まあ、自慢じゃないがな、結構無くなってる時あるんだ。誰かが勝手に飲んだのかもしれないけどな。まあでも、保健委員の奴が凄い凄い、って騒ぐもんだからな。一日一杯、神様にお供え物、って奴」
「……別の器使ったほうがいいですか?」
私が言うと、彼女は笑った。
「いいよ。そこまで気にしてるわけじゃないし。まあ、保健委員の奴は五月蝿いから、覚えておくといい」
そこまで言われて、やっぱりアレは真実なのだと感じる。
「先生は、神様に会ったことあるんですか?」
私がそう言うと、彼女は照れくさそうに視線を逸らした。
見た目はなんだか怖いが、いい人だ。そう思う。
「まあ、一応な。つっても、俺もここの生徒じゃないんだけど。まあでも、色々と感謝はしてる」
悪いモノではないのかもしれない。じゃあ、あの時の悪寒のようなものはなんだったのだろうか。
「お前も、そんなに怖がんなくていいぞ。でも、裏の山桜のある場所では悪さすんなよ」
「山桜、ですか」
「ああ。アソコを汚すと、かなり怒るらしいからな。この校舎を新築するときに、業者が煙草ポイ捨てしやがって、それで滅茶苦茶作業遅れたらしい」
それでも、死者とかけが人は出なかったんだとか。
その話で、私の中の全てのピースが嵌る。
『祟るぞ』
その声が如実に力をまして私の頭にリフレインした。




