一つ、私は神と出会うⅢ
えー、こほん。
マイクの調子を慣れたように測り、喋りやすいように調整する。
「校長の田辺俊彦です。皆様とは面接で一度はお会いしていますね。ご入学、おめでとうございます」
そう、そうだ。
私もよく覚えていなかったが、面接の中央にいたのはこの人だった気がした。するとなんだ、この人は数千人と面接をしたのだろうか。
「私は、この学校の第十四期卒業生の一人であります。その当時はまだこのような校舎もなく、寺子屋、といいますか――、皆さんは聞いたことがないかもしれませんが。生徒も百人未満の小さな建物でした」
唐突の昔語りに、私たちは思う。
ああ、これは長くなるな、と。年を取るに連れて、なぜか話は長くなり、つまらなくなる。同じことを繰り返すようになるのだ。
新入生、特に男子は、顔を下げ、音を脳みそに差し込まないようにする準備をしていた。
「突然ですが、この学校、いえ、正式にはここいら一体の土地にはですね、神様がいます」
そして全員がその挙動をキャンセルして、校長を見た。何を言っているんだろう。そんな瞳で。
上級生たちは、そんな私たちを笑っているように見えた。
「別に宗教の勧誘ではないですし、神の存在の是非も、信じるも信じないも個人の自由ですが。少なくとも、私はいると思っています。二、三年の方は毎年聞いているでしょうが、少しご清聴を。詰まらない謝辞を述べられるよりましでしょう?」
小さな笑いがあがった。
神。にわかには信じられない。確かに神社などを頼った経験はあるが、それは『人間が不浄を祓うため作った場所』であり、『神の加護』だと思ったことはなかった。むしろ、こんな体質を恨む対象でさえあったかもしれない。
「まあ、神、というのは私が付けた呼び名でありまして、実際のところどうなのかはわかりません。妖怪でもあるでしょうし、幽霊なのかもしれません」
ですが。
「よくわからないけれど、大きく、温かいものが、この学院、この土地を見守ってくれているのは確かです」
校長のタヌキ顔が綻ぶ。
「あれは私が卒業する一年前。私も初心な少年でした」
そう語る校長の顔は、今でも少年のようだった。素直な親しみやすさを感じる。
「私はある女生徒に告白をしようとしていた。一つ年上のね。流石にこの歳になると顔は思い出せないですが。美人だったことだけは覚えています」
今の妻ではありませんが。
笑いどころなのかもしれないが、誰ひとり笑う者はいなかった。
「私は昔からこのようなタヌキ顔でしてね。玉砕覚悟でした。結果見事に玉砕だったわけですが、その衝撃は私が想像した以上だった。涼しい秋の日で、私は暫く今もあるこの山桜の葉を見ながら惚けていた」
皆の目の前に、その光景が容易く浮かんでいた。
学園の裏山に咲き乱れる山桜の木々は、言葉にならないほど美しいのだという。それは葉桜でも同じことだろう。
校長は続ける。
「しかし、そんな私も彼の一声で我に返った。『おい、そこの狸野郎』とね」
ここで小さな笑い声が上がった。
「その頃の私も少年だったが、彼はもっと幼かった。小学校高学年位の身長でしょうか。百五十と少しか、とにかく小さかった。彼は青く綺麗に染まった着物のような、美しい清流のような着物を着ていた。そして私に告げたのです」
『お前は人を見る目がある。あの女はいい女だ』
「生意気な口調でしたが、傷ついた私の心は不思議とどこか慰められていた。振られてはしまったが、私のしたことは間違っていなかったのだ、と遠まわしに認めくれているような気がしたのですよ」
『勉学に励め。狸が外見を磨こうと猫にはなれんからな。中身を磨け、狸なりにな』
「彼が私に言ったことはそれだけ。涙を拭いて顔を上げた時には、ただ風が吹いているだけだった。噂は昔からあったんですよ。ここには何か、特別なものがいると。私は彼がそうなのだと理解しました」
皆、校長の話に惚けていた。現実味があるようでなく、ないようである。
「その後、私は勉強に勉強を重ね、教師になり、そしてこの学院の校長を務めている。その理由は簡単なものです。私は、もう一度彼に会いたい。あの時の礼を言いたいのです。どこかにいるかもしれないと思って、毎年この話をしているですよ」
職権乱用だね、と校長は笑った。
「私以外にも、同じように『彼』を見たとか、声を聞いたとか、不思議なことが起こったという話は少なからずあるんですよ。姿形も同じだ。艶やかな古い着物をきた、大人びた顔つきの少年の――」
ん?人外の、青色の着物を着た、大人びた少年?
私の脳裏に、今朝、校門での出来事が思い起こすまでもなく呼び出される。
ガタッ。
私は無意識に起立していた。それは、余りの驚きと興奮によるものだった。
――あれが、神、様?
私のそんな様子を、校長は微笑ましく見つめた。
「おや、もしかしてもう見ましたか?」
全校生の視線が私に集まっている。
見た、と言っていいのか。確かに九割以上、彼の特徴は一致しているのだけれど。
「い、いえ。寝ぼけてただけです」
今までの経験からか、私は咄嗟にそう答えていた。素早く着席する。
中学なら馬鹿な男子が笑ったかもしれないが、場は冷め切っているように私には思えた。
「そうですか、やはり退屈でしたかね。いるかいないかわからない存在のことなど」
言葉もない。私は縮こまる。
「七々海ちゃん、寝てたの?目、空いてたけど」
ゆゆが不思議そうな瞳で私を見ていた。
「たまに、ね」
そっけなく返す。会話を続けるのも困難な空気の中、校長先生が仕切り直す音が響く。
「まあ、信じるか信じないかは当人次第です。困ったり、悩んだりした時に決して一人で悩みすぎないこと。ここには仲間もいますし、大人もいます。時には何か得体の知れないものが手助けをしてくれるかもしれない。皆さんのより良い学校生活をお祈りします。では、入学おめでとう」
校長先生は、私が話の腰を折ってしまったのにも関わらず、柔らかな笑顔で壇上から降りた。
私は少しの罪悪感を覚えた。
いるのだ。確かに。先生が言うところの『神』は。ただ、得体の知れないものは得体の知れない世界の住人だ。
私たちがその介入を期待すべきではない。そこに起こることは決して、いいことだけではないことを私は知っているのだ。
しかし私は、何かを台無しにしてしまった重圧に耐えかねるように、頭を下げてその後の話を聞いた。
そして気づけば、入学式は終わっていた。
退場の時、上級生の視線が飛んできているようで、自然と足早になってしまった。
教室までの道のりは覚えていない。まるで、子どもの世界にサンタなどいないという現実を突きつけたような罪悪感が私の胸に疼いていた。
些細な声が、私の悪口を言っているように聞こえる。
ああ、また繰り返すのだろうか。
中学時代の記憶が蘇ってくる。
霊が見える体質のおかげで、友達付きあいができなかった私は、必然的に孤独だった。
彼氏もいなければ友人もいない。知り合いさえも怪しいものだ。それはある意味でイジメだった。
だってそうだろう。私は普通に友達とカラオケに行ったり、ゲームセンターでプリクラを取ったり、夜遅くまでボウリングをしていたりしたかった。
それが、この体質のせいでできない。必然的に訪れたこの孤独は、決して私が望んだものではないのだ。
しかし、そんなことは誰もわかってくれなかった。親も、教師も、神社の神主でさえ、悪霊がいるなど信じていなかった。
だからここに、この場所に縋った。そしてその望みは叶ったのに。
結果的に、私はまた孤立するのだろうか。そんな不安が押し寄せてきていたのだ。
普通でなかった私には、普通を装うこともできないのか。喜び、落ち込み、驚き、不安になる。精神的にかなりの極限状態だった。
「七々海ちゃん、担任の先生来るよ」
ゆゆが揺さぶってくれる。確かに、これ以上教師の心象を悪くすることは避けたい。私は顔を上げて黒板を見た。
クラスメイトの雑音が気になって仕方なかったが、教室の扉が開く音とともにそれもやんだ。




