人が生きるべき世界Ⅲ
「じゃあ、死人が動いてるわけ?」
神様とは逆だね、とハルが言う。
「考え方の違いだな。神の抜け殻だよ、この肉体は」
いつもと変わらぬ彼に、ハルの態度もいつものように戻る。
外見だけで言えば、肌は異様に白く、血も通っていないため生気も薄い。病気の人間に間違われても仕方ない。だからこそ、ハルの力を借りて人間からは気づかれないようにしているのだ。
「そもそも、どうやって神になったの?人間が神になれるんだったら、私も神になれるの?」
ハルが尋ねると、彼は悩む素振りをする。
「神界に住む神族には、一つ二つ変わっている点があってな」
天使族が望み、生み出した神族は、力の性質上、『天族のいいなりには決してならない』という反発性がある。
天族に都合のいい神ばかり生み出していたのでは、人間と自然のバランスなどとれたものではないから。
「その一つが、『同胞を新たに生み出す』という手段だ」
神族は特例として、天族が望む望まないに関わらず、自己の判断で新たな神を誕生させることができる。
「それで神に選ばれたのがさっちゃん?」
「俺は違うが、普通神以外が神になるのならこの方法しかない。ちなみに、人間からは三人ほど神になっているらしい。大昔の話だが、何といっていたっけ……。そうそう、『人間と自然のバランスを保つのが役目なら、人間からも神を選ぶ必要があると判断した』とか、そんな理由だったらしい」
へぇー、と、ハルがどうでもいいような声を上げる。彼がどうやって神になったのか。それをどこかはぐらかしているような素振りだったからだ。
彼女が興味のあることは、神になれるかどうかではない。
二人は徒歩で学院最寄りの駅までたどり着く。
「思ったんだけど、街まで飛んでいけばいいじゃない?」
ここはまだ彼の領域内。彼の力も十分に使える。
「この肉体は脆いんだよ。折角綺麗に保管してあったんだから、なるべく持たせたいだろ?」
彼自身、その肉体をもうただの入れ物としかみていないようであった。
電車が来るまでの時間を、駅のホームで話しながら待つ。駅員は当然ながら、彼に気づかない、
「ハルが神になれる可能性はないとはいわないが、難しいだろうな」
「まあ、なろうと思ってはないから別にいいけどね」
ハルは彼のように、一定の場所で動かないだとか、誰とも話さずに一人でずっと此処にいるということもできない。
昔はそうだったのだ。ハルがまさに風の噂でこの場所を聞きつけるまで、彼はここで一人ぼっちだった。
一度だけ、ハルはそれに関して言及したことがある。寂しくないのか、と。
『神様なんてのは、そんなものだ』
あの時の彼の笑顔は、ハルの自意識に深く刻まれている。だからこそ、彼女は意味もなく人間の姿を維持し、毎年この場所に一人だけやってくる。
「さっちゃんはどんな人間だったの?」
生前の話は、ハルも聞いたことはなかった。というより、元々人間だったという話に真実味がなかったのだ。
「どんなって言われてもな……。人間だった頃の記憶は、多くないんだよ」
人間の暦にして、大凡十年と言ったところか。
電車が車輪を引き摺る音を携えて、ホームに止まる。
「おお……。乗るのは初めてだな。これが文明か」
彼はどこか楽しそうに電車に足を踏み入れた。
「私も中に入るのは初めてかも」
ハルも釣られて中に入る。
電車の中は余り繁盛しているとは言えない人数だった。そもそもメインの乗客が学院生なのだから仕方もないが。
椅子に座り、窓の外を彼は見る。
ハルはエアコンの風になれないのか、少し不快そうだ。
「そもそも、俺の生きていた頃は人間もまだ少しの霊力を持っていた時代だった。霊力が強い奴らはそれを『陰陽道』『鬼道』だとか言って派閥にしていたがな」
大昔、幽界と霊界、そして人間界の堺はもっと曖昧だった。
感受性の強い人間がその境を超え、霊力を得るというのは、良くも悪くもよくある話の一つだった。
「俺もその一人だったわけだが、俺は更に桁外れだったらしくてな。どこをどう進んだのか覚えてないが、いつの間にか神域までたどり着いてたんだ」
人間が文明を発展させる前は、どの土地にも神がいて、その自然を支配していた。ある意味では、神が最も人に近い時代。そんな時代の話である。
彼の土地が人間界であり神域であるように、資格さえあれば神域に入ることは人でさえできた。
「そこで神様にしてもらったの?」
ハルが尋ねると、彼は首を振った。
「正直に言えば、『神になるしかなかった』んだ」
「どういうこと?」
ハルが首をかしげる。
「俺は神界で遊びすぎたらしく、肉体と霊体が完全に分離してしまっていたんだよ」
当然、肉体では霊界には入れない。人間は無意識的に僅かな霊力で霊体を形成し、肉体と分離して霊界を彷徨う。この時、対面する霊体に恐怖や畏敬の念を抱くのは、霊力の差が歴然としているからである
自分が霊体となる自覚があれば程度を弁え戻ってくることもできただろうが、生憎彼は子供すぎ、その境に気づくことができなかった。また、神域に来ることができるほど、彼の霊力は強かったこともある。
「肉体を捨て、神界を彷徨う俺は、いつの間にか神になっていたんだ」
誰が望んだわけでもない。勝手に神界に入り、その力を吸収し、人の身体を捨て、神になった。いや、彼の知らぬうちに、神になっていたのだ。
彼が神になりたかったわけでもない。既存の神も、彼が神に相応しいと思った訳でもない。
ただの人間が、勝手に神域を訪れ、その力を得て神になった。
これは神になり得る方法の例外中の例外であり、それゆえに他の神々も彼には一目置いているのだ。
電車の機械的な揺れが気になったのか、彼は窓の外を見るのをやめる。
「……それってかなり凄くない?」
ハルは正直、彼をそんなに凄い神だとは思っていなかった。しかし、神としての位はともかく、人間としては飛びぬけた感性を持っていたことはハルにも分かった。
「まあそうだな。他の二人の現人神は知らんが、勝手に神になったのは俺が最初で最後だろうな」
彼は誇るでもなく電車の外の風景を見ながら淡々と言う。
「しかしまあ、話は無論そこで終わらない」
当時、神になった彼には、神になったという自覚がなかった。そして、家に帰ると願うだけで、彼は生まれた家に帰ることができた。
「俺は貧乏な村の、普通の両親との間に生まれた男児だった。神になったと知らず、俺は人間界に帰った」
しかし、そこに村はなかった。
「俺の住んでいた小さな村は、いつのまにか桜の木が立っているだけの場所になっていた」
「――どうして?」
ハルは問う。それしかできないから。
聞きたくはないけれど、彼が自分に、知っておいて欲しいと思っている。それだけは確かだった。
それがわかるから、気持ち悪い人工的な空気にハルは耐えていた。