人の生きるべき世界Ⅱ
「やはり、連絡は来ていないな」
彼女が病欠するなどの連絡は受けていないことがわかった。
「もー、そんなに心配なら私が探してきてあげるって。あの御守りの気配なら簡単に見つかると思うし」
ハルが紙片を飛ばさないように気をつけながら飛ぶ。彼と違って、ハルの影響は容易く人に感知される。
「いや」
書類を閉じながら彼は首を振る。
「俺も行こう」
そして、そうきっぱりと言葉にした。
「え?でもさっちゃんの領域からは反応ないんでしょ?」
彼の領域は広いが、都市部までは伸びていない。
「そうだな。まあ、住んでいる場所は今調べたし、そっち方面に向かってみるとしよう」
彼はそうして踵を返した。
「いやいやいや!さっちゃん土地神でしょ?土地神って自分の領域からは出れないんじゃないの?」
「そうだな。領域の外では力を維持できんからな」
土地神は自らの領域から無限の力を得ているが、その代償としてそこから出ることができない。領域の外では霊体を維持できないのだ。
ハルは安堵したように溜息を吐いた。
「じゃあ無理じゃん……。いいよ、私が行ってくるから」
「心配するな。とっておきがあるんだ」
彼はそう不敵な笑みを浮かべ、職員室をでる。ハルも不審そうに彼に続く。
急ぐ素振りもなく、あの桜の木まで二人は戻った。
彼の土地でこの場所が一番力があるのに、彼はあまりこの場所に長居することを好まない。
「ここになにかあるの?」
ハルは彼女を探しに飛び立つのを止められていた。
「あるんだよ」
彼が向かったのは一本の桜の木。
彼がその幹にキセルで触れ滑らせると、幹が光を放ちながら縦に避けた。
ハルは唖然としてその光景を見ていた。
裂けた中は相変わらず光を放っていてよくは見えないが、ハルの瞳には、何か人のようなものが入っているように思えた。それもどこか見たことのある。そう、今、キセルを振り、幹を裂いた彼にそっくりな何かが、幹の中に居たのである。
これにはさすがのハルも驚嘆を隠せない。
「な、なにそれ!?」
ハルも、彼との付き合いはそれなりに長かった。彼の全てを知っているわけではないとは知っていたが、それでもこれは驚いた。
「これは俺の人間だった時の肉体だ。これを使えば、領域の外にもでれる」
「……どういう原理なの?」
すると彼は、自分の肉体を大事そうに見据えた。
「小難しい話になるから、取り敢えず肉体を纏うぞ。ちょっと待ってろ」
彼は自ら木の幹の中に入る。すると幹が閉じた。
待つ、と言っても数秒だった。再び光を放ち、開いていく木の幹。
「ふぅ……」
出てきた彼の姿は、一糸まとわぬ生まれたままの姿で。
「ちょ、ちょっと!服!」
霊体にもそのようなマナーはあるらしい。
彼は体中の関節を確かめるように全身を動かした。裸を見られることに抵抗はないのか、何かを隠すような素振りは一切ない。
「あー?まあ、春といっても流石に少し寒いか……」
久しぶりの皮膚の感触に、彼の身体が揺れる。
「しかし、服なぁ。そんなのあったか?」
彼が桜の木をまさぐるが、見当たらないようで首を振った。
「別に良くないか?ハルの力で人間には気付かれないようにするし」
「そうだろうとは思ったけど、そういうことじゃないの!服を切るのはマナー!たとえ神様でも、むしろ神だからこそ服を着るべきだよ!」
そんなものか、と彼が指を鳴らすと、霊体の時と同じ服が現れる。これは霊力で作ったものなので、領域を出ると消えてしまう。
「仕方がない。保健室からジャージを拝借するか」
学院の保健室には、男女各サイズ、予備のジャージが置いてあることを彼は知っている。流石にサイズは合わないだろうが、この近辺で長時間なくなってもいい人間界の衣服などはそれしかない。
「生徒の服でも借りれば?体格似てる子もいるかもしれないじゃん」
「それも色々厄介だろ。問題になるのは避けたい。無論、人目につくのもな。ハル、頼んだぞ」
「ハーイ。私一人じゃ無理だから、みんなにも手伝ってもらうねー」
風の精霊は、風を操るだけではない。人間に力を貸せば、気配を消したり、足音を消したりもできる。まあ、これは精霊と人間がまだ交わりのある大昔の頃の話である。
彼もまだ力は使えるが、彼の力は隠密には向かない。神力というのは力が強く、目立つ力なのだ。
人間となった彼の周囲に、不自然な風が渦巻く。
この風を纏っている間は、目立つ行動をしなければ、人間の視界に入らない。何をしても見つからない、というわけではない。見てもその情報を脳が認識できなければないものと同じ。この風は、人間の知覚を誤魔化す風である。
「おっけーだよ。なんか、こういうの悪くないかも」
彼に何かをしてあげることができて、ハルはどこか嬉しそうではある。先ほど裸を見たのが堪えているのか、抱きつくかどうか迷うような距離をふわふわと浮いている、
「さて、久しぶりの人間界だ。行くとするか」
彼は歩き出す、足の裏の草の感触も新しいのか、足取りはおっかなびっくりだが。
まずは保健室でジャージを拝借する。川口恵美は不在のようだったので、保健室から持ち出すのは容易かった。
「なんだかざらつくな。化学繊維とか言う奴か?」
素肌にジャージを着て彼は苦言を呈す。紺色のジャージは、神が着るにはあまりに不似合いだ。
「新鮮だけど、似合わないね」
ハルも小さく笑う。ぶかぶかで大きさも全く合っていない。
「ま、ないよりはマシ、ということだな」
そうして、保健室からでて、学院の外に出る。
「さっちゃんの領域ってどのへんまでなの?」
「そうだな。まあ、この山一帯だな」
彼は平然として言い放つが、かなりの広さである。
「それにしても、本当に人間だったんだね……」
ハルが彼の肉体の匂いを嗅ぐように近づく。人間臭さはあまりないが、確かに人間の匂いがした。
「まあな。肉体的にはもう死んでるから、外に出れるといっても余り長い間出れるわけじゃないんだが」
理由は些細なことだが、彼が神力で肉体を保存しているのだ。このような事態を見越していたわけでは決してない。
肉体はとうの昔にその機能を停止していて、心臓が動かなければ血液も循環しない。だた、霊力を与えて無理やり活動するという、彼が彼の領域外を探索するときに使用する人形のようなものだ。
この肉体を粉々にしたとしても、霊体が抜け出しここに戻るだけで、何ら問題はない。逆に言えば、この肉体を銃で打とうが剣で切ろうがどうということはないのだ。これも彼の特異な嗜好と言えるだろう。




