7【悪意の倫理観】
仕切り直すように俺は大きく胸を開いて深呼吸に励んでみせた。その姿を、正座したままのダークエルフのシーンが怪訝そうな表情で見上げている。
俺は呼吸を整え終えると道場に戻り、休憩室の冷蔵庫から1.5リットルのペットボトルと幾つかの紙コップを取って異世界に戻った。
ペットボトルにはコーラが入っている。俺が稽古の後に水分補給するために飲むドリンクだ。本来なら炭酸を抜いてから飲むのだが、これをシーンに振る舞うつもりである。
『待たせたな』
「いいえ」
野外の地べただというのに正座をしているシーンは、背筋をピーンと伸ばして凛々しく座っていた。両手を太腿の上に添えるように置く姿は日本の武芸者のように礼儀正しい。その横にレイピアと弓矢が置かれている。
そのようなシーンの前に俺も座り込むが、胡座をかいてドシリと腰を落とした。背中に背負っていた忍者刀を胡座の横に置くと、片手に持っていたペットボトルと紙コップを眼の前に置いた。
俺は礼儀よりも威厳を強調する。俺は自分のほうが上だと言いたいのである。
それから俺は紙コップにコーラを注ぐと、シーンの前に差し出した。ハンバーガーに続いての持て成しである。
『まあ、飲んでくれ。茶の代わりだ。今はこれしかなくてな』
「………」
黒装束のシーンは正座のまま紙コップの中を凝視していた。黒い水面に弾ける炭酸を見つめている。その眼差しは黒い液体を警戒していた。
「こ、これは何でありますか?」
『コーラだ』
「コ、コーラですか……」
『コーラを知らんのか?』
「知りません……。初めて見ます」
どうやらコーラどころか炭酸系のドリンクすら見たことがない様子である。この時代では、コーラなんて存在しないのだろう。たぶん炭酸飲料も無さそうだ。
『甘い系のドリンクだよ。子供には人気だぞ』
「あ、甘い系のドリンク……?」
『そうだ』
「これは、飲み物なのですか……?」
『そうだ』
「真っ黒ではありませんか。それに何か表面で弾けている。本当に飲めるのですか?」
『んん〜……』
確かにコーラを初めて見た者たちには飲み物に見えないのかもしれない。何せ石油のように真っ黒だし、炭酸を知らなければパチパチと泡立つ液体が飲める代物だとは思えないのだろう。
『まあ、知らないならしゃあないか』
俺は自分の分の紙コップを手に取ると、口元にコーラを運んだ。毒見役を真似る。
不思議なことに口のないはずの俺だが、コーラを普通に飲めた。見えない口元からゴクゴクと喉を鳴らしてコーラを飲めるのだ。
ってか、傍からは顔の穴にコーラを流し込んでいるようにも見えただろう。
とにかく、穴の開いた顔でも飲食が可能なようである。
コーラを一気飲み後――。
『ぷはぁ〜。どうだ、コーラは美味いぞ』
「ぅぅ……」
シーンは恐る恐るコーラが注がれた紙コップを手に取って口元へ運ぶ。まずは鼻を近づけて匂いを嗅いでいた。
「少し、甘い香りがしますな……」
『だから、甘い飲み物だからな。まあ、とにかく飲んでみろよ。お近づきの印だと思ってさ』
「そ、それならば……」
お近づきの印だと聞かされたシーンは、飲まないと失礼に当たると思ったのか、恐る恐るながらもコーラを少しだけ口に含んだ。
「こ、これは……」
シーンの背筋がさらにピーンと伸びる。表情も目を剥いて仰天していた。
そして、まずは炭酸の刺激に驚いた後、しばらく経ってからコーラの甘みに驚く。二段階の驚きの後に再びコーラを一口飲んだ。
興奮したシーンがコーラの水面を眺めながら言う。
「甘い。こ、これは美味いですな!」
『そうだろう』
シーンは完全に驚いていた。コーラの味わいを初めて知ったのである。カフェインに少し興奮していた。
「この飲み物は、何から出来ているのですか?」
『詳しくは知らんが、砂糖と炭酸と何かだ。俺の国で職人が作っているから、作り方は企業秘密らしい』
「キ、キギョウヒミツ……?」
その言葉の意味も解らないようだ。
『まあ、作り方は気にするな。知ったとて俺たちには作れないからよ』
「そ、そうなのですか……。ならば、この飲み物をどうやって手に入れたのですか?」
『買ってきたに決まってるだろう』
「は、はあ……」
何か、ピーンと来ていない様子である。
シーンは紙コップ内のコーラを飲み干すと、改めて俺に尋ねた。
「ところで、あなた様は何者なのですか?」
『何者と問われても……』
確かに難しい質問だ。どのように答えれば良いのか俺も悩んでしまう。
黒装束のシーンは紙コップを置くと、再び俺を真っ直ぐに見つめながら問う。
「矢で射抜かれても死なない。謎の光から出入りを繰り返す。顔に大きな穴が空いている。それに、この世の物とは思えないご馳走を見ず知らずの我々に振る舞ってくれる。それに、この飲み物……。その素振りは野盗の類とはとても思えない。その姿からして、神か悪魔ですか?」
『ん〜、神でも悪魔でもないんだよな……』
この外見からして、確かに神とか悪魔とかと誤解されても仕方ないのかもしれない。彼らからしてみれば人知を超えた存在なのだろう。現代育ちの俺から見ても人知を超えているのだからね。
それに俺は、風俗嬢には夜の悪魔とも呼ばれたことがある。絶倫なのだ。
俺は分かりやすい嘘を即興で考えた。
『俺は、遠い国から商売をするためにやって来た商人だ』
って、設定にする。
「旅商人、なのですか?」
『そうだ』
俺は背後の扉を親指で指しながら述べる。
『俺の母国は遠く離れた地にある。この魔法の扉をくぐることで、何万キロも離れた場所からワープしてきているのだ』
「ゲートマジックという魔法ですね。私も見るのは初めての高等魔法です」
おお、この異次元扉と同じような魔法があるのかよ。それは話が通りやすくて幸いだったぜ。出任せも言ってみるものだ。
『この扉は、術者である俺と無生物しか通過できないらしいのだ。だから俺が商品を運んで、こちらで売りさばきたいんだよ』
「なるほど」
『俺は、この魔人の体を維持するために金塊が必要でな。金塊が切れると死んでしまう。だから商売をして、金塊を集めたいんだ』
「魔人殿は、金塊が必要なのですね」
『そうだ』
瞬間、シーンの表情が怪しく淀む。
「金塊が必要ならば、商売で集めるなんて人間的な努力をせずとも、他者から暴力で奪えば良いではありませんか?」
『えっ……?』
こいつ、何を言い出しているんだ。その理論は魔王的な発想である。悪だ。
「この世は弱肉強食がモットー。欲しければ奪えば良いのです」
シーンの表情は悪意に曇っていた。間違った倫理観で育った犯罪者の顔である。
その悪意を察した俺は、胡座をかく脇の忍者刀に手を伸ばした。
途端である。シーンもレイピアに手を伸ばした。
刹那――。
『っ!』
「ッ!」
シーンの動きは速かった。一瞬の瞬きの内にレイピアの鞘を抜く。
その動きは片手でレイピアの鞘だけを後方に飛ばすと、直ぐさまに同じ手で柄巻を逆手に握って横振りに一閃を放つ。座ったままの居合抜きだった。
「はっ!」
後方に滑り飛んだ鞘が止まるよりも速く居合いの瞬撃が俺の首元を狙う。
『速い!』
だが俺は、忍者刀を片手で取ると、鞘も抜かずに縦に構えて刀を防御に使う。体の脇で逆手持ちの居合抜きを受け止めた。激しい音が鳴る。
そして、一旦の防御からの抜刀を試みる。縦に持った鞘から素早く刃を抜くと、縦斬りに忍者刀を振るう。それは、現代剣術の技だった。
『ふっ!』
「むむっ!?」
俺が振るう縦斬りの斬撃がシーンの額前で停止した。その距離は一センチの寸止めである。
刀を寸止めされるとシーンはレイピアを地面に降ろした。戦闘モードを解除する。顔付きも和やかに戻った。
「お見事で有ります……」
『悪ぶりやがって。俺を試したな?』
シーンは三つ指を着いて土下座する。地面に額が着きそうなぐらい頭を下げた。
「大変失礼しました。心意気を試すのには、最善かと考えまして」
こいつ、俺を試していやがったんだ。一瞬ながら見せた悪意の表情も演技だったらしい。今は真面目な武人の表情に戻ってやがる。
『それで、何を悟れた?』
「魔人殿が、悪魔ではないと知れました」
あ〜、なんとなくだけど、刀を止めて良かった〜。あのまま刀を振っていたら悪魔説確定だったのかな〜。
『それで、どうする?』
シーンが頭を上げた。
「どうか、今宵は我が屋敷にお泊まりくださいませ。我々の持て成しを受けてくださいませぬか」
『持て成しって――』
俺は後方の森に控える女性を下心のままに見た。
それから念のために訊く。
『何故にだ?』
「先程いただいた、食べ物が気になりますゆえ。御礼がしたいのであります」
たぶんママクドのハンバーガーのことだろう。だいぶ気に入ってもらえたらしい。
とりあえず作戦成功である。
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by、ヒィッツカラルド。




