66【ドワーフの乙女】
ドワーフンヴィレッジに夜が訪れる。
しかし、洞窟の外は暗かったが、村の中は明るいままだった。
洞窟の天井に埋まっている太陽石が村の中を絶え間なく照らしている。コンティニュラル・サンライズの掛かった光は昼も夜も関係なく村の全体を照らしていた。
ドワーフの村人たちが、酒盛りに騒ぐ賑やかな歌声も聞こえていた。
「むむ……」
窓の外から明るい偽太陽光が差し込んできていた。その明かりにベンベ・ベンがうなされる。
シャドーとの戯れの勝負に負けたベンベ・ベンは、ベッドの中で目を覚ました。
まだ、頭が痛い。頭痛で目が少し回っていた。三つ編みの髭も焦げ臭かった。
いまいち状況が把握できない。
ベンベ・ベンがベッドから上半身を起こすと、額に乗せていた濡れタオルが頭から滑り落ちた。
「これは……」
ベッドの上から横を見てみれば、妻のクロスラが眠っていた。たぶん自分を介抱していたのだと悟る。
ベンベ・ベンが自分の顔を撫でると火傷なのか、少しヒリヒリしていた。しかし、火傷は治療された様子がある。
シャドーから受けた傷も妻クロスラがヒールポーションで癒やしてくれたのだと思った。
「むう……」
窓の外から差し込む偽の明かりを眺めながらベンベ・ベンは思い出す。
何故に自分は、ベッドに寝ているのか?
「そうだ、儂はシャドー殿に負けたのだ……」
どのように負けたのか?
「確か、袈裟斬りにシャドー殿を切った。その直後に顔面を鉄拳で突かれた。その後の強い衝撃に気を失った……。あれは……」
シャドー殿の鉄拳が爆発した……。
――ような気がする。記憶は定かではない。
ベンベ・ベンは魔力も無しに爆発する火薬などを知らない。だから何故に負けたのかが理解しきれていなかった。
この異世界には、まだ爆薬と呼べる技術が無いのである。
「いてて……」
首が痛む。顔面もヒリヒリする。三つ編みの髭が少し焦げていた。頭痛が響く。
ベッドの横に腰掛ける妻は、健やかな表情で眠っていた。
「なあ、クロスラ。起きよ――」
ベンベ・ベンは妻の肩を揺すって彼女を起こした。妻が目を覚ます。
「あら、貴方。目が覚めましたか?」
「儂は負けたのか……?」
妻クロスラは、ドワーフらしいふくよかな顔を微笑ませながら言った。
「それはもう、派手に負けたようですよ。見ていた大臣が言っておりました」
「そうか、派手に負けたのか――」
どのように負けたのか、記憶を辿れない。だが、負けた自覚はあった。敗北の直後が思い出せないだけである。
しかし、敗北に関しては、悔しくなかった。逆に爽快だった。
ここまで敗北が愉快だとは思いもしなかった。
それだけ、納得のいく敗北だったのだろう。
妻クロスラに問う。
「ところでシャドー殿は、どうなされている」
確かに自分はシャドーを斬っていた。袈裟斬りに一太刀入れている。あれは致命傷の一撃であったはずだ。少なくとも重傷のはずである。
しかし彼は、平然と反撃してきた。それで倒されている。
そして、妻は静かに答えた。
「シャドー殿は、食堂でリキルとフジルがもてなしておりますわ」
双子の息子と娘である。
「もてなしている?」
「はい」
「そ、そんな馬鹿な……」
自分が切り捨てた相手を、息子たちがもてなしているらしい。
有り得ないと思った。シャドーも重傷のはずだからだ。
しかし、それも有り得るのだと思う。
何せ相手は魔人だからだ。
たぶん、自分の人智を超えているのだろうと思う。
ベンベ・ベンはベッドから跳ね起きると、妻の肩を借りて食堂を目指す。
そして、食堂で寛ぎながら息子たちと食事を取っているシャドーの姿を見て驚いた。
数人で輪を作り、楽しげに食事を取りながら会話に花を咲かせているのである。
息子も客人も愉快に笑っていた。
「――……っ」
驚くベンベ・ベンは、その状況を僅かに疑った。
袈裟斬りに斬り伏せた相手が、自分よりも元気良く食事を取っているのだ。それは、何かの偽りだと思った。
地べたに座り込む息子のリキルが父親に気付いて声を掛けてきた。
「おお、父上。目を覚ましましたか!」
「あ、ああ……」
シャドーも地べたに座り込みながら振り返った。その穴の空いた顔は涼しげに見える。とても重傷な人物の様子でもない。
胸元を見てみれば、袈裟斬りに服は裂かれていたが、血糊は窺えない。無傷のようだ。
自分は、袈裟斬りに斬り伏せたと思い込んでいただけだと知る。
事実は斬り伏せている。だが、超再生能力で回復されたのだ。それを彼は知らない。
ベンベ・ベンは、部屋に入ると歩みながら言った。
「儂も混ざっても良いかな?」
『どうぞ、ぞうぞ。ここは貴方の自宅ですぞ』
「そ、そうだったな……」
食堂に入り込んだベンベ・ベンは、皆の輪に加わると地べたに座り込む。
皆は地べたに酒や摘みを並べ、酒を飲み明かしていた。ドワーフンヴィレッジ産の果樹酒を飲み交わしている。
ドワーフの食事や宴のスタイルは、地べたに直接座り込み、テーブルも椅子も使わないというものだ。食器すら地べたに直接置いている。
しかも、スープ系の食事は器から直接啜り、固形の食べ物は素手で摘んで食べる。
箸どころか、フォークとナイフも、スプーンすら使わない。かなりの蛮族スタイルである。
この辺りの食文化は、オーガ族並みに遅れているらしい。ドワーフは豪快が売りな種族だから、誰も気にしないのである。
そして晩餐の輪には、シャドーの他にダークエルフ族のシーンとマーリア、それに獣人商人のフーミンとマサム、さらにベンベ・ベンの息子と娘であるリキルとフジルが加わっていた。
どうやらベンベ・ベンが気絶している間に、シャドーと双子たちは友好を深めていたらしい。
息子のリキル・ベンは、父親よりも社交的なドワーフである。体型も並のドワーフと変わらない。
他のドワーフと違って、他種族に対する差別意識も持っていない。おそらく、村長を継ぐには理想的な人格だろう。彼ならば、村のさらなる繁栄も期待できる。
そして、娘のフジル・ベンは、ドワーフとして少し問題を抱えていた。
彼女の性格は、兄のリキルに似て柔軟な方である。明るく活気の高い良い性格だ。
しかし、容姿がドワーフとしては、いささかままならない。
フジルは、ドワーフにしては細すぎるのだ。痩せっぽちなのだ。
ドワーフの容姿は、太ければ太いほど良いとされている。だから痩せている彼女はモテないのである。
彼女は虚弱体質であった。
身長は150センチほどと、ドワーフの女子としては少し背が高い。これは父親に似たのだろう。
だが、体のラインが細すぎる。
兄にも母親にも似ていない。まるで人間の娘のように華奢な体つきをしているのだ。
その細さは、ドワーフの基準からすれば異常だった。
理想的なドワーフ女子とは、樽のように太く、腕も脚も逞しい体つきである。そして、牛のように巨乳であることも重要だ。それがドワーフ社会ではモテるのだ。
なのに、フジルは枯れ木のように細い。胸も俎板のように薄い。
ドワーフ男子から見れば、どうしても女性としての魅力が足りないのである。
そのため、村の中でも行き遅れた存在となっていた。誰も、彼女を嫁に貰おうとはしないのである。
だが、人間の感性を持つシャドーには、可愛らしい乙女にしか見えなかった。
ロリコン趣味の男性には、まさにドストライクな容姿なのである。
フジルの年齢は七十五歳。人間の基準からすれば、立派な成人である。見た目がロリロリしていても、年齢だけを見れば十分に大人だ。いわゆる合法ロリである。
茶髪のサイドテールに、少し垂れ目の眼差し。ドワーフとは思えないスラリとした体型。それに、細い太腿をミニスカートから魅惑的に晒している。
人間ならば、十分な程に健康的なのだ。もう、涎が出る程である。
そんな娘が目の前で一緒に酒を飲んでいる。
それならば、ついつい構ってやりたくなるのも男として当然のことだろう。
このような可愛らしい娘がスナックに居たら、誰だってほっとかないはずだ。
この状況で彼女を放っておくのは、紳士でも何でもない。単なる根性無しの偽善者である。
しかもである――。
時折、フジルはシャドーのことを上目遣いで見てくるのだ。
その仕草が、まるで自分を誘っているかのように思えてしまう。
間違いないだろう。彼女はシャドーを誘っているのだ。たぶん、そうである。
『むむぅ〜……』
シャドーの中で、何かが企み始めた。
まずはマーリアが邪魔だ。
恋人の目の前で、別の女性を口説くわけにはいかない。
ならば――。
先にマーリアを酔い潰してしまえばいい。
シャドーはそう考えた。
巧みなお世辞を交えながら、マーリアへ次々と酒を注いでいく。
『いやぁ、マーリアは本当に酒が強いですな!』
「そ、そうですか?」
『さすがはダークエルフの乙女だな! いやぁ、実に天晴だ!』
「そうですか、えへへ〜」
シャドーに煽てられ、気を良くしたマーリアは酒を飲み続ける。
一杯、また一杯。
そして――。
やがてマーリアは、完全に酔い潰れてしまった。その場で横になると眠ってしまう。
シャドーは満足げに微笑んだ。第一段階、成功である。
その頃には、シーンたちもかなり酔っていた。フーミンも酔いつぶれている。
ゲラゲラと騒いでいるのは、酒が強いドワーフ族の面々だけだった。
シャドーは、だいぶ酔っているシーンに、わざとらしい口調で声を掛けた。
『シーン、お前たちは飲みすぎだぞ。そろそろ部屋で休んだほうが良いのではないか、なぁ〜?』
「そ、そうですな。それでは、私はおいとまいたします」
『違う。私はではない。我々は、だろう〜』
シャドーは、無い目でギロリとシーンを睨んだ。
すると、シャドーの意図を察したシーンが妹を見下ろす。
妹のマーリアは、酒の飲み過ぎですっかり酔い潰れていた。
「あ〜。そ、そうですね……」
言いながら、シーンはマーリアに肩を貸す。
シャドーが、何を言いたいのか悟れたのだろう。
そのまま妹を連れて食堂を出ていった。
フーミンも、マサムの肩を借りながら客間へと帰っていく。
「ニャンニャンニャ〜ン。ウ◯コぶりぶり〜」
「飲み過ぎだぞ、フーミン……」
「へぇ〜きぃ〜ニャ〜ン」
獣人二人も退室した。
そして、食堂に残ったのはベン一家だけとなった。
もちろん、ベンベ・ベンも子供ではない。
この状況を理解するのに、そう時間は掛からなかった。夫婦揃って空気を読む。
「では、シャドー殿。儂ら夫婦も、お暇するとしますぞ」
『ああ。今日はお疲れだったな』
「それでは、失礼する」
ベンベ・ベンが妻のクロスラを連れて食堂を出る。
長男のリキルも、そんな両親の後に続いて退室していった。
どうやら彼も、しっかりと空気を読んでいるらしい。流石は村長の後継者である。なんとも妹思いな兄だった。
こうして食堂に残ったのは、娘のフジルとシャドーだけになった。
フジルはシャドーの隣に座ったまま、俯いている。
その頬は、酒のせいなのか、それとも別の理由なのか、真っ赤に染まっていた。華奢な体も緊張で硬くなっている。
――一方。
石畳の廊下を、ベンベ・ベンとクロスラの夫婦が並んで歩いていた。
食堂を出たところで、ベンベ・ベンが小声で妻に話し掛ける。
「あ、あれで良かったのかのぉ〜」
すると、クロスラは穏やかな笑顔で答えた。
「あの子も、もういい歳なのですよ。それなのに浮いた話が、まったくありませんから」
「それは、そうじゃが……」
「このまま誰にも相手にされず、嫁にも行けないまま年を重ねるよりは、よほどマシでしょう」
今の時代の価値観からすれば、眉をひそめる者もいるような発言である。
しかし、この異世界、この時代においては、それほど珍しい考え方ではなかった。
ましてやドワーフンヴィレッジでは、家同士の結びつきや、子をなすことも重要な意味を持っている。
種族繁栄は、正義なのである。
「だが、相手はダークエルフの魔人だぞ……」
ベンベ・ベンには、そこだけがどうしても引っ掛かっていた。
「女の幸せは、嫁いで子をなすことです。このまま誰にも相手にされず、枯れ果てて老いていくよりは、幸せだと思いますよ」
「むぅ……」
それでも、魔人に娘を差し出すというのは、生贄を捧げるような感覚に近い。
親として後ろ髪を引かれるのは、当然のことだった。
「でも〜、これで本当にフジルが幸せになれるとは……」
「良いですか、貴方!」
クロスラの声色が変わった。少し怖い。
「は、はい……」
ベンベ・ベンは思わず背筋を伸ばす。
「シャドー殿が、本物の魔人ならば――いずれ、強大な権力を持つ可能性があります」
「ふむ……」
「そのような御方の側室となれば、たとえ正妻でなくとも、ある程度の地位は約束されるでしょう」
「もしも、再び魔王大戦のような戦が起きたならば……。その時には、ドワーフンヴィレッジにとっても大きな意味を持ちます」
「それは、そうだが……」
ベンベ・ベンは複雑な表情を浮かべる。
クロスラは、さらに言葉を続けた。
「あのような虚弱な娘でも、ドワーフ族の役に立てるのです。それは、幸せな話ではありませんか」
「…………」
「貴方、これほど有り難い話は、そうそうありませんよ」
「そ、そうじゃがのぉ……」
ベンベ・ベンは、最後まで釈然としない表情だった。
しかし、妻の言葉を完全に否定することもできなかった。
こうして――。
食堂には、シャドーとフジルの二人だけが残された。
その夜、二人の距離は大きく縮まることになる。
そして翌朝。
フジルは、これまで感じたことのないほど穏やかな表情を浮かべていた。
娘から大人の女性に昇格したのである。
どうやら彼女もまた、シャドーという男を心から慕うようになったらしい。
一晩で見事に、惚れてしまったらしいのだ。




