47【記憶なき恐怖】
ダークエルフの少年が、鍛冶屋工房前の惨状を見て、呆然と立ち尽くしていた。
「な、なんだ、これは……」
少年の名前は、バート。今年で十五歳になるダークエルフである。
彼はリーンやレーンと幼馴染である。彼女たちとは小さな頃からよく遊んでいた。一緒にお風呂に入ったこともある。
バートは今年から村の鍛冶屋に弟子入りして働き始めた。いつまでも子供だと甘んじて生きていけるほど、世間は甘くない。だから彼は、鍛冶屋を天職に選んだのである。
ダークエルフ種は鍛冶屋に向いていない。そもそも、筋力と体力が必要な鍛冶屋向きの体格ではないのだ。
だが、バートは他のダークエルフよりも少し体格が良い。それを鍛冶屋の大将ハートに見込まれたのである。そして、弟子入りした。
バートの日常は、朝から厳しい。早朝は森へ薪集め。その後は朝食作り。そして、やっと大将が起きてくると朝食を食べ、それから鍛冶屋仕事の手伝いが始まる。
昼食もバートが一人で二人前を作る。そして、昼食を大将と二人で食べると、また鍛冶屋仕事の続きが始まる。
夕方が過ぎて、日が沈んで暗くなると鍛冶屋仕事は終わる。そこからは工房の掃除だ。掃除も弟子であるバートが一人で行うのである。
ダーク村には鍛冶屋が一人しかいない。だから仕事はいくらでもあるのだ。武器や防具作りの他に、鍋や農具などの修理も鍛冶屋の仕事である。
ハートが年老いて金槌を振れなくなれば、次を継ぐのはバートである。
この村で鍛冶屋を極めれば、一生食いっぱぐれることはないだろう。安定した職業である。
しかし、鍛冶屋仕事は職人の仕事である。極めるには長い年月が必要だろう。その長い道のりを、バートは歩き始めたばかりである。
そして、鍛冶屋仕事は昔ながらの教育法で学ばなければならない。今の日本ならばパワハラと言われるような世界だ。
故に「技術は見て盗め」と言われている。だからバートは、ハートから基本的なこと以外は学んだことがない。じっくり見ることで、初めて学んでいるのだ。
そのバートが少し目を離していた僅かな時間で、工房前では大変なことになっていた。
猫娘のフーミンが陽気にはしゃいでいる。
「マサム兄ちゃん、絶対に話すニャよ〜!」
「がるる〜」
『てめぇ〜、話せ。殺すぞ!』
「ぐるぐる猫パンチにゃ〜!」
シャドーを後ろから羽交い締めにする狼獣人の前で、猫娘の獣人が拳をぐるぐると回している。全力でシャドーを殴る気満々であった。
それを地べたに女の子座りでへたり込みながら、頬を赤らめたマーリア姉さんが、マグカップを両手で持って眺めていた。その瞳はとろけるように潤んでいる。かなり色っぽい。しかも、酔っ払っているせいかスカートもめくれ上がっていた。セクシーなパンツが見えている。
その横では、鍛冶屋の大将ハートがガラス瓶を縫いぐるみのように抱えながら眠り込んでいる。口からは涎をダラダラと垂らし、はしたない水溜まりを作っていた。
周囲にはアルコールの臭いが立ち込めている。どうやら全員が酔っ払っているようだ。
「な、なんですか、この状況は……?」
バートが困惑してあたふたしていると、猫娘が全力のぐるぐる猫パンチをシャドーの顔面に打ち込んだ。
「喰らえ、メガトンパンチだニャ〜!」
『ひぃ〜!』
猫娘のパンチが打ち込まれた。
しかし、その小さな拳はシャドーの顔面に空いている穴に、すっぽりと収まってしまった。そして、顔面の穴を貫通した猫パンチは、後ろから羽交い締めにしていた狼男の顔面を殴り飛ばしてしまう。
「『あっ……』」
「キャイン!」
情けない鳴き声を上げた狼男が、ひっくり返されたカエルのように地面へ倒れ込んだ。そのまま舌を出して動かなくなる。目がぐるぐると回っていた。
猫娘が拳をシャドーの顔穴から引っこ抜くと、凄んで見せた。
「よくもマサム兄ちゃんをやっつけてくれたニャ!」
『殴ったのはお前だろ!』
「もう知らない。ニャアンも寝るニャ……」
そう言うと、猫娘は地べたで猫のように丸くなり、一瞬で眠り込んだ。猫なのに鼾をかいている。
『寝るの早っ!』
そして、顔を赤らめたマーリアが猫娘の側に寄ってくると、フーミンの背中を優しく撫でていた。
「よ〜しよし、可愛い子猫ちゃんだね〜」
しかし、次の瞬間である。
「ゲロゲロゲロ〜」
『「吐いた!!!』」
シャドーとバートが声を揃えて驚く。
唐突にマーリアがフーミンの背中にゲロを吐いたのである。キラキラの虹色が容赦無く無残にも散布される。
しかも、マーリアはそのまま自分の吐いたゲロの上に顔面から倒れ込んだ。赤らめた顔面をゲロだらけに汚したマーリアも寝てしまう。
もう、地獄絵図だった。
「な、なんですか、これは……」
立ち尽くす少年に、シャドーが答える。
『み、みんな、泥酔しちゃった……』
初めて飲む本物のお酒――日本酒に酔いしれて、全員が大人気なく泥酔してしまったのだ。
鍛冶屋の前には、ハート、マサム、フーミン、マーリアが、まるで屍のように転がっている。全員が酔いつぶれて眠っていた。
シャドーだけは毒無効能力のおかげで、泥酔するほどには酔っていないのであった。ウロボロスの書物に助けられている。
『おい、少年……』
「な、なんですか、シャドー様……?」
『こいつらを家まで運ぶから、手伝え。こんなところに放置しておくわけにもいかんだろ』
「わ、分かりました。でも……」
少年は何かを躊躇していた。
『なんだ? 言ってみろ』
「マーリア姉さんと、フーミンさんが、ゲロまみれです……」
確かに二人には、キラキラのモザイクが掛けられている。なんだか近寄りたくもない。
『き、汚いな……』
「はい……」
顔を引き攣らせたシャドーとバートが一歩後退した。今のマーリアやフーミンには触りたくもない。
『やっぱり、しばらく放置しよう。勝手に目を覚ますだろう……』
「それが僕も得策だと思います……」
こうして四人は、しばらくその場に放置された。
ゲロまみれのままである。




