34【観覧者】
場所はヒオラス邸の中庭。
眼前には世界樹の化け物――。
大木のような体からは、背中に複数の枝が生えていた。太い腕も大木そのもの。逞しい足は木の根を思わせる造りだった。巨人のような人型である。
身長は二メートル半を超えている。背中から伸びる枝まで含めれば、優に三メートルはあるだろう。
その巨体を支えているのは、カンガルーのような太い木の尻尾だった。両足と尻尾の三点で身体を支えているため、片足を払った程度では倒れそうにない。
そして頭は三つ。
右には白髪をオールバックを乱したレーン。左には見たこともない禿げ頭のダークエルフの男。
その二つの頭の間には木の瘤が盛り上がり、そこに人の頭ほどもある巨大な一つ目が血走りながらギョロリとこちらを睨んでいた。
そこだけが、木の化け物で有りながら、動物的な要素だった。
レーンも禿げ頭の男も白目を剥き、意識はないようだ。半開きの口からは涎を垂らしている。
何故、二人が木の化け物に取り込まれているのかは分からない。だが、鏡野鏡子の試練に巻き込まれたことだけは間違いないだろう。
水鳥剣のレーンとは、相変わらず不幸な男である。
「ギギギギギィ……」
木の化け物が唸るような軋み声を上げた。
一歩一歩の歩みは重々しい。だが、その足取りには圧倒的な力強さと重量感があった。踏み込むたびに地鳴りが轟く。
巨漢を揺らしながら大木の化け物はゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。
その両手には武器が握られていた。右手にはレイピア、左手にはバトルアックス。
巨体に対しては小ぶりな武器だったが、それでも武器を扱えるだけの知能を備えている証拠だった。
知恵がある敵は厄介だ。
昼間に狩った、フォレストボアを思い出す。
動物並みの知能しか持たない相手なら、どれだけ楽だったことか。
『さて、どうしたものか……』
全裸の泰三は、中庭で化け物を睨みつけた。穴の空いた顔で目付けに励んでいる。弱点は何処かと探っていた。
あれが鏡野鏡子の言っていた世界樹の種なら、逃げるという選択肢はない。
追尾するようにプログラムされていると言っていたからだ。
つまり、逃げても追ってくる。
ならば、この場で戦うしかない。
だが、今の俺は全裸だった。
武装を携帯するジャケットどころか、服すら身に着けていない。泊まっている客間に置いてきてしまったのだ。
さらには、その部屋の場所も分からない。
赤面する泰三が呟いた。
『まずい……。こんな姿を誰かに見られたら恥ずかしいぞ……』
何故、チンチロリンをフル公開しながら中庭で怪物と戦っているのかと聞かれたら、何と答えればいいのか思いつかない。
たぶん『気分!』と答えて、その場の空気を不器用にも誤魔化すのが関の山だろう。
その時の気まずい空気を想像しただけで背筋に悪寒が走る。――母ちゃんが走るではない。
『まあ、くだらないことを考えていても仕方ない。今は、この化け物をどうにかせんとな……』
俺はしゃがみ込むと、足元のシャドーポケットから白鞘の日本刀を取り出した。静かに鞘を抜く。
月明かりを浴びた刀身が、冷たく白く輝いた。
まともな長物は、この日本刀ぐらいだ。あとは小型武器ばかりである。
シャドーポケットに収めてある武器の数は少ない。
限られた武器だけで戦わなければならない。それでは戦い方の幅も狭まるため、不安は拭えなかった。
その光景を、蔵の屋根に身を潜めながら、気配もなく見つめる影がいた。
それは黒い煙の塊だった。しかし、辛うじて人の形を保っている。強風が吹けば、煙雲のように四散してしまいそうな、危うい姿であった。
闇の中で両目は小さく紅く輝き、さらに額の中央には、ぎょろりと見開かれた第三の瞳がある。それ以外に顔らしいものはなく、表情を窺うこともできない。
気配を感じさせない三つの瞳は、服部泰三と世界樹の化け物が、今まさに繰り広げようとしている死闘を、ただ静かに見つめ続けていた。
蔵の屋根に潜むその影人間は、金徳寺金剛が放った使い魔である。
この戦いの一部始終を主へ伝えるため、密かに送り込まれた監視者だった。
モンスターの名は、スパイミストマン。
スパイミストマンが見た光景は、金徳寺金剛の部屋にある五十五インチのモニターへ映し出される。いわば、テレビの中継カメラのような役割を担う使い魔だった。
東京都渋谷区、ヒカリヨビル三十四階。
金徳寺金剛の自宅へ、一人の男が訪れていた。
大理石に囲まれた廊下を進み、自動ドアをくぐった男は、女中が差し出したスリッパに履き替え、玄関から板張りの廊下を進んでいく。
その体躯は巨漢。身長は190センチはあるだろう。機能性だけを重視した黒いジャージを着込んだ、筋骨隆々の男だった。
髪は黒の短髪。顔つきは強面だが整っており、戦士特有の勇猛な雰囲気を漂わせている。
手にはビニール袋を提げ、土産らしきものを持っていた。
やがて大男は、徐ろに一室の襖を開ける。
そこは、龍虎の襖に囲まれた、二十畳ほどある中部屋だった。
五十五インチのテレビの前には漆塗りの座卓が置かれ、その手前には、半袖半ズボン姿の少年が胡座をかいて座っている。
七三分けの少年は、そのまま振り返ると、大男を見上げて声を掛けた。
「やあ、五郎ちゃん。よく来たね〜」
親しみのこもった挨拶だった。笑顔も見える。
その言葉に、鹿羽五郎も笑みを浮かべて答える。
「会長さん、鏡野鏡子の試練は始まりましたか?」
「ああ、始まってるよ〜」
鹿羽五郎は余計なことは訊かず、金徳寺金剛の隣へ腰を下ろした。会長と並んで、同じように胡座をかく。
「会長さん、お土産だ」
「おっ、有り難う〜」
太い腕で差し出されたビニール袋の中には、笹団子が入っていた。新潟県の名物である。
「懐かしいね〜。笹団子かい。最近は食べてなかったな〜」
金徳寺金剛は嬉しそうに笹を剥き、深緑色の団子を頬張る。そして、甘さを流すように熱いお茶を一口すすった。
「それで、試練はどんな感じだい?」
二人の眼前に置かれたテレビには、異世界のダーク村で戦う服部泰三の姿が映し出されていた。スパイミストマンが中継している画像である。
全裸で日本刀を振るう服部泰三は、大木の化け物を相手に苦戦している。
テレビを眺める鹿羽五郎が、太い腕を胸の前で組みながら述べた。
「あれだけの巨体の怪物相手に、ポン刀一本ってのは辛くないか?」
「僕もそう思うよ。まだ彼は、権利者とは言え、若輩も若輩だからね。だからこそ、どう打開するのかが見ものだね〜」
「しかし、何故にあいつは全裸なんだ?」
「それは訊かないでやってくれ……」
金徳寺金剛は、理由を知ってる様子だった。しかし、語らない。
「まあ、じっくり戦い方を拝見するとしますか」
「だね〜」
テレビの前の二人はそのまま、異世界で繰り広げられる死闘を静かに観戦し続けた。第二の試練を楽しんでいる様子である。




