32【夜這い】
異世界に来て、二日目の夜。カレーライスを食べた晩。
その晩は、異世界のヒオラス家に泊まることにした。再び客間へ通される。
夜が更けると、格子窓の外から怪鳥の鳴き声が聞こえてきた。それに加えて、夏虫たちの大合唱がやかましい。
夏、真っ盛りな夜である。
眠れない。眠るどころではなかった。肌も汗ばむ。
『むむむむむ〜』
俺は全裸で正座し、ベッドの上で目を閉じて精神を統一していた。
スッポンポンで、待っているのだ。全裸待機である。
俺は期待に胸を膨らませていた。またマーリアが訪ねてきてくれることを待っている。
彼女とのプロレスごっこは、極上の一晩だった。いい歳をして夢中になってしまうほど、甘美な時間だったのだ。
もう一度、あの体験を味わいたい。一晩中、彼女とグラウンドでねちねちと関節技を掛け合いながら戦いたい。
煩悩まみれの俺は再戦を望んでいた。
マーリア・ヒオラス――。
ダークエルフの一族、ダーク村の村長ラーオの娘。長男シーン、次女リーンを持つヒオラス家の長女であり、三兄妹の真ん中である。
普段は白い長髪をポニーテールにまとめ、その美しい髪を風に靡かせている。如何にもお姉さんっぽい娘だった。
身長は百七十センチほど。俺より少し高いくらいだ。
体重は五十キロほどだろう。かなり細身である。
しかし、スレンダーな体つきでありながら筋肉はほどよく引き締まり、腹筋もうっすらと割れていた。まるで陸上選手のような体型である。
それでいて胸は豊満だった。かなりのボリュームで、日本人にはあまり見られないサイズ感だ。おそらくHカップはありそうである。
森での狩りの際には動くたびにタユンタユンとさせていた。それを見て、俺を誘ってるんじゃないの〜っと勘違いするところだった。
痩せているのに、出るところは出ている超芸術的な体型なのである。
だが、その体型を普段は、エロチックな黒衣で包んだり、包まなかったりしている。
彼女の普段着は、ダークエルフ特有の薄着でスタイリッシュな黒い服装が多い。
そもそもダークエルフは男女を問わず薄着を好む。肩や腹部を露出し、太腿を見せる者も多い。女性は胸元を強調した服装を好むようだ。
どうやら彼らは暑がりらしい。そのため、夏場は自然と薄着になってしまうという。そう言う理由で露出を正当化している。
しかも、ダークエルフは美男美女ぞろいである。傍から見れば、まるで楽園のような光景だった。
夏のビーチを思わせるような華やかな雰囲気が、村の中に広がっている。まさに真夏のパラダイスなのだ。
そんな美しいダークエルフたちの中でも、マーリアはひときわ美しかった。
切れ長の瞳。柔らかそうな唇。シャープな顎先。細い首筋。どれもこれも美の結晶である。
彼女の年齢は百八十歳。人間で例えるならば、もうババァの年齢だ。もっとも、ダークエルフは人間の十倍ほどの寿命を持つ種族である。人間に換算すれば十八歳前後なのだろう。だから、まだ彼女はピチピチの艶々である。
その若々しさに加え、マーリアには大人びた色香があった。整った顔立ちと均整の取れた体つきは、見る者を自然と惹きつける魅力を放っている。
幼馴染のレーンが彼女にこだわるのも納得できた。長らく煩悩から遠ざかっていた俺でさえ心を動かされるのだから、その魅力は本物なのだろう。
さらに、性格も良い。
ほんの一日行動を共にしただけだが、それだけでも分かった。彼女は外見だけではなく、中身まで美しい女性なのだ。
まさに、身も心も美しい――そんな言葉がよく似合う。
彼女は本当に素晴らしい女性である。
相手を立て、陰から支えることのできる、良き妻になれる人格だろう。もしも昭和的な「妻にしたい女性ランキング」などというものが村にあれば、きっと一位に輝くはずだ。
しかも、ベッド内では極上なのだ。グランド技が大得意である。風俗通いが日常化していた俺ですら、何度も飛ばされているのだ。もう、堪らん。
だからこそ、俺は少しずつ彼女に惹かれ始めていた。
最初は結婚など考えもしなかった。
だが、彼女が相手なら、それも悪くないのではないか――そんなことまで考え始めている。
彼女の魅力が、おじさんを変えたのだ。
俺の中で、彼女を求める思いが膨らんでいく。また彼女と過ごせる晩が、待ち遠しかった。
彼女と結婚するのならば、妊娠が必須。ダークエルフたちは、妊娠が確認できてから婚姻を結ぶ風習があるらしい。
だから俺は、彼女との間に子供を設ける覚悟を抱き始めていた。
場所は異世界だ。現地妻が居ても、誰も文句は言うまい。そのようなふしだらな思いが先行していた。
だから待つ――。
再び昨晩のように、彼女が客間を訪ねてくるのを俺は待った。
あらかじめ全裸で待機し、ベッドの上で正座したまま部屋の扉をじっと見つめる。
少し肌寒いが、そんなの気にしない。心臓が高鳴って仕方ないのだ。
なんとも、忍耐力が鍛えられるひとときだった。
『――………』
夜はどんどん更けていく。室内は静まり返り、外で鳴く虫の声とは対照的に、聞こえるのは俺の呼吸音だけだった。
ほてる俺は、ただひたすら扉を見つめる。
ただひたすら、彼女の訪問を待ち続けた。
しかし、待てど暮らせど、マーリアが訪ねてくることはなかった。扉は沈黙を守る。
『――……っ』
なに、どういうこと?
俺、焦らされてるの?
これも彼女の作戦なのか?
焦らして、焦らして、俺が飢えるのを待っているのか?
兵糧攻めなのか?
なんて策士な女性だ。男の本能を心得ていやがる。俺が乾き切るのを待っていやがるのだ。
飢えが限界まで達する。
『畜生、もう我慢できない!』
俺はベッドから立ち上がると、全裸のまま部屋を飛び出した。目指すはマーリアの寝室だ。
今度は俺のほうから夜這いを仕掛けるつもりだった。
相手が来ないならば、こっちから行くしかないだろう。
もう一度は契りを交わした仲なのだ。夜這いの一回や二回くらい問題ないだろう。彼女も快く受け入れてくれるはずだ。
そんな都合のいい思い込みを胸に、俺は夜の屋敷をぶらぶらと徘徊する。全裸なので別の場所もぶらぶらしていた。
『――……っっ』
しかし、部屋を出てしばらくしてから、重大なことに気づいた。俺はキョロキョロと周囲を見回す。
『あれれ……マーリアの部屋って、どこよ?』
そうなのだ。俺は肝心の夜這い先を知らなかった。マーリアの寝室がどこにあるのか、まったく知らないのである。
それどころか、屋敷の間取りすら把握していなかった。どの部屋が誰の部屋なのかも分かっていない。
そのため、ものの数分で迷子になってしまった。暗い屋敷内をうろちょろする。
『完全に、迷子だな……』
夜の屋敷は昼間とはまるで違って見える。そのせいか、あっという間に方向感覚を失った。
しかも、全裸のままである。
もしこのまま誰かに見つかったら、「夜な夜な全裸で屋敷を徘徊する変態」と勘違いされかねない。
……いや、勘違いじゃないな。
どう考えても、そのままだった。変態に見えることだろう。
『んん――?』
すると、唐突に気配を感じた。
廊下の先、見えない曲がり角の向こうから誰かが歩いてくる。僅かに軋む床板の音が、俺の耳にも届いていた。
足取りは緩やかだが、気配を忍ばせようとしているのが伝わってくる。
『誰か来る……』
俺が曲がり角を凝視していると、その角をゆっくりと曲がってきたのはマーリアだった。
「あっ――」
『おっ――』
二人の視線が合う。
彼女は昨晩と同じく、寝巻きの上だけを身にまとっていた。下は何も穿いておらず、際どい部分だけを着物の裾が隠している。
そんなマーリアが、窓格子から差し込む月明かりに照らされていた。
『う、美しい……』
艶やかな褐色の肌。胸元からは豊かな谷間が、大胆な着物の隙間から覗いている。
月明かりは瑞々しい唇を妖しく照らし、その艶めきが俺の心を奪う。
引き締まった細い腰。その下から伸びる、しなやかで美しい脚。そのすべてが見事な均整を生み出していた。我慢しろというほうが無理だった。
彼女が小さく呟く。
「泰三様……」
マーリアは俯き、恥ずかしそうに視線を逸らした。なんとも初々しい。
その仕草が、俺の警戒心とは別の煩悩を限界まで刺激する。
――だが。
俺は一気に踏み込んだ。
『タンっ!!』
震脚の一歩が床板を鳴らした。上段への縦拳による直突き。太極拳の棒拳である。
狙いは正中線の人中、鼻と上唇の間。
俺の一撃が、美しいマーリアの顔面へと迫る。その棒拳は、弾丸並みの速度だった。
「ふふ――」
『ちっ!』
しかし、その縦拳は彼女の眼前、あと数センチというところで止められた。
『……届かない?』
何か見えない力によって拳が止められたのだ。それを見たマーリアが、くすりと笑う。
「あらら、バレちゃった?」
拳を引きながら俺は鋭く睨みつけた。一歩下がる。
『貴様、何者だ!?』
「ふっ」
マーリアの片手がススっと上がった。掌をこちらに向ける。
途端である――。
『うっ!?』
偽マーリアが片手を軽く突き出した瞬間、俺の身体が後方へ吹き飛ばされた。凄い衝撃波である。触れてもいないのに飛ばされたのだ。
俺は数メートルほど板張りの廊下を滑る。転倒こそ免れたものの、反撃には出られない。ただ睨み返すことしかできなかった。
『くそ……。なんだ、今の攻撃は?』
偽マーリアは妖艶な笑みを浮かべながら尋ねる。豊かな胸を抱えるように両腕を組んでいた。
「ねえ、なんで私が偽物だって気づいたの?」
俺は素直に答えた。
『俺は異世界では偽名しか名乗っていない。本名は、誰も知らないはずだ』
知っていたとしても、ダークエルフたちでは発音できないのだ。
『――ってことは、あんたは現実世界から来た人間だ。だろう?』
「正解よ」
そう言うと、偽マーリアは変身を解いた。一瞬で姿が変貌する。
『っ!?』
「ふふっ――」
その姿は、純白の全身タイツを思わせる異形だった。
人間ではない。服も着ていない。髪もない。顔もない。全身が真っ白。化け物である。
あまりにも単純な姿でありながら、得体の知れない不気味さを漂わせている。
だが、スレンダーなスタイルからして女性なのは間違い無い。本物のマーリアほどではないが、胸も豊満だ。
『その姿は……。もしかして……』
俺の予想は当たっているだろう。
純白の女が名乗った。
『そう、私はゴールド商会の大幹部。ウロボロスの書物の権利者。下段の十八枠、《鏡の書》の所有者――鏡野鏡子よ』
やはり、ゴールド商会の先輩だった。
これは、試練と言うやつだろう。




