30【世界樹の種】
全身に純白の白タイツを着込んだような風貌の女性。顔はのっぺら坊。髪もなければ表情も無い。まるで服を着ていないマネキンである。スレンダーなボディーを晒す姿は、シルエットだけでも魅惑的だった。
村の片隅。鍛冶屋の前。時刻は夜――。
純白の女性が扉の中の誰かに声を掛ける。
『ロリロリちゃん、しばらく扉はこのままにしておいてね。すぐに戻るから』
「ロリロリって呼ぶな!!」
扉の奥から少女の甲高い怒声が返ってくる。すると純白の女性は扉を閉めた。しかし、扉は消えず、その場に残った。
『さて――』
純白の女性は両腰に手を当てると、レーンとハートを見ながら考え込んでいた。
『いきなり現地人に見つかるなんて、不運よね。どうしたものかしら?』
喋り方は少し硬く、ふざけてはいるのだが、その態度には、素の真面目さが感じられた。
純白の女性は、扉を閉めたことで浴びていた光を失っていた。だが、その体はほんのりと輝いて見える。朧げに発光しているのだ。まるでホタルの光のようだった。
「むぅ……」
レーンはそっと、長椅子に立て掛けてあった愛刀へ手を伸ばす。純白の女性は、それに気付いていたが何も言わなかった。
その甘さに漬け込むように、レーンはレイピアの鞘を腰帯に帯刀する。何時でも剣を抜刀できるように身構えた。
「な、なんだ、あれは……」
スキンヘッドから油汗を流すハートが、レーンに問うた。
「分からん……。だが、人間ではあるまい……」
「ま、魔人か!?」
「知らん!」
すると、純白の女性が二人の疑問に親切にも答える。
『私はウロボロスの権利者、下段の十八枠。《鏡の書》の所有者、鏡野鏡子よ』
「「……ぅ????」」
二人には、彼女が何を言っているのか、まったく理解できなかった。見知らぬ単語が多すぎる。
鏡野鏡子と名乗った純白の女性は、呆れるように述べる。
『まあ、いいわ。とりあえず、どちらかに世界樹の種を託しましょう。そこから試練はスタートね』
そう言いながら、鏡野鏡子が前へ歩み出す。二人へ向かって接近を始めた。
その歩みに反応し、レーンが鞘からレイピアを引き抜く。七つの月明かりが刀身に輝いた。威嚇の意思を相手に飛ばす。
ハートも工房へ飛び込むと、室内から造りかけの戦斧を持ち出した。両手でしっかりと構える。太くて筋肉質な両腕に複数の血管が浮き上がる。
「「ぬぬぬっ……」」
『ふふふ――』
二対一で向かい合う。
しかし、数的に不利なはずの彼女からは余裕が窺えた。素手でありながら、武装した二人の男を前にしても少しも臆していない。
『あら、まあ。私と遊んでくださるのかしら?』
「舐めた口を……」
鏡野鏡子は夜空を見上げながら呟く。
『まずは、人払いが優先かしら。誰かに見つかったら厄介ですものね』
そして、片手を夜空へ掲げる。すると、手の平から光る弾丸が発射された。その弾丸は打ち上げ花火のように数メートル上空まで昇ると、弾けて周囲へと光の粒を撒き散らした。綺麗な花火である。
「なんだ!?」
彼女は妖艶な笑みを浮かべながら言った。
『結界よ』
「け、結界……?」
『これ以上誰かに見つかったら厄介だから、周囲に誰も入ってこられないように魔法の結界を張ったのよ。もう、騒いでも何をしても、誰も異常に気が付かないわ』
レーンは視線だけを左右に配って異常を探した。だが、何も異変は見受けられない。
「フィールド魔法のようなものか……」
『そう、そんな感じ――』
返答しながら鏡野鏡子が虚空の中に手首を差し込んだ。そして、異次元の中から何かを取り出す。
それは、乾燥したクルミの種のような物だった。
さらに彼女は前へ進みながら告げる。
『さあ、貴方がたのどちらかにこれを託します。どちらかが受け取りなさい』
強引な申し出だった。しかし、その申し出にレーンは武力で応えた。
「断るっ!」
シュッと風が鳴る。
唐突な抜刀。踏み込みの一歩から逆水平に振るわれたレイピアの切っ先が、鏡野鏡子の首筋を狙った。疾風が唸る。
しかし、純白の彼女は避けようともしない。棒立ちのままレイピアの刃を受けた。
「な、なにぃ……!!」
状況に驚くレーン。信じられないと目を剥いていた。自分の抜刀が、首筋の手前で、防御も無く止められているのだ。
「ど、どう言うことだ……」
音もなく、レーンのレイピアは鏡野鏡子の首筋の手前で止まっていた。振り切れない。見えない何かに阻まれたように、バチバチと小さな音を立てている。
レーンの腕には、何かに抵抗される力が確かに感じられていた。見えない何かに阻まれているのは間違いない。
「こ、これは……!?」
弾けるような電光が、レイピアと首筋の間で火花を散らしていた。刀身は首に触れてすらいない。レーンの剣を止めたのは、この雷光だろう。
「く、くそっ!」
レーンがどれだけ力を込めても、それ以上レイピアは進まない。小さな電流のような力に押し返されている。
鏡野鏡子は触れることなく、手の平を軽くかざすだけで刀身を押しのけた。凄い反発力である。
『もうね、最初から貴方たちは私の術中に落ちているのよ』
「なんだと……?」
鏡野鏡子がトリックの仕掛けを語る。
『磁力って知ってる?』
「知らん……」
中世初期ほどの文明ならば、その程度の知識すらまだ存在しないのだろう。磁力の意味すら分かっていない。
『今ね、私と貴方はプラス極なの。だから絶対に触れ合えないの』
「何故だ?」
プラス極とプラス極は反発し合う。
レーンが首を傾げた刹那、その背後を飛び越え、ハートが空中から戦斧を振り下ろした。
「タヒッ!!」
しかし、その戦斧も鏡野鏡子の頭上でぴたりと止まる。鍛冶屋自慢の力技であっても同じように振り切れない。
『貴方もプラス極よ』
「な、なに……!?」
途端、純白の身体が眩く輝いた。津波のような反発力が二人を襲う。
「「ぐあっ!!」」
次の瞬間、レーンとハートは数メートルも吹き飛ばされ、地面を転がる。純白の彼女に、触られることなく吹き飛ばされたのだ。
大の大人が二人も同時に、自分たちよりも小柄な女性に吹き飛ばされたのだ。しかも、触れることなくだ。その事実が信じられなかった。まるで、巨漢のオーガ並な怪力である。
片膝をついて起き上がったレーンが叫ぶ。
「い、今のは何だ!?」
鏡野鏡子が自慢げに述べる。
『私のプラス極を強めてみただけよ。それで非力な貴方たちが弾き飛ばされたの』
「ぬぬぬぬぬ〜……」
レーンには何が起きているのか、まったく理解できなかった。磁力という概念そのものが想像できないのだ。無知は罪である。
『まあ、何を言っているのか理解することすら不可能なんでしょうね』
そう言われた途端だった。
「「ガハッ!?」」
今度はレーンとハートの身体が一瞬で引き寄せられ、ぴたりとくっついてしまう。互いが磁力で引き寄せられたのだ。
二人の男は抱き合うような格好になった。
「なんだ急に!?」
「離れろ、ハート!」
「お前こそ、くっついてくるな!」
「は、離れられない!?」
二人は互いの身体を押し合ったが、結局まったく離れることができなかった。恋人のように抱き合う。
『二人とも、騒がない騒がない。ただ、一人をマイナス極に変えただけなんだから。それよりも、次が来るわよ』
「「えっ……」」
すると、工房の中から鉄の小槌が飛んできた。
その小槌はレーンの肩に命中し、そのまま食い込むように張り付く。
「ぐはっ!?」
続いて鉄のトングが飛来し、ハートの太腿に当たって貼り付いた。
「痛っ!?」
「な、なんなんだ、これは!?」
さらに鍋が飛んでくる。
手斧が飛んでくる。
釘、蚤、大金槌まで飛んで来た。
次々と飛来する鉄製の道具が二人に命中し、そのまま身体へ貼り付いていく。その度に体重が加算されていった。やがて重たさで立っていられなくなる。
「い、痛い……」
「お、重い……」
やがて、貼り付いた金属の重みに耐えきれなくなり、二人は膝をついた。息も荒く弾んでいる。
『まあ、お遊びは、このくらいにしておきましょうかしら』
「ぐぅぅ……」
悔しさに息を荒らげる二人は、沈黙していた。もはや、口を開く気力すら残っていない。
「ぐぅぬぬぬぬ……」
「ぜぇは、ぜぇはぁ……」
金属道具に包まれて身動きの取れない二人へ、鏡野鏡子がゆっくりと歩み寄る。そして、のっぺら坊の顔を二人へ近づけた。その表情はないはずなのに、不思議と笑っているようにも見えた。
『まあ、いいわ。ちょうど二人で寄り添っているのだから、世界樹の種は二人にあげましょう』
そう言いながら、ダークエルフの二人へ世界樹の種を差し出す。レーンの眼前に世界樹の種が近づけられた。
「うぅ………」
『ふふふ――』
すると、世界樹の種がパキリと割れ、中から細い木の根のようなものが何本も伸び出してきた。その根は瞬く間に二人へ絡みついていく。
「な、なんだ……これは……!?」
「キモい!」
レーンは息も絶え絶えに声を震わせた。ハートも強面を引きつらせている。
しかし、根は容赦なく二人へ絡みつき、そのまま繭のように全身を包み込んでいく。あっという間に二人は木の根に包まれた。
その姿は蚕の繭である。頑丈で太い糸で覆われていた。
繭の中が、どのようになっているかは分からない。静かで物音一つ聞こえて来ない。沈黙していた。
『あと少しもすれば、種は芽を出すわね――』
鏡野鏡子はくるりと振り返ると、村の中央へ視線を向けた。
『芽が出るまで、少し挨拶でもしてきましょうか。せっかくの試練なのですもの。できるだけ楽しい思い出にしないとね――』
そう言い残すと、鏡野鏡子は静かに歩き始めた。
その足は、村の中央にある屋敷へと向かっていた。




