29【夜の酒盛り】
異世界の時刻は夜。場所は白壁に囲まれたダーク村の外れ、鍛冶屋ハートの工房前である。
見上げれば、夜空には七つの月が輝いていた。その周りに星々が散りばめられている。
工房の周囲は静まり返っていた。まだ村人たちが寝静まるには早い時間帯だったが、皆が広場に集まり、狩ってきたばかりのフォレストボアの解体に励んでいた。
鍛冶屋は広場とは反対側に建っている。どちらで騒いでいても、ここまではほとんど物音は届かない。
広場で解体ショーに参加していないのは、櫓の見張りたちと鍛冶屋ハートくらいのものだろう。
今ごろ広場は、お祭り騒ぎになっているはずである。
「ふっふっ〜、ふんふんふ〜ん」
鼻歌交じりに、鍛冶屋ハートは仕事の手を止め、工房の後片付けに励んでいた。夜も更けようとしているため、今日の仕事はこれで終わりである。
りんりんり〜ん。
何処からか草虫の音色が聞こえて来る。
「畜生め。夜なのに暑いな〜」
ハートは首に掛けたタオルで、自慢のスキンヘッドを丁寧に拭う。その頭が月明かりを反射していた。
着ているタンクトップは汗と煤で黒く汚れていた。鍛冶屋の仕事は3Kである。いつもこんな感じだ。夏は暑さで地獄と化してしまう。
鍛冶屋用の金床の上には、大きな戦斧が置かれていた。現在依頼を受け、数日がかりで製作している品物だった。
まだ戦斧は炉の熱を残しており、黒光りしながら鈍い熱を帯びていた。
扇子二枚分ほどもある両刃の戦斧は、ドワーフ用らしく柄が短めに作られている。
鋼色の斧身は、まだ仕上げ前で荒々しい。刃も研がれておらず、未完成の状態だった。
この戦斧は、ドワーフ村の戦士から依頼を受けて作っている武器である。
なぜ鍛冶仕事に優れたドワーフが、ダークエルフであるハートへ依頼を持ち込んだのか。
理由は単純だった。
ハートは、魔法の武器を作れるからである。
ドワーフ族は、ほとんどマジックアイテムを作れないのだ。
ドワーフ族は、鉱山の採掘から鍛冶仕事まで、超一流の鉄鋼職人を数多く輩出する種族である。彼らは鉄鋼加工のスペシャリストと言ってよい。
しかし、その反面、種族的な欠点として、人間以上に魔法の才能に乏しい。ほとんどのドワーフは魔法を扱えないのである。
そのため、マジックアイテムを製造することはできない。
一方、エルフやダークエルフは正反対だった。
力仕事や鍛冶仕事ではドワーフや人間に及ばないものの、マジックアイテムを生み出す能力に関しては一流である。こと魔法装備の製作においては、人間よりもはるかに優れていた。
ハートもまた、優秀な魔法の武器を作れる数少ない鍛冶屋の一人である。禿でも凄腕なのだ。
古代からダンジョンに眠る伝説級のマジックアイテムには及ばないものの、それでも実用性の高い魔法装備を作り出すことができた。
そして、なぜ敵対している他種族とハートが取り引きをしているのかといえば、物々交換が目的だった。
ダークエルフのダーク村とエルフ族のライト村は酷く険悪な関係にあるが、ドワーフ族とは、それほど険悪というわけでもない。お互いに狩場の縄張りさえ守っていれば、ちょっかいを出されることもない。だからこそ、物々交換も成り立つのである。
さらに言えば、ハートがドワーフ村と物々交換を行う理由は、酒が目的だった。
ドワーフ族は酒が大好物である。人間や他の妖精族と比べれば、数倍は酒を飲む。それと同時に、酒造りの腕前も非常に高い。
ドワーフ村で造られている果樹酒は、ダーク村で造られている果樹酒よりも、段違いに旨いのである。
ハートは、その酒を目当てにしていた。彼はダークエルフには珍しく、大の酒好きなのである。毎晩、晩酌を欠かさないぐらいである。
そして、物々交換が行われるのは年に二回だけ。そのたびに、魔法の戦斧一本と果樹酒の大樽一つを交換する取り決めになっていた。
その物々交換の日も近い。あと数日以内に、ハートは魔法の戦斧を完成させなければならない。
では、なぜドワーフたちが魔法の戦斧を求めているのか。
その理由は、モンスターの存在だった。
まずは、動物と魔物の違いから説明しよう。
動物と魔物の違い――。それは、生まれ方の違いが大きい。
動物は、雄と雌が結ばれ、子を成すことで数を増やす。人間や妖精族も同様である。
しかし、魔物の理は、それとは異なる。
ある魔物は、動物や人から変化する。
ある魔物は、土から生まれる。
ある魔物は、闇から生まれる。
ある魔物は、魔法から生まれる。
ある魔物は、人々の恐怖心から生まれる。
ある魔物は、ダンジョンから生まれる。
地獄から昇ってくる魔物も居れば、天界から落ちてくる魔物すら存在する。
ほとんどの魔物は、魔物同士で結ばれて交配によって数を増やすことは少ない。もちろんそう言った魔物も居る。
だが、異常な摂理から生まれ落ちる魔物のほうが圧倒的に多いのだ。
だからこそ、魔物は恐怖の対象なのである。
話を戻そう――。
ドワーフ族が魔法の武器を欲しがる理由は、それらの魔物には魔法の武器が有効だからである。魔物の中には、魔法を宿した武器でなければ傷つけられない化け物も少なくない。
アンデッド、ライカンスロープ、ガーゴイル、魔族、魔人、天使、聖人など――。
特にアンデッドの中には、魔法の武器でしか倒せない怪物もいる。
そのため、ドワーフ族は魔法の武器を欲しているのだ。
妖精族が覇権を争うこの森にも、アンデッドが徘徊している。ゾンビやスケルトン、霊体であるゴーストなどは、決して珍しくない。低級アンデットだが、魔法の武器は極めて有効なのだ。
そして、ハートが工房の前を竹箒で掃いていると、夜の闇から一人の男が近付いてきた。水鳥剣のレーンである。
「よう、ハゲ」
「うるせえ、負け犬!」
レーンはくだらない挨拶を交わすと、片手に持っていた小樽をハートに見せた。ダーク村産の果樹酒が入った酒樽である。
そして、クールな笑顔でレーンが誘う。
「一杯やらないか?」
「おお、いいぜ」
そう答えると、ハートは工房の中から木材をくり抜いて作られたカップを二つ持ってくる。反対の手には、木皿に盛られたブラッドベリーを運んできた。
「つまみもあるぜ」
「気が利くな」
二人は小さな酒樽とブラッドベリーが盛られた木皿を挟み、長ベンチの両端に腰掛けた。真っ直ぐ夜空を見上げながら、美味しくない果樹酒を楽しむ。
背後の工房から漏れ出た明かりが二人の背中を照らしていた。
夜の酒盛りが始る――。
黙ったまま七つの月を見上げる二人。すると、禿げの鍛冶屋が口火を切った。
「さっきケーンが持ってきてくれたブラッドベリーだ。なんでも狩りの帰り道で摘んできた物のお裾分けだってよ」
白髪をオールバックにした男はブラッドベリーを摘まみ、よく噛んでから果樹酒で胃の中へ流し込む。
「あの坊主も、気が利くようになったな。やっぱりあいつはリーンちゃんと結ばれるのかな……」
ハートが表情を歪めながら言う。
「何言ってるんだ。リーンとケーンが結ばれるはずがないだろう。ケーンは女の子だぞ」
「あ、忘れてた。あいつ、女の子だったっけな……」
そうである。ケーンはボーイッシュだが列記とした女の子なのだ。
「それよりもお前はどうなんだ?」
禿げが嫌らしく言う。
「お前は姉のマーリアに振られたんだろ〜」
「言うな!」
レーンは怒鳴ってから、再び果樹酒をあおる。爽快に喉を鳴らした。
そんな失恋中の男を見ず、真っ直ぐ夜空を眺めながらハートが問う。
「酒、飲まずにはいられぬな。でえ〜、お前、どうすんだ?」
レーンは少し間を置いてから答えた。
「マーリアは、諦める……」
「一緒に風呂まで入った仲なのにか?」
俯くレーンは、悔しそうに奥歯を噛み締めながら言った。
「仕方あるまい。漢の勝負で負けたのだ……」
シャドーとの勝負の記憶。あれは完敗だった。
「あれを負けと認めるのか?」
「殺されなかっただけ、マシだろう」
「だな〜」
「ここは彼女を諦めて、別の娘を探すさ」
眉間を顰めたハートが、嫌らしく煽り立てる。
「きっぱり諦められるの〜〜? 女々しいお前が〜、本当に諦められるのかな〜〜? ん〜、ん〜、ん〜〜ん??」
「しつこい!!」
青筋を立てたレーンが癇癪を起こして怒鳴った刹那だった。途端、夜風の空気が淀み、擦れたような音が周囲に響く。
ギィィィイイイイイイイイイイイイインッ!!
「「はっ!?」」
二人は耳鳴りに顔を歪めた。
まるで学校の黒板に爪を立てたような耳障りな音が響く。鼓膜の奥を削られるかと思うほどだった。
「くはっ!?」
「な、なんだ!?」
嫌な音が止むと、辺りは静けさを取り戻す。再び草虫の音色が聞こえて来る。
「いまのは……?」
冷や汗を流しながら周囲を見回すレーン。
「な、何だったんだ……今のは?」
ハートが声を震わせながら言う。
「お、おい……あれ……?」
「んん?」
大量の冷や汗を流しながらハートが指差していたのは、レーンの背後だった。
レーンの数メートル背後。工房の外壁に、見知らぬ洋風の扉が建っていた。
その扉は、家主のハートも見たことのない扉だった。しかし、アンティーク調の意匠が施され、この村では珍しい高級な引き戸である。
「なんだ、あれは……」
扉である。
「あんなところに扉なんて無いぞ……」
家主が言うのだから間違いないだろう。あれは、今まで無かった扉である。
しかし、扉は確かに存在していた。新たなる扉が、現れたのである。
「「――……ぅぅ」」
息を呑みながら固まる二人。その視線は、謎の扉に釘付けだった。
やがて、扉がゆっくりと音もなく開く。その隙間から眩い光が漏れ出した。その明かりは見たこともない眩さである。
扉が完全に開くと、光の中から一つの人影がゆっくりと歩み出てきた。そのシルエットはスレンダーな女性の体型であった。怪しいプロポーションである。
「なんだ、あれは……」
「し、知るかよ……」
再び息を呑む二人は、硬直したまま動けなかった。女性のスタイルをガン見する。
黒髪レーンのオールバックから、一筋の汗が流れ落ちる。ハートの禿げ頭には、無数の冷や汗が浮き上がっていた。
「あ、あれは……」
レーンは、以前にも似たような光景を目にしたことがある。
それは、シャドーと初めて出会った時のこと――。
森の中で、光る扉からシャドーが現れるのを彼もシーンやマーリアたちと目撃していた。その時と類似したシュチエーションである。
しかし、今回は少し様子が違う。
シャドーのゲートマジックは長方形の光の扉だったが、扉のドアその物は存在していなかった。
だが、今、目の前に現れたものには、確かにドアがあった。枠組みもある。
古びたアンティーク調の扉が、そこに実在している。
その開かれた扉の奥、白い光の中から、人影がゆっくりと姿を現した。歩む姿は凛々しくも気品に満ちていた。
しかし、不思議――。
現れたのは、純白の人影だった。
服は着ていない。髪もない。目もない。鼻もない。口もない。耳も無い。ただ、白い。
それでも胸は膨らんでおり、女性なのだろう。細身で、均整の取れた美しい体つきをしていた。
しかし、その全身は純白だった。
まるで全身を白いタイツで包み込んだかのような、不気味な風貌だった。
純白の人影が、二人のほうを向いて、麗しい澄んだ声で言う。
『あら、いきなり現地人に見つかっちゃったわ――』
友好的な声色だった。悪意が感じられない。だが、信用が置ける状況でもない。
「ま、魔人………?」
レーンとハートは固まり続けた。どう対応していいのか分からない。
敵なのか、味方なのかも分からなかった。緊張感だけが、周囲を支配していた。
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by、ヒィッツカラルド。




