11【体育会系の先輩】
俺に理性が舞い戻った。その頃には朝が来ていた。格子窓の向こうからは、小鳥のさえずりが聞こえてくる。
ベッドに腰掛ける俺の横には、マーリアが全裸のまま気絶したように眠っていた。朝日を浴びる褐色の妖精族は美しかった。
しかし、全裸の彼女は白濁液と二人の汗でベタベタに汚れている。しかも、少しイカ臭い。
綺麗だった白髪を乱し、穏やかな寝息を立てるマーリアは、昨晩よりも汚れて見えた。汚し放題に汚したのは俺なのだけど……。
しかし、彼女の寝顔はどこか満足げでもある。俺との情事に満足してくれたのだろう。何せ昨晩の俺は頑張りすぎたからな。
『一旦、家に帰ってシャワーでも浴びてこようかな。あと、七十四人分のママクドセットも注文しないと……』
俺は客間に異次元扉を出すと、眠るマーリアをベッドに残して実家へ戻った。道場の控室に出る。
壁に掛けられた針時計を見れば、十九時を回った頃だった。窓の外はすでに暗い。
現実世界と異世界では時差がある。たぶん十二時間ほどずれているのだと思う。こちらが夜なら、向こうは朝なのだ。
スマホで電話を掛ける。
「あ〜、もしもし〜。ママクドセットを七十四人分、注文したいんですけど――。はい、はい――。支払いはカードでお願いします」
ママクドに注文しながら、俺は全裸になる。そのままシャワー室で温かいお湯を頭から浴びた。性欲にまみれた汚れを洗い流す。
特にポンコチンは丁寧に洗った。
そして温かいシャワーを浴び終わった俺は、バスタオルを腰に巻いたまま控室に戻った。新しいパンツを穿き、Tシャツを着込む。
「さむ……」
道場内の空気は冷たい。シャワーで温めたはずの身体が、すぐに冷えていく。
現実世界は冬で、異世界は温暖な気候だった。たぶん時間だけでなく、季節にもずれがあるのだろう。
ズボンを穿き、武装が仕込まれたジャケットを着込んだ俺は、片手に忍者刀を持って控室から道場に出た。そして、くつろぐように胡座をかくと、床に忍者刀を置く。
冷ややかな冬の空気が道場内に寒々と流れている。床が冷たい。
「ふぅ〜、ここでママクドを待つか……」
それは唐突だった。
「んんッ!?」
殺気!?
しかも、かなり強い気配……。
「な、なんだ……」
座ったまま俺は道場の入り口を凝視した。
古びた玄関の扉は、引き戸式の二枚戸。曇りガラスの格子戸である。
その曇りガラスに、外の明かりで人影が映っていた。その人物が放つ威圧で格子戸が歪んで見えるほどである。
影は二つ。背の高い男性と、それよりは低い女性だった。しかも、男性のシルエットだけが朧気に揺らいで見えた。あれが鬼のような殺気を放っているのだろう。
男性の身長は百九十センチを超えている。上下黒のジャージを着込んでいるようだ。
上半身は逆三角形。ウエストは太いが引き締まり、手足も首も太い。明らかに身体を徹底的に鍛え上げていることがシルエットだけで見て取れた。
女性のほうは身長百七十センチほど。すらりとしたスレンダーな体型で、長い髪は金髪である。たぶんレディーススーツを着ている。
曇りガラス越しに分かることは、このくらいだ。
「夜中に来客……?」
忍者刀を床に残したまま俺は立ち上がる。さすがに客人を前に刀を携えているわけにもいかないからだ。しかし、警戒は怠らない。
すると、女性の声で何かが囁かれた。
「アンロック――」
カチャリ、と締めていたはずの鍵が開く。
「っ!?」
俺がわずかに驚いていると、玄関がガラガラと音を鳴らして開かれた。二人の人物が問答無用で敷居をまたいで道場に入ってくる。
「ごめんくださ〜い。入るぜぇ〜」
年齢的には俺と変わらない四十代ほどの男が言った。
「お〜、いたいた〜。しかも、早速ウロボロスの書物と契約してやがるぜ〜。気配だけで判るぞ〜」
楽しげに笑う男だったが、全身から異常なまでの殺気を漂わせていた。女性のほうも、俺を厳しい眼差しで見据えている。
俺は冷静を装って尋ねた。
「ようこそ、忍術道場へ。ところで、貴方がたはどちら様ですか。入門希望者……では、ありませんよね?」
靴を脱ぎ捨てると、大男はキョロキョロと道場内を見回しながら上がり込んでくる。金髪の女性もその後ろに続いた。
大男は日本人だが、レディーススーツの女性は白人だった。金髪の外人である。
「ほほぉ〜」
壁に飾られた忍具を眺めながら、黒髪短髪の大男が言う。
「大太刀、小太刀。長槍に手裏剣。鎖鎌までありやがるぞ。すげ〜な〜、玩具のコレクションじゃねえか〜」
今一度、俺が問う。
「入門のお申し込みですか?」
大男は鼻で笑いながら答えた。
「ちげぇ〜よ」
「では、何用で?」
大男は太い腕を分厚い胸元で組むと、背筋を伸ばしながら顎をしゃくる。それから名乗った。
「俺の名前は、鹿羽五郎ってもんだ〜」
「しかう、ごろう――」
知っている。その名前を泰三は知っていた。懐かしの有名人だ。かつて格闘技チャンピオンに輝いた空手家。伝説級のファイターである。
だが、おかしい――。
鹿羽五郎が現役だったのは二十数年前の話だ。自分が格闘技デビューした頃には、すでに引退している。なのに、彼は四十歳程度にしか見えない。時間軸からすれば、今は六十歳くらいでなければおかしいのだ。若過ぎる。
俺は問い掛けた。
「鹿羽五郎……さん?」
「なんだ?」
「貴方は、本物の鹿羽五郎さんですか……?」
「もちろん、本物だぜ〜」
自分の記憶に残る鹿羽五郎は、テレビ越しにしか見たことがない。だが、その記憶と眼前の男は一致している。顔も体型も瓜二つだ。醸し出す雰囲気も同じである。
鹿羽五郎は、拳ダコが巨大な手で自分の四角い顎を撫でながら言う。
「なんだ、お前。もしかして、俺が若すぎると思っているのか?」
「はい……」
「俺は正真正銘の鹿羽五郎だぜ。年齢だって六十歳の爺さんだ」
しかし、六十歳には見えない……。
「ならば、なぜそれほど若く見えるのですか。とても六十歳の老体には見えません……」
「なに、答えは簡単だ」
そう言いながら、鹿羽五郎は何もない空間から一冊の本を取り出した。
その赤茶色の本には、自分の尻尾をくわえた蛇の絵が描かれていた。その円形の大蛇の中央には髑髏の絵も描かれている。
「そ、それは……」
「俺も、ウロボロスの書物の権利者だからだよ!」
少し驚いた。
「ウ、ウロボロスの権利者……。こいつも、不老不死なのか……」
「そうだ。俺はウロボロスの書物の権利者。下段の十三枠、《髑髏の書》の持ち主。ゴールド商会、大幹部の一人だぜ。お前の先輩だ!」
鹿羽五郎は豪快に笑っていた。いかにも体育会系らしい笑い方だった。




