第41話「静かな違和感」
完全試合で二回戦を終えた夜。
宿舎の大部屋。
仲間たちはまだ興奮が冷めず、誰も寝る気配がなかった。
「夏目ぇ……お前、今日も173出してたぞ……」
「人間って173キロ投げられるんだな……」
「いや、もう怪物どころじゃねぇだろ……」
「本人そこにいるぞ」
騒がしい声を聞きながら、夏目はタオルで汗を拭いていた。
右肩へ手を伸ばす。
「…………」
軽く回す。
その途中で、ほんの一瞬だけ動きが鈍った。
(……ん?)
もう一度回す。
今度は普通に動く。
痛みはない。
県大会決勝で右手を痛めた時とも違う。
ただ、妙に肩が重い。
(まあ、投げてるしな)
甲子園に来て二試合。
どちらも九回まで投げ切った。
それ以前にも県大会から投げ続けている。
疲れて当然だろう。
夏目はそれ以上気にせず、水を飲んでストレッチを始めた。
「…………」
その様子を、伊藤が見ていた。
スコアブックを抱えたまま、今日の投球を思い返す。
(八回くらいから……肩、何回か回してたわよね)
球速は落ちていなかった。
最後まで173キロを出していた。
制球も乱れていない。
それでも、普段の夏目とは少し違った。
「夏目くん」
「ん?」
「右肩、大丈夫?」
夏目は肩を回す。
「ちょっと重い」
「ちょっと?」
「疲れてるだけだろ」
あまりにも普通に答える。
伊藤は眉をひそめた。
「本当に?」
「痛くはない」
「……ならいいけど」
「心配しすぎだろ」
「あなたが気にしなさすぎなのよ」
夏目は少し考えた。
「そうか?」
「そうよ」
その横から中村が叫ぶ。
「伊藤の言う通りだぞ!!
お前、自分の身体だけはちゃんと気にしろよ!!」
「お前はまず膝治せ」
「今俺の話じゃねぇ!!」
部屋に笑いが起こる。
夏目も気にせずペットボトルへ手を伸ばした。
その時。
「…………」
右手の指先が、わずかに痺れた。
人差し指。
中指。
すぐに消える。
夏目は指を何度か曲げ伸ばしする。
(……なんだ?)
「夏目くん?」
「いや」
ペットボトルを握る。
普通に力は入る。
「なんでもない」
そのまま水を飲み干した。
⸻
翌朝。
開明の選手たちは軽く身体を動かしていた。
外野で夏目と佐藤がキャッチボールをする。
「行くぞ」
「おう」
夏目が軽く投げる。
パァン!
佐藤のミットに収まった。
「…………ん?」
「どうした?」
「いや」
佐藤はボールを返す。
もう一球。
パァン!
十分速い。
普通の高校生なら、軽いキャッチボールで投げるような球ではない。
だが、毎日夏目の球を受けている佐藤には分かった。
(……なんか軽いな)
球速というより。
いつもの、ミットごと押し込まれるような感覚が少ない。
「夏目」
「ん?」
「昨日より球、軽くない?」
「そうか?」
「お前自分で分かんねぇの?」
夏目は右肩を回す。
「昨日ちょっと重かったけど」
「先に言えよ!!」
佐藤がすぐにキャッチボールを止めた。
「痛いのか?」
「いや」
「痺れは?」
夏目が少しだけ黙った。
「……昨日、指がちょっと」
「あるんじゃねぇか!!」
佐藤の声に伊藤と中村も振り返った。
「夏目くん?」
「なんだなんだ!?」
「騒ぐほどじゃないだろ」
夏目は右手を開く。
握る。
問題なく動く。
「今は普通だし」
佐藤が顔をしかめる。
「だからって無理すんなよ。昨日九回投げてんだから」
「今日は試合ないだろ」
「そういう問題じゃねぇ」
夏目は少し不満そうだったが、ボールをポケットへ入れた。
「分かったよ」
「ほんとか?」
「今日は軽くしとく」
「最初からそうしろ!」
中村も松葉杖をつきながら寄ってくる。
「夏目ぇ、お前が倒れたらマジで洒落になんねぇからな!」
「倒れねぇよ」
「その自信が怖ぇんだよ!!」
夏目は聞き流しながら、もう一度右手を握った。
「…………」
今は何ともない。
だから、そのまま練習へ戻ろうとした。
一歩踏み出したところで。
右手の人差し指が――
ほんの少しだけ、痺れた。
夏目は指先を見る。
「…………」
数秒で消えた。
「夏目?」
「なんでもない」
そう答えて、右手をポケットへ入れた。




