第40話 「怪物が首を傾げた日」
二回裏。
北海の守備陣が、ベンチから飛ぶ指示に合わせて細かく位置を変えていた。
「打球傾向では三塁線が――」
「いや待て! さっきデータ外れただろ!」
「でもデータを捨てたら俺たち何すんだよ!」
すでに混乱している。
それでもエースの志戸が踏ん張り、この回は無失点。
北海ベンチから安堵の息が漏れた。
「よし……まだ2点差だ」
「夏目以外ならデータは通用する!」
「その言い方悲しくないか?」
⸻
三回表。
夏目は北海の下位打線も寄せつけなかった。
ストレート。
スライダー。
フォーク。
三人。
また三人。
誰一人として塁へ出られない。
北海のデータ班は、投球ごとに必死でタブレットを操作していた。
「次はアウトローのスライダー……のはず!」
ズバァァン!!
「ストレートじゃねぇか!」
「配球傾向更新!」
次の打者。
「初球ストレート率が上がった! 今度こそ――」
スパァン!!
「カーブ!?」
「また更新!!」
仙北が頭を抱える。
「更新するたびに古くなってんじゃねぇか!!」
⸻
三回裏。
二死から山田に打席が回った。
志戸の外角球に逆らわず、軽くバットを合わせる。
カキィン!
打球は逆方向。
ライトの頭上を越えた。
「おおおおお!!」
山田は一気に二塁へ。
「セーフ!」
塁上で小さくガッツポーズ。
続く四番、鈴木。
甘く入ったストレートをセンター前へ弾き返した。
「回れぇぇぇ!!」
山田が三塁を蹴る。
ホームイン。
3-0。
開明高校に追加点が入った。
ベンチで中村が拳を突き上げる。
「よっしゃああ!! 夏目だけじゃねぇぞ!!」
夏目もグラウンドを見ながら小さく頷いた。
(……まあ、こんなもんか)
「お前の“こんなもん”が分からねぇんだよ!!」
「なんで聞こえたんだよ」
「顔見りゃ分かるわ!!」
⸻
四回表。
北海はまたデータを修正した。
そしてまた外れた。
「初球はストレート!」
スライダー。
「追い込んだらフォーク!」
ストレート。
「高めが多い!」
外角低め。
「こいつ配球読まれてるの分かって変えてない!?」
佐藤がマスクの奥で首を傾げる。
(いや、普通に俺のサイン通りなんだけどな……)
三者凡退。
五回表も同じだった。
北海はデータを集める。
分析する。
対策を変える。
だが、その頃には夏目の投球も微妙に変わっている。
同じストレートでも、さっきよりコースが厳しい。
変化球も少しずつキレが増していた。
球速表示は相変わらず170キロ台。
佐藤はミットを構えながら笑った。
(……まだ良くなってんのかよ)
以前なら怖かった。
今は違う。
次はどんな球が来るのか。
自分はそれを捕れるのか。
それが少し楽しみになっている。
「夏目!」
「ん?」
「もっと来い!」
「おう」
ズバァァァン!!
「いってぇぇぇ!!」
「大丈夫か?」
「痛ぇけどもう一球!!」
「なんか……ちょっとキモいぞ」
⸻
五回裏。
先頭の佐藤。
志戸の初球を見た瞬間、迷わず振った。
カキィィン!
ライト前へ抜ける。
「ヒット!」
スタンドがどよめいた。
「また佐藤打った!」
「あのキャッチャー普通に打てるぞ」
「173キロ受けてるやつだろ?」
「そっちもおかしくなってない?」
佐藤は一塁上で苦笑する。
(……やっぱ見えるな)
そして二番。
夏目孝太郎。
志戸が大きく息を吐く。
(また……こいつか)
初球。
外角へ外れる。
夏目は見送った。
二球目。
志戸のストレートが、わずかに高く入る。
その瞬間。
夏目が踏み込んだ。
カァァァン!!
「…………!」
高々と上がった打球が、レフト方向へ伸びていく。
外野手が追う。
だが、途中で足を止めた。
白球はレフトスタンド中段へ。
「入ったぁぁぁぁ!!」
実況の声が響く。
「夏目孝太郎! 本日二本目!!
またしてもツーランホームラン!!」
5-0。
佐藤がホームへ戻り、その後ろを夏目がゆっくり回ってくる。
中村が叫んだ。
「お前甲子園来てからホームラン打つの普通になってねぇ!?」
夏目はホームを踏む。
「今日、打ちやすい」
志戸がマウンド上で膝に手をついた。
「全国屈指の技巧派に言う感想じゃねぇぇぇ!!」
北海ベンチ。
データ班はもうタブレットを見る気力すら失いかけていた。
「……二本目……」
「どこなら打たれないんだ……」
「敬遠は?」
「後ろも打ち始めてるぞ……」
「…………」
「詰んでない?」
「言うな」
⸻
六回。
七回。
八回。
開明はさらに点を重ねた。
一方、北海打線はいまだ走者ゼロ。
夏目の球に、まともに食らいつくことすらできない。
たまにバットへ当たっても、弱いファウルになるだけ。
打球が前へ飛ばない。
伊藤はスコアブックへアウトを書き込みながら、マウンドを見る。
(……また変わってる)
県大会の時からそうだった。
一試合の中でも、少しずつ投球が良くなっていく。
今日も同じ。
序盤より腕の振りが滑らかになっている。
球速だけではない。
制球も、変化球も。
(……本当に、どうなってるのよ)
伊藤は一度だけペンを止めた。
だが、すぐに次のアウトを書き込んだ。
⸻
九回表。
スコアは9-0。
北海ノースフィールズ。
ここまで――走者ゼロ。
あと三人。
一人目。
三振。
二人目。
三振。
そして。
最後の打者が打席へ入った。
九番打者は、バットを握りながら小さく震えていた。
(分かってる……)
何を投げるか。
どのコースが多いか。
球速も。
回転も。
変化球も。
散々調べた。
(でも……分かってても無理だ……!)
夏目がセットに入る。
初球。
ズバァァァァァァン!!
【173km/h】
「っ!?」
バットが動く前に、佐藤のミットへ収まっていた。
「ストライク!」
スタンドから大きなどよめき。
二球目。
外角いっぱい。
ストレート。
「ストライク!」
あと一球。
北海ベンチでは、誰も声を出していなかった。
データ班も。
仙北も。
志戸も。
全員が打席を見ている。
佐藤がサインを出した。
フォーク。
夏目が頷く。
三球目。
腕を振る。
ボールは打者の手元まで真っすぐ来て――
落ちた。
「っ……!」
バットが空を切る。
ズバンッ!!
「ストライク! バッターアウト!!」
試合終了。
その瞬間。
甲子園が沸いた。
『完全試合!!』
実況の声が響く。
『夏目孝太郎!!
甲子園二試合連続の完全試合達成!!』
『本日も最速173キロ!!
北海ノースフィールズ打線を、一人の走者も許さず抑え込みました!!』
開明ベンチから選手たちが飛び出す。
「夏目ぇぇぇぇ!!」
「また完全試合かよ!!」
「二試合連続だぞ!!」
中村は松葉杖を振り回しながら叫んだ。
「お前ぇぇぇ!!
甲子園の完全試合を日課みたいにすんなぁぁぁ!!」
夏目は少しだけ笑った。
「してねぇよ」
「二回やったら説得力ねぇんだよ!!」
そのままベンチへ戻ろうとして――
夏目が右手を開いた。
「…………」
握る。
もう一度、開く。
肩も軽く回してみる。
「……ん?」
佐藤が振り返った。
「どうした?」
「いや」
夏目は右手を見る。
痛いわけではない。
投げられないわけでもない。
ただ――
最後の数球だけ。
いつもより、ほんの少し指に引っかかる感覚があった。
「……なんでもない」
「ならいいけど」
佐藤はそのまま仲間たちの方へ走っていく。
夏目も後を追った。
歓声はまだ止まらない。
二試合連続完全試合。
最速173キロ。
誰もが夏目の投球に夢中になっていた。
その中で。
夏目だけが、右手をもう一度だけ握り直した。
すみません。
また、更新を忘れてしまいました……
1ヶ月分くらい予約しておきます……
本日は3話投稿します。




