第41話「静かな違和感」
完全試合で2回戦を終えた夜。
宿舎の大部屋。
仲間たちは興奮しっぱなしで、誰も寝つけそうにない。
「夏目ぇ……お前今日も173出してたぞ……」
「人間って173キロ投げれるんだな……」
「いやもう化け物どころじゃねぇ……」
騒がしい声を聞きながら、
夏目は淡々とタオルで右肩を拭いていた。
ふ、と力が抜ける。
(……ん?……なんか肩が重い)
ほんの一拍の違和感。
痛みじゃない。
怪我の感覚でもない。
“筋肉が、ちゃんと縮まない瞬間”があった。
夏目は特に気にしない。
(まあ投げてるしな。疲労だろ)
水を飲み、無言でストレッチに移る。
その動きを、誰かが静かに見ていた。
伊藤。
スコアブックを抱えたまま、目だけが夏目を追う。
(……今日、八回あたりから肘の角度が少し……)
回転はおかしくない。
球速も落ちてない。
……ただ、肩を回す仕草が多かった気がする。
(夏目君……疲れてる)
胸の奥がざわつく。
でも言わない。
言えない。
あの怪物に「疲れてる?」なんて、言っていいものか分からない。
夏目は黙ってペットボトルの蓋を開ける。
(なんか指がピリピリする……)
――微かに、指先に違和感があったが、気にせず水を飲み干す。
「……んー」
ごく自然に夏目は肩を何度か回し直し、
そのまま布団へ向かった。
「おやすみ」
その声はいつも通り。
だからこそ、
伊藤の胸はそっと痛んだ。
(……絶対に無理してる)
夏目自身は気づいていない。
怪物は、いつだって限界を知らない。
そして限界を知らないまま“先へ行ってしまう”。
翌朝。
外野で軽くキャッチボール。
佐藤が構えた瞬間、
いつもよりほんの少しだけ“軽い衝撃”が返ってきた。
(……あれ?)
速度は160をゆうに超えている。
けれど、ミットに“重さ”がない……気がする。
皮が凹む感触だけが薄くなっている。
「夏目、お前……なんか、昨日より球軽くない?」
「そうか?」
「そうか?じゃねぇだろ!!」
佐藤は笑って誤魔化したが、
内心では理解していた。
(……まあ、170キロなんて何回も投げてたら、さすがに疲れもでるよな……)
夏目がそれを“弱点”と認識する前に、
不安を植えつけたくなかった。
ただ、ひとりだけ気づいている。
夏目の指。
握り込むとき、
ほんの少しだけ、動きが鈍い。
(……まあ)
夏目は空を見上げた。
(投げられるからいいか)
それで済ませてしまう怪物。
それが恐ろしく、頼もしい。
そして――
この“わずかな疲労”が、
後の試合で
決定的な意味を持つことを、
まだ誰も知らなかった。
ただ、静かに。
夏目の右腕の中で、時計は進んでいた。
――次の試合へ。




