第2話 動き出す(2)
電子移行が開始された初期の頃は、機械的な手続きで進めていたため、土壇場になって暴れ出す人も多くあり、武器の持ち込みが禁じられていたにも関わらず、移行オペレーターや移行者が大怪我をしたり、命を落とすような不幸な事故が相次いだ。
生者であれば、たとえ瀕死の重傷といった状態でも電子移行は可能なのだが、死者を電子世界へ送る術は無い。電子移行は脳の活動が停止していない事が絶対条件なのだ。永遠にも等しい電子世界での命を得るために移行室にやってきたのに、ここで命を落としてしまうとは本末転倒な話である。
何度かの取り返しの付かない事故を経て、電子移行の際に移行者の緊張を和らげるようなプログラムとして、コウのような移行オペレーターという専門職が創設された。
移行オペレーターが行う作業は、通常、移行対象者の緊張をほぐすために、ただ優しく語りかけ、そして『実行ボタン』を押す事、たった、これだけの業務なのだ。だが、移行オペレーターが電子移行をサポートし、最後まで立ち会うようになってから、不幸な『事故』は格段に減った。
「ええ、実際に横になっていただく必要すらありません。移行室の中であれば、どこにいても、電子世界へ移行する事が出来ます。でも、立ったまま移行する事になりますと、皆様の魂には問題はありませんが、移行した瞬間に魂から解放された、皆様のお身体が転んでしまいます。我々は残された肉体も含め、最後までお客様として丁重に対応させていただく事をポリシーとしておりますので、強いご要望が無い限り、横になってお待ちいただくことを推奨しております」
その言葉に、室内にいた人々が思い思いに行動を始めた。
母親と思しき女性は二人の子供と一緒に、一つのベッドに横になる。その夫だろうか、最終的にベッドに横になる事は選択せず、ベッドの横に座り妻の手を握り、子供達の事を抱きしめた。
「はい、ご主人。もう少しだけ頭を低くしていただけますか。ベッドに頭を乗せてしまっても構いません。はい、大丈夫です。それでは皆さん、安息の地コロニーへ快適な旅を! 行ってらっしゃい!」
明るい口調でコウがそう告げると、移行室の明かりは少し暗くなり、ゆっくりとした音楽が流れ出す。
コウは、全員が安全な姿勢を取っている事を確認すると、最終シーケンスへ入る。最終シーケンスでは、移行者の状態の確認、持ち込んだ手荷物の扱い、移行後の行政処理に関する確認事項など、いくつかのメッセージが、モニタ上に流れ、その全てに適切な回答を入れていく事で完了する。ほとんどの場合は「はい」を選択するだけの簡単な仕事。それでも万が一に失敗があってはならないと、コウは指さし確認をしながら、確実に、そしてスピーディに処理をしていく。
電子移行室では、睡眠導入剤に続いて、無味無臭の弱い麻酔薬が室内にゆっくりと噴霧されており、コウが移行実行前のシークエンスを全て確認している間に、起きている者は誰もいなくなった。
静寂に包まれた電子移行室を一瞥すると、コウは「行ってらっしゃい」と、もう一度小さく呟き、いつもの通り、実行ボタンにタッチした。
コウの指示により、室内全体に対しての|完全肉体走査《PBS: Perfect Body Scanning》 が行われた。PBSは約二秒で完了、コウが確認しているモニタ上には『移行完了』のメッセージが表示される。同時に移行室内のガラスが曇りガラスとなり中の様子は見えなくなる。
電子世界への移行はこれで終わりだ。
ここからの作業は、コウ達が直接見る事は出来ない。移行室の中では、電子移行によって、肉体的な死を迎えた――専門的には魂の抜け殻となった肉体を、回収ロボットが丁重に収集し、オペレーションセンターの最下層にある『還元の部屋』、還元を意味するReductionという動詞から、通称Rルームと呼ばれるバクテリアによる溶解施設に送っているのだ。そこで約三日かけて溶解された肉体は海へ還される。可能な限り、自然環境に配慮した処理ではあるのだが、人類という優れた栄養源を毎日のように大量に流され富栄養化した海では、赤潮と青潮が交互に発生するという、重大な環境汚染を引き起こしており、全世界において社会問題化していたりもする。
この最終プロセスを、シャッターを閉じる事でコウ達の目から遮蔽しているのは、どう言い繕っても、動かなくなった人間の肉体を回収し運び溶かすという作業であり、この作業を毎日のように見ている事で、精神的に変調を来すケースが何度かあったためである。
だが、このオペレーターを保護するための『隠蔽』が、ユキナが言っていたような『妙な噂』が出て来る原因ともなってしまっているのは皮肉な事だ。
これが、コウ達が所属する『特別民間法人電子移行オペレーションセンター』の業務内容であり、魂の電子移行技術の流れである。




