第2話 動き出す(3)
歴史的に見ると、魂の電子移行技術の確立までには、二つステップがあった。その最初のステップが『完全肉体走査』である。
この技術そのものは、電子移行技術の中で比較的初期段階に完成していた。あるいは、この技術の確立が電子移行という新しい分野の幕開けとなったとも言える。
脳内の構造を全てスキャンし、電子的にモデル化する技術自体は、既存技術の組合せである。これをより詳細化し、脳内の動きまでスキャニングし、そのデータを疑似脳としてコンピュータ上、あるいはネットワーク上に再現する研究が進められていた。
「人工知能には一定の限界があり、人工知能の延長上にSF小説のような人格の発現や魂の再現は無い」
まだ、人類は国境という区切りを持って生活をしていた頃の科学者の言葉だ。ロボット技術は、人類の発展とともに革新的に発達したが、AIを利用した擬似的な人格を持つロボットというのが、技術の限界であった。定型化された業務を定型的に学習し、ある程度の応用力を備える事までは出来たのだが、既存の人工知能技術では、その先、人格の再現までには行き着く事が出来なかったのである。
多くの人が夢にみた機械学習の先には、『自我の発露』はなかったのだ。
次に、科学者達が目をつけたのが、人格をスキャンし、コンピュータあるいはネットワーク上に再現させる電子脳の研究だった。
前述した通り、脳の構造をスキャンする技術は、医療技術の延長にあったために、簡単に確立が出来た。だが、人工知能の代わりとして利用するために、データとしてではなく、電子脳として動作させる事が、どうやっても出来なかったのである。
研究は遅々として進まず、人々は脳の再現は不可能だと諦め始めた頃、偶然が重なったことによって、『魂』というものの存在が立証されてしまう。
ある日、脳の構造だけでなく、脳のスキャン技術を使って、全ての肉体情報をスキャンし、そのデータをネットワーク上にコピーする事で、「電子脳」ではなく「人」を再現してみようとした大学教授は、スキャニングを行った学生が起き上がってこない事に気が付いた。
すぐさま、蘇生措置が試みられた事により、心肺機能は一時的に回復したのだが意識は戻る事なく、何の異常もみつからないままも、脳の生体的な反応は全て停止してしまっていた。すなわち医学的に脳死と判定されたのだ。
当然、実験中の死亡事故として長期に渡る捜査が行われた。だが、教授と大学生の遺族の元に送られてきた一つのメッセージによって、これが死亡事故ではなく、人類が偶然にも魂という存在を電子世界にコピーしてしまった実証実験の成功であった事が判明したのだ。
電子世界に移行した学生が残した最初のメッセージは「I'm here, I still alive.(私はここにいる、生きている)」というものだった。
当初はメッセージの存在に懐疑的だった周囲であったが、その後の詳細な調査と検証、さらには自分たちの研究にミスがなかったと証明するために、実験の再現を行った教授と複数の助手による電子世界への移行により、「魂は肉体を必要としない」という事が結論付けられた。
後に、学生の最初のメッセージからIHISAと呼ばれるようになったプロジェクトでは、様々な実証実験を経て、同一のハードウェア上であろうと、複数のハードウェアを利用した共有空間であろうと、魂が存在できる事。しかも、複数の人の魂が併存できる事が判明した。
移行した人の証言によると、そこはフワフワと漂うピンク色の雲の中であり、システム上に流れている色々な文字や映像をなんとなく認識ができ、そしてメッセージを送りたいと思えば、最初の学生が送ってきたように、メールとして送信する事が出来たのだ。
さらに研究は進められた。
オンラインゲームと同様のシステム上に魂を一種のオブジェクトとして配置すれば、移行された魂の主観上、あたかも、そこで生活しているような状態を認識できる事が判明した。この時点で魂がシステム間を移動できる事が判明はしたのだが、一方、いくら魂のデータをCopyしても、それは自我を持たない単なるデータであり、コピー先で人格を持った魂は再現する事は出来なかった。
オブジェクトとなった魂は、システム管理者の権限でも削除や改変を加える事が出来ない、ハードウェアの障害によりデータが消失した場合でもバックアップからの復元で、継続的な意識が保てる事など、神の領域とも言えるような現象も次々と研究者から発表された。
こうして魂の電子世界への移行は不可逆であるが魂の保全方法としては、もっとも安全な方法であり現代の科学では完全に説明する事は困難であるという結論にいたったのだ。
完全肉体走査の技術は、 電子世界への意識の伝送技術、『Soul Transition Technology』という次の段階を迎え、人類至上、最大級の発明となった。
PBSからSTTへ――
この技術革新は、新たな世界を生み出した。
すなわち電子世界『コロニー』への移行である。
コロニーは、現代風のオンラインゲームをベースとした世界であり、現実世界の対となる並行世界である。特に魔法や怪物が出てくる事もなく、現代風の快適で便利な生活を享受できるパラダイスであった。
肉体を捨てるという犠牲が必要となるため、現代のオペレーションセンターの前身となる民間企業が『コロニー計画』を発表した時、世界中において、この技術を封印すべきだという議論が巻き起こった。だが、人口の飽和により発生している食料危機の解消に最適な解決策である事に気が付いた先進国は、急速に舵を切る事になる。
当時、世界の12%を占めていた餓死寸前の貧困層。
その出口の無い救済政策が負担となっていた先進国。
彼らに福音を齎す技術として、コロニーへの電子移行は採用され、急速に普及する事になる。
先進国の膨大な助成を受けて、月面上に可動式の太陽光発電設備と自動メンテナンス機構を併設し、その地下に半永久的で持続可能なサーバー群を設置した企業は、半官半民の組織として電子移行オペレーションセンターと名を変え、運用を開始した。
運用開始当初は、強引な手段をとったケースもあったと言われているが、最貧困と呼ばれる人たちは、餓死するよりはマシだろうと、積極的に電子世界へ移行する事になっていった。飢餓に喘ぎ、蔓延する病、親から子供へ繰り返される貧困のループに生きる希望を見出せなかった彼らは、電子の世界において、初めて、明日の糧を心配しなくてもいい生活を手に入れたのだ。
完璧な食糧政策、完璧な人口抑制政策。
コロニーは人類が手に入れた最後のフロンティアであり、最高のユートピアだったのだ。




