第1話 出会い(5)
しばらくして、コウは一般開放エリアに戻ってきた。
外からユキナの姿を確認しゴクリと唾を飲み込み……
「あえいうえおあお……よ、よし。大丈夫。さりげなく、さりげなく……」
そう呟くと一般開放エリアの中へ入り、ユキナに近づいていった。
「ユ、ユキナさん、警備室の方に連絡をしておいたから、電車が来るまでここにいて大丈夫だよ。僕は立会作業に入っちゃうから、もう戻って来られないと思うけど……さっきの件、こっちから、夜にでも連絡しても大丈夫かな?」
一瞬声が裏返ってしまったが、コウは精一杯の勇気を持って、このセリフを一気に言ってのけた。これは、コウが自分のデスクに戻り、短時間で必死に考え抜いた、「さりげないお誘いのセリフ」だ。
まずは、今日の夜につなげ、メッセージのやり取りを繰り返すことで親しくなり、一度、ここの案内をした後に、デートに持っていく!
ついさっき、強引に叩き起こした先輩とのやり取りを思い出す。
『せ、先輩! すごい可愛い子と知り合いになっちゃいました!』
『は? 何時だよ今……早えーよ。お前、今日仕事は? 立会だろ?』
『その、出勤途中で知り合っちゃったんです! アドレスもゲットしました! これって誘っちゃっても平気ですよね? ね?』
『落ち着け! 焦るな! 状況はわからんが、ここは少し時間をかけるつもりで、ゆっくり行け! がっつくな! 相手は社会人か?』
『学生です!』
『よし、それなら大人な態度を維持しろ。年上だが、根がガキだとは思われるなよ』
『は、はい』
『まずは、チャットでゆっくりとやりとりした後に、デートだ! とりあえず焦るな!』
『焦りません』
『焦らずに、出来るだけさり気なくだぞ』
『はい!』
『よし、行け! あと、点検作業が終わったら、ちゃんと連絡しろ!』
『はい!』
座席に戻った後、これだけのやりとりを、先輩社員としていた。ちなみに、この先輩も彼女が出来た経験もなく、コウと同じ状況にある。その証拠に、何ら具体的なアドバイスは出来ていない。焦るな、さりげなく……女性を誘う態度として、この程度の情報は、恋愛のハウツー物に、いくらでも転がっているのだが……
「は、はい。夜ですね。大丈夫です」
ユキナはユキナで、セキュリティカードを取りに来たのかと焦ったため、何も考えずに返事をしていた。コウの精一杯のさりげなさにも当然、気がついていない。
「ほ、本当? やった……やったー!」
コウの余裕な態度はあっという間に崩れたが、その喜んでいる姿に、やっぱりセキュリティカードを『落としましたよ』、そう言って返そうと思っていたユキナは、言葉を挟むことが出来ないまま、
「今日の夜、連絡するね。仕事に戻らないといけないから、それじゃ!」
そう言いながら小走りで一般開放エリアから出ていくコウの背中を見送ってしまった。
***
立会作業が終わった後、そのまま通常の業務に入ってしまったコウが、ようやくユキナの様子を見に一般開放エリアへ顔を出す事が出来たのは昼過ぎだった。とっくに地下鉄は動いている時間であり、当然ユキナの姿はそこにはなかった。
そして――
ユキナの代わりに、コウを待っていたのは、コメカミに少しだけ青筋を浮かべ仁王立ちしている、白髪の男性だった。
「先ほどの女性なら、とっくにお帰りになりましたよ」
「で、ですよね。あっ、何か言ってませんでした?」
「特に言伝はありません。それと!」
「は、はい!」
大きな声を出されたので、コウは思わず気を付けの姿勢を取る。
オペレーターの間では、元軍人上がりだという噂が耐えない白髪の警備員である。やはりその噂は事実なのだろうと思わせるような、威圧感をコウは感じていた。
「今回だけにしてくださいよ。時間前に一般の人を入れたなんてバレたら、怒られるのはこっちなんですから。事故でもあったら、どうするんですか!」
「す、すみません。でも……お客さん、誰も来ないですよね?」
「まぁ、確かにそうですけどね……ここ最近だと、月に一人か二人……って、そういう問題ではありません! セキュリティという観点からの話をしているんです!」
「は、はい! 勿論! わかってます、すみませんでした! すみませんでしたぁ!」
コウは思いっきり頭を下げた。
***
「あれ? カードが無い……」
昼食を済ませ自分の席に戻った後、準備をしたまま渡しそびれていたゲスト用のセキュリティカードがジャケットの内ポケットに入っていない事に気がついた。場合によっては、ユキナに職員用の休憩スペースに入ってもらおうかとも考え、ゲスト用の入館証を準備していたのだったが、
「あれ、ここに入れたつもりだったけど? どっかで落としたかな……やばい、紛失か? あちゃぁ、これ届けを出さないといけないんだよなぁ……まぁ、休憩スペースしか入れないし、少し探してみて、なかったら報告って事で。みつからなかったら、始末書ものだな、これは……」
怒られたばかりだし、ここでもう一度、あの人を怒らせるのは避けたい所だ。特に自分の精神衛生的に。うん、報告は別の日にしておこう……これは、メンタルヘルスケアとして重要な判断だ――
コウは、そう結論付けた。