第1話 出会い(4)
「そういえば、四時間もここにいて大学は大丈夫?」
「はい。今日は資料を探しに大学図書館に行くつもりだったので、特に急いではいないんです」
「へー、こんな朝早くから偉いね」
「徹夜で卒論を書いていたんですが、どうしてもネットに載っていない資料があって……部屋にいたら寝ちゃいそうだったので、そのまま大学の近くの喫茶店で勉強しようかと思ったんです。寮には友達がいないですし、大学の近くだったら、そのうち誰か来ますから……」
学生が住むような女子寮といっても、共用スペースの掃除は自動化され、出入りについてはシステムで管理されているため、常駐している寮母のような人はいない。普段から学生しかいないのだが、その学生自体が、現在ではほとんど残っていない。
「そういえば、ここって何をする場所なんです?」
「ここ? この一般開放エリアの事?」
ユキナは頷く。
「ここは、オペレーションセンターの中の一般開放エリア、僕たち職員は英語表記の略称Public Areaの方を使ってPAって呼んでいるけど、厳密には|公共エリア《Public Area》じゃなくて、時間限定の一般向け開放エリアっていうのが正しいかな」
これも、サイトに載っている情報だ。ユキナの情報収集は、今のところ何の役にも立っていない。
「オペレーションセンターそのものの業務は知っているよね?」
「はい、それは勿論……」
これは当然の話だ。
ここの業務を知らない日本人自体が、稀有な存在である。それこそ、物心がついていない幼児を除いて、認知率はほぼ100%のはずだ。同様の組織は世界各国にあり、近代化されていない密林などの少数民族を除けば、どの国も似たようなもののはずである。
「ここは僕達、移行オペレーターが、電子世界の事と移行するための手順、向こうに行ってからの生活について説明するための施設なんだ。とは言っても、さすがに最近は、ここで説明を聴く人も減ってね。移行する人が時間潰しに利用するくらいで、それ以外は誰も来ない日が多いかな。でも施設を閉じる事も出来ないので、今では僕達ではなく警備員に案内をしてもらっているんだ」
ユキナも一般開放エリアの事は当然知ってはいた。
今では義務教育の中でもしっかり教えられる。
それに加え、ネガティブな情報なら、組織から回ってくる会誌に山のように記載されていた。
『嘘とまやかし』だらけの施設として認知されており、成功はしていないが過激派の標的にも何度もなっている。
(質問のレベルが低すぎた……)
ユキナはそれでも必死に頷きながら話が途切れないように続ける。
「オペレーションセンターは移行が終わった身体をどうしているんですか?」
質問した瞬間に、ユキナは心の中で頭を抱える。
(こんな常識問題を質問してどうするの! 残念な子って思われる!)
確かにオペレーションセンターの業務内容についての認知度が低い頃は、週刊誌やインターネット上で色々な説が取り沙汰されていた内容だが、これも今や徹底的に周知済みの事項だ。
「あれ、ユキナさんはまだ、そんな噂を信じているの?」
「いえ、あの、その……そういう訳じゃぁ……ごめんなさい」
「いいよ。いいよ。まだ移行していない人の中には、そういう考えの人も多いからね」
コウは、今度は少し寂しげに微笑んだ。
これまで頼りないながらも、終始優しい微笑みを浮かべていたコウの顔に、初めて浮かんだ異質な表情に、なぜだかユキナの心は少し痛んだ。
「う、噂なんて……信じて……」
場をつなぐためだけの質問だったので、コウの表情に、この後どう言い繕った方がいいのか解からず、ユキナの言葉は尻すぼみになったが、その様子を見てコウが助け舟を出した。
「今日は……予定が埋まっちゃっているので無理だけど、次、ここへ来る事があれば、僕が移行の説明をしてあげるよ」
この場合の助け舟は、コウの心の中ではナンパとルビが振られていた。
だが、ユキナにとっても渡りに舟。すぐさま飛びついた。
「ほ、本当ですか……じゃあ、また来ますので、是非お願いしちゃいます。ご迷惑じゃないですか?」
(情報を得るため)
ユキナの中では、そういう打算的な考えも一瞬過ったが、コウのどこか頼りなげだが、優しい微笑みを消したくなくて、反射的に乗っかってしまったのだ。残念な子と思われたくないという思いも強かったが――
「勿論、迷惑なんかじゃないよ! むしろ、僕たちの仕事は、みんなに知ってもらう事、理解してもらう事も含まれるからね。大歓迎だよ」
「本当ですか? やった。それじゃ、その時は、よろしくお願いします」
少し頭を下げたユキナの視線の先には……今まさにコウのジャケットから落下中のセキュリティカードが映っていた。
「そ、それじゃぁ」
そして、コウはその事には全く気が付かず、自分自身の携帯端末を差し出す。
「僕の連絡先、教えておくね。もし、オペレーションセンターへ来る事があったら、事前に連絡して」
「は、はい」
コウの足元に落ちたカードが気になり、ユキナは上の空のまま、コウの携帯端末のアドレスを自分の端末に打ち込み、チャットシステムでお互いに挨拶を交わしあった。
「ユキナさんみたいな可愛い子と、お知り合いになれたので、今日は何だか良い事がありそうですよ。朝早い仕事だったので、嫌だったんですけど、早起きは何とかの得って言うのは、本当なんですね」
コウの言葉に、ユキナはぎごちない笑みを浮かべていたのだが、新しい出会いに浮かれていたコウは、その表情に気付くことは出来なかった。
そして、コウはユキナの気が変わらないうちにと、作業がある事を理由に、奥に引っ込んでしまった。
コウが立っていた場所には、1枚のセキュリティカードが――
(落ちました……よ……)
ユキナは座席から立つと、コウが座っていた席までゆっくりと近づき、緩慢とした動作で、落ちていたカードをつまみ上げた。




