トリアージ
翌日の進軍は、昨日までよりずっと慌ただしいものになった。魔王軍の勢力圏へ深く入り込んだことで、小規模な戦闘があちこちで起きているからだ。
私、リリアは王太子殿下預かりの部隊に編成されている。ただし、アルベルト殿下、セドリック様、ラインハルト様の三人が常に私のそばにいるわけではない。三人はこの戦場でも主力なので、敵の攻勢が強まれば前線へ、味方の陣形が崩れればその穴を埋めるために駆けつけ、魔術支援が必要になればまた別の場所へと飛んでいく。
そして私は、負傷者が出ればその場所へ向かわなければならなかった。後方の治療所にいることもあれば、前線近くまで呼ばれることもあるため、立場としては遊撃の治癒要員に近い。
昨日ルキウス様に散々言われた「戦場をうろついている」という表現が、悔しいことに完全な間違いではなかった。
「リリア!」
少し離れた場所から、アルベルト殿下が声を上げる。
「第四班に負傷者が多い! そちらを頼めるか!」
「はい!」
私が答えると、殿下は近くにいた兵士二人へ護衛を命じた。それだけ確認すると、すぐに正面へ向き直る。
さらにその先では、ラインハルト様が何体もの魔物を相手に剣を振るっていた。
「リリア! 無理だけはするなよ!」
「分かっています!」
「聖女の代わりはいないんだからな!」
昨日と同じ言葉だった。
それでも、素直に嬉しかった。一年前まで孤児院で暮らしていた私を、こんな立派な人たちが必要としてくれている。自分が誰かの役に立てているのだと思えるだけで、十分だった。
私は護衛の兵士二人と共に第四班のもとへ向かった。
そこではすでに何人もの負傷者が横たわっており、肩を深く斬られた人、脚を折った人、矢を受けた人と、治療を必要としている兵士が並んでいた。
「聖女様!」
「重傷者からお願いします!」
「分かりました!」
すぐに膝をつき、最も傷の深い兵士から状態を確認する。
矢を受けている人については、昨日セドリック様から治療の手順を教わっていた。異物を残したまま治癒魔法を使うと、傷が塞がる際に矢尻や破片まで身体の中へ閉じ込めてしまう危険があるらしい。
「矢を抜きます。少しだけ我慢してください」
「お願いします……!」
周囲の兵士に身体を押さえてもらい、私は矢を慎重に掴んだ。
「いきます!」
一気に引き抜いた瞬間、傷口から鮮血があふれ出す。間髪入れずに両手をかざし、治癒魔法を発動した。
「《ヒール》!」
白い光が傷口を包み、流れていた血が止まっていく。裂けた肉も少しずつ塞がり、苦しそうだった兵士の呼吸がようやく落ち着いた。
「もう大丈夫です。しばらく無理に動かないでくださいね」
「ありがとうございます……!」
それからも次々と負傷者を治療したが、昨日ほど無茶をするつもりはなかった。セドリック様からも、魔力を半分以下まで減らさないよう言われている。
私だって、少しずつではあるけれど学んでいるのだ。
「リリアさん!」
遠くからセドリック様の声が届く。
「そこを終えたら北側へ! 三名、重傷です!」
「はい!」
私は治療を終えて立ち上がり、護衛の兵士たちと共に移動を始めた。
その途中、少し離れた場所に見覚えのある三人組を見つける。
ルキウス様、ヤンス様、ゴワス様だ。
三人は私たちとは別の、王立学院の生徒たちを中心に編成された部隊に所属している。学生部隊と聞くと少し頼りなく感じるけれど、学院には貴族の子弟も多く、幼い頃から剣術や魔術を習ってきた人も少なくない。ルキウス様も、その一人だった。
「ヤンス!」
「前方異常なしでやんす!」
「左は?」
「今見るでやんす!」
「ゴワス、隊列から出すぎるな!」
「分かってるでごわす!」
三人の動きは、昨日よりほんの少しだけまともになっているように見えた。一日や二日で急に強くなるはずはない。それでも、以前より互いに何をすべきか理解して動いているような、そんな変化は感じられる。
ルキウス様もこちらに気づいたらしく、一瞬だけ目が合った。その途端、見るからに眉間の皺が深くなる。
絶対に何か言いたそうだ。
私は先に顔を逸らした。今日はちゃんと護衛もついているし、勝手に前へ出てもいない。危険な場所へ自分から近づくような真似もしていないのだから、さすがに文句を言われる筋合いはない。
「リリア!」
今度はアルベルト殿下の声が響いた。
「敵主力が来る! そこから離れるな!」
「はい!」
正面の魔王軍が大きく動き始めている。
「ラインハルト!」
「分かっている!」
ラインハルト様が真っ先に飛び出し、振るわれた剣が次々と魔物を吹き飛ばしていく。アルベルト殿下もその横へ続き、さらに後方からセドリック様の魔術が飛んで、二人を的確に支援していた。
やはり、すごい人たちだ。
三人がいる場所だけ、戦場そのものが明るく見えるほどだった。
「聖女様、こちらを!」
運び込まれた負傷兵の声で、私はすぐに意識を治療へ戻した。
御三家が戦ってくれているのだから、私は私の仕事をすればいい。そう信じて目の前の負傷者へ集中していたからこそ、私たちの左側、崩れた建物の陰から魔王軍の兵士がこちらを窺っていることには気づかなかった。
「……ルキウス様」
最初に異変へ気づいたのは、ヤンス様だった。
「なんだ?」
「おかしいでやんす」
「何がだ」
ヤンス様は周囲を見回しながら、耳を澄ませるように首を傾ける。
「左が静かすぎるでやんす。さっきまで音がしてたのに、今は何も――」
そこまで言った瞬間、ヤンス様の顔色が変わった。
「聖女様!」
叫び声に反応して、私は顔を上げる。
「え?」
近い。
あまりにも、近すぎた。
瓦礫の陰から何体もの魔族兵が飛び出してくる。一体、二体、さらにその後ろから三体と続き、護衛の兵士たちも慌てて剣を抜いた。
「聖女様、下がって!」
けれど、敵は護衛の兵士などほとんど見ていなかった。
その視線も、進路も、まっすぐ私へ向いている。
狙われている。
そう理解した瞬間、攻撃魔法を使わなければと思った。けれど昨日と同じだった。あまりにも距離が近く、頭で理解していることに身体が追いついてくれない。
一体の魔族が槍を構える。
銀色の穂先が、まっすぐ私の胸へ向けられた。
「リリア!」
遠くからアルベルト殿下の声が聞こえた。
「聖女様!」
ラインハルト様も叫んでいる。
「避けてください!」
セドリック様の声まで届いたけれど、もう間に合わない。
身体が動かなかった。
このまま死ぬのだと、本気で思った。
「平民!」
聞き慣れた怒鳴り声と同時に、身体を強く突き飛ばされた。
「きゃっ!」
地面へ倒れ込む。受け身を取る余裕もなく肩を強く打ちつけ、その直後、背後から鈍い音が聞こえた。
「……え?」
痛みを忘れて顔を上げた。
そこには、ルキウス様が立っていた。
私と魔族の間へ身体を割り込ませ、槍をまともに受けている。穂先は脇腹から深く入り込み、その切っ先が背中側から覗いていた。
「……ルキウス様?」
「っ……」
「ルキウス様!」
「馬鹿……」
口元から血を流しながら、それでもルキウス様は剣を振った。
魔族の首が飛び、身体が崩れ落ちる。
「ヤンス!」
「は、はいでやんす!」
「敵の数!」
「六! あと四でやんす!」
「ゴワス!」
「いるでごわす!」
「平民女の前に立て!」
「了解でごわす!」
ゴワス様が大盾を構え、私の前へ飛び込んだ。
「ルキウス様!」
「俺を見るな!」
脇腹を槍に貫かれているというのに、ルキウス様はまだ立っていた。
「前を見ろ! まだ終わっていない!」
「でも!」
「ヤンス!」
「……はいでやんす!」
ヤンス様は歯を食いしばりながら、必死に周囲へ視線を走らせた。
「右から一匹来るでやんす!」
「ゴワス!」
「止めるでごわす!」
大盾と魔物が正面から激突し、ゴワス様の足元の土が大きく抉れた。
それでも残った伏兵は止まらない。ゴワス様の盾を避けるように回り込み、さらにこちらへ迫ってくる。
「そこまでだ!」
白銀の光が横から飛び込んだ。
ラインハルト様だった。
大剣の一振りで二体の魔物がまとめて吹き飛び、続いてアルベルト殿下も駆けつける。
「リリア!」
金色の魔力をまとった剣が、残った魔族を斬り伏せていった。
「セドリック!」
「逃がしません!」
地面から伸びた魔力の鎖が最後の一体を縛り上げ、動きを止める。そこへラインハルト様の剣が振り下ろされ、ほんの数秒で伏兵は殲滅された。
「リリア!」
アルベルト殿下は真っ先に私へ駆け寄り、肩を掴んだ。
「怪我は!」
「私は……」
「どこか斬られていないか!」
「大丈夫です!」
「本当か!?」
「はい! でも――」
「よかった……」
殿下が大きく息を吐いた。
「リリアさん、こちらを向いてください」
セドリック様もすぐに私の状態を確認する。
「出血なし。外傷もありませんね」
「はい。でも、ルキウス様が!」
「リリア、本当に大丈夫なんだな?」
ラインハルト様からも重ねて尋ねられ、私は少し焦りながら頷いた。
「私は大丈夫です! それよりルキウス様を!」
「そうか。本当に肝が冷えたぞ。聖女の君に何かあったらどうするつもりだったんだ」
ラインハルト様は心底安心したようだった。
その表情に悪意なんてない。本当に私を心配してくれている。
それでも私は、もう一度ルキウス様の方を見てほしくて声を上げた。
「ルキウス様が大怪我をしています!」
三人がようやく視線を向ける。
ルキウス様は地面に膝をつき、槍を刺したまま荒い息を繰り返していた。傷口から流れる血は止まる気配がなく、立っているのが不思議なほどだった。
「重傷ですね」
セドリック様が冷静に状態を確認した。
「リリアさん、治療をお願いします」
「もちろんです!」
「ただし、魔力残量を優先してください。通常の治癒術師でも応急処置は可能ですから、あなたが無理をする必要はありません」
アルベルト殿下もその判断に頷いた。
「そうだ。ルキウスも治してやってほしいが、君が倒れるまで魔力を使う必要はない」
「……え?」
「君の方が重要だ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がわずかにざわついた。




