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第五十五話 最悪の夜

9姉妹との一騎打ちを4試合行ない、大会初日を終えたその日の夜。

夜が更けて間もない頃、ヴァルハラ宮殿でその日の疲れを癒すはずのセシルたちであったがーー



 ジークルーネ戦を終えたその日の夜ーーアスガルドは異様なまでの静寂に包まれていた。すべてのものが深い眠りについたような無音の闇夜に紛れて1人、宮殿に向かう者がいた。


 宮殿前を守護する神兵もその場で立ったまま眠りに耽っている。門を通り抜け、内部に入ると明かりは煌々と灯されたままになっている。そのまま廊下を進み、よく知る魔力の痕跡を辿る。


「ここか…」


 扉の前で全身を霧に変えると、その霧は扉の隙間から吸い込まれるように中へと入っていく。

 部屋の中は灯りがついたままだが、ベッドには横になって寝息を立てているセシルがいた。


「死ね…」


 無防備に眠るセシルにダガーを突き刺そうと振り下ろした瞬間、目を開け腕を掴まれた。


「ヒュプノス…どうしてなんだよ」


「な、何故起きてる…俺の眠りの秘術"ディープ・フォレスト"はこのアスガルド全域に作用しているはず…」


「急に変な眠気が襲ってきたから、もしやと思って舌を噛んだ。」


 慌ててセシルの手を振り解き後退りしたヒュプノスであったが、セシルは何事もなかったかのようにベッドから起き上がりヒュプノスに迫った。


「またハデスの命令なのか?」


「ああ、そうさ。1つ教えてやるよ…ゼウスはハデス様に敗れ、オリュンポスはハデス様のものになった。俺も今やオリュンポスで空の上の暮らしさ!どうだ、羨ましいだろ!!」


 ーーゼウス様が?オリュンポスがハデスの手に落ちた?そんな馬鹿な…


 ヘルメスを石化から救いオリュンポスでゼウスに会って力を取り戻すためにアスガルドに来たはずが、肝心のゼウスがいないとなるとアスガルドでの行動が全て水泡に帰す。


「ヒュプノス…口調まで変わってしまって。本当にどうしたんだよ」


「うるさい!!いつまでも兄貴面すんじゃねぇよ。お前さえ死ねば俺は…ぐっ、クソ!!」


 ヒュプノスは頭を抱えて苦しそうにしている。やはりハデスに何らかの術をかけられているのかもしれない。

 優しかった弟が今は見る影もない。目つきは血に飢えたように鋭く、殺気に覆われていた。


「ヒュプノス、ごめん。僕はまだ死ねない」


「あー!!うるせぇうるせぇ!!死ね!!セシル!!」


 ヒュプノスは両手にダガーを持ち、襲い掛かってきた。セシルは天叢雲剣を取り出し迎撃するも、以前修練窟で戦った時よりも格段にスピード、パワーが増している。長さのある刀では室内での戦いはこちらが不利。二刀流のダガーの攻撃をいなして、セシルは窓を割って外の庭園へと飛び出た。


「死ね死ねシネしねシネ!!」


 獣のようにでセシルを追って飛び出てきたヒュプノスを大鎌の先端で突き飛ばし、部屋の中へと押し戻す。


 ーー完全に別人だ。話し合いでの解決は無理か…気絶させて術が解ければいいんだけど…


 しかし、部屋に押し戻されたヒュプノスが出て来ない。さっきの突きで気絶したとも思えない。セシルは警戒しながらゆっくりと窓へと近づいていくと、地中からヒュプノスがダガーを振り上げて飛び出してきた。直前で身を翻して回避したおかげで、ダガーの刃はセシルの胸元の服を切り裂いただけに留まったが、さらなる追撃がセシルを容赦なく襲う。

 防戦一方でセシルが押される中、突如アスガルド中に角笛が鳴り響いた。あまりに予期せぬ出来事にヒュプノスとセシルの手が止まる。


 ーー角笛?ヒュプノスの術にかかっていない神がいる?!一体誰が?


 争い合う2人の前に燦然と現れたのは、角笛を手にした何故か上半身半裸で頭頂部が少し寂しい腹の出た小さなオッサンだった。


 ーーえ。これ、神…さま?通りすがりのオッサンじゃないよね…

 

「おまんら、何時や思うちゅうがぞね!」


 口を開いた角笛のオッサンの言葉はあまりにも訛りがひどすぎて、何を言っているのかよく分からなかった。さきほどまで殺気立っていたヒュプノスもさすがに理解が追いつかないのか固まっている。


「風呂に入ってぬくぬくしちょったに、ちくと騒ぎすぎじゃき!せっかくのええ心持ちが台無しじゃ。もうちっと静かにせんかえ」


「いやあの、すみません!な、何言ってるかわからないです……」


「お前!!どうして俺のディープ・フォレストが効いてねぇんだ!!何者だ!!」


「ワシの名はヘイムダル。ん?おまん、よう見たらセシルじゃいか!今日の試合、見よったぜよ!」


 ーーくっ…ダメだ、この人。マイペースすぎる…全然、会話のキャッチボールが出来ていない気がする。


 ヘイムダルの出現に場を乱されたが、ヒュプノスは本来の目的へと意識を戻し、ヘイムダルを無視して再びセシルに襲い掛かろうとした。その時ーー


「そこまでだ!セシルよ、その者は何者だ?」


 ヒュプノスの術によって眠らされていると思われていた宮殿の主、オーディンが神兵を引き連れて現れたのだ。もしかすると、先ほどのヘイムダルの角笛の効果なのか、静寂の眠りに包まれていたアスガルドに音が戻ってきていた。

 麻生たちがいる部屋の窓も次々に開いて、外の騒がしさに何事かと覗き込む。


「お、おい!アイツ…俺の魂を奪ったセシルの弟じゃねーか!?」


「ふわぁ…なんかトイレで寝落ちしてたわ…ん?セッシーの弟!?うわ!弟もなかなかの美男子やないの!!」


 セシルの異変に気付いた麻生たちも部屋を出て庭園にやって来ると、庭園は一気に包囲されることとなった。


「オーディン様。お騒がせしてすみません。この者は僕の弟です」


 ヒュプノスは周囲を見回し舌打ちをした。この場にいる全員が敵という圧倒的に劣勢な状況。セシルは悲しそうな顔でヒュプノスに投降するよう促した。


「ナメんなよ。ハデス様にもらったこの力があればお前らなど…」


 ヒュプノスは妖しく光る紅い宝玉を取り出して、それを地面に叩きつけて割った。たちまち割れた宝玉から赤黒い霧が立ち昇り、ヒュプノスの姿が見えなくなった。


「いかん!逃すな!!エインヘリヤルよ!賊をひっ捕らえよ!!」


 オーディンの指示で神兵たちは霧の中へ駆け込んでいく。嫌な予感がするーーセシルの背筋に悪寒が走り、神兵たちに待つよう声を上げた瞬間だった。霧の中から血塗れになった神兵たちが次々と吹き飛ばされきた。


「な、なにっ!?」


 徐々に霧が晴れてくると、中にはヒュプノスの3倍ほどの背丈の魔獣が四つ脚で立っていた。雄牛のような顔つきに巨大な角を生やし、墨色の毛並みに全身が凶器のような隆々とした筋肉。尾をしならせて地面に叩きつけると魔獣は咆哮をあげた。その衝撃は空気を震わせ宮殿の窓ガラスを一斉に粉砕した。


「あれは…ベヒモス!?なぜあんな凶悪な魔獣が…」


「ヒュプノス…君なのか?」


 魔獣がセシルの方を睨みつけ、ニヤリと笑う。


「ああ、そうさ。これが"奥の手"ってヤツだ。お前ら全員皆殺しだぁっっ!!」


 ベヒモスは後ろ足で地面を蹴り、猛烈な勢いでセシルに向かって突進してきた。防御壁を張る間も無く直撃を受けたセシルは突き飛ばされ、宮殿を囲う外壁を突き破って市街地まで飛んでいった。


「セシル君!!なんてパワーだ…迂闊に近寄るべきではないな。皆、魔法で攻撃を!!」


 リエリカが魔法での攻撃を勧めたものの、その背後から飛び出したのは大型のバスターソードを片手で抱えたブリュンヒルデだった。


「すまんな、リエリカ。私はこの方法が性に合っているのでな!!」


 振り上げたバスターソードをベヒモスの背後から腰に向かって振り下ろすが、風になびいていた柔らかな毛並みが一気に硬直し刃が通らず弾かれた。それと同時にベヒモスの不規則に揺らめいていた尾がブリュンヒルデの腹部を穿ち、彼女を宮殿の壁に叩きつけた。

 ブリュンヒルデと入れ替わるようにグレイスが雷撃の矢を、ベリーサがそれに続いて火柱の魔法をベヒモスに向けて放つ。矢はブリュンヒルデの時と同じようにベヒモスの身体を傷付けることはなかったが、矢に付与されていた雷撃がベヒモスの身体を覆い毛を逆立てさせた。そこに地面から渦を巻いて立ち昇るベリーサの巨大な火柱がさらにベヒモスを包む。

 畳み掛けるようにリエリカが光属性の魔法を天から雨のように降らせると大爆発を起こした。


「うわぁ…俺、出番ねぇ…」


「ジンくん、心配せんでええ。ウチもや…」


 魔法が不得手な麻生とイザナミはただじっと見守るだけだった。しかし、そこにオルトリンデが来て2人の肩に手を置いた。


「この爆発が収まったら、いくよ。準備しといてね」


 彼女の予測では、今の苛烈な魔法攻撃によってベヒモスの鎧のような体毛は使い物にならなくなっているだろうという。そこで物理による一斉攻撃を仕掛けようとのことだ。

 巨大な斧を肩に担ぎ、三女オルトリンデは構えた。そこに並び立つように七女ジークルーネがハルバートを、次女ゲルヒルデは分割された刀身がワイヤーで繋がっており鞭のように不規則な動きで斬撃を与えられる蛇腹剣を、六女ヘルムヴィーゲが魔剣を、八女グリムゲルデが2本のショーテル(彎曲した両刃剣)を、五女のシュヴェルトライテは馬に跨り騎槍(ランス)を構えた。

 錚々たる面々の戦列に加わるようにイザナミも鞘に収めたまま刀を腰に携え、麻生は武道の構えを取る。爆煙が薄れ始めるとジークルーネが先陣を切って飛び出した。


「お前ら!!いくぜっ!!」


 ジークルーネに続くように戦乙女たちが駆け出し、爆煙の奥に揺らめくベヒモスの影に全員が一斉攻撃を仕掛けた。しかし、攻撃は空を斬るようで全く手応えがない。出遅れた麻生とイザナミは煙が晴れ、現れた無傷のベヒモスの姿に攻撃を仕掛けると、それはベヒモスの幻影だった。ヒュプノスの得意とする幻影魔法である。


「本物じゃねぇ!!気をつけろ!!」


 爆心地の中でジークルーネたちが警戒していると幻影の中からダガーを持ったヒュプノスが飛び出てきて、目にも止まらぬ速さで舞うようにジークルーネたちを次々と斬りつけていく。対処が間に合わなかった彼女たちよりも一歩後方にいたイザナミはヒュプノスの攻撃を辛うじて鞘で受け止めたが、その場でヒュプノスは再びベヒモスへと変化すると剛腕でイザナミを殴り飛ばした。


「がはっ!!ちょ、そんなん反則ちゃうの…」


 真横でイザナミが殴り飛ばされ、残った麻生はその場に落ちていた神兵の剣を拾って投げ付けた。自らの剛腕が死角になったのか、麻生の存在に気付いていなかったベヒモスは剣を右目に突き刺さった。


「ざ、さまぁ!!俺の魂を弄んだ仕返しじゃい!!」


 予想外のダメージに投げた本人が一番驚いていたが、それによってベヒモスは見境なく暴れ出し、予測不能な尾の動きが幸か不幸か麻生の尻を打ち付けた。


「ブ、ブヒ…はっ!?……チ、チクショウ…よりにもよって古傷を抉るような場所に攻撃を……」


 まだゲルヒルデとの戦いの後遺症が残っていた麻生は尻を押さえながら慌ててその場から退避した。

 物理攻撃は通らない。魔法も上手く交わされ手の打ちようがなくなったアスガルド陣営。しかし、娘たちの悲痛な姿に肩を震わせていたオーディンがついに強く踏み込んで前へ出た。


「おのれ、獣(ケダモノ)め…よくも我が娘たちを…血の一滴もこの世には残さぬ!!スレイプニル!!我が槍グングニルを持て!!」


 オーディンの呼び掛けに反応し、白く美しい毛並みの愛馬スレイプニルが巨大な漆黒の槍を咥えて現れた。槍を掴んで愛馬に跨り穂先を天に向けて突き上げると、一陣の光が雲間を突き抜けていく。アスガルド上空を覆っていた不穏な雲が一瞬にして霧散し晴れ渡ると、月光に照らされた戦神の雄々しき姿とスレイプニルの力強い嘶きに呼応するように神兵たちも咆哮を上げ、アスガルド陣営の士気は再び高まりを見せた。

 オーディンはグングニルを肩の上に持ち投擲の構えを取り、力を溜め始めた。そこに市街地まで突き飛ばされたセシルがようやく庭園に戻って来たが、オーディンの姿を見るなり、焦ってオーディンの元に走った。


「ま、待って!あれは僕の弟なんだ!ハデスに操られているだけで本当は悪い子じゃないんだよ!だから、殺さないでくれ!!」


「それは聞けぬ相談だ。見よ、この惨状を。アスガルドを治める者として、これを赦しては下のものに示しがつかん!セシルよ、恨むなら弟を止められなかった己が未熟さを憎むことだ」


 冷たい目でセシルを突き放すと、オーディンの右腕に太い血管が浮かび上がり筋肉が膨張した。そして、咆哮を上げ乾坤一擲の槍を投げ放った。

 その槍は空を裂き、雷鳴の如く轟音を上げてベヒモスの胸を一瞬にして貫き大穴を開けた。

 大量の血を吐き出して地に沈んだベヒモスの身体がみるみる小さくなっていき、ヒュプノスの姿へと戻った。


「ヒュプノス!!」


 ここまでの確執などなかったかのようにセシルは弟の元へ駆け寄り抱き寄せた。


「に、いさん…」


「ごめん、ヒュプノス…僕が不甲斐ないばかりに……もっと早くにハデスの陰謀に気付けていたら、こんなことには…」


 最愛の弟を失う辛さと己が未熟さを悔やむ気持ち、様々な思いが瞳から零れ落ちた。もはや見えてすらいないのか、朧げな意識で何かを求めて腕を伸ばす弟の姿に応えるように手を掴もうとすると、力なく腕が地面へと落ちた。


 ーーハデスっ!!僕は絶対にあなたを許さない…


「動ける者はノルンの泉を持て!!負傷者たちを1箇所に集め、治療を最優先に動け!!」


 自業自得とはいえこの惨事を招いた弟を討ち取っても尚、冷静に状況を把握し指示を出すオーディンを無慈悲だと感じながら息を引き取ったヒュプノスを抱き上げて負傷者たちとは別に集められた、この騒動で命を落とした者たちの元へと運んだ。


「セシル…悪ぃ。気の利いたこと言えねぇけど、お前は1人じゃないからな?それだけは覚えといてくれ」


 悲痛な面持ちのセシルに後ろから麻生が声を掛けるも、セシルは振り向くこともなく黙ってそのまま宮殿の中へと戻っていった。


「オーディン様…さすがにグングニルを出すのはあんまりではないですか。何か別の、救う方法があったのでは…」


 セシルの姿を見て胸を痛めたリエリカは堪えきれず主神に申し立てをしたが、オーディンもこの結末は不本意だったのか憂鬱な顔で何も言わずにただ首を横に振るだけだった。


 騒ぎが起きた時より1人だけ宮殿から出ずにいた者がいた。ルナ・ディアスである。悪魔である自分が神々や神兵と肩を並べて立つのは角が立つと読んだのか、彼女なりに空気を読んだのだ。

 部屋に戻ってきたセシルを迎えるようにルナは彼を抱きしめた。


「強くなろ。大事なもの、手からこぼれ落ちないよーに、誰にも文句言わせないくらい。あたしもセシルを支えてあげられるくらい強くなるからさ」


 耳を撫でる様な吐息と悪魔の囁きに、セシルは静かにルナの胸元を濡らすのであった。

ちょっぴりシリアスでセンチメンタルな締めくくりにしてみました。←そう思ってるのは私だけかもしれませんが


普段チャラめでギャルルなルナですが、病んでる時に母性と包容力MAXで出迎えられたらセシルくんじゃなくてもギャップの破壊力に萌え♪ 萌え♪ 滅!!ですよね。←おい


次回はどうなることやら、、、

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