第二十五話 兄弟喧嘩
パンドラの石 セシル編
麻生たちが試練を終えて神殿でセシルの帰還を待つ中、セシルは懐かしい場所で懐かしい人物と対峙していた。
セシル以外の3人がパンドラの石から帰還したが、3人はセシルの身を案じていた。
「セシルのやつ、大丈夫か…あいつ、相当深い闇抱えてそうだもんな。死神だし」
「神から堕天した人間。たしかに体験する試練は過酷なものになりそうだな…」
「そうですね…だいぶ時間がかかっているようですし…」
「お主ら…心配しながら妾のおやつを貪るのはやめぬか。行動と言葉が伴っておらんではないか…」
小腹が空いたと煩い麻生にせがまれて仕方なく果実を与えたが、3人で底をつく勢いで食べ始めたためパンドラが釘を刺す。
「いや、腹が減ってはなんとやらってやつ?次来るとき市場で買ってくるから、カタイこと言わんでくださいよ、パンドラの姉御」
「童…次とはいつじゃ?お主らもうここに来る用などないではないか!ミドガルズオルムの餌にしてやろうか、まったく」
この世の奈落、タルタロス。そこで目覚めたセシルはある人物と鉢合わせていた。
「ヒュプノス…?」
「兄さん…?兄さん!無事だったんだね!」
久々の兄弟の再会に、熱く抱擁し合う2人。最後に魂を刈りに地上へ出て以降、人間に軟禁されゼウスに神の力を消され、成す術もなく人間界での生活を余儀なくされていたセシルを心から心配していたヒュプノスは涙を抑えきれず、兄を強く抱きしめた。
「大袈裟だな…いちおう死神だし、死んだらシャレにならないよ」
「ハ、ハハ、そうだね。でもよかった…元気そうで。でも、どうやってここに?」
ヒュプノスの疑問はセシルも同じだった。何故タルタロスにいるのか理解できずにいたが、これが試練の一環であることだけは感じ取っていた。
「僕にもわからない。潜在能力を解放できるって石に触れたら、ここに来ていた。地上に現れた悪魔を討伐するために僕は強くならなきゃならないんだ」
「悪魔…オリュンポスでは毎日のようにその議題で会議が開かれてるって母さんが言ってた。その…悪魔が現れたのは、兄さんが原因だって……」
「うん…僕の責任だ。でも、人間になって色々なことを経験したよ」
学生になって学校で魔法を学んでいること、クラスメイトや友人、仲間ができたことーー地上で暮らし始めてからのセシルの話をヒュプノスは終始、笑顔で聞いている。無口だった兄がこんなにも話してくれることが嬉しくてたまらないのだ。すると、話の途中で何かを思い出したようにヒュプノスは走って家に戻り、ある物を持って戻ってきた。
「人間としての生活も面白そうだけど、兄さんの仕事用のランタンを母さんが新しく用意してたんだ。兄さんが使っていた物より簡易的な物らしいから、たぶん1人か2人くらいの魂しか得られないみたいだけど、それでもこれで魂を刈り取れば、ハデス様も喜ぶしゼウス様も許してくれて神の力を取り戻せるんじゃないかな?」
思わぬ贈り物にセシルのこめかみから汗が流れ落ちた。ヘルメスの話では、72柱の悪魔すべてを討伐しなければ封印された力は戻らない。神としての力を失った今の状態では、ランタンがあっても魂を刈り取ることは難しいはず。しかし、母や弟の心遣いを無碍にはしたくない。セシルは内心、複雑に感じながらもランタンを受け取った。
しかし、ランタンに触れたその瞬間、セシルの頭の中に死亡予定者リストが流れ込むような感覚があった。死神であった頃と同じ現象が起きたのだ。ランタンに触れたことで一時的に力を取り戻したのか、それともパンドラの石が与えた試練の影響なのかと、セシルは少し考えた。だが、そもそも神の力を持っていた頃は息をするように当たり前にしていたことを改まって考え直したところで、何も分からなかった。
もし、頭の中に流れ込んだリストに記載されている者の魂を刈り取ることが試練クリアの条件ならば、予定者リストこそ手に入れたものの、本当に魂を刈る力まで戻っているのだろうかと、セシルは顔を少し曇らせた。
「……兄さん?」
「ん?ああ、ごめん。考え事をしていた。せっかくプレゼントしてもらったから、試しに仕事に行ってみるよ。ヒュプノス…悪いんだけど、転移魔法で地上に送ってもらえるかな?」
「うん、わかった。地上のどの辺りにする?」
セシルは頭の中で手に入れたリストを開き予定者の名前と所在地を確認した。
ーーっ!?これは……
目にしたリストには、セシルのよく知る1名の名前のみが記載されていた。
「ごめん、ヒュプノス…やっぱり今日は仕事、やめておく。久しぶりにタルタロスに帰ってこれたんだし、母さんにも会っておきたい」
「え……うん、わかった!じゃあ、家に帰ろう」
兄弟は屋敷に戻り、2階にある母ニュクスの部屋の扉をノックした。
「どうぞ」
「母さん…ただいま……」
「あら、タナトス。おかえりなさい。少し逞しくなったんじゃない?」
「どうだろう…剣技の訓練をしていたから、その影響かも」
その後、セシルにとっては数年ぶりの母の手料理を家族3人で楽しみ、団欒の時間はあっという間に過ぎていった。
自分の部屋に戻ったセシルは死亡予定者リストに記載された名前を再び確認した。
ーー麻生……迅…
一緒に行動している時は死の未来を予知するヴィジョンは発動しなかった。今になって何が変わったというのだろう。これが試練というのなら、あまりにも残酷で悪趣味だ。
「どうすれば……」
思い悩んでいると部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「……兄さん?少しいい?」
「うん…」
ヒュプノスは部屋に入るとセシルの前に座り心配そうに問いかけた。
「急に今日は仕事をやめとくって言ってから少し様子がおかしかったから気になって…何かあった?」
「……いや」
急に昔の無口な兄に戻ったような態度にヒュプノスはさらに疑いを深めた。
「そんなはずない…顔に書いてあるよ。手伝えることがあるなら言って!兄さんの役に立ちたいんだ!」
弟の気持ちを嬉しく思いながらも、セシルはこの仕事だけは絶対に実行できないーープレゼントしてもらったランタンが使えないなどと、そんなこと言えるわけがなかった。
「……わかったよ。じゃあ、手段は選ばない」
「え…ま、待ってくれ…!」
「ディープ・フォレスト」
有無を言わさずヒュプノスは魔力を込めた人差し指で強引にセシルの額に触れた。途端にセシルの意識は薄れていき深い眠りに落ちた。
「ごめんよ、兄さん。僕のディープ・フォレストは対象を眠らせて心の中に抱える悩みや考えを読み取ることができるんだ…見せてもらうよ」
ヒュプノスもそのまま目を閉じ、兄の頭の中を探るように瞑想を始める。
セシルの心の中の世界に辿り着いたヒュプノスは辺りを見回した。強く風が吹く白亜の砂漠と、遠くで雷鳴が轟く今にも激しく降り出しそうな曇天の空。かなり珍しい組み合わせからして、セシルの心の不安定さが見てとれる。
砂漠の先のほうには小さなオアシスがあり、そこには母のニュクスやヒュプノス自身の姿、そして他にも人間らしき女性やエルフの姿も見える。
「こんな景色見たことがない…だいぶ不安定だ。兄さんはどうしていつも我慢ばかりするんだ。もっと僕を頼ってくれればいいのに」
砂嵐が吹き荒ぶ中、セシルの悩みの原因を探そうと歩くがまるで拒絶されているかのように、なかなか前に進めむことができない。ひとしきり歩くと流砂の前に立たされ、背後に立つセシルに今にも落とされそうになっている少年がいた。
「……あれだ。止めなくちゃ」
ヒュプノスは走ってセシルの元へ行き、セシルに声をかけた。
「兄さん、待って!その少年がリストに載っていたんだよね?その少年は兄さんにとって何なんだい?」
「……ヒュプノス…彼は友人だよ。でも友人を殺してまで僕は強くなりたくない。けど、魂を刈らないと地上には戻れない。もう、どうしようもないんだ…絶望の袋小路さ」
兄の見たことのない悲壮感漂う表情にヒュプノスは胸を痛めた。しかし、原因がわかった以上ここにいる理由はない。
「兄さんは僕が助けるよ」
そう言ってヒュプノスはセシルの眠りの中から脱出した。タルタロスに戻ったヒュプノスは未だ眠り続ける兄に毛布を掛けて、セシルからランタンを奪うと死亡予定者リストの人間がいる場所へと転移魔法を発動させた。
神殿でセシルの帰還を待ち侘びる3人の前にゲートが開き、中から銀髪の美形の少年が現れた。
「え…誰だよ?!」
「でも、この雰囲気…セシルさんに似ていませんか?」
「ああ、魔力の質も似ている…何者だ?」
警戒する3人を品定めするかのように見ていき、麻生の姿を見て視線を止めた。
「僕はヒュプノス。タナトス…いや、セシルと言った方が伝わるのかな…彼を兄に持つ眠りの神だ。そこの人間、君はまもなく死ぬ。だから兄さんに代わって僕が君の魂を冥界へと運ぶ。言い残すことはないかい?」
「ちょ、え!?セシルの弟!?いやいや、待て待て!俺、死ぬ予定とかねぇし!なんだよ、いきなり来て訳わかんねぇこと言いやがって…」
「君が兄さんの友人であることは知っている。でも、君が死なないと、兄さんは神に戻れないんだ。兄さんのために死んでほしい」
ヒュプノスは手にしていたランタンを身体の前に掲げ、何かの呪文を唱え始めた。騒がしさに何事かと見にやって来たパンドラがヒュプノスの持つランタンを見て血相を変えた。
「童!今すぐ逃げるのじゃ!あれは死神が持つ魂を取り込む魔導器"ソウルイーター"。死神は手にするだけで魂を抜き取ることが可能じゃが、死神でない者でも古式呪文を唱えることで同じ効果を発揮する…唱えておる今しかない!出来るだけ遠くへ逃げよ!!」
見たことのないパンドラの慌てぶりで、ヒュプノスの突拍子もない発言がより真実味を帯びた。それを聞いて黙って見ている訳にはいかないと、リエリカとグレイスは麻生を庇うように前に出て武器を構える。
しかし麻生はその場を離れようとせず、あろうことかリエリカ達よりも前に出た。
「セシルの弟だからって何やっても許されるほど世の中甘くねぇぞ。上等だよ!抜き取れるもんなら取ってみやがれっ!!」
麻生の声など耳にも入っていないのか、ヒュプノスは身動き一つせず集中して呪文を唱え続けている。
「シカトかよ…じゃあ、新必殺技ザ・ワールド・アクセルのお披露目といこうか!!」
「……なんじゃ、あのダサい技名は…」
「ま、まあまあ…名前より大事なのは効果ですから…」
麻生が軽く念じスキルを発動させると、時間の流れが100分の1の速度になり、ヒュプノスの詠唱を阻止しようと麻生は一気に近づいて攻撃のモーションを取ったが、直前で拳を止めた。ヒュプノスの詠唱は先ほどと変わり速度で続いている。スキルが発動しなかったのかと、焦って後ろを振り返りリエリカたちを確認するとパンドラもリエリカたちも瞬きの速度がスローになっており、スキルが発動していない訳ではなかった。
「……どうして弟にだけ効いてねぇんだよ!?」
表情ひとつ変えず詠唱を続けるヒュプノス。詠唱が終盤に差し掛かってきたのか、ランタンが光出すと同時に麻生の身体も青白く光り始めた。
「クソッ!こうなりゃとりあえず殴って止めてやらぁ!!」
止めた拳を再びヒュプノスに向けて放つ。しかし、間に合わなかったーー呪文を唱え終えたヒュプノスは悲しそうな顔で麻生から視線を逸らした。
「兄さんに恨まれるかもしれないけど、君も兄さんの友人なら理解してほしい…こうするしかなかったんだ。ごめん」
麻生の身体から青白いモヤに包まれた光の玉が抜け出ると、ヒュプノスの持つランタンに吸い込まれた。魂を抜き取れられた麻生の抜け殻はその場に倒れ、時間が通常の速さに戻った。
「アソージン!!」
「くっ、愚か者めが…だから逃げろと言ったのじゃ…」
時間が止まっていた訳ではないため、麻生のスキル発動中でも目の前で起きていたことは皆が目撃していた。リエリカとグレイスは倒れた麻生の抜け殻に駆け寄り、心音と呼吸を確かめるがどちらも反応がない。
「……し、死んでいる…。おのれ!!悪神め!!」
リエリカは憤慨してヒュプノスに向けて剣を投げ付けた。ヒュプノスは瞬間移動に近い速さで剣を交わし、そのまま反撃してくることもなくこの場から去ろうと背を向けた。
「ヴァルキュリアが神に向けて剣を投げるなんて、教育がなっていないね…でも兄さんとこの友人に免じて許してあげるよ。じゃあね」
ヒュプノスはそのままタルタロスに戻るための転移魔法のゲートを開いたーーその瞬間、ゲートの中からセシルが掴み掛かるように飛び出してきた。
一話で書ききれませんでした、、、
奪われた麻生の魂を巡って、ヒュプノスとセシルの対決です〜
パンドラさんってば、麻生に対して辛辣な態度だったのに、なんやかんやで身を案じてくれてたんですねぇ。
そんなギャップ萌えを演出してみました。←萌えの要素あったか?




