明かされる明るみに隠された真実
当初想定していたよりも、早く目的地に着いたようだった。
駐車場に車を停めて、一息ついた大鷹くんは私に優しく教えてくれた。
着いたのは、ホテルの駐車場で、私は少し前に眠りから目を覚ましたばかりだった。
地下の駐車場にはちらほらと車が停まっているのが見えた。
無機質な灰色のコンクリートの駐車場が、逆に心地よかった。
明るい外の太陽や真っ青すぎる空の青さは、今の私には刺激が強すぎる。
じめじめとして、人通りがないこの場所に安心感を覚える。
大鷹くんは、携帯電話でなにかを検索しているのか、だれかと連絡を取っているのか分からないが、少しだけ画面をいじって、「大丈夫?」と話しかけてくれた。
圧倒的に昨日の夜から私から彼に話しかける頻度が減った。
それでも、正装を装ってか大鷹くんは変わらずに私に話しかけてくれた。
これが彼の強さであり、優しさだ。
私にはない魅力だ。
こんな素敵な人が、私の子供だとどう信じたらいいのか?
冗談にしてはきつすぎる。
悪い冗談だとしても、お母さんの性格を疑ってしまう。
しかし、お母さんがここまで大々的に嘘をつくとは考えにくい。
「上のフロアにいるんやて。いける?」
なんのことだろう、ときょとんとした私の顔を見て、大鷹くんが察したのか、
「ちーちゃんのお母さんとお父さん、上のレストランで待っとるんやて。めっちゃ、会いたがってんねんて。準備できたら、いこか」
お母さんとお父さんが待っている。
私は胸の中で大鷹くんの言葉を反芻した。
お母さんとお父さんが、待っていてくれている?
そんなこと、あるのだろうか。
お父さんは、別居して二十年もほったらかしにした娘に、いまさら何の用があるというのだろう。
それに、お母さんも今回の件が真実だとしても、何一つ明かしてくれなかった。
私はどんな顔をして会いに行けば良い?
大鷹くんとの関係も、これからのことも何の整理もできていないのに、どうしろというのだろうか。
それでも、時間はまっていてくれない。
どんよりとした車内の重い空気が、さらに私の肺を圧迫してきて、息がしずらくなってきた。
それもあって、私は
「うん」とだけ返事をして、荷物の用意を始めた。
駐車場を上がったフロアは豪勢な装飾が施されたホテルの受け付け風呂上がった。
小綺麗な服装のホテルマンが定規で測ったような角度でお辞儀をして私たちを出迎えてくれた。
もしも今回のこの騒動がなければ、私は心行くまでこの非日常的なホテルの景色を楽しむことができたと思う。
しかし、いまのこの私のかき乱された心理状態では、この華やか過ぎる景色が逆に更に心を不安させた。
「ちーちゃん」
半歩先を歩いて私を誘導してくれていた大鷹くんが、振り替えって話しかけた。
「なに?」
私は精一杯、ちょうど一日前の瑞々しく生きる力に溢れ大鷹くんとの幸せを確信してならなかった頃の自分に戻って返事をした?「俺、ちーちゃんのお母さんが言うてたこと本当夜としても、ちーちゃんのこと好きなのは変わらへんから」
この人は、どこまで私という人間が好きなのだろう。
ここまで言われると、むしろなぜ自分なのかという疑問しか沸かなくなってきてしまい、この人にはもっと別のいい人がいると思うようになり、自分を嫌いになりそうだった。
「ありがとう」
それくらいしか、返せなかった。
お母さんに、大鷹くんはあなたの子供なのよと告げられた日からまだ数十時間しか経っていないのもあるが、私も変わらず大鷹くんが好きだ。
いまでも、その少し癖がかった黒い襟足に触れたいし、骨ばった大きな手をもっと握りたい。
少しだけだか、月明かりで照らされた私の胸も、もっとまじまじと見て欲しかったし、キスだってしていない。
いまでもあのときの夜のことを考えると、体が無条件で暑く反応するのが分かる。
けれども、次の瞬間にはお母さんの顔が浮かんで「大鷹くんはあなたの子供」という言葉が何万回も心に吹き荒んでくるから、火照り始めた私の体は行き場を失い、途方にくれてしまう。
「ちーちゃん、俺、まだちーちゃんのこと好きやし、これからも好きやから。忘れんといて。お父さんに会うの久々なんやろ。緊張するかもやし、なんやこいつって思うかもしれへんけど、そんときは代わりに俺のこと殴ってや。あ、ここなや、ついたで」
そういえば、考える余地がなかったが、大鷹くんのお父さんが、私のお父さんらしい。
そんなこと、ありえるのだろうか。
意地の悪い夢か、ドッキリか、はたまたドラマでも見ている気分だった。
店につくと、うぐいす色の着物を着た女性が「いらっしゃいませ」と丁寧に受付をして、「大野です」と大鷹くんが伝え、「竹の間でございます」と部屋まで案内をしてくれた。
緊張していた。
駐車場についたときには、放心状態だったので、何も考えられなかったが、意識と現実が徐々にどこからか戻ってきて、いまや私に緊張を与えるくらいには機能していた。
「ちーちゃん、大丈夫?」
「う、うん」
強がってみたものの、口から出たのは震えた声だった。
靴棚にはすでに靴が二足揃えて入れられており、女物と男物、おそらくお母さんとお父さんのものだった。
「お靴はそのままで、結構です」
先程のうぐいす色の着物を着た女性が後ろから控えめに声をかけた。
「おおきに」
大鷹くんが御礼を言った。
「いくで」
「うん」
私は目の間にある障子に視点を合わせようとしても、どうがんばっても、ピントを会わすことができなかった。
さらに、合わせようと意識すればするほど、意識がまたどんどんと遠退いていき、今にも倒れそうだった。
そのとき、私の左手が強く動いた。
瞬間、すぐに認識した。
大鷹くんだ。
大鷹くんが手を握ってくれたのだ。
見ると、二枚の合わせ貝のように、いわゆる恋人つなぎといわれる結びかたで手が合わさっていた。
その結ばれた手と大鷹くんの顔を見ると、一瞬にして意識が自分のところまで戻ってきた。
「ほな、開けるで」
「うん」
今度はしっかりとした声で返すことができた。
私たちはまだ恋人だ。
告げられた事柄が事実と判明するまでは、私たちは恋人同士だ。
そう思うだけで、体に力が戻ってくる。
襖を開けると、そこには普段着の男女が椅子に座り、すっとすぐに椅子から立ち上がった。
栗色の髪を軽く巻いているのは私のお母さんだ。
どこか、少し前よりも更けた気がする。
目元にシワはあるし、前あったときよりも法令線が浮き出ているように思えた。
背もこんなにも小さくなかったはずだ。
会えなかった期間をそのまま凝集したような、そんな縮図の母がいた。
「千羽子…」
「お母さん、久しぶり、元気?」
意外と私の口からはするすると言葉が出てきた。
「あ、ああ、うん」
動揺の度合いが強いのは、お母さんの方らしい。
その動揺を隠しきれないお母さんの隣に立つ恰幅が良い男性が、恐らく私のお父さん。
お母さんは、お父さんの写真すら実家に持ってこなかったので、私は四歳までのぼんやりとした記憶の中でしかお父さんを知らなかった。
合体がなかなかに大きくて、黒の短髪の髪は癖が強く固そうだと率直に思った。
記憶の中のお父さんも、体が大きくて手が大きくて声が太くて低く、確かこんなかんじだったと思った。
しかし、四歳の頃の記憶だ。
改竄されていてもおかしくはないので、私は本当の自分の父のことを知らないといった方が語弊がない。
「千羽子」
そう私の名前を呼ぶ声は太くて低かったので、お父さんかもしれないという確率がほんの数パーセント上がった。
「お父さん…」
語尾は疑問系に近かった。
しかし、疑問系にすることで少なからずお父さんと思われる人物を傷つけてしまうのではないかと思った。
「お父さん、久しぶり」
左から大鷹くんの声がする。
そうだ、この恰幅がいい男の人は、大鷹くんのお父さんでもあるのだ。
話がややこしくなりそうだ。
お母さんの言う「大鷹くんは私の子供」というのが本当であれば、お父さんは大鷹くんのおじさんにあたる。
「お母さん、初めまして、ご挨拶遅くなりました。鷹志です」
大鷹くんはすぐにお母さんにも挨拶をした。
「久しぶり、鷹志くん。久しぶりって言っても覚えていないですよね」
大鷹くんは声にならない笑いをした。
それは、笑えない冗談ですよともとれるし、言っている意味が分からないです、という風にも見える。
もしもお母さんと大鷹くんが面識があるとすれば、大鷹くんが0歳の頃になる。
大鷹くんが覚えているはずがない。
まるで、結婚の挨拶をするかのような雰囲気に旗から見れば思うが、実はそうではない。
けれども、うぐいす色の着物を着た女性は、その雰囲気を察しているのか否かは不明だが、
「こちらお品書きでございます」と、ちょうどいいタイミングで私たちの間に入ってきてくれ、このなんとも言えない重く苦しい空気を少しだけ切り裂いてくれた。
「お茶菓子を人数分で」とお父さんと思われる恰幅がいい男性が注文をして、店員さんは会釈をして音もなく部屋から出ていった。
店員さんがいてくれた方がよかったと思ったのは人生でもこのときが一番だった。
頼んだお茶菓子は、五分経っても来ず、早く早くと心の中で何回も願った。
きっと高級なレストランなので、一からしっかりとお茶を煎れてくれているのだろう。
しかし、いまはそんなことどうでもいい。
スーパーマーケットで買ってきた安物のペットボトルのお茶を電子レンジでチンするだけでいいから、この黒く淀んだ空気をどうにかしてほしかった。
久しぶりに会ったお母さんとお父さんなのに、まったくこれっぽっちも嬉しいとは思わなかった。
ただ、早くこの場から立ち去りたいだけだった。
沈黙を破ったのはお父さんと言われた人だった。
「松島やっけ?どうやった?」
なぜ、今そんなことを聞くのかと思った。
いいも悪いも、悪いに決まっている。
わざわざそんなことを聞いてどうするのだ。
私のお父さんは、空気が読めない親なのか。
そんなことを考えていても、大鷹くんは「良かったで、東北。今度ゆっくり時間とって行きたいわ」と普通に返していた。
こんなささくれた私の心でも、この大鷹くんという人は器が大きいと感じさせてくれた。
この竹の間に入ってからずっと、大鷹くんは私の左手をぎゅっと握ってくれていた。
もしも彼が手を握ってくれていなかったら、私はすぐにこの場から立ち去ってどこかに走っていってしまったことだろう。
しかし、今は恋人同士である私たちだからこそ、私はできる限り大鷹くんに触れていたかったし、手を握っていたかった。
この部屋にいる理由は、それしかない。
「東北は初めてなんだっけ?他にも見所がたくさんあるから、時間できたらまた来てね」
お母さんも合わせて会話に入ってきた。
「そうさせてもらいます」
関西弁と共通語が混ざったような言い方だが、大鷹くんなりに意識しているのかもしれない。
しかし、そこで会話は終わった。
私は会話に入る気にはさらさらなれず、じっとどこか一点を見つめていた。
お父さんだと言われる人の顔も久々に会った更けたお母さんの顔もどちらも直視できなかった。
見れたのは、大鷹くんの横顔だけだった。
「失礼します」
後ろの襖の奥から聞き覚えのある声が聞こえた。
すっと、襖が横にスライドする音が響いて、振り替えると、先程のうぐいす色の着物を着た女性が膝立ちで襖を開けきったところだった。
ようやく、救世主が来た、と思ってもその救世主は慣れた手つきであっという間に粗茶と和菓子を人数分用意すると、気がつくと音もなく部屋から居なくなっていった。
ふう、とみんなが一息ついた。
この部屋の中にいる全員が圧し殺されそうな空気の重圧に呼吸困難になっていた。
「じゃあ、話すね」
今度はお母さんが口火を切った。
「千羽子、ごめんね、本当に。鷹志くんも。」
お母さんは熱くて持てないはずの湯飲みを両手でぎゅっと握りながら、浮いているはずのない茶柱を見ているようだった。
「千羽子が鷹志くんを生んだのは、千羽子が四歳のとき。いまでも、そのことは信じられない。けれども、何べんもお医者さんに行ったけれども、その事実しか考えられないって」
そうして、私の信じがたい過去がお母さんの口から始まった。




