言えなかった事実。小指を繋ぐ涙は真実?
部屋に戻ると、すでに仲居さんたちが夕御飯の支度をしていた。
テーブルを隅に寄せて、大きくスペースを作って、二人分の料理棚を作っていた。
部屋は通常レベルだったが、エアコンの故障でスイートルームになり、つられてごはんのレベルも上がったのだろうか。
おおよそ一人では食べきれなさそうな量のごはんが用意され始めていた。
私たちはワクワクしながらその様子を眺めていた。
自分達へのごほうび。
そして大鷹くんへのプレゼント。
すべてが最高だった。
用意は整った。
あとは、彼の気持ちだけである。
用意されたごはんは、それこそもう食べきれないほどの量だった。
仙台の牛タン、カニ、刺身などメイン料理がごろごろこと顔を出して、どれもサブと思えるメニューはなかった。
ごはんもとても美味しくて、おひつに入ったごはんはすぐになくなり、おかわりを二回したほどだ。
いつも食べているごはんと同じとは思えないほど、上手に炊かれていた米は、つやつやと輝き、噛むほどに甘い味覚をもたらしてくれた。
食事があまりにも美味しいので、先ほど庭園でビールを三杯も飲んだのに、どんどんお酒が進んでいく。
空きっ腹に庭園で飲んだビールがじわじわと効いてくるのが分かる。
自分の体の中でアルコールが踊り始めているのを感じる。
頬が赤くなり、熱を帯びて、口許が何もしていなくても上がっている。
鏡で自分の顔を見なくても分かる。
酔ってきている。
だめだ、だめだと自分を制した。
飲みすぎると寝てしまう性分なので、ここは自制をしてゆっくりと彼との時間を楽しまなければもったいない。
当の彼はというと、同じく空きっ腹にビールを注ぎ入れて、なおかつ宮城までの長時間運転の疲労からか、私と同じように酔いを感じているようだ。
「なんか、酔ってくるなー。これからなのに。なんかもう楽しいわー」
「ははは、私もだよ」
体がとろけていくのが分かる。
まだ料理も残っている。
デザートまで時間もある。
「至れり尽くせりだよね、ほんとうに」
「ほんまになぁ。まさか部屋だけやなくて、ごはんもパワーアップしてくれるとは。恐れ入ったわ」
そうなのだ。
通常の料理に加えて、エアコンの故障のおかげで、私たちはアワビの蒸し焼きと手作り豆腐のキャビア乗せという創作料理まで特別にいただくことになったのだ。
これはもう酒が進まないわけがない。
感謝の気持ちも込めて、私たちは次々と仲居さんにお酒を注文した。
「いやー、酔ったねー」
「せやなー、なんか目の前ぐるぐるするわ」
「つまずいて怪我とかしないでねー」
「ちーちゃんもなー」
ごはんがある程度で切ってあとはデザートだけになった。
「早いなぁほんとうに。大鷹くんと出会ってまだ半年くらいだよね。本当に怒濤だったけれど、本当に幸せだった」
「過去形にすんなよー」
大鷹くんは手にお猪口をもって、口をすぼませた。
始めてみる顔も、見たことがある顔も、すべてが愛しい。
ぼんやりと彼とはじめて会った日のとこを思い出した。
勢いで決めた恵比寿での日。
楽しい鉄板焼き。
キスできそうでしなかったあの階段。
なんだかはじめて会った気がしないほどに意気投合した私たち。それから何度も会うようになって、自然と心が通じあっていった。
発端は出会い系アプリだ。
でも、私は全く恥じていない。
きっかけはあくまでもきっかけであって、結果ではない。
出会い系アプリはきっかけだ。
結果は、今ここにいる私たち。
そしてこれからまさに恋人になる私たち。
「なぁ、ちーちゃん」
大鷹くんがうつむいた表情でぼんやりと、ゆっくりと私に話しかけた。
「なぁに?」
「俺、ちーちゃんに隠してることあんねん」
隠していること、という言葉が一気に酔いを冷ましていく。
胸騒ぎが始まって鼓動が早くなる。
大抵、こういったときは悪い話になる。
お母さんとお父さんが別居するときだってそうだ。
事実はあとから話されるのだ。
そう、大切な事実は。
「俺な、実はちーちゃんのこと、前から知ってんねん」
「え?」
「あんな、別に変な話しちゃうで。隠してたわけやないで。ただ、いうタイミングがなかったっちゅーか、まさかここまでになるとは思っとらんで、というか」
ばつが悪そうにする大鷹くんは苦しそうだった。
「大鷹くん?」
「ごめん」
「ううん、言って。言ってほしい。むしろ言ってくれてありがとう。聞かせて。私を前から知ってたって?」
「せや」
私が彼を許してあげなくて、他に誰が彼を許すのだろうか。
私は彼にたくさんのものをもらった。
私が返せるもの、あげられるもの、すべて与えたい。
それが、まず今目の前で苦しんでいる彼を解放することだ。
許してあげること。
それができるのは、大鷹くんだからだ。
「ちーちゃんは、忘れとるかもやけど、ちょうど一年前のいまぐらいに、俺ら出会っとるんや。俺はわすれたことないけど、場所は池袋駅でな、ちーちゃんたぶん仕事中で俺もちょうど外回しててん。東口の階段のところで、ちーちゃんが階段上ってて、ちょうど前を歩いてるおばあちゃんが倒れてな、それを解放してあげてたのを見たのがはじめて。東京にも優しい人がおるんやな~って思っただけやったけど、俺はもし付き合うならそんな心を持ってる人がええなって。ほんで次に会ったのは新宿。めっちゃ雨が降ってて、傘持たん奴なんかいないっちゅーくらいのどしゃぶりと豪雨で。俺は友達と飲みに行くところやったんだけど、ずっと外見てる女の子がいて、どうもそわそわしててんな。明らかに様子がおかしくて。俺も気になってたんやけど、友達との集合時間もあってそっちのが優先してた。そしたらちーちゃんがきて、女子に話しかけたんやで。近くにいたから聞こえてたけど、どうもその女の子のお母さんが妊婦で倒れてもうたらしくて、助け呼びたいけどどうしたらええかわからんくて、何を思ったのか外に来たみたいで。ちーちゃんは急いでその母親のところ向かってったん。傘は女の子に渡して自分はびしょ濡れになりながら、その妊婦のこと助けたみたいで。一緒に飲みに行く友達がその現場たまたま見てたらしくて、ちょうど臨月やったみたいでほんまに危ないところ助けたーって救急車の兄ちゃんたちも偉い誉めてたらしい。でもちーちゃんは、そんなことないって言って、びしょ濡れのまま、現場を立ち去ったって。名前も言わず。そんな人おる?俺、もしも次のその人にあったら絶対友達になるって決めててん。でもやっぱし東京はでっかくて、人も多くて、なかなかちーちゃんに会えんかった。もう会うの無理やし、きっと恋人いるって思っとったからほぼ諦めててん。でもな、神さまがチャンスくれたん。俺またちーちゃんと会えたん。そのときもまたちーちやん人助けしとってな、ほんまこの人どんだけ人助けしとんねんって俺ちょっとおもろくて。そのときは、痴漢から女子高生まもってたなー。女子高生めっちゃ泣いてて、痴漢した奴たぶん妻子持ちで「妻と子供には言わないでくれ」ってなんでかちーちゃんにずっとせがんでて、ちーちゃんは「私に言われても何もできません。それよりも被害者の気持ち考えてあげてください」って毅然とした態度でめっちゃかっこよかったわー。そうだ、東西線や。東陽町駅やったな。そのとき、ちーちゃんさ、何かの反動でスマホ落として、ちょうどアプリの画面が見えて。それであのアプリやっとるって知ったんやで。あのとき話しかけようと思ったんやけど、朝の東陽町は人がやばくて、ちーちゃんは案の定颯爽と人混みを掻き分けて姿すぐ消して後終えんかった。そっから、俺なんとかちーちゃんと連絡とりたくて、俺もアプリ始めてそれでようやく出会えた。これが俺の隠し事」
大鷹くんは生き生きと話をしていた。
時おり目を輝かせて、まるで今もその現場にいるかのような臨場感を醸し出していた。
言われてから気づいたが、そういえばそんなこともあった。
当時は必死だったので、もうよく覚えていないが、あのときは自分がいちばん正しいことをしてただけだった。
過去の恋愛の傷もあったので、生きるのに必死だったし、誰かに認めてもらいたかったのかもしれない。
しかし、改めて言われると恥ずかしい。
「なーんだ。もっと早くいってくれたらよかったのに。隠しことなんかじゃないよ。今いうべき話だから、今まであたためてくれたんだね、ありがとう。そっかぁ、私たちもっと早く出会ってたんだね。もっと早く知り合っていたら、きっともっと楽しかったよね。それでも、大鷹くんと付き合えるのは今じゃなきゃだめなのか」
「ちーちゃん」
大鷹くんが、まっすぐ私を見る。
「あんな、それでな、これ」
彼が机の下から仰々しく、小さな包みを私に渡した。
エメラルドグリーンの箱に白の光沢のあるリボンが反射している。
「え、これ、なに?」
下心かもしれないが、それはそうとしか言えないような形だった。
「俺の今の気持ち。でも、まだまだ序の口だから、これからの俺らのスタートとして受け取ってほしい」
「え、うそ…」
大鷹くんは、ゆっくりとその手に乗る小さな小包を開けた。
箱の中には、指輪が入っていた。
「え、大鷹くん…」
「これ、結婚指輪とか婚約指輪ちゃうで!ピンキーリングな!普段からでも仕事でもつけられそうやし、ちーちゃんに喜んでほしくて。ほんまは結婚指輪とか婚約指輪がよかったけど、それはこれから二人で選びたい。せやから、今回はピンキーリングで我慢してや?」
涙が止まらなかった。
この人は、どこまでも、私の幸せを貫いていく。
一秒前の幸せの基準を、一秒後に遥かに越えていく。
自ら幸せの基準を引き上げ続けている。
また、彼にもらってしまった。
「受け取ってくれる?」
「もち、ろん、だよ」
涙で息が上手くできなくて、言葉が途切れ途切れにしかでてこない。
「はめてみて?」
こくりと頷き、リングピローからシルバーピンク色の細い指輪を取って左手の小指にはめた。
「ぴったり…!すごい!」
「せやろ。この前ちーちゃんが俺んち来たときに、紐でサイズ図っててな。すごいやろ俺~」
自慢げな表情が愛おしい。
「私もこの前家に行ったときに、スーツにネクタイピンないなって思って買ったんだ」
「なんや!考えとること一緒やな。ほんまに俺らって似とるなー」
そうなのだ。
私は彼にネクタイピンをあげたのだ。
お互い、身に付けられるものを結果的にプレゼントし合った。
私はキラキラと光輝くピンキーリングを何度も角度を変えて眺めた。
「本当に嬉しい」
私は火照って涙で濡れた頬を両手でぬぐった。
「ちーちゃん」
大鷹くんが、私に触れた。
あんなにも近くて遠かった距離かここに来て一気に縮まった。
あぁ、もう、この先は幸せしかない。
彼に触れてもらって、もっと触れてもらって、心まで触れてもらって。
大鷹くんが私の手にそっと自分の手を重ねる。
「泣かんで」
彼が人差し指で私の涙をぬぐう。
そして、大鷹くんはゆっくり膝立ちをして、テーブルの上の料理をそぐわないように距離を取って、私の顔に近づいてくる。
これはきっと、フレンチキスだ、と私は悟った。
鳥が餌をついばむような、ほんの触れるだけのキス。
大鷹くんが目を閉じるのを見て、私も静かにまぶたを閉じた。
そしてゆっくりと顔を彼の方に向けた。
もう、私たちは恋人だ。
これからひとつになる。
キスが、そこまで迫っている。




